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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第9回玉菊燈籠恋の地獄】
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足抜け無惨
その頃、二羽の小鳥のような女と男が、道を走っています。
うつせみと新之助です。
しかし、無謀な計画を勢いで実行してしまった彼らを見つけ出すなど造作もないこと。
新之助は刀を抜いて立ちはだかろうとしますが、追手相手に瞬時にやられてしまいます。
武士なのに剣術は下手くそだったのか?
というと当時はそんなものでしょう。
江戸中期ともなれば、お武家さんの剣道はスポーツになっており、防具に竹刀で一対一ですから、実践からはほど遠い。
福沢諭吉が「江戸時代もしばらくしたら武士は刀なんて使えなくなったじゃないか」とコケにした通りで、喧嘩殺法のできる町人が足をすくい、目潰しなんかしてきたらまず勝てねえ。
ましてや取り囲まれたらどうしようもない。
その点、幕末京都で猛威を振るった新選組の天然理心流は、喧嘩殺法の集団戦術やら不意打ちをとり混ぜた、おそるべき流派だった。それで彼らの強さが際立ったのです。
新さんは、ありとあらゆる意味で、この時代を象徴するキャラクターといえるでしょう。
むろん、森下佳子先生の創作ではありますが、この手の貧乏御家人の次男以下は大勢いた。時代劇で主人公に切り捨てられるモブ浪人たちには、こういう身の上の連中も紛れているんでしょうね……切ねえ。
新之助が呆気なく倒され、うつせみが魂を引きちぎられるような絶叫を轟かせる。
「新さま〜!」
彼女も当身をされて苦悶しつつ、捉えられてしまいました。
うつせみは縛られて、松葉屋に連れて戻られました。
「芝居のネタにでもなるつもりかい? このしょんべん女郎が!」
低い声でそう怒鳴りつけ、うつせみに水を浴びせるいね。
「わっちはただ……幸せになりたくて……」
身悶えしながら答えるうつせみは化粧も取れ、純朴そのものの娘に見えます。
「はぁ? 幸せに……なれるわけないだろ! こんなやり方で!」
呆れ返っています。
「あんた、この先どうやって生きていくつもりだったんだい? 追われる身になって、どこに住むんだい! 人別は? 食い扶持は? どうすんだい? ええ? ろくな暮らしなんてできないよ。あんた養おうとあいつは博打。あいつ養おうとあんたは夜鷹。成れの果てなんてそんなもんさ。それが幸せか? あァ? 幸せか? それのどこが幸せかって聞いてんだよ!」
すすり泣くうつせみ。
その様子をジッと見聞きする瀬川。
白い白粉の下で、血の気が失せて蒼ざめているように見えます。
確かにな。これが現実なんだよ。
芝居にすらなれない江戸の男
薄暗い部屋に一人、新之助は刀を握りしめ、腹に突き立てようとして失敗します。
「あっ、いたっ! あ……」
そこへ蔦重が入ってきて、慌てて止めます。
「離してくれ! 俺はうつせみと共に逝くのだ!」
「うつせみは死なねえですよ!」
「え……?」
我に返る新之助。
吉原は女郎を殺したりなんてしないと蔦重が説得します。どうやら殺されるとでも誤解していたようですね。
ではなぜ新之助はうつせみが死ぬと思ったのか。新之助は何をしたかったのか?
というと、こいつァ「心中」っすね。
「情死」とも「相対死」とも言います。
現代人からすると心中とは「同時に同じ場所で死ぬこと」であり、離れていれば成立しないようにも思えますが、それはフィクションの演出上の都合です。
舞台劇なんかだと、同時に死なないとわかりにくいですからね。
しかし、実際の記録を見ると、同時期に別々の場所で自害し、遺書や周囲の状況でそう見なされることも多い。
新之助は頭がカーッとなっていて、かつ、フィクションの影響でも受けていたのでしょう。
蔦重が瀬川に、通行切手を挟んで渡した本は『天の網島』。『心中天網島』のことです。
蔦重と新之助の言動からは「心中」という道が見えてきます。あれも女郎と恋の叶わぬがゆえの死がテーマでした。
しかし、結局、この二人の男は「心中」にならないか?ということですが、いねがうつせみに「芝居のネタにでもなるつもりかい?」と語っていたこともヒントになります。
心中とは、江戸時代、上方発のムーブメントの一つでした。
『光る君へ』のころ、『源氏物語』では入水自殺未遂はあっても、心中はありません。
男女が思い合って死ぬことが全くないわけではないものの、ハッキリとしたシナリオとして認識されるのが、近松門左衛門の心中ものブームからなんです。
これが江戸まで伝わってくると、幕府は困惑します。
中でも八代将軍・徳川吉宗は大激怒。
「心中」は「忠」をひっくり返していてけしからん! そんな理屈もあげられますが「そんなしょうもねえことで死ぬな!」と言いたかったのでしょう。
心中というのは結局、フィクションの悪影響の代表例でもあります。
そのため江戸では厳しく取り締まられました。
実際に、心中で死んだ者は輪廻転生を防ぐため犬畜生のように葬られ、もしも生き延びたら晒された上に非人とされます。
そうした政治的影響力の差もあってか、心中は西高東低の傾向がありました。
足抜け女郎をうっかり折檻死させたなら言い訳ができるかもしれない。しかし狙って殺すとなると、心中を誘発したとして、お上から睨まれかねない。
そういった複雑な心中事情も見えてきますな。

『曽根崎心中』お初と徳兵衛のブロンズ像(大阪露天神社の境内)/wikipediaより引用
ともかく芝居にもなれない新之助は、足抜けの経緯を明かします。
誘ったのは新之助から。うつせみが悪どい客に苦しめられることが耐えられなかったそうです。
彼はうつせみへの愛情はむろんある。それだけでなく、己の不甲斐なさに耐えきれなかったのです。
己の弱さを自覚し、項垂れるしかない新之助。彼の言葉を、蔦重はジッと聞いています。
こうしてみてくると“カモ平”扱いされていた長谷川平蔵が恵まれていたと思えてくるんですよね。
なんのかんので三河以来、それなりの旗本で嫡男。しかも父親は倹約して遺産を残していった。その遺産を溶かしたのはいただけねえにせよ、妻子もあるし、お役目もあると。
若い頃、一時吉原で遊んで戻れるというのは、恵まれているっちゃそうなんですよ。
“瀬川”を背負った覚悟
いねが花を生けているところへ、瀬川がやってきて問いかけます。
瀬川なりに、うつせみへの言葉に厳しいだけでない真実を見出したのでしょう。
「四代目瀬川が迷惑千万とは、女郎にとってでありんすか?」
うつせみに語りかけた厳しい言葉には、この世を生きてきた、元花魁の洞察があった。あの四代目瀬川への言葉にもそれがあるのではないか、と。
いねは花を生けつつ、語ります。
「あの妓があんな死に方しなきゃ、きっと何人もの女郎が瀬川になって、豪儀な身請けを決めて大門出てったさ。あの妓は引き受けときながら、己の色恋大事でぶっ潰しちまったんだよ。女郎たちは“瀬川になる道”をなくしたし、松葉屋は“瀬川の身代金”をなくした。だからあんたが瀬川をよみがえらせたい、幸運の名跡にしたいって言った時は、嬉しかったよ。これでみんな救われる。やっと、“瀬川”を背負える器が出たと思ったしね」
じっと聞いている瀬川。
「ここは不幸なところさ。けど、人生をガラリと返るようなことが起きないわけじゃない。そういう背中を女郎に見せる務めが、“瀬川”にはあるんじゃないかい?」
パチンと鋏を使い、いねは続けます。
「“瀬川”を背負うってのはそういうことだと思うけどね」
蔦重は歩きつつ、新之助の言葉を思い出しています。
己の不甲斐なさに耐えられなかったのは、私の方だ。
弱かったのは、俺なのだ――。
彼は何を思うのか。
それでも、とびきりの思い出になった
松葉屋に本を貸しにきた蔦重に、瀬川は話しかけます。
「重三。この本、馬鹿らしうありんした。この話の女郎もマブも馬鹿さ。手に手をとって足抜けなんてうまくいくはずがない。この筋じゃ、誰も幸せになんかなれない」
「悪かったな。つまんねえ話すすめちまって……」
「何言ってんだい。馬鹿らしくて……面白かったって言ってんだよ」
驚いて瀬川を見返す蔦重。
「この馬鹿らしい話を、重三がすすめてくれたこと、きっとわっちは一生忘れないよ。とびきりの思い出になったさ。じゃあ、返したよ」
上方の芝居のように、心中はしない江戸の二人。
馬鹿馬鹿しい、これじゃ幸せになれないと笑い飛ばす瀬川。
でも、そう思っただけでも幸せだった。
馬鹿馬鹿しいお話に救いを見出した。
そういう「虚」に救いを見出し、苦い「実」を生きる。そんな江戸の時間がそこにはあります。
そして……。
ほどなくして、瀬川の身請けが正式に決まりました。
身代金は千四百両。
年の暮れには出ていくそうです。
そしてもう一人、田安賢丸も、年末に住み慣れた場所から離れねばなりません。
そんな兄に、妹の種姫が何か手にして話しかけてきます。何かの種です。なんでも父からもらったのだとか。種を蒔いて芽が出るかと尋ねる種姫。
「そうか、種を蒔けば……」
そう目を光らせる賢丸でした。
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