早産のあと、一命をとりとめたてい。
しかし医者は懸念しています。
体は無事なようでも脈が弱い。どうやら食欲がなく、ろくに食べていないようです。
すっかり弱ったていは、腹の子が呼んでいるのだと思っている。
生きる力を失ったていを、どうすれば救えるのでしょうか。
決裂した蔦重と歌麿
喜多川歌麿が、吉原の忘八親父殿たちの前で、蔦重の囲いをやめたと宣言しています。
次郎兵衛が「喧嘩でもしたのかい」と問いかければ、大文字屋も「兄弟喧嘩ってなぁ犬も食わねえよ」と続ける。りつが何があったのか?と尋ねると、歌麿はこう返します。
「長い間にはいろいろとありまして」
取り付く島もない歌麿に、扇屋は吉原で絵を描く話はどうなったのか、と念押ししてきます。
蔦重の借金百両分です。歌麿と組んだ万次郎が、それも引き受けると言い出しました。
なんでも歌麿は、吉原への恩返しのために格安で描くそうです。彼なりに吉原へ恩返ししたい気持ちはあるんですね。
このあと駿河屋の親父とりつに鶴屋喜右衛門も加わって、「歌麿との仲立ちをする」と蔦重に言い出しました。
しかし蔦重は生気を失った目つきのまま、静かに頭を下げます。
「吉原のため、地本のために、いいようになさってください」
鶴喜が、いま歌麿を手放したら店を畳むことになると警告し、駿河屋が堪えきれずに近寄り、こう言います。
「おめえよぉ、日本橋を出て、吉原の誉になるんじゃなかったのかよ! んじゃ悪いけど、よそと組ませてもらうぜ」
返事すらできない蔦重。りつと鶴喜もそう続けるしかありません。
「吉原もゆとりがないんでね」
「うちも遠慮なく、歌麿さんと組ませていただきます」
その上でみの吉に対し、身の振り方を考えるならば雇うと誘う鶴喜。りつと駿河屋も後に続くのでした。
それにしても、なかなか残酷な場面といえます。
蔦屋が持たないとなれば、日本橋を保つために鶴屋はみの吉確保へと向かいます。
そのあとにりつと駿河屋が続くことで、彼らは吉原として日本橋に詳しい人材を得たいようにも思える。
蔦重という重石が軽くなったことで、鳴りを潜めていた対立の構造が浮かび上がってきています。
それほどまでに彼は弱ってしまいました。
重田貞一、のちの十返舎一九登場
そのころ耕書堂では、滝沢瑣吉が菩提を弔う宣言をしていました。
亡きオババ様ことつよと、亡くなった子を弔うんだとか。写経までしてますぜ。みの吉はその努力の方向に困惑しています。
するとここへ、旅姿の男が入ってきて、仁義を切り出しました。
「仁義を切る」とは渡世人や任侠特有の挨拶でやんす。かつては『寅さん』シリーxズや時代劇で馴染みがあったものですが、最近は見かけなくなりましたね。
演じる井上芳雄さんの仁義の切り方がこれまたサッパリとしていてよいものです。
この重田貞一(さだかつ)は後の十返舎一九です。

十返舎一九/国立国会図書館蔵
ヤクザ者だと誤認したためか、滝沢は「去れー!」と塩を撒きながら追い出そうとする。
と、貞一が「こんなものを書いている」と浄瑠璃本を差し出しました。なんでも上方で芝居も手がけていたとか。
蔦重が、その本に目を通します。
みの吉が、ここで書きたいという貞一の希望を伝える一方、滝沢は「天下の耕書堂で書けると思うな!」と凄む。
蔦重は貞一に本を返し、よそへ行かれるほうがよろしいと告げました。
即座に追い出しにかかる滝沢。しかし、実力不足などではなく、蔦重にはもう気力がないようで、どこでも通用するから他へ行くようにと告げるのです。
貞一はそれでも蔦屋に恋焦がれていると言い張る。そして背中につけていた相良凧を持ってきました。
凧は凧でもただの凧じゃない、平賀源内が作ったものだ――相良は田沼領です。なんと源内には生存説があるのだとか。
平賀源内生存説
その晩、蔦重は、ていに源内生存説を語ります。
歴史ものでお約束の、密かに逃げ延びて生きて匿われているというやつですな。源義経やら豊臣秀頼でおなじみの伝説でやんす。
旧田沼領である相良に匿われ、お礼に考えたのが相良凧っていうことでさ。
蔦重は、鳥山石燕の描いた雷獣の髷が源内先生に似ていると指摘。さらには妖(あやかし)の姿を借りているのかもしれねえと言い出しました。
「源内先生は、実は生きていると伝えていた?」
「いや……ねえか、んなことは」
蔦重がそう返します。
この場面は心底ゾッとしました。狙いはなんなんでしょう?
何が恐ろしいか……って、陰謀論に陥る過程そのものに見えるのです。歴史上の人物生存説はロマンゆえに人気があるといえばそうですが、本気で信じては危険でしょう。
何かの由来を強引に有名人と結びつけることもよくあります。「ずんだ餅の発明者は伊達政宗」といったものです。
しかし、これも場合によっては混乱を招くのでよろしくない。相良凧もこの類ではありませんか?
そして、錯覚に過ぎないかもしれぬ画像を証拠として持ち出す。しかも根拠はオカルト。
聡明で理詰めなおていさんでも騙されかけているのはなぜか?
身体的な不調ゆえのことでしょう。元気であれば「怪力乱神を語らず」と返しそうなところですが。
こういうオカルト思考は、心身不調をとらえてくるから危険なのです。
止める側も、あまり強くいうと傷つけてしまいかねないし、ただでさえ相手は弱っているし、どうしたものかと悩んでいるうちに事態は手遅れになっていることもあるわけでして。
まさか大河ドラマでそんな酷い事態にしない。果たしてそう言い切れるのか。
源内生存説は手っ取り早く解決できるといえばそうなります。
平秩東作が源内の遺体を引き取ったとされているのですから、本人は亡くなっているにせよ、関係者に聞き取りをすればよい。
しかし、それはしない。そうすることで確定するのは源内の死です。つまり生存説の否定に繋がる。
自分にとって都合の悪い事実から目を背け、曖昧で突拍子もないことでも都合がよければしがみつく。甘い嘘に絡め取られることで人はどんどん堕落してゆく危険性がある。
それこそ『べらぼう』の平賀源内その人だって、ありもしないエレキテルの効果が「ある」と思い込むことによって、自分自身を追い詰めて破滅へ向かってゆきました。

平賀源内作とされるエレキテル(複製)/wikipediaより引用
平賀源内の名前が出てきて喜んでいる場合じゃねえ! 苦い教訓を引き出すことこそ、重要なのではないですか。
恐ろしいことに、史実を辿りますとただでさえ経営が順調とはいえないところで、大博打である東洲斎写楽売り出しをして、失敗するというのが初代蔦屋重三郎の人生でやんす。
それをそのままドラマにしたら、精神的石抱に耐えきれねえ人もいるのではないか? そう思ってしまいますが。
弱った心を癒すのは甘いものと嘘
蔦重は経営が大変な時だというのに、店を放り出して平賀源内生存説の情報集めに、杉田玄白の元へ向かいます。
一方で、次郎兵衛の妻である“とく”と駿河屋の“ふじ”は、おていさんのために美味しいものを持ち寄ってきます。
ふじは子供は甘いものが好き、つよも好きだったと微笑む。優しい気遣いが、ていの心を癒してゆく。
こうして蔦重とていの情緒ケアがなされていることに、ほっとする意見もあります。
ただ、店の経営状態はどうなっているのか。そこが気になって仕方ありません。
もちろん情緒の回復は重要です。それだって店の管理を誰かに任せていればのこと。みの吉一人で大丈夫なのでしょうか。
蔦重は杉田玄白から『解体新書』を受け取りました。
同書に挿絵を描いた小田野直武は、平賀源内から蘭画を習いました。ところが源内の死の翌年、不自然な急死を遂げたのだとか。
ただ、杉田玄白はこれ以上はつきあいません。
本業で忙しいのでしょう。それに蔦重と話が合わないともいえる。蔦重にとって源内は若い頃であって楽しいことをした相手であって、ともに学ぶ仲間ではないことがはっきりしてきています。
蔦重がもしも蘭学に興味があれば、このあたりの経緯は知っていてもおかしくはありません。
しかし、彼は蘭学知識をアップデートなんざしちゃいません。須原屋市兵衛ならこうはならないでしょうね。
そういう学ばず中身のない人間にとって、陰謀論はインプットや検証なしで大逆転できる、甘い誘惑なんです。
ここで二人は、源内を匿い、逃したからではないかと語り出します。そのうえでていは、もっと詳しく調べたいと言い出す。

小田野直武『東叡山不忍池』/wikipediaより引用
小田野直武は秋田藩士です。ていは同じ藩の朋誠堂喜三二に手紙を書くように促します。
このあたり、おていさんが頭の切れる陰謀論者になってしまって辛いものがありますね。
元気な時であれば、朋誠堂喜三二がなぜ断筆したのか思い出し、むしろ嗜めていたのではないでしょうか。
と、さっそく返事がきました。しかも、隠居して暇を持て余した本人がやってきております。
手土産は秋田の「もろこし」。トウモロコシではなく、佐竹義格の「諸々の菓子を越えて風味良し」という評由来とされます。
江戸時代中期以降は砂糖が普及したこと。寺社仏閣参拝が増えたことといった要素が重なり、日本各地で伝統菓子が作られてゆきました。
まぁさんの反応も洒落になっていない。
陰謀論に付き合うには余暇は必要。本人は絶対認めたくないとは思いますが、暇だからハマっちゃうというのはあるわけで……。
小野田の死の状況は不審ではあるので、まぁさんが怪しむのもわからなくもありませんが。
さらに、まぁさんが言うには、でっけえ紙風船を秋田で飛ばしたこともあるのだとか。
膨れ上がっていくからこそ陰謀論は怖い
蔦重は、このでっけぇ紙風船で、秋田から蝦夷へ向かったという説を三浦庄司に語っております。三浦はまだ江戸にいたのですね。
源内の脱獄説を語り出す蔦重に対して、三浦も同意。
そんな簡単に脱獄できるでしょうか。さすがに江戸の牢獄を甘くみちゃいねえか?と思っちまいます。
蝦夷への逃亡説も出てきます。琉球と並び、この手の生存説には欠かせねえ場所ですね。
歴史的裏付けがないわけでなく、江戸時代初期に禁教となった後、金採掘を名目に蝦夷地へ向かった切支丹が一定数おりました。
当時はまだ蝦夷地を統治する認識も薄かったためか、そこまで厳しく見られてもおりません。ただ、島原の乱以降は蝦夷地でも切支丹は厳しく罰せられるようになっていきます。
しかし三浦のもとへ別の来客がやってきて、蔦重は急ぎ帰らされてしまいます。
すると今度は大田南畝の元へゆき、「クナシリメナシの戦い」に源内が絡んでいたのではないかと言い出す蔦重。
この辺がどうにも緩く感じてしまうのは、フィクションだという主張のためでしょうか。当時は「寛政蝦夷蜂起」あたりだと思います。
絡んでいるにせよ、蝦夷をけしかけたのか、それとも鎮圧側か。いずれにせよ、そんなこと源内先生にして欲しくありません。アイヌに対する認識としてもよろしくないと思います。
先住民にマジョリティ側が入り込んで指導するというアメリカ映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』のような話は、「白人の救世主」と呼ばれる差別として現在は認識されております。
鎮圧側に回るにせよ、あの外道の松前道廣側につく源内なんて見たかねえんです。
だいたい蔦重は、大田南畝からすりゃ、迷惑な存在なんでさ。
このときの彼は日本版略式科挙ともいえる「学問吟味」の試験勉強中。いろいろあって出世できない大田南畝が再起を賭けた大事な局面です。
それなのに「源内に神童ぶりを見出された」という名目で絡んでくる蔦重は酷い。陰謀論者が死人の恩義で煽るとは、いったい何事でしょう?
借屍還魂(しゃくしかんこん)という計略であるといえばそうですが、陰謀論でそんなものを持ち出されましても。
大田南畝も、こんなことを言う蔦重など、それこそ滝沢のように蹴り出して塩でも撒けばいいと思ってしまいやす。
それが、もらった菓子を食べて何か考え込んじまうんだから、彼まで愚かに見えてきて大変辛ぇモンが……麒麟も老いては駑馬に劣る、とでも言いましょうか。
平賀源内の蘭画を見る夫妻
蔦重が、ていと共に平賀源内作の蘭画を見ています。
この蘭画も有名ではありますが、上っ面だけ真似たと言いますか、源内は絵師ではないから仕方ないと言いますか。油絵を使って表層的にはなぞっているようで、それまでにない遠近法等は取り入れられていないと評される作品でやんす。
浮世絵の具材や技法を使いつつ取り込み、斬新性のある絵にまで昇華させた歌川国芳あたりと比較するとよくわかります。

ヤン・ニューホフ著『東西海陸紀行』の挿絵(上)と歌川国芳『忠臣蔵十一段目夜討之図』/wikipediaより引用
そんな源内のものとされる蘭画に魅了される蔦重とていを見ていると、絵を見抜くセンスはどうなのか?と思ってしまう。
西村屋与八の錦絵に対する目への自信も思い出されます。西与と万次郎の方がセンスがあることがはっきりしてきましたな。
そもそも源内に絵心があれば、『解体新書』の挿絵だって自分で描いていると思いやすぜ。

解体新書/wikipediaより引用
思い出してください。劇中でも源内は己の才能がいつも中途半端であることを悟り、追い詰められていったようなところはありました。
『解体新書』を渡した時に杉田玄白も指摘できたとは思いやすが、あれほど才知あふれるとされた源内はあの翻訳に関与しておりません。
チームワークが苦手なのか。何か問題があったことが伺えます。
それがその非業の死によって忘れられてしまい、陰謀論の材料になっていくように思えて本当にしんどい。
大河ドラマ前半から中盤にかけて活躍していた面々が、陰謀論者になっていく過程を見せられるというのはあまりにも容赦がなさ過ぎませんか?
長谷川平蔵は何かを探る
蔦重が、北尾重政と重田貞一と共に江戸の街を歩いています。
どうやら重田貞一は、後の筆名「十返舎一九」に繋がる「市九」を思いついてるようで、彼らが歩く江戸の街では歌舞伎役者や女形の姿も見えます。
御高祖頭巾を被った女性の二人組もおりやす。
御高祖頭巾とは、明の初代皇帝である朱元璋由来の命名とされる説もあります。
朱元璋は紫色の頭巾は被らない。そもそも高祖ではなく、廟号としては太祖のはずだ。そういうツッコミどころは多数ありますが、江戸のシノワズリ(中国趣味)の一種だと思ってくだせえ。
さて、彼らが目にしているのは「芝居絵」でした。勝川春章が気を吐いていたころとは異なり、随分寂しくなっている。
後進の勝川派の弟子たちも病気やら何やらがありまして、パッとしておりません。
蔦重は「蘭画風は見当たんねえか」と言い出す。
はい、これです。寂しくなった芝居絵に、蘭画路線がないと言っております。
源内生存説で頭がいっぱいになっちまってる蔦重は、その路線の蘭画役者絵を出せば売れると頭ン中がスパークして写楽につながっていく伏線ですね。
でもよ、蔦重さんよ。蘭学にせよ、浮世絵にせよ、あんたの若ぇ頃からもっと進歩してんだよ。こりゃリメイクやリバイバルで大コケするパターンだぜ。若ぇ頃は江戸の風を読んでいたのに、鼻が利かなくなっちまったんだな。
ここで源内に似た姿を見かけて、思わず蔦重が追いかけてゆく。こりゃ破滅フラグってことかい?
と、そこで出会ったのは長谷川平蔵。蔦重は源内のような後ろ姿を見失ってしまいました。
平蔵は何をしていたのか?
というと、大崎の捜査中でした。あの磯八と仙太も、捜査に協力しているようで、三人は蕎麦をすすっておりますが、平蔵の奢りでしょうね。
どうやら定信の密命で、手袋の件を調べているようですね。本業も忙しいだろうに、いいんですかい?
平蔵は、誰か気になる人物を見つけたようで、追いかけてゆきます。
源内先生がおていさんを元気にする
蔦重はていに、源内は芝居町に潜伏中だと言い出しました。
確たる証拠もなしに話を決めつけて広げていくのは陰謀論者あるあるでしょう。
以前、蔦重は熟考しない、インプットが不十分だと指摘しました。まさにそれです。
乱世が舞台の大河ドラマだったら、初夏の頃には命を落としていてもおかしくないところですが、太平の世では生きていけます。
蔦重は近年大河ドラマ主人公の中では早死にの部類ですが、この迂闊さを踏まえると天寿を全うしているように思えなくもありません。
それにしてもおそろしい夫妻になってしまった……。
おていさんは無事なようで、どうにもおかしくなっている。紙の上に食べかすが落ちかねないのに、菓子を食べるようなことはしなかったはず。それがここではしていた。
江戸時代は虫食いの被害が今よりも深刻ですし、書を愛してきたおていさんらしくないことこのうえありません。
感情も表に出しやすくなっている。
残酷な過程といえばそうですが、もしもこの夫妻の子が無事に産まれていたら、源内生存説なんて飛び付かなかったのではないでしょうか。
精神的打撃を受けているからと周囲も見守るばかりですが、店が傾いている時に陰謀論に駆けずり回る経営者夫妻は、危なっかしくて仕方ない。
「源内先生ってなぁ、てぇしたもんだ。おていさんをこんなに元気にしちまうんだから」
そうしみじみと語る蔦重。
って、どこまでえげつないんですかい!
ネタとしてロマンを語り出して、物語で心を救うというあの手法をやっているってことですよね。思えば瀬川ともそうしてきました。
しかし、人間にはやっちゃいけねえ時ってもんがあるんでさ。心身弱っている時に栄養として陰謀論を摂取してはいけませんよ。
誰かこの二人を止めてくれ!
これは救いじゃない、救いの皮を被った破滅だ!
歌麿の恋心を、ていの勧めで売り出す蔦重
そこへ山東京伝がきました。こいつは助けになるのかねえ。
なんでも滝沢に縁談の話があるそうです。武家の出の婿が欲しいとか。
ドラマでは省かれておりますが、史実では蔦重からも吉原関係者との縁談を進めていました。これは滝沢側から断っております。
みの吉は乗り気で、何がなんでものせるべきだと言い出します。同僚としてうぜえもんな。
ただ、京伝が言うには、縁談を進めるにあたって一つ難があるそうで。どうやら相手は滝沢をいっぱしの物書きだと思っているのだとか。
彼の手がけている『福寿海無量品玉』を手に取る蔦重。
黄表紙にしては文体が堅苦しいものの、作者なりの菩提を弔う気持ちがある。一発ものとしていけるのではないかと、みの吉は語ります。京伝も滝沢を押し付けた手前、手伝うと快諾します。
さらにみの吉は、歌麿不在の中でできる浮世絵の案思を上げてきました。
嗚呼、みの吉の聡明さが救いですね。彼こそ二代目蔦重なのでしょう。
ていは、店先に並ぶ歌麿の美人画を眺めています。そこで思い出すのは歌麿が恋心を描いていたということでした。
そのうえで、その絵を出してはどうかと言い出します。といっても、あくまで下絵であり、色も柄も決められておりません。
しかしていは、蔦重なら歌麿の好む色も柄も手に取るようにわかるはずだと言い、出すように迫ります。
勝手に出して怒らないか?と蔦重が躊躇すると、そこを逆手に取り見事な彫りと摺を施せばよいと答えるてい。その上で歌麿の絵は蔦重あってこそだと思わせ、戻すように促せると言うのですが……。
歌麿を戻すうえで最善の手は、次郎兵衛や駿河屋あたりに仲立ちを頼むことのような気がしてなりません。
そんなことでは戻ってこないと蔦重は乗り気じゃない。しかし、このまま待っているだけで歌麿が戻ってくるのかと迫るてい。
おていさんは酷いことをしますね。
下絵の時点で絵師が亡くなるなどして、仕上げや色の指定を別人が担うことはなかったわけではありません。
しかし、それをするにせよ手がけるのは弟子です。絵師でなければわからないことはありますし、信頼関係もあります。
関係が決裂しているうえに、許可も出していない。蔦重にも、ていにも絵心がない。それなのに下絵を勝手に仕上げて出すというのは、歌麿本人の因縁を横に置いても、あまりに酷い話です。
おていさんは賢い。漢籍教養は抜群です。
しかし、芸術系や企画系のセンスはあまりないのでしょう。かつては本人も自覚しており、随分と謙虚だったものですが。
おていさんは回復したようで、別の病に罹っちまったな。人生の大病はただこれ傲の一字なり。王陽明はそう言ってますがね。傲慢なおていさんなんて、見たくなかったぜ。
これも中年以降、あるいは名があがった人間がやらかす過ちです。
専門分野が異なれば素人でしかない。それなのに、なまじ地位や周囲の忖度があると、別分野についても詳しいと誤認しだす。認知バイアスの一種である「ハロー効果」ですね。
なお、夫の蔦重は同じ認知バイアスでも「ダニング=クルーガー効果」。能力の低い人の方が、自身の能力を過大評価するというものです。
若い頃の蔦重が定期的に階段落としをかまされていたのは、こういう調子こきを予防するためだったのではないかと思えてきましたぜ。
謙虚であることは卑屈でも何でもなく、実は身を守る知恵でもあります。
なんでも知っているような振る舞いをする人よりも「この分野は他の人に聞いてください」とあっさり認めるとか、「素人じみた思いつきで恐縮ですが」と言う人の方が思慮深いことは往々にしてある。
かつてのおていさんは、そんな人だったはずですが……ブレーキ役が壊れてしまった耕書堂は、さらに暴走してゆきます。
こんなものは紙クズですよ
吉原では歌麿が宴席にいました。
鶴喜がやってきて、次郎兵衛になりゆきを聞く。と、歌麿は派手にもてなされ、仕事を引き受けることにしたのだとか。
キセルを叩きつけ、紙花を撒くように促す歌麿。売れっ子の機嫌を損ねたくないのか、おずおずと撒き出す本屋たち。
女郎たちも賑わいに上機嫌で、ぜひ次は自分を描いて欲しいと言い出しています。
そんな歌麿争奪戦に鶴喜は声を掛け、紙花を渡します。さらにあの恋心を描いたという絵を渡しました。
『歌撰恋之部』として蔦屋さんが出すと伝える鶴喜。一足先に入手したと告げ、その出来を褒め称えます。

喜多川歌麿『歌撰恋之部 物思恋(かせんこいのぶ ものおもいこい)』/wikipediaより引用
鶴屋から絵を受け取った歌麿は暗い目を落とし、破り捨てます。
「こんなものは紙クズですよ」
ていの狙いはものの見事に逆効果となってしまいました。
耕書堂へ戻った鶴喜は、破かれた絵を蔦重に渡します。
仲をとり持つつもりが逆効果になったと詫びる鶴喜に対し、持っていってくれただけでもありがた山だと蔦重が返します。
蔦重は鈍感なのか。歌麿が紙花を撒いて吉原のためになったことを喜んでいます。鶴喜が「こっちは大変ですが」とこぼすと、そこは謝っています。
そこへ滝沢がやってきて、相田という町人に婿入りすることが決まったと言いました。
侍髷では相手に悪いと町人髷に変えたようです。
これからは世継稲荷側の伊勢屋という履物屋にいると告げる滝沢。この履物屋を「人に踏まれるものを売りたくねえ」と潰しちまうんですがね。
さらには武家としての滝沢家を継ぐ兄と甥がいなくなり、家を継ぐことに執着するようになるのですが、それはまた先の話。
よろしければ映画『八犬伝』でご覧になって、お確かめくださえ。
-

『べらぼう』馬琴と北斎の続きを楽しみてぇなら映画『八犬伝』を見るしかねぇな
続きを見る
揃っていたのは復讐を望む者たち
夜、ていが戸口に置かれていた書状を蔦重に渡します。
『一人遣傀儡石橋』と書かれた巻物――あの源内が書いていた七ツ星の龍と源内軒の続編でした。
死を呼ぶ手袋のからくりに気づいたこのコンビが、巨悪の正体に気づいた。それは傀儡好きのさる大名。しかし源内軒は返り討ちにされてしまう。
この続きを書けるのは源内先生しかいない。蔦重はそう興奮します。
さらには安徳寺への呼び出しも付いていました。
蔦重が寺へ向かうと、そこにいたのは松平定信です。さらには高岳と三浦、長谷川平蔵、柴野栗山もいます。
そしてあの手袋を出し、蔦重に渡してきました。
手袋が定信に届き、何かが始まったのだとか。
高岳が言うには、田沼意次から種姫に渡され、毒の塗られた親指部分を家基が噛んでしまった。
しかし、高岳が入手した時点で異変はない。徳川家斉の乳母で、西の丸にいた大崎が毒を仕込んだのではないか?と推理しています。
当時は、そのことを明かそうにも、田沼意次と自分が疑われかねないので黙っていました。田沼意次もそうだったと推察しています。
ただし、定信は慎重なので大崎が確たる犯人だという証拠が欲しい。そこで長谷川平蔵が動いているとか。
実は平蔵も手袋を探していたことがあった。当時は松平武元の手元にあり、いざという段階で急死してしまっていますね。
平蔵も、今こそ田沼様の仇討ちをしてくれと頼まれているようだと語ります。
三浦も「死を呼ぶ手袋!」と続けます。かつて平賀源内が、そんな戯作を書いていたと思い出している。
そのせいで源内が逮捕されたのではないかと推察する定信。
徳川家基。平賀源内。田沼意知。全ては傀儡師に操られていたのではないか。そう考えて仇討ちに乗り出すことにしたというのです。
定信に誘われる蔦重でした。
MVP:みの吉
今週は見ていて本当に辛かったでやんす。
主人公夫妻が、自分の身近にもいた陰謀論者そっくりな言動をするもんだから、見ていて気分が悪くなりやしたぜ。あまりに精緻で、陰謀論者対策にも使えそうに思えてきました。
なぜこの夫婦がおかしくなったのか?
それは最初で最後の一子を失ったからでしょう。
もしも無事に生まれていたら、世話をすることに夢中になり、子供のことでアタマが一杯になり、源内生存説なんて入り込む隙はなかった気がするのです。
蔦重も、最初はあくまで妻を励ますために取り組んでいた気がする。それがどんどん深みにはまってきます。
夫婦揃っておかしな言動をしているのに、周りが引き戻せないのは心理的打撃があるとわかっているからでしょう。可哀想だから、と気を緩めてしまう。
蔦重に、なまじ地位があるもんだから、強く諫言できないということもありまさぁ。
本来、勢いで突っ走る蔦重を、おていさんがブレーキ役となって止めるはずでした。
それがどうにもおかしくなっている。おていさんは漢籍教養豊富なぶん、自らに「ハロー効果」を掛けてしまっていて自信満々。蔦重は元からおていさんに知性で勝てませんから、押し切られてしまう。
東洲斎写楽は、蔦重が暴走して、おていさんが止める側かと思っておりやした。
それが、店が傾いているというのに、夫婦揃って暴走していく展開になるというのは、なんと恐ろしいものか……。
二人とも明るく楽しそうでよい?
いえ、これも陰謀論者あるあるでしょう。精神は充足しちまってんだ。
本当にどうしようもねえ。
蔦重の妻への愛や源内への憧れやら、仇討ちへの想いやら、わかるっちゃわかる。でもな、大店の主なら、まずそのことをいの一番で考えろよ。どこまで無責任なんでえ。
所詮、貸本屋やってるのがお似合い程度の器ってことかい?
こんな制御系統がぶち壊れた耕書堂において、唯一まっとうに動いているように見えるのが、みの吉でやんす。
みの吉を誰もが欲しがる気持ちはわかります。おめえだけが頼りだぜ!
総評
毎回褒めてきた今年ですが、ここに来て困ったことになっちまったと頭を抱えています。
ちっと見通しが甘かったぜ。先週が底かと思ったら、とんだ二重底じゃねえか!
ただ、さすがにからくりは見えてきやしたぜ。
一橋治済の仇討ちが成功することで視聴者の心理的打撃を和らげつつ、東洲斎写楽は失敗する。そういうことですよね?
あとついでに付け加えておきますと、家斉が将軍であるからには、幕府が傾くことは既定路線。
再来年の小栗忠順は、ここで手袋がどういう使われ方をしようと、地獄行きは確定です。
要するに、治済を成敗してもあまり意味ねえってこった。気分がスッキリするという効能しかないことはふまえておきましょう。
さて、再来年はさておき、今年の大河は一勝一敗でおさめるとしまして。
写楽の正体は斎藤十郎兵衛説しかないところを、ドラマではプロジェクト名にするのだろうとは思えてきやした。
なんとなく気持ちがスッキリした形に軟着陸するとは思いますが、そうなるとそれは一種の妥協であると思わざるを得ません。
次回予告やあらすじを見る限り、写楽は複数名によるプロジェクト名となると。
写楽役も、歌川豊国役も発表されていない。
既存の絵師が写楽を名乗るのだとすると、顕在してくる問題点がありますので挙げておきましょう。
・斎藤十郎兵衛が能役者であるということが活きてこない
写楽の正体として唯一蓋然性が高く、現在ではほど確定しているのが斎藤十郎兵衛です。
彼は能役者であるため、その特性が作品に反映されているという研究は多い。
斎藤十郎兵衛説以外を採用すると、消えてしまうことになります。それは写楽の理解にむしろ有害ではありませんか?
・蘭画なのだろうか?
この流れでいくと蘭画路線で役者を描くことになるのでしょうが、写楽の画風はそこまで蘭画寄りとも思えません。
蘭画に寄せた人物画で、もっと素描力が高い絵師はこのあとの世代だと思います。
確かに写楽の正体は蘭画絵師とするフィクションはありました。しかし、今更その路線でこられても困惑せざるを得ません。

解剖図を参照したとされる歌川国芳『相馬の古内裏』/wikipediaより引用

伝統的でありながら顔の描き方は西洋画を取り入れている月岡芳年『板額御前』/wikipediaより引用
・写楽は画力が高いとは言えない
あれほどの有名絵師なのにそんなことはあるのかと思うかもしれませんが、これがそうなのです。
代表作のインパクトによって薄れてしまうし、浮世絵鑑賞に慣れていないとわかりにくいかもしれません。
しかし素描力の高い絵師と比べると、特に手足や体のバランス、ポージングが甘いのです。
・写楽ならではの持ち味は、上位互換である歌川豊国ら他の絵師にもある
写楽だけしか見ていないと、なまじ気づけません。
しかし、歌川豊国やそれ以降の絵師と比較すると、写楽のものとされる特徴が備わっている上にさらに洗練されていると思えます。
写楽ばかりが知名度で突出して他の絵師と比較されにくいのか。そのことがどうにもおざなりにされます。
後述する海外目線が写楽の過大評価に大きな影響を落としておりますが、鑑賞する際に他の絵師の作品も、モデルとなった役者も見ていないがゆえの偏りはあったのではないかと思えます。
この間、私は歌川豊国の絵を見てきました。パッと見てものすごく洒落ている。役者がともかく魅力的。写楽よりもこちらを選ぶ江戸っ子の気持ちがよくわかったものです。

歌川豊国の役者絵/wikipediaより引用

豊原国周の役者絵/wikipediaより引用
・浮世絵の理解にとって弊害があるのではないか
大正8年(1919年)、野口米次郎が著書により「六大浮世絵師」を定義しました。
鈴木春信・鳥居清長・喜多川歌麿・東洲斎写楽・葛飾北斎・歌川広重です。
ただし、この定義がなされたのは大正時代であり、現在の研究からすると古い。
東洲斎写楽ではなく、彼に完全勝利した歌川豊国か、あるいはその弟子の歌川国芳。もしくは野口も高い評価をしている国芳の弟子・月岡芳年に入れ替えた方が、浮世絵の歴史は理解しやすくなるのではないかと思います。
江戸時代後期はこう言われるようになります。
歌川にあらずんば、浮世絵師にあらず――そして次の世代には「三羽烏」と称されるほど腕がたち、かつ得意ジャンルが異なる絵師が揃いました。
・役者絵の歌川国貞
・名所絵の歌川広重
・武者絵の歌川国芳
そういう流れを踏まえますと、写楽は邪魔に思えてくるんですね。
歌川派の系列はその後の日本画や漫画表現にも影響を与えておりますので、どうして写楽の代わりに豊国にしないのかと思うところではあります。
大河ドラマでそこを変えて欲しいので、写楽は派手に豊国に負けて欲しいところではあるのですが。
写楽本人にも、作品にも罪はない。でも、私は写楽の話になると、なんだか胸がつかえてきます。
今作と同じチームが手がけた『麒麟がくる』の結末は、明智光秀が掲げた朱子学の理想が江戸時代に広まることを予見したような作りでした。
ただ、写楽の場合は彼に勝利した歌川派が浮世絵の未来を担うわけであり、『麒麟がくる』パターンは使いにくいんですな。
・明治大正期の「日本スゴイ」現象
じゃあなぜ、写楽が評価されているかということですが。
明治43年(1910年)、ドイツ人の東洋美術研究者であるユリウス・クルトが著した『Sharaku』で高評価されたということが大きいようです。
これがとんでもなく当時の日本人には甘いものでした。
日露戦争も勝利した。世界の真ん中で咲き誇ると思いたい。そんな欲求に一致したんですな。
「レンブラントやベラスケスと並べ、写楽こそ世界三大肖像画家だとして紹介された」
このこともかつてはよく言われたものですが、これは日本人の創作とされ、現在は用いられなくなっております。
・史実よりも甘い嘘なのか?
その後も写楽が評価され続けるのは、日本が西洋から認められると思いたい心理ゆえでしょう。
ミステリアスということもある。
浮世絵を扱う作品では、写楽を扱うものは多い。
正体が謎めいている。不思議な消え方をする。はたまた他の有名絵師の別名義だなどなど、正体がほぼ決着したあとでも、売れるのでそんな作品が出てきます。
実質的には早々打ち切りにあった一発屋なのに、謎の絵師だの、敢えて消えただの、むしろ曲解しておもしろがっていると。
実際にどうであったかよりも、甘い嘘を用意したほうが金が落ちるって話ではあります。
ただ、この考え方そのものが古い。
脱亜入欧っていつの時代の話なのか?
日本スゴイ番組みたいなノリを続行し続けなくても良いのではありませんか?
来週以降を見てみないとどうなるかわかりませんが、写楽の流れは本当に失望しかけているところです。
『写楽のスマホ』の方がある意味史実に忠実って、どういうことなんでしょう。
2027年『逆賊の幕臣』へ昂まる期待
写楽のせいで失望が止まらない『べらぼう』。最後の最後でやっちまった展開になってしまうのでしょうか。
となると、来年はすっ飛ばし、再来年へ希望が募るのは仕方中橋。
ここまで浮世絵師の評価も時代によって変わることを書いてきたわけですが、これから上り調子で、さらに大河でブーストがかかる絵師を予測していきますぜ。
歌川国芳とその弟子・歌川玄治店派でやんすね!
ちょっと古い浮世絵解説書を読んでみますと、歌川国芳の評価が今より低い。彼が得意とする「武者絵」そのものが信じ難いことにそこまで重視されておりやせん。
しかし、浮世絵展開が広がると国芳は強かった。国芳の絵はともかく映えるし、ユーモラスで楽しい。気取った美術品としてだけでなく、気軽に楽しむとなりゃめっぽう強いんでさ。
国芳は紺屋の子で、ともかくセンスがいい。絵を見ると、着ている服装がともかく洒落ていると思えるのです。
そのためか、今でもアパレルや刺青によく用いられるのが国芳。
当時からちょっとワルい江戸っ子に人気だったという国芳の絵は、スニーカーやパーカーにもしばしば用いられるほどです。
2026年にはWOWOW版『水滸伝』が放映され、テーマとした美術展も開催されます。
国芳の代表作といえば『水滸伝』もの。江戸時代から連綿と続く日本式イメージの源流として、注目を浴びることでしょう。

『通俗水滸伝豪傑百八人之一個 浪裏白跳張順』歌川国芳/wikipediaより引用
そして国芳は猫絵が強い!
猫浮世絵展覧会は毎年どこかで開催されるようになりました。ポストカードやアクリルスタンドも大人気です。
猫ブームが続く限り、国芳の人気が途絶えることはないでしょう。

歌川国芳『たとえ尽の内』/wikipediaより引用
-

大江戸猫ミームと浮世絵|国芳一門の猫絵が止まらない
続きを見る
大河ドラマで言いますと『逆賊の幕臣』考証担当の岩下哲典先生は国芳の風刺画研究もなさっています。
国芳本人は幕末が激化する前に亡くなるものの、その弟子世代は「横浜絵」を多数手掛けました。
小栗忠順ら幕僚が横浜開発を進める際、その後押しをするのがこの「横浜絵」です。国芳の弟子たちが出てもおかしくはありません。

歌川芳形『大象写生』/wikipediaより引用
歌川国芳は蔦屋重三郎の没年に生まれたので、今年はもう仕方中橋。
再来年こそ大河で国芳一門が注目を浴びるとみなし、準備万端にしておきてえと思いやす。
そうそう、「六代浮世絵師」を定義した野口米次郎の著作では、国芳の弟子である月岡芳年も大きく扱われております。
幕末明治の絵師は過小評価が続いてきて、それも最近払拭されておりますので、この芳年や兄弟子の落合芳幾も注目ですね。
歌麿と写楽もいいけど、そろそろこのへんを推していきやしょうぜ!

月岡芳年『芳年武者牙類:弾正忠松永久秀』/wikipediaより引用
あわせて読みたい関連記事
-

なぜ東洲斎写楽は1年足らずで表舞台から消えたのか~蔦重が売り出した浮世絵師の顛末
続きを見る
-

べらぼう必須の浮世絵知識:基礎編|どんなジャンルがあり何が一番人気だった?
続きを見る
-

死絵や無惨絵あるいは横浜絵などもあった|べらぼう必須の浮世絵知識:応用編
続きを見る
-

浮世絵は実際どんな手順で作られていたか|絵師以外の版元や職人も超重要!
続きを見る
【参考】
べらぼう公式サイト






