べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第32回新之助の義~煽動とはそうと気づかず操られ

2025/08/27

十代将軍・家治、薨去――。

彼のもとで政治を担ってきた田沼意次は老中を辞任しました。

結果、政局は混乱して停滞。そのツケが江戸の民に回ります。

貧しい長屋では、米をめぐる争いにより、新之助の妻であるふくと子のとよ坊が命を落としました。

これは彼だけの問題ではなく、江戸、そして日本のあちこちで同様の悲劇が起きていたのでしょう。

 


お救い米は困った人だけもらえるもの?

天明6年(1786年)秋――蔦重は新之助のもとへ向かいます。

と、何やら騒ぎが起きている。

聞けば、お救い米の配布に受給の条件があり、混乱が生じているようです。

一人の働き手で大人数を養っている、かつ、働き手が病になった場合に限るとか……って、かなり厳しい条件ですね。

怒る長七に対し、蔦重は「それは困っている人だけってことじゃねえですか」とおずおずと返してしまいます。

「俺らのどこが困ってねえってんだよ!」

「なんだおめえ!」

「おめえは食えるからいいよな!」

「帰(けえ)れ、帰れ!」

「何考えてんだ!」

たちまち絡まれ、怒鳴られてしまう蔦重。

新之助が間に入らなければ、危うくボコられて簀巻きで川に沈められちまうとこだったぜ。

その後、新之助の家で現状が語られます。

お上はろくにお救い米を出さない。大水のあとは裕福な商人が助けたけれども、今はない。それで不満が鬱積し、殺気立っているようです。

そう語る新之助に蔦重は仕事の金に加え、米を援助しようとする。と、新之助は戸惑います。

ふくととよ坊の死因は、彼だけが米を持っていると察知した物盗りによる犯行がもたらしたものでした。まだ、とよ坊のおもちゃが残されている様が実に痛々しい。

蔦重が無言になると、新之助は別に責めているわけではないと、改めて礼を言います。

「……だが、俺はこの出来事にきちんと向き合わねばならぬと思うのだ」

「じゃあ、仕事をたくさんお願いする向きで」

「うん、ひとつそれで頼む」

こう二人はやりとりをして、一旦収まるわけですが……。

蔦重は初回冒頭で語られた通り、風を読む才能があります。しかし、どうにも人の心は読めてねえんじゃねえか?と、思えてきましたぜ。

歌麿の心にもどこか鈍感に思えるし、新之助に対しても、殺気立つ長屋の苛立ちについても、あまり読めてねえんじゃねえかな。

こりゃ、東洲斎写楽の売り出しに失敗するわけだと思えてきてしまいまさ。

耕書堂に戻った蔦重は、まぁさんこと朋誠堂喜三二と恋川春町の前で長屋のことを語っています。

恋川春町(左)と朋誠堂喜三二/wikipediaより引用

惨状に驚く二人。

彼らとてそう楽な暮らしでもないはずですが、そこから見ても悲惨な境遇なのです。

お上はそこんとこどう思っているのか。蔦重が気に病んでいます。

春町は、田沼様への追罰でそれどころではないだろうと分析。

なんでも田沼が潔く自ら身を退いたことに、御三家が出てきて「ああだこうだ」と言い始めたそうなのです。

 


御三家と一橋、結託す

場面が江戸城に切り替わり、その御三家が出てきます。

尾張徳川家・徳川宗睦

紀州徳川家・徳川治貞

水戸徳川家・徳川治保

「度重なる天変地異、変わらぬ飢饉、そして上様の薨去。今日の悪しき有様は皆田沼が招いたものであろう!」

「お役を退くだけなど手ぬるい!」

風格ある方々、いわば時代劇における横綱級の名優がズラリと並び、凄んでいます。

水戸徳川家なんて、あの黄門様こと徳川光圀以来、慢性的な財政赤字で、領民の暮らしは全国でもワーストクラスなんですけどね。

自分の領地すら無茶苦茶なのに幕政へ口を出してくるのは、幕末の徳川斉昭へも連綿と続く水戸藩の悪癖ですな。これはもはや呪いだと、再来年の大河ドラマでも確認しましょう。

そして、御三家の威を背景に何やら動いているのが一橋治済。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

しぶとく粘る松平康福や水野忠友など、田沼派の排除を目論んでいますね。

田沼意次は老中になってからの2万石、大坂と神田橋の屋敷も召し上げとなりました。

なお史実では、意次の財を没収し、賄賂で肥え太っているのだろうと調べたところ、贈収賄の証拠はさして残されてなかったとされます。最新の研究ではそこがきっちり明かされている。

ならばなぜ、田沼といえばワイロという認識に我々はなっているのか?

というと松平定信派がプロパガンダを駆使したせいなのです。松浦静山著『甲子夜話』等の文献により毒々しいゴシップが語られてきて、その印象が現代にまで残ってしまった。

松浦静山/wikipediaより引用

ゆえに後世の我々は史料を読む際、「作者がどういう意図で書いたのか?」という点にも思いを巡らせねばならないのです。

こういう過程を「史料批判」と呼びます。

ただ気に食わないものにケチつけるという意味では決してありません。一つの史料をすべて鵜呑みにするのではなく、複数の史料や当時の状況と付き合わせ、考えていかねばならないということです。

今年の大河ドラマはそんな史料批判まで考えさせてくれるからよい。歴史を考える力を養います。

近年の大河ドラマで史料批判を怠った代表格といえば『青天を衝け』でしょう。

発表当初から「信用ならない」として非難轟々だった『徳川慶喜公伝』を史料批判抜きで使っていた。

歴史学に必須となる要素を踏まえないドラマは、視聴者の歴史知識を汚染してしまう危険性すらあるのです。

 

田沼派が泡食っている政治情勢

話を戻しまして、田沼派と見做された者たちも処分を受けていました。

勘定奉行の松本秀持はお役御免。

土山宗次郎はお役替え。

田沼意次が身を引けば終わりどころか、一派も大変なことになってしまいます。

誰袖花魁こと“かをり”はもう出番がありませんが、江戸の片隅でひっそりと生きていることでしょう。ただ、彼女の名前がまた出てくる可能性は高いと思われ、覚えておくと良いと思います。

蔦重は、目の前の戯作者兼武士のことも案じていました。

しかし二人は直参でもなく、よその家のことだとして余裕がありますね。二人はあくまで江戸詰というだけで、別に仕える家がありました。

この点はなかなか重要なことでしょう。

『青天を衝け』では、渋沢栄一が幕臣代表みたいな顔してましたが、一体あれはなんなのでしょう。彼は元々は豪農出身であり、代々幕臣であったわけでもありません。

そんな彼は当時の流行に乗っかって、志士としてテロ活動に励むことになります。

ところがそれが露見し、このままでは犯罪者となってしまう。そこに運よく一橋家からスカウトが来たので、逮捕を避けるために仕えたのです。

武士としての徳川への忠誠心などなく、内心は幕府はさっさと潰れろと思っていたとか。

渋沢はあくまで自己保身をはかっていただけなのに、後に主人の一橋慶喜が将軍になったため、流れで幕臣となってしまう。

要するに、武士としてのわずかな期間もほぼ一橋家にいただけ。幕臣になったのは一瞬のみ。それがなぜ、三河以来の小栗忠順らをさしおいて、幕臣代表ヅラしていたのでしょう??

この時点で、私はもう主人公設定が不正確な上に厚かましすぎて、ドラマのタイトルを聞くだけで嫌な気分になってしまいます。

再来年の大河では、本物の有能幕臣の姿が見られるわけですよ。期待しかねえな!

ま、再来年へ向かう気持ちは落ち着けまして。『べらぼう』の戯作者仲間でも直参がいますよね……そう、大田南畝です。

鳥文斎栄之が描いた大田南畝/wikipediaより引用

その南畝が蔦重のもとへすっ飛んできて、自分の作品がどうなっているか聞いてきました。

すでに印刷製本済みである本を見て、絶望する南畝。

蔦重が「泡食ってる田沼様の一派?」と喜三二と春町らにトボけて確認すると、二人とも頷きます。

土山宗次郎と豪遊三昧していたわ、蝦夷地探検していた平秩東作とも親しいわ、南畝はそりゃもうケツに火がついちまってます。これが出るとまずいと大慌てでさ。

喜三二はノホホンと、こう指摘します。

「本を引っ込めるよりも、あの子返した方がいいんじゃないか? ほれ、あの子」

「あ〜あの子。土山様に身請けしてもらった……」

「みほざきですか」

「うん、みほざき」

そうなんですよ。畳が日焼けした質素な家に暮らしていた南畝先生は、土山の金で贅沢三昧、しまいにゃ女郎を身請けしてたんですな。

それを返す……そんな情けねえことはできねえと焦る南畝です。

どっちも今更だ、南畝先生の土山様贔屓は皆知っている、そう指摘する蔦重。

南畝は泡食っています。

すると九郎助稲荷が「南畝先生の反応は少々大袈裟ですが……」と挟みます。

果たして、大袈裟というのはどうなのか。南畝はこの先、キャリアも停滞気味となってしまいます。

明の政治をロールモデルとした松平定信により、日本版ミニ科挙ともいえる「学問吟味」が開始されると、南畝は猛勉強してこの試験で優秀な成績をおさめた。

しかし、それが出世に繋がらない。

行き詰まるたびに囁かれたのが、狂歌師として享楽に耽っていたことと、土山宗次郎との関係でした。

南畝のリア充最盛期は、田沼時代と共に終わってしまったのです。

大田南畝(四方赤良)/国立国会図書館蔵

それにもっと気になることもありますよね。

みほざきよりずっと高値である誰袖を身請けした土山宗次郎こそ、もっと危険なのではないか?

その答えはこの先でしょう。

 


大奥にとって松平定信は煙たい

他の田沼派も御三家と一橋治済の出方に戦々恐々。

次の老中を選ぶレースも開始されます。

大本命は、田沼意次を二度指し殺そうとしたという、あの松平定信ですね。

水野忠友と松平康福としてはそれだけは避けたい。老中になる上で家柄や職歴を持ち出すも、実は田沼意次がその掟破りの先例なのです。

もはや松平定信は既定路線となりました。

松平定信/wikipediaより引用

そこで田沼派の二人が頼りにしたのが、大奥の頂点に君臨する高岳でした。

初登城の日、偉大なる祖父である吉宗を真似て、木綿の着物で現れた定信。

「クセ強めアピール」と九郎助稲荷も面白がっていましたが、こういう質素倹約タイプと大奥は相性が最悪です。

そこを突き、康福はこうきました。

「そなたらも皆、木綿の打ち掛けを着せられるぞ。肩が凝って子作りどころではなくなろう」

これは同じスタッフのドラマ10『大奥』を踏まえますとますます興味深い。あの男女逆転版吉宗役は高岳を演じる冨永愛さんで、その重い木綿の打掛を着ていたものでした。

高岳もそこは耳が早い。

「表には黒ごまむすびの会という一派ができたとか」

忠友は、徳川家斉の乳母である大崎にごまをするものが増えてきているのではないかと探りを入れ、高岳にとっての損得勘定も問いかけます。

大奥では黒ごまを“むすぶ”のではなく“する”ものというわけです。これぞまさに黒いごますりと康福がまとめます。

「このままでは西の丸様を擁した御三家と一橋様の天下。我らはどうなるか分からぬではないか」

忠友の言葉に、高岳はこう返します。

「……ではまず、大奥が承服しないので田沼様を戻して欲しい、とするのはいかがでしょう」

田沼意次は大奥で人気が高い。そこを踏まえての一手といえます。

こうして見てると、今回の大河ドラマは大奥の役目をうまく描いている――将軍の寵愛を競うハーレムではなく、政治の舞台だとわかります。

大奥に仕える者は当然のことながら誰もが将軍のお手つき狙いでもなく、結婚を避けたいキャリア思考の者もいました。

江戸時代は大奥出の女性が経験と技術を活かすこともできたのです。

フィクションで膨れ上がった「エロ将軍と大勢の妾」がいる大奥というのは、よくよく考えてみると限られた一代だけの話と思えなくもありません。その例外が家斉となるわけです。

なお、上野の東京国立博物館では『大奥展』が年9月21日まで開催中で、音声ガイドのナビゲーターは高岳役の冨永愛さんが務めています。

再来年大河の予習も兼ねて少し大奥を見ておきますと……実は松平定信のように倹約思考で煙たがれる存在はまだマシでした。

大奥に、狩猟の獲物を持ち込み、これ見よがしに見せつける、しょうもない嫌がらせをして嫌われた人物がいます。

ヴィーガンの前でフライドチキンを貪るようなくだらなさですが、これをしたのがなんと御三家水戸藩の徳川斉昭です。

徳川斉昭/wikipediaより引用

そうした悪行をフォローするため、薩摩藩島津家から篤姫が、家定の御台所に送り込まれたわけです。とはいえ、その篤姫の尻拭いにも、限界があったわけです。

再来年は斉昭と慶喜父子は悪役ですので、どう描かれるのか楽しみですね。

 

田沼意次の再登城と、その犬

この大奥工作が、田沼派二人から一橋治済へ伝えられます。

松平定信を老中と認める代わりに田沼意次の謹慎を解くという条件です。

なんでも種姫の案じていることだというアリバイが語られます。

種姫は定信の妹にあたりますが、市中では米価が高騰しており、こんなときに兄が老中として着任して対策が失敗すれば名に傷がつく、いざというとき責任を被せるため意次を生贄として置いておく。ゆえに復帰させたいという。

そんな理屈で田沼意次は再度登城することとなります。

天明7年(1787年)正月――お救い米が出て、長屋の人々もやっと食事を摂っております。

そこへ蔦重がやってきました。

今回のお救い米は給付条件なし。給付に条件があったときは、江戸の町民に不満を募らせ、配布にも手間暇がかかったことでしょう。

緊急時のときの援助ほど、制限が少ない方がよいというのは、今日にも通じることかもしれません。

ここで蔦重は、新年の祝いとして酒を配ることにします。米がない時は、それを原料とする酒などなおのこと造れやしません。

「どうにもかたじけない!」

新之助にそう言われ、蔦重はこう返す。

「かたじけ茄子は花までよし。やはり田沼様ってなァ頼りになりますね」

だから、一言多いんだよ、おめえはよぉ!

案の定、長七が怒り、田沼のどこが頼りになるのかと苛立ち始めました。ナベも、米を買えなくしたのはあいつだと怒っています。

蔦重としちゃ、田沼様の謹慎が解けたから米が出たというわけで、そのお陰だと思ってしまうわけです。

ま、佐野政言が田沼意知を斬ったら米の値段が下がったってことよりは、ちゃんとした理屈ですね。

「お前、田沼の犬か?」

長七はますます怒り、米次も続きます。

「俺ゃ、前から気になってたんだけど、蔦屋っていや、書いてんのは田沼の金でじゃぶじゃぶ遊んでたやつらだよな?」

「そういうお方もおられますが、皆が皆じゃねえですよ」

蔦重が冷静に言い返します。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用

ここで怖いのは、長七や米次以上に新之助でしょう。

彼は顔つきが変わったかもしれない。

時折、ふくに宿っていた哀れみと怒りが、奥からふっと浮き上がるように思える。困惑しながらも迷っているようで。

平賀源内と共にいて、田沼時代を楽しんでいた頃。そのあとふくと暮らしていくうちに、地べたから世を見上げることを学んでいった。変わるのも当然なのでしょう。

「けどてめえは、田沼の世でうまくやったクチだよな?」

なおも問い詰められる蔦重。もういじめないで欲しいというと、みの吉も江戸っ子、黙ってられずにこう返しました。

「じゃあ、うちの酒飲むなよ! うちの商いに文句あんなら、この酒飲むのはおかしいだろ!」

事態は一触即発になり、慌てて新之助が止めに入りました。

蔦重は新之助にも仕事をくれている。田沼の一派でない者もいる。そしてこうきました。

「ここは俺に免じて、頼む!」

「……まぁ、新さんが言うならよ」

長七もやっと治まります。蔦重がお礼を言いつつ、みの吉を嗜めますが、みの吉にすりゃ、相手の言っていることとやってることがチグハグなわけで。

新之助が蔦重を横に連れ出し、ここには来ないよう伝えます。

仕事のことならば新之助から日本橋の方へ向かう。大店の主が来るようなところでないと言うのです。

「俺ゃ、もとは身よりもねぇ吉原育ちですよ」

「そうだな。吉原と、そこに落ちてくる田沼の金で、財を成した。ひょっとすると、田沼の世で一番成り上がった男かもしれぬ。だから、ここへは来ぬ方がよい」

新之助はこれまたふくが乗り移ったような横顔を見せつつ、そう言います。

ここは蔦重が悪いですね。鈍感さが凝縮されているといえる。

蔦重の親切がふくとよし坊受難の一因かもしれないのに、そこへの思いが至らないものか。パーッと晴れがましく施したい江戸っ子の性っちゃあそうですが、そっと援助するのでもいいわけで。

田沼時代の終わりと共に、蔦重も何かが終わったのかもしれません。こういう騒がしいお祭りノリが、いつまで通じるのか。

 

それぞれの暗躍

耕書堂に三浦庄司がきていました。

すっかり人気キャラクターとなった黄表紙の“艶二郎”が大暴れする続編に、すっかり夢中です。

三浦は忙しくなかなか読えず、今年の出版分をまとめて買ったのだとか。

蔦重が意次の様子を聞きすと、以前とは違い、登城しても雁の間詰めの一大名だと答えます。

それでも日々政治に励んでいるとか。直接関われないけれど、雁の間を通り過ぎてゆく老中を捕まえて、進言しているそうです。

蔦重は、お救い米が出たのは田沼政策の一環だと確認したがっている。

意次は米をどこから手配し、金繰りはどうしているのか。

聞けば、朝から晩まで頭を悩ませているそうで、その努力が江戸の市中に全く伝わっていないと蔦重が悔しそうに主張します。

むしろ米屋や札差と組んで大儲けしていると誤解されている、世の悪いことは全て田沼様のせいにされていると訴える。

そこで三浦は、田沼意次が活躍する黄表紙でも作って欲しいと言います。

蔦重が、ご政道について描くのはお咎めを受けるのでは?と戸惑っていると、そのくらい目こぼしできるよう、はからえるのではないかと三浦が答えます。

蔦重も「その進言とやらで?」と半信半疑。

「まぁ、実のところ、裏の老中首座ゆえな」

「裏の老中首座!」

そう怪しいことを言い出す三浦に驚く蔦重。背後で妻のていが「お口巾着」の動作をしています。

そのころ治済と御三家は能舞台を鑑賞していました。

御三家も田沼意次の進言を察知しており、裏の老中首座というあだ名まで耳にしている。

宗睦が治済に、御三家の意見書の返事はまだか、と急かしてきます。

治済がシラを切りつつ、近いうちに確認すると答えると、次期将軍の父として果たすべき役目は何か!と、治貞から迫られる。

「越中守が老中として腕を振るえるお膳立てをすること……にございますかな」

「ほう。で、その第一の役目を失念されておられたと?」

そう問い詰められ、治済は何も言えません。治済は老中に返事を促すしか手の打ちようがない。

御三家の方が御三卿より上だとわかる場面ですね。

悔しそうな顔を見せる治済。こうなると、御三家も黙らせたくなる気持ちが湧いてきましょう。その歪んだ復讐心が悪い方へ向かいかねないことが見て取れます。

一方で田沼意次は「一気に攻め込むぞ!」と水野忠友を前に誓っています。

さて、幕僚たちが、大奥は「定(さだめ)」に背けぬと言い出したと語られています。

種姫は上様の養女扱いです。

つまり、西の丸様こと家斉の兄となる。将軍家の身内は老中となれないという「定」があるというのです。なんでも9代徳川家重の遺言だとか。

「家重!」

そう憎々しく、九代目公方様の諱を口にする治済。そのうえでそんな定は無視しろと吐き捨てます。

この言動に、彼の生き様と心情が込められてしまった。将軍であり伯父でもある、そんな家重を呼び捨てにしているのは、彼の父・宗尹がそうしていたのだと思われます。

家重の弟たちは、暗愚な兄より己の方が将軍にふさわしいと悔しがりながら生きてきました。

その怨念が次の代まで伝わっていることがわかります。家重の血を継ぐ将軍が途絶え、宗尹の血統になるとは、なんという復讐でしょうか。

田沼派の二人が破れないと答えるも、破ってよいと強気の治済です。

治済は西の丸の父、将軍の父としての権威を振り翳しているわけですね。

しかし御三家の宗睦が「それは公に振る舞える立場でない」と釘を刺し、治貞も「見苦しい!」と続けました。彼らなりに、一橋家の怨念や危険性、驕りを察知したのかもしれません。

もはや一橋治済は黙るしかありません。

 

政治ビジョンのない一橋治済は後見に不向き

このあと、治貞が意次に対して「これはそなたが描いた絵(策略)か?」と問いかけます。

3万7千石、雁の間の大名にすぎないと即座に否定する意次。

その上で一つ策を思いついたと続けます。

越中守を西の丸の後見にするというのです。

治貞は、それをすれば一橋の立場も失くせると気づきました。まさに一石二鳥になる妙案でして。

「恐れながら……一橋様は今まで政に関わったことがございません。然様なお方を後見となさるのは、次の上様、ひいては徳川の世のためになると中納言様はお思いになりますでしょうか? もし、この考えをお気に召していただけるならば、私の方からご老中方に進言するくらいはできまするが……」

治貞は迷ってしまいます。

それにしても……こういう治済タイプって本当にタチが悪いですよね。

謀略を駆使して権力を得るためには能力を発揮するのに、いざことを行うとなると経験もなく、明確なやりたいこともない。

ただ、実はこのタイプがヒーロー扱いされてこなかったか? そう考えてみることも大事ではないですか。

思えば今までの幕末大河というのは、京都が主な舞台です。

倒幕にせよ、佐幕にせよ、いずれにしても権力をどちらが握るか、「玉座を握るゲーム(ゲーム・オブ・スローンズ)」でした。

そうやって謀略や時には暗殺まで用いて将軍の権力を得たとして、果たしてその勢力が新政権を担うだけの力量があるかどうか。

本来はそこを見なければならないわけです。

小栗忠順は血統で政治を担っていた人物とはいえ、行政能力が極めて高かった。

小栗忠順/wikipediaより引用

それが政争で敗れたがために無惨な死を遂げてしまう。再来年はその重さ、愚かさを噛み締めるよい機会となるでしょう。

創業と守成いずれが難きや?

というのは『貞観政要』でも最も有名な問いかけであり、かつての日本の教養でもそこは重要した。

それが大河ドラマはどうか?

幕末のみならず、戦国時代が舞台にせよ、大河ドラマは創業の過程偏重が極端でした。

『八代将軍吉宗』のような守成を描く大河がなくなっていたことは、日本人の歴史や政治観に悪影響を及ぼしたのでは?と、しみじみと思ってしまいます。

しかし今は歴史総合が導入された時代、歴史観も変えてゆかねばならないでしょう。

大河もそこを意識して、創業バトル以外を描く作品も増えて欲しいものです。

かくして田沼意次の一手でパワーバランスは変わります。

一橋と御三家の連携が崩れる。

幕閣の多くは田沼派となる。

そんな中、十一代将軍・徳川家斉が誕生し、田沼派の阿部正倫も老中に据えられました。新将軍の周りも田沼派で固められたのです。

徳川家斉/wikipediaより引用

大崎は治済に「あの女狐(高岳)の浅知恵で始まったものかと」と語っています。

「なるほどのう」

治済はそういうと、ある箱を大崎の前に置きます。中を確認しながら微笑む大崎。

「かしこまりました」

いったい箱の中身は何なのやら……。

「それからもう一つ、面白きお話が……」

大崎は、そう切り出すのでした。

 

打ちこわしが起き、全国へ広がる

大坂で米価が急上昇し「打ちこわし」が起きた――巷でそんな話が話題となっています。

江戸でも米価が百文四合に値上がり。

なんとかして欲しい!と江戸っ子たちが役人に訴えています。

お上としても、お救い米の手配をしているとはいえ、どうにも間に合いそうもない。そこへ大坂の打ちこわしの話が聞こえてきます。

大坂打毀(おおさかうちこわし)――このままでは打ちこわしの波が日本列島を覆うと田沼意次も懸念し始めました。

『浪花百景』1800年代米会所の様子・米価が急騰し混乱する様子が落ちた扇子やキセルから浮かび上がる/wikipediaより引用

意次が、治貞と定信の前で、米の供給を訴えます。

交換条件として「上様の後見に推挙する」という、定信にとっては垂涎の提案まで。

家斉の成年まで実質的に将軍としての権力を担い、数年間は上様として天下に号令を掛けられるというわけです。

猜疑心の強い性格のためか、定信は眉を顰めるも、心は動かされている。

意次は畳み掛けます。

下からあがってくる意見を踏まえて政治を動かすことは、神君家康公の臨んだ政のあり方ではないか?と付け加えるのですね。

「米は送ってやる。ただし、後見に関わる話は預からせてもらう。そなたには何度煮湯を飲まされたことか……此度こそは甘言でないという証しはない。私ももう小僧ではないのでな」

「しかしそれでは米の取り損とはなりますまいか?」

「江戸での打ちこわしは徳川の威信に関わる。一族の血を受け継ぐ者として、そこは助太刀いたすということだ。そなたにはわからぬ考えかも知れぬがな」

そう猜疑心と、誠実さと、血筋の良さと、嫌味と、復讐心を詰め込んで言い返す定信。

意次は素直に礼を述べるばかりです。

治貞は定信を誉めつつ、それでよいのか?と確認すると、こう答えてきました。

「中納言様、励めども米は支度できぬ……ということも、あるのでございますよ」

 

大江戸プロパガンダ作戦

打ちこわしは全国へと急速に広がり、東海道を下ってきています。

耕書堂でも話題はそのことに。

つよが言うには、江戸の街でも飢えのせいで身投げする者が出てくる。米は百文三合と高いままだそうで。

「飢えたる犬は棒を恐れず。恐ろしきことにならねばよいのですが」

ていもそう懸念していると、笠を被った三浦がやってきて、何かを取り出します。

「読売」の依頼でした。

お上の政策を読売にしてばら撒くというのです。

瓦版を売る読売の姿/wikipediaより引用

現状、読売は打ちこわしを煽るものばかり。そこで、逆に打ちこわしを抑制するためのものを配るのだとか。

蔦重は地本問屋を前に、そんな作戦会議を始めます。そんなことをしたら読売から文句が出ないか?と小泉忠五郎が気にしています。岩戸屋源八も、田沼様の依頼とはいえしょっぴかれかねないと渋る。

蔦重は「そこは必ず守る」と誓い、お救い米にあてる米が届く前に打ちこわしにならないようにしたいと言います。

それでも渋る相手に、打ちこわしになんかなんねえ方がいい!と念押しすると……。

打ちこわしが発生して、かつ田沼のために動いたとバレちまったらあぶねえと地本問屋は恐れるばかり。

だから打ちこわしを止めるのだ!と蔦重が主張しても、「なったらどうするのか?」と堂々巡りです。

するとそこで鶴屋喜右衛門が重々しく入ってきます。

「田沼様からの依頼ということは、相当の礼が出るということですよね?」

「そりゃ、ま」

これで皆「おお〜」と納得。

鶴喜は摺物まではこっそり手伝い、その後で市中にばら撒くのは蔦重が取り仕切るということでまとめてます。

次郎兵衛と忠五郎に目をやる蔦重。

いいんですかい?

いざとなったら吉原に逃げ込めってことかい?

 

 

米がなければ犬を食えばいいじゃない?

かくして始まった読売ばら撒き作戦。

二十日に米が出る。それまでは大豆で食いつなげ。

そういう内容ですが、現実問題、米の手配が遅れているようでして。

松平定信が意図的に遅らせたのか。結果的に「田沼の米出す出す詐欺」になっちまってます。

予定が遅れ、江戸っ子はますます怒り、米屋に押しかけるという逆効果になってしまいました。

「米がなければ、犬を食え!」

「犬を食えとは、まことか〜!」

そんな叫びまで聞こえてきます。

「まことにそんなことを言われたのか?」

「そこのお侍様が」

ちなみに「米がないなら犬を食え」発言は、江戸北町奉行・曲淵景漸(まがりぶち かげつぐ)のものとして記録に残されています。この役には平田広明さんが配役されています。

過激化していく江戸っ子たちを見ながら、蔦重が何かおかしいと違和感を抱いたのか。目を凝らしてみれば、騒動を煽っているのが、あの“丈右衛門”だと気付きます。

「随分と色艶もおよろしく、さぞ腹一杯飯を食われておるのでございましょう! けど、俺たちには犬を捕まえて食えと? 食えと!」

丈右衛門はますます煽る。

新之助の胸に、ふくの言葉が蘇ります。

お上ってのは私たちも生きてるとは考えないのかね――。

新之助はこのやりとりを見て、何かを悟った顔になり、騒ぎを止めます。

「やめい、やめい! お上のお考え、しかと受け取った!」

蔦重はその新之助の背を見送り、「鶴喜さんに十中八九打ちこわしになる」と伝えるように言いつけます。ついでに、店もしっかり閉め切れと。

その蔦重の背を見送るのは、物乞いに化けた一橋治済でした。

治済にここまでやらせるのは流石にやりすぎかもしれませんが、それ以上にこの怒号を聞いても、自己保身しか考えていない身勝手さの恐ろしさを痛感させられます。

 

心のままに、わがままに、たちあがれ

蔦重は新之助を止めようとする。

しかしすでに覚悟をしている様子。

「田沼の犬に話せることはないな」

もうすぐお救い米が出ると蔦重が食い下がっても、現実に期日は守られていません。ついに蔦重は田沼の犬と罵られ、殴られてしまいます。

新之助は止めようとしない。

米が出るのに打ちこわしはしなくてよいと蔦重がいくら理屈を並べたところで、既に身投げする身内もいる者も中にはいて、声が届くわけもないのです。

新之助はやっと止めながら、こう言います。

「蔦重、俺はおふくと坊は世に殺されたと思うのだ。なぜおふくや坊は殺されねばならなかった? 米がないからだ! なぜ米がないのだ? 米を売らぬからだ。なぜ米を売らぬのだ? 売らぬ方が儲かるからだ! ではなぜ、売らぬ米屋が罰せられぬ? 罰する側が共に儲けておるからだ! 皆、己の金のことしか考えぬ。然様な田沼が作ったこの世に殺されたのだ! 俺は……俺たちは、それをおかしいと言うことも許されぬのか? こんな世は正されるべきだと声を上げることも!」

そう言い残すと、新之助は蔦重を離してどこかへ去ってゆきます。蔦重の前には読売が散らばるばかりでした。

「我が……心のまま……」

蔦重はそう教えてくれた平賀源内の言葉を思い出しています。それを見て一橋治済は去ってゆく。

打ちこわしの準備を進める新之助の前に、蔦重がやってきました。

長七と米次が何をしに来たのか!と即座に問い詰めだし、奉行書に告げ口かと警戒しています。

蔦重は地口を交えて否定し、肴を差し入れると言い出します。

布です。

「新さんは声をあげりゃいいでさ。我が心のままに。我儘に生きていいんだって源内先生も言ってたし」

新之助は源内の元にいたころの目に戻ります。

「これに思いを書いて、幟(のぼり)を作っちゃどうです? その方が間違いなく伝わりまさ。新さんたちが一体何に怒ってんのか。けど今布は高えんで。タダで渡すわけにゃいかねえ。俺の我儘も聞いて欲しい」

「なんだ?」

「誰一人捕まらねえ、死んだりしねえことです。皆様、お願いします」

そう深々と頭を下げる蔦重。

長七は善人ぶりやがってと笑い飛ばすも、蔦重はみんなと一緒に笑いたいと引きません。

打ちこわしが終わって、飯ガツガツ食いながら、いい打ちこわしだったと振り返りたい。誰一人捕まらない、死ななかったと。

一つだけよくなかったことがあった。それは米食い過ぎで満腹山のポンポコ狸〜そうなるのが理想だ。

カラッといきてえ。江戸っ子の打ちこわしなんだから。血生臭え野暮な斬り合いはお侍さんに任せて。

そう蔦重はまとめます。

「喧嘩だな。打ちこわしが喧嘩なら、江戸の華だ」

ようやく蔦重の真意を理解する新之助。蔦重も頷きます。

要するに米を盗んだり暴力沙汰にならなければ、米屋との喧嘩ということで大したことにはならないということでさ。

こうして話がまとまると、新之助が筆をとり、墨痕淋漓、布に思いを書いてゆきます。

金を視(み)ること勿れ

全ての民を視よ

世を正さんとして

我々 打ちこわすべし

かくして義民が江戸の街を駆け抜け、天明7年5月20日、天明の打ちこわしが江戸で勃発したのでした。

嘉永4年(1851年)江戸中村座初演『東山桜荘子』の錦絵・三代目歌川豊国/wikipediaより引用

 

MVP:松平定信vs新之助

両者ともに「己は正義だ」と示す人物でありながら、印象が全く違う。

松平定信は確かに高潔なのでしょう。

しかし、己の義を通すために、わざと米の手配を遅らせている。自分の義のためならば、民の飢えすら気にしない。そんな支配者ならではの傲慢さが付き纏ってしまいます。

米の遅配、わずか数日のために身投げした人もいたことでしょう。定信はその命にどう向き合えたのか。

もしもこれを定信だけの目線で示すのであれば、それも通るかもしれない。

しかし、地べたからの義を訴える新之助が、定信を霞ませます。

どんなご大層な義があるか、そんなことは二の次だ。飢えて人が死ぬ。それでよいのか? そう突きつけてきます。

ふと思い出したのが、中国史における諸葛亮論争です。

確かに諸葛亮は義を掲げ、忠を捧げた立派な人物です。

しかし、その義のためには三国を鼎立させ、結果的に戦乱を長引かせてしまったのではないか。義のために失われた命にとってそれは果たしてよいことなのか?

そんな議論が延々と続けられてきて、今でも俎上にのぼります。

歌川国芳『通俗三国志之内』の「玄徳三雪中孔明訪図」/wikipediaより引用

歴史を学ぶ意義というのは、こうした議論にこそあるのではないでしょうか。

一方の側から見た義は、反対側から見たらどうなる?

義のために失われる民の命をどう思う?

そう考え、後世に活かしていくことこそが歴史を学ぶ大きな意義だと思うのです。こんなべらぼうな大河ドラマはそうそうないでしょう!

なお、この議論の俎上に登ってもこない大悪党もいます。

一橋治済です。

こいつはマウント感情しかないんですね。

今回は御三家に自分のプライドを傷つけられた感情が一番重要だったのでしょう。

極めて幼稚で、自分のプライドを傷つけられたかどうかでしか暴れない奴は「小人(しょうじん)」と言います。しょっぱなから構ってられねえ奴だ。

 

総評

毎回毎回、この大河ドラマは歴史観そのものを問うてきやがりますね。

こんなに刺激的な歴史劇はそうそうねえ。日本に限らず、今まで見てきたもの、世界規模で見回しても見当たらない。何よりも歴史総合、ニッチな最新研究もバッチリ踏まえてますぜ。

再来年の予習も踏まえながら、考えたいことがあります。

田沼意次が三浦庄司を通して蔦重を動かしたところです。

この場面のポイントは、危険なので版元が非公式で協力していることです。

実際に、そういう場面があったとしても、記録には残されにくいため、後世に認識されにくい。そこを活かして膨らませていると思えます。

『べらぼう』はこうした歴史の隙間を縫い、あったかもしれないことを自在に描いてきます。

とはいえ、全く根拠がないわけでもないのです。

江戸時代の出版統制は、ちょっとよくわからなくなります。

大河ドラマのせいか、蔦重だけが際立った大天才のように目立っておりますが、そんなことはありやせん。名を残した版元はいずれも才能やセンス、そして度胸ある者揃いでさ。

太田記念美術館ではそんな版元を扱う「蔦屋重三郎と版元列伝」を、8月30日から11月3日まで開催予定です。

その才能を政治の場面に利用しようと考えたっておかしくありません。

劇中の田沼意次のような発想の持ち主がいてもおかしくはないでしょう。

蔦重の死後、出版業はさらに隆盛と混沌へと向かいます。

田沼のあとの松平定信時代、出版統制はますます厳しくなり、おなじみの人物たちも厳しい目に遭う。

一例として喜多川歌麿を見てみましょう。

この時代は神君家康公と同じ時代を生きた人物は、フィクションのネタにしてはいけないという定がありました。

浮世絵を見てみると、大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』に出てきた源義経や曽我兄弟はそのままの名前で描かれます。

曾我兄弟(歌川国芳)/wikipediaより引用

一方、戦国時代末期のネタとなると「小田信永」や「品左近」など、実名を変えて描かれます。

検閲回避ですね。そうしないと出版できない。

そして明治時代になりますと、この規制は当然撤回されるわけで、浮世絵の武将名をみれば大まかな作成年代も判別できるようになっています。

歌川国芳の織田信長(絵の中では大多上総介平春永公と記されている)/wikipediaより引用

この定に引っかかってしまったのが喜多川歌麿です。

歌麿は「太閤の花見」を描いた美人画が処罰されると、それを機に不調に陥ってしまった。

そんな歌麿の悲運をふまえ、蔦重没年に生まれた歌川国芳の作品を見てみましょう。

前述の通り一応は名前を変えながら、家康と同時代の人物を大量に描いてヒットを量産。

「武者絵」という新ジャンルの担い手となるわけです。

小田信永で誤魔化して、それが通るってどうなんでしょう?

どうなってんでえ、江戸時代の出版規制はよ!

そう突っ込みたくなりますが、国芳はここで止まりません。

国芳の場合、以下の二作が大変重要でして。

歌川国芳作『源頼光公館土蜘作妖怪図』/wikipediaより引用

歌川国芳『きたいなめい医難病療治』/出典:日文研デジタルアーカイブ(→link

露骨な幕政批判なのです。

公方様も老中も、後者に至っては御台所までコケにしている問題作でした。

規制ギリギリだとわかっちゃいる。こんな危ない橋を渡れるのは、それこそ国芳だからこそ。版元も喧嘩上等で、規制されることは織り込み済みです。

甲が止められたら乙。乙が止められたら丙。そうやってリレー形式で出してやろうと策を練っていたそうですぜ。

版元はそんな武勇伝を子孫や仲間にだけそっと伝えていました。

んで、実際そんなことして大丈夫なのか?

これがなんとも言えません。奉行が動くと、版元は板木を破壊する。国芳に至っては監視までされる。

当時の報告書には「最近の絵師は調子に乗りすぎ。特に国芳は舐めてます、捕まえて処罰しましょう!」と書かれるほどでした。実際奉行所に連行されたこともあったそうですが、

「まぁでも、俺じゃなくて検閲通過させた側の責任じゃねえすかね」

「いやぁ~、考えすぎっすよ!」

とかなんとか、言い抜けたのだそうですぜ。調査結果としては、国芳には特に危険思想はなく、発想が奇天烈な江戸っ子だということで、どうにかなったようですが。

一方、国芳の絵のファンには偉いお武家さんもいるし、幕府の御用絵師でもある。

まったくもって何が何やらわかりませんぜ。

さて、幕府はふてえ版元と絵師どもにアタフタするだけだったのか?というと、逆転の発想も出てくるのが、国芳の弟子世代、幕末です。

文久3年(1863年)、14代将軍の徳川家茂が上洛します。

ここで有名な出来事といえば、家茂護衛のために浪士組、後の新選組がついていったことでしょう。

しかし『べらぼう』的には、それだけじゃねえ。

歌川国貞を筆頭に、歌川派絵師十六名がこれに付き従い、将軍上洛の様子を浮世絵にしたのです。勝手に同行したわけではなく、将軍様の晴れ姿を描くよう、指名選抜されてのことです。

『御上洛東海道』と言い、将軍家御用達の狩野派でなく、歌川派の絵師が描いたところが実に興味深い。

◆『御上洛東海道』神奈川県立歴史博物館

こうした浮世絵師の中には、『青天を衝け』でも描かれたパリ万国博覧会展示絵に指名された者もいます。

すでに亡くなっていた葛飾北斎ばかりが挙げられがちですが、当時、生存していて現役だった歌川派の絵師も忘れねえであげてくだせえよ。気の毒じゃねえですか。

幕末になると、庶民のものであったはずの浮世絵は、すっかり徳川の世を代表するものとなりました。

浮世絵の再評価は、買い漁った外国人の礼賛によるところも大きい。

そうはいっても、幕末にはすっかり日本文化の代表とも言えました。

明治政府が否定したいとしても、外国人が褒めたもんだから態度を変えたってことなら、筋が通るってもんですが。

このように、幕末となりますと幕府は浮世絵を公式のものとして利用していたことがわかります。このころ、歌川派の絵師たちは「横浜絵」も手がけておりました。

開港した横浜がみるみるうちに都市となる様。そこを歩く西洋人の姿。そうした絵が鮮やかに描かれ、お土産として販売されて流通していたのです。

それを買って眺めてみれば、世の移り変わりが浮かんできて、理解も深まろうというもの。

それこそ近代化を進めていた小栗忠順あたりからすれば、民衆の理解を深めるためにも、こうしたメディアはうってつけです。

誰かの命を受けた版元が描かせて、好奇心旺盛な歌川派の絵師が手がけても、話としては通るわけでさ。

実際に効果はありました。幕末の攘夷感情は西高東低であり、横浜には外国人相手に一儲けしたい者たちが続々と集ってきたのです。

そうして江戸近辺が近代の国際都市として発展していたからこそ、イギリスの介入で江戸での大規模戦闘は回避されたのかもしれません。関西への遷都も断念されています。

メディアまで巻き込んだ幕府の近代化政策は大当たりといえるのです。

実に面白い話ですよね。ところがこのあたりのこととなると、研究そのものは進んできても、一般までなかなか浸透してこないのです。

フランス人と花魁が描かれた歌川芳虎の横浜絵/wikipediaより引用

なぜ、こうした絵の知名度が低いのか。

都合が悪いということは、当然考えられます。

幕末明治の浮世絵師は、時代的にも最終盤にあたり、技術的にも高い作品が多い。

しかし評価は低く、古本屋でもしばしば見かけ、割と気軽に買える価格帯に収まっています。

芸術的な価値が低いというより、何か不都合だったのではないか?というのが私なりの考え。

幕府が倒れようと、歌川派の絵師は描くことをやめない。結果、薩長に対して反発する絵まで描かれ、売られ、流通してゆきました。

あの絵を見れば、明治維新が江戸っ子から全く歓迎されていないことがひしひしと伝わってきます。

当時のそういう感情がどこかで消されて、薩長礼賛に上書きされていった過程が、歴史のどこかにあるわけですね。

浮世絵の政治的な読み解きは、近年ますます精度が高まっております。

今年と再来年の大河ドラマは、その流れをさらに加速させることでしょう。

月岡芳年『魁題百撰相 森坊丸』/wikipediaより引用

私たちは自分の頭で考えて、物事の善悪正邪を判断していると信じたい。

しかし案外扇動されているのではないか?

“丈右衛門”に正しい道すじだと示されたら、水が流れていくようにそちらへ向かってゆくのではないか?

水の流れを変えるように、メディアを使えば人を導けるのではないか?

そういう観点から歴史を見返すとなれば『べらぼう』はまさにその需要にうってつけでしょう。

なぜ蔦重が大河の主役になったのか?

というと、時代がようやく蔦重に追いついたってことじゃねえかな。そう思うばかりでさ。

ついでにいえば、再来年も「横浜絵」の流通過程が見られればありがた山ですね。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考】
べらぼう/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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