べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第23回我こそは江戸一利者なり 親離れ子離れの苦しみ

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第23回我こそは江戸一利者なり
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流通ルートがないと良いものを作ろうが流れない

呉服屋の白木屋が持ち込んできた話とは、『雛形若菜』の人気を上げるため吉原あげて力を貸して欲しいというものでした。

呉服屋としては、ファッションカタログでもある西村屋の『雛形若菜』を盛り上げていくことにしたそうです。

後回しにされた蔦重の『青楼名君』。

グッドニュースどころかバッドニュースで、蔦重の顔が少しひきつっています。

悔しそうに『青楼』のどこが『雛形』に劣るのかと粘る蔦重は、華やかさや面白さだって負けちゃいねえ!と強気です。

北尾政演『青楼名君自筆集』/出典:ColBase(→link

おまけに入銀は吉原持ちで制作費もタダ。

しかし、作品としては優れていても売れていないと白木屋は浮かぬ顔です。

蔦重が「市中ではかなり売れている」と反論しても、話はもっと大きなスケールでした。

「江戸の外では、どうですか?」

白木屋が本質をズバリついてきましたね。蔦重の顔も「スンッ」となってしまいます。

りつに、その辺りどうかと聞かれると「往来物のツテがあるところに頼んだりはしてまさ」と返しています。

白木屋は満足げに「そこが西村屋さんとはまったく違うところです」と言います。

鶴屋や西村屋には諸国の本屋から大口の買い付けが来る。遠く名古屋、京、大阪、仙台まで流通する。地方の本屋や小間物屋にまで流れるんだとか。

駿河屋はここで「ケッ、いつまで経っても脇が甘えな!」と吐き捨てるのでした。

りつも「これはこれで手伝うってことでいいかい?」と提案。

『青楼名君』はやらないわけでもないし、江戸の外まで女郎の名が売れるのは吉原にとってもいい話だと……そう言われたら反論できませんね。

蔦重はそれでも、江戸の外まで流れりゃ『青楼』が『雛形若菜』に勝てる!と燃え始めました。

「見ててくだせえ! あっという間に日の本中に流してみせますから!」

「わかりました。しばらく待ちましょう」

こう啖呵を切った蔦重に、駿河屋はますます苛立ち、りつも動揺しています。

さて、そんな宛てはあるのかね。白木屋たちが去ったあと、駿河屋が怒鳴り出し、りつも同調します。

「おい……おめえおめえおめえ! 何勝手なこと言ってんだ!」

「そうだよ! 吉原にとっちゃ双方ある方が……」

「うちの品を売れるように計らうのは当然じゃねえですか」

蔦重が断言すると、駿河屋は吐き捨てます。

「しゃらくせえ! 吉原あっての蔦屋だろうが!」

「親父様、近頃はうちに金出してえって人もいんですぜ」

さすがに駿河屋はもう限界だぜ。蔦重につかみかかると、そこへ松葉屋と丁子屋がやってきました。

なんでも和泉屋のご隠居が亡くなったそうです。明日葬儀だと聞いてりつは返します。

「迷うとこだね。私らが出るのを嫌がる人も多いからね」

それがなんでも、息子である今の旦那から見送って欲しいと頼まれたんだとか。松葉屋は蔦重を誘うものの、駿河屋が「出てる暇なんてねえだろ!」と遮ってしまいます。

「蔦屋様は世話んなった馴染みより、てめえの品流す方が大事(でぇじ)だろうからよ!」

「……じゃあそうさせてもらいまさ」

蔦重は呆れたように立ち上がり、出て行ってしまいます。

 


須原屋、蔦重の日本橋進出を励ます

江戸の市中――蔦重が西村屋の前で、地方出身らしき大荷物を背負った男に声をかけます。

錦絵を見せよう……とすると、相手は「西村屋の『雛形』買ってりゃ言われとるで」と即座に返答。

別の男に声を掛けても「急いでっから!」と取り付く島もありません。

彼もまた西村屋に向かい『雛形若菜』を買っていくのでした。

鳥居清長『雛形若菜の初模様 大文字屋内まいずみ』/wikipediaより引用

そこで蔦重は、須原屋に錦絵を書物扱いで流すよう頼みに行きます。

と、これがさすがに無理なんだとよ。狂歌本とは違うわけですな。

須原屋は蔦重を座らせ、こう提案します。

「なあ蔦重、おめえ、日本橋に出る気はねえかい? 日本橋に出りゃな、この絵は一発で方々の国に出回ることになるんだぞ」

西村屋、鶴屋の品ならば江戸の外に流れてゆく。それは日本橋に店があるからだ。日本橋に出店してこそ一流と認定される。そこの品なら間違いないと買っていくのだと。

蔦重も日本橋に出店すりゃあ、それで先に進むというわけでさ。他の本だって、日本橋にでりゃほっといても流れに乗るってよ。

しかも売り上げも桁違いになる。蔦重にとっても作者にとっても良いことづくめです。

しかし、そう簡単な話なのか。

蔦重も冷静になって、吉原を出たら『細見』も催事の本も一切出せなくなります。吉原には山のような借金もあります。

須原屋は金のことなんてどうにでもなると笑いとばすものの、細かいことを考えたら無理だと言います。

「それでもよ、俺ゃ、おめえに日本橋に出てもらいてえ。あの源内さんのためにもよ。お前さんはな、今江戸で、一番面白えものを作ってるんだ。そいつをこの日の本の津々浦々に流すということは、この日の本の人々の心を豊かにすることじゃねえか? なっ? 耕書堂って名にゃあ、そういう願いが込められていたんじゃなかったのか?」

源内の名を出されると、蔦重は動揺してしまう。須原屋から出ても、どこか上の空です。

江戸の街の風景も出てきますが、ここ最近の時代劇でも最高峰の映像ですね。

出来の悪い時代劇はエキストラがまず少ねえ。人がいたとしても道具や衣装の手抜きが目立つ。なにげなく道を進んでゆく、俵を満載した車なんてそうそう見られません。

作るのに手間暇かかるんでしょう。本作はそうしたことを惜しまず、浮世絵で見た景色の再現を誠実にこなしています。

蔦重はここで手を合わせています。

まるでこの時代の江戸そのものに感謝するような、あるいは源内のことを思い出させてくれた須原屋に感謝するような、綺麗な動きなのでした。

歌川広重『名所江戸百景』「日本橋江戸ばし」/wikipediaより引用

 


吉原もんなんて所詮、差別される

和泉屋のご隠居の葬儀に、忘八たちが参列しています。

すると「吉原もんだ」「吉原の人?」「初めてみた」とざわつく他の参列者の声が入る。

彼らは他の参列者とは別の場所へ移動させられそうになります。

「吉原の方と同じ扱いなら帰ると仰せのお方がいらっしゃいまして……」

「そのあたりは何度も確かめたぜ!」

「それでもいいっていうから来たんだよ!」

そう反論するものの、土下座して頼み込まれたら意地を張ってても仕方なく、折れるしかない。

そんなことくらいわかっちゃいるんです。扇屋が声を掛けて立ち上がり、外に出ていくのでした。

雨が降り出し、彼らは濡れるしかありません。

読経の音が聞こえてくる……なんとも醜悪に思えまさぁ。宗派によるとはいえ、悪人だって救うのが仏の教えでしょう。

蔦重は葬儀に出られず、家で和泉屋を弔っています。

思えば和泉屋の荷物持ちをしたから田沼様にも会えたんだとか。

そこから全てが始まった――ドラマの初回からそう思い出している蔦重。

田沼意次との邂逅。

源内から託された「耕書堂」。

煙管片手に考えていると、外から葬儀から戻った忘八たちの声がしました。雨に濡れてしまったようです。

蔦重があわてて出ていくと、いつもの「吉原もん」扱いをされたと彼らは諦めたように返してきます。

蔦重は彼らが去ったあと、雨に濡れたまま何か思うところがあるようで、歌麿もその姿を見ています。

「任せたぜ、蔦の重三」

瀬川のそんな言葉も思い出されます。

瀬川を描いた思い出の『青楼美人合姿鏡』を見ながら、彼は一人、行燈の灯りのもとで何か決意を固めてゆきます。

勝川春章『青楼美人合姿鏡』/国立国会図書館蔵

手には「耕書堂」と書いた紙。すると歌麿が入って湯呑みを置き、こう声をかけました。

「行きなよ、蔦重。何がどう転んだって、俺だけは隣にいっからさ」

何もかも見透かしたようにそう励ます歌麿でした。

 

とにかく、俺ゃ、日本橋に移りてえんです!

忘八たちが集まり、松葉屋がそこでぼやいています。

以前より女郎や芸者に気遣っているのに、まだ吉原者を蔑む目は変わらない。

食えなくて死ぬしかねえ子を、兎にも角にも食わせてるのは誰なのか。そう社会の最底辺を支えている自負を語ります。

確かに体を売らせているが、女を買う客はそうした子らに何もしていねえ。そんな理屈をこぼすわけです。

そこへ蔦重が入ってきます。

駿河屋が「錦絵はあっという間に日の本中に流れるようになったのか?」と嫌味を言うと、そこも含めての話であるとのこと。

「皆様にお願いがございます。俺に日本橋に店を出させてくだせえ!」

そう深々と頭を下げます。

皆驚くなか、駿河屋が愕然としつつ、このことを予感していたような顔になります。

この店はどうするのかと問われると、人に任せるか、いっそ畳むとのこと。

「とにかく、俺ゃ、日本橋に移りてえんです!」

「とち狂ってんじゃねぇ! おら! おめえは吉原の本屋だろうが!」

駿河屋が激怒し、蔦重を足蹴にし、締め上げます。

松葉屋が「やり過ぎだろ」と声をかけるも、すかさず蹴りが飛び、障子が開けられ、階段の方へ。

「おお? 誰のおかげでここまでになれたと思ってんだ! 忘八にも程があんだろうが! べらぼうめ!」

正面切って階段落ちが映されます。

階下ではふじが駆け寄り、無事を確かめる。

血をぬぐい、蔦重が親父殿を見上げて言います。

「俺ゃ、忘八でさ。けど、親父様。俺ほどの孝行息子もいませんぜ。江戸の外れの吉原もんが、日本橋のまん真ん中に店、張んですぜ。そこで商い切り回しゃ、誰にもさげすまれたりなんかしねえ!」

そう言いつつ、堂々と立ち上がります。

着物の裾をはしょり、帯に入れて、落ちた階段を一歩ずつ踏みしめて、登ってゆきます。

「それどころか、見上げられまさ。吉原は、親もねえ子を拾ってここまでしてやんだって。大したもんだ、吉原の門だ。丑寅(うしとら)の門は懐が深えって。俺が成り上がりゃあ、その証しになる。生まれや育ちなんか、人の値打ちとは関わりねえ、屁みてえなもんだって。そりゃ、このまちに育ててもらった、拾い子の、一等でけえ恩返しになりゃしませんか?」

親父殿と同じ高さまできて、彼は頭を下げつつ、こう言います。

「皆様、俺に賭けてくだせえ」

「勝ち目は? しくじりゃ、所詮吉原もんはって言われるだけさ」

りつがそう問いかけます。

「俺には、歌麿がいる」

蔦重はそう言い切りました。

まぁさん(朋誠堂喜三二)、(恋川)春町先生、(四方)赤良先生(大田南畝)、(北尾)重政先生、(北尾)政演(山東京伝)、(富本豊志)太夫、(唐来)三和、(志水)燕十さん、近頃は(北尾)政美もいい。

一人一人名前をあげ、血の流れる口元を引き締め、こう言います。

「俺の抱えは日の本一に決まってる! 俺に足んねえのは日本橋だけなんでさ!」

東海道五十三次之内 日本橋/wikipediaより引用

そう頭を下げるのですが……でもよ、見てくれよ。忘八たちゃあ、ちっと寂しそうな顔じゃねえか?

仲間として天秤にかけて、自分が知り合った連中をあげたってことだもんな。

親離れ子離れだ。

目が泳いでる駿河屋が切ないねえ。

でも、蔦重の言うこたもっともだよ。ここで初めて階段から落とされて、蔦重は登った。蔦重にとってこの階段は滝だ。いま、初めて登った。

蔦重はこの階段を登竜門にしてえんだよ。ここの蔦重は、滝を登る鯉なんだ。あとは竜になるしかねえんだよ!

葛飾北斎『鯉の滝登り』/wikipediaより引用

さて、このあと、佐野政言の家が出てきます。

年老いた父に桜を見せようとする子。しかし、父の政豊は「ところで佐野の桜はいつ咲くのだ?」とその桜すら認識できておりません。

「もう咲いておりますよ、父上」

政言の顔には、絶望感が微かに滲んでいます。

蔦重は親離れを望んでいますが、それすらできない者もいるのです。

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