べらぼう感想あらすじレビュー

背景は葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第3回千客万来『一目千本』重三郎には吉原しかねぇんだ

2025/01/20

「これが蔦重が作った『細見』」

「まぁ、俺のってのは言い過ぎだけど」

『吉原細見』が出来上がり、唐丸は感心しています。

しかし、最後のページにある奥付には、蔦重の名前が入っている。

版元の鱗形屋としては、よかれと思ってのことだろうと唐丸がフォローをするけど、蔦屋重三郎は顔が引き攣ってしまう。

そりゃちっとばかし甘ぇんじゃねえか……?

鱗形屋も、別に好意だけじゃないでしょう。

売れ筋である『吉原細見』を、吉原に詳しい者が改めたとなれば話題になり、売れ行きも伸びるはず。その辺を見込んだのでは?

 


『吉原細見』の御目見

さて、そんな抜け目ない鱗形屋は、吉原の旦那たちに『吉原細見』をお披露目しております。

鱗形屋の、なんとも渋い色の着物の美しさ。

そして片岡愛之助さんの抜け目なさと気品あふれる姿。只者じゃねえ感じはしますわな。

『吉原細見』は確実に売れるのです。

『吉原細見』

元文5年に発行された『吉原細見』/wikipediaより引用

吉原で一定数を買い取ってもらい、配布してくれるので、外さない売れ筋ですね。

忘八たちは「よい出来だ」と大喜び。しかも「序」の執筆者である福内鬼外が、あの平賀源内だと知り、皆驚いております。

大文字屋が、これは売れて客が増えるんじゃねえか!とはしゃぐと、鱗形屋は蔦重が「序」を頼んでくれたと種明かしをします。

「うちの重三郎が?」

そう驚く駿河屋。鱗形屋はずいぶん丁寧にあらためてくれたと全部バラしてしまいます。

そして駿河屋の目はどんどん険しくなってゆき……。

店に戻った駿河屋は、重三郎を見つけるやいなや、ぶん殴りました。

「勝手なことをしやがって!」と怒鳴り、殴り続けますが、それでも重三郎は改を続けたいと引かない。吉原に客足を戻したいと訴えても、駿河屋から足蹴にされ続けます。

次郎兵衛がそんな父を止めに入るも、叶うわけがねぇ。ボコスカにされる仕置き、継続中です。

さて、何がそんなに気に食わねえんですかね?

これが江戸時代を考えるうえで大事なことで、今回を貫くテーマになっております。

重三郎が吉原の痛みを知らないだの、一方的に搾取しているだの、そんな批判も目にしますが、大河ドラマで序盤からここまでボコボコに殴られる主人公は稀有でしょう。

吉原に生まれ、親に捨てられた時点で彼の人生は道が決まっている。

それが江戸時代中期――彼もまた、哀れな境遇に生きているだけなのです。

 


田沼政治は、どっさどっさ!と儲けたい

まだ諦め切れない蔦屋重三郎に対し、次郎兵衛は「やめとけ」と釘を刺します。

しかし、重三郎はしつこい。親父さんに認めさせてぇ、このままじゃ吉原は廃れるばかりだと一歩を引かない様子。

さて、あの序を書いた平賀源内は、お年玉として田沼意次に『吉原細見』を献上していました。

息子の田村意知が手に取り、面白そうに『細見』を見ています。

意次が秩父の鉱山について尋ねると、どうやら銀は無いようです。ただ、鉄は出る。鉄は掘っても損はないと補足説明しています。

もっと前の時代、『鎌倉殿の13人』ですと、鉄は武器製造に必須であり、坂東武者と製鉄には大きな関わりがありました。

そこからずっと進歩して、今度は貴金属を求めているわけですね。

鉄で銭を作って儲ける政策として、仙台藩伊達家の話を意次が持ち出します。源内もこれを受け「どっさどっさと儲けている!」と相槌を打ちます。

ただ、この仙台藩の政策は失敗に終わっております。

仙台藩から鉄銭を持ち出した人々が、周辺の藩で別の銭に交換する。その交換によって利益が生まれるわけですが、相手からすれば大損。

いわば「悪貨が良貨を駆逐する」状態になってしまったんですね。

結果的に周辺諸藩から抗議され、この計画は頓挫しました。

七代藩主・伊達重村の時代に鉄銭を発行/wikipediaより引用

実は、江戸時代中期ともなると民衆の抗議は割と通りやすくなります。

江戸の人々はお上の理不尽に黙って耐えているわけではない。戦国時代のように、武士層が力づくで民を黙らせることはそうそうできなくなっていたのです。

すると『細見』を眺めていた意知がめざとく、昨年いきなりやってきた吉原者が関わっているのではないか?と気づきます。

意次は蔦屋重三郎に気付き、客を呼ぶ工夫をしたのかと理解し、こう返します。

「ありがた山の寒がらすか!」

意次も意知も、人を見る目があるようです。

それで源内が序を書いたのか!と納得する意次。

「これで吉原に人が呼べるようになるのか?」と源内に問いかけると、「それはもう、どっさどっさ!」と笑い返す。

どっこい、そう簡単な話でもないようでして……。

 

『吉原細見』で客が増えるかというと

新たな『吉原細見』が売り出され、正月が過ぎた。

しかし、客足は全然戻っていない。

一体どういうことなんだ?と、重三郎が鱗形屋に話を聞くと、『細見』そのものの売れ行きはよいとのこと。

源内の「序」だったら読んでみてぇな――そう思って買われていっても、読むだけで吉原までは足が向かわない。

そんな分析を鱗形屋から聞かされています。

重三郎は客足の戻りを期待していたわけですが、版元の鱗形屋は本が売れれば良いだけですからね。

鱗形屋は、言葉巧みに重三郎に改を続けてもらうよう、誘導しているんですね。

吉原遊女の情報に詳しい人間がタダ働きで中身を修正してくれるんですから、そりゃありがたいに決まってる。

しかし、駿河屋には反対されている。

「まぁ……俺は親父様に拾われなきゃ死んでたかもしんねえ身の上ですから。んな奴が出過ぎた真似をすんのが気に食わねえんでしょう」

淡々と語る重三郎。

SNSなどでは、重三郎が吉原女郎の苦労を知っているようには思えないという意見を散見します。

それは彼が陽キャだからそう思えるだけでは?

幼いころ両親に捨てられ、駿河屋に拾われ、青年に成長した現在では吉原女郎を相手に貸本屋などができるほど信頼関係を構築しているのに、彼女たちの苦労を知らないわけがないでしょう。

 


田安賢丸の養子問題

「蔦重が鉄槌を下され……」と稲荷ナビが語ります。

この「鉄槌を下す」という言葉も『史記』由来ですから、江戸時代の教養が進歩したとわかる言葉ですね。

そのころ田沼意次は、ある問題に直面していました。

白河藩松平家が、田安賢丸を養子にと強く望んでいるというのです。

一度は断った話なのに、どうして蒸し返されるのか。

田沼家の用人である三浦庄司がからくりを説明します。

要するに徳川吉宗の血を引く孫を養子とすることで、家の格をあげたいんですな。

徳川吉宗/wikipediaより引用

先代は将軍を継ぐことを目指していたためか、断ったものの、二代目となってまた蒸し返されているとか。

江戸期のこういう大名同士のマウンティングは陰険。

この時代は戦がないので、かえって、しょーもないことでやりあってしまうんですね。

映画『殿、利息でござる!』は、田沼時代のそうした大名同士のプライドが背景にあります。

伊達重村が、薩摩藩の島津重豪と官位で張り合ったせいで領民が苦しむという話です。

※以下に関連レビュー記事がございます

殿、利息でござる!
江戸期の限界が見えて勉強になる|映画『殿、利息でござる』レビュー

続きを見る

煙管を吹かしつつ、この話を聞いている意次。

意知は、この話を蒸し返したら煙たがられるのではないか?と気にしていますが……これも江戸中期のしょうもないところかもしれません。

紀州藩ルーツの田沼意次は、幕閣からみれば新参者です。

だからこそ、大名同士の揉め事を解決し、そこで恩を着せることで、権力を確たるものとできる。

前述した伊達重村も、田沼を通して猟官運動をしていたものです。

こういう意味のないパワーゲームをして消耗し、さらにそこで贈収賄もあったことが、田沼意次の評価が割れる一因なのでしょう。

SNSでは「田沼の贈収賄は捏造!」といった極論も出ておりますが、そうとは言い切れません。

田沼意次は全くの白い政治家というわけでもないのです。

以下に意次の事績まとめ記事がございますので、よろしければ併せてご覧ください。記事末にもリンクが掲載されています。

田沼意次
史実の田沼意次はワイロ狂いの強欲男か 有能な改革者か? 真の評価を徹底考察

続きを見る

 

血筋に閉じ込められる江戸中期

さて、舞台は江戸城へ。

田沼意次は、10代将軍・徳川家治にこの養子話を持ち出します。

一度決したはずだと難色を示す家治。

すると意次は、先日の豊千代出産祝いで賢丸に叱られた話を持ち出します。

あれほど政治において高い志を持つ英明な賢丸が、政治を行わずにいることは哀れではないか?と。

類稀なる才能が発揮できる機会が、未来永劫訪れるのか。

そう誠意あふれる眼差しで語りかけると、家治は考え込んでしまいます。

意次は、誠心誠意をもって語れる正直者です。そのことを家治は深く信頼しています。

徳川家治/wikipediaより引用

しかし、これはどういうことか。

あの豊千代誕生祝いの席で、一橋治済と清水重好は「なすべきこととして子を成している」と語り合っていました。

御三卿とは、将軍の世継ぎがいないときに供給するためだけの家であって、御三家とは異なり領地を統治する機会はありません。

確かに子作りだけが責務といえる。そこを意次は持ち出したといえます。

江戸時代の身分制度の残酷さが見えてきました。

名門武家に生まれたら食うに困ることはない。しかし、何をすることもなくただの「スペア」として生きるしかないこともあるのです。

そんな無聊を慰めるための文化も発達する。

かくして田安治察は、弟に養子の話を持ち込むのですが、治察の母である宝蓮院が「甘言でございます!」として断固反対。

江戸時代、女性が政治に口を出さなかったというのは誤りです。

世継ぎの母ともなれば政治に権限がありますし、夫婦経営の商家では女性も経営に参加しました。

吉原のりつのように、女将が最高位権限を持つ場合もあります。

賢丸は「兄が世継ぎを得てからのこととしたい」と粘ります。

兄の治察は見るからに虚弱そうですから、この懸念はもっともなことでしょう。

実際、治察も懸念しているためか、まさかの折には呼び戻せるという許可を家治から貰っていました。

迷う賢丸。

松平武元は、この話を聞くと「黙れ!」と叫びます。そして甘言で上様を丸め込んだのか!と続けると……。

「今のお言葉、上様が私ごときに丸め込まれたということになります」

そう冷静に返し、その旨をお取次申し上げてよろしいのかと確認する意次。

こう言われると返す言葉もなく「無用じゃ!」と返すしかない武元。

安永3年(1774年)3月、かくして田安賢丸の養子縁組が決まりました。

これを前年の一橋豊千代と比較してみますと、豊千代の上にある重石が取れたことがわかります。

 

河岸の女郎を救いてえ!

重三郎は『細見』の改をどうするのか――そう唐丸と話しながら吉原の通りを歩いています。

すると、旅姿をした音羽という女郎と遭遇します。なんでも新潟の古町に売られていくのだとか。

「おさらばえ」

そう言われ、歩いていく後ろ姿を悔しそうに見る重三郎。

音羽を救うことはできなかった。重三郎は唐丸を帰らせ、河岸の二文字屋へ向かいます。

そこには病気になった女郎たちが寝ていました。肺結核や梅毒の症状が見て取れる。

女将のきくは、弱々しくこう言います。

「もう、見世をたたんじまおうかと思ってるんだ。女郎なんて売られてきて他に生きる術がない。とりわけここにくるのは大店なんかじゃ弾かれちまう女たちさ。この娘らはわっちが手を離したら終わりだと思ってやってきたけど、もう……」

「女将さん、もうちっとだけ耐えてもらえねえすか。俺がなんとかするんで」

重三郎がこういうと、きくは怒り、こう言います。

「あんたにどうにかできるわけないだろ!」

「どうにかします!よくします、こんな吉原……よかないんで」

そう決意を固める重三郎。

彼は人の苦しみを見捨てられない、侠気あふれる男です。

さて、九郎助稲荷に手を合わせる重三郎。

「どう思う? 今、これしか中橋じゃねえかと思うんだよ」

稲荷はなかなか危ない橋じゃないかと思うと返すものの、人にその声が聞こえるわけもなく、それでも重三郎は決意を固めています。

「じゃあ行ってくらぁ」

さて、どうするつもりか?

蔦屋重三郎/wikipediaより引用

 

長谷川様を騙すしか、中橋!

重三郎は花の井をそっと呼び出し、頼みがあると言います。

さて、何でしょうか。

するとそのあと、長谷川平蔵がズカズカと走っていく。

この走る姿が日本らしいナンバ走りで味がありますね。見た目はいつも格好いいのによぉ。

平蔵は宴席を開きました。

今日も豪華な料理が眼福。平蔵は鏡を何度も覗いては、自分の見た目ばかりを気にしている。

「お待たせいたしんした」

そこへ花の井が来ました。

態度が軟化しており、平蔵と口をきくようになっていますね。

「花の井、一世一代の頼みとはなんだ?」

花の井は「入銀本」の話が持ち上がっていると言い出します。

「入銀本」とは金を募って作る本のこと。

現代で言うならば「クラウドファウンディング」に近いでしょうか。

クラファンというと近年の発想のようで、江戸時代から既にありました。

寺社仏閣の再建だとか。

推し作家の活動資金だとか。

そうしたものをみんなで出し合うイベントがあったのです。

このドラマでも、クラファンで資金集めをする場面はこれからも出てくることでしょう。

花の井はそんなクラファン本で平蔵を騙しにかかります。

なんでも入金額で順序が決まるようで、好かない女郎が三十両入れた、そして柳眉を顰めつつ、こう来ました。

「悔しいおす、わっちは何としても、本の頭を飾りとおす!」

そう花の井が胸に寄り添ってきたら、平蔵の鉄腸も蕩けますぜ。

ここで禿(かむろ)や振袖新造も揃って「拝みんす、長谷川様」と頼み込んできます。

 

入銀本に出資しねえか?

重三郎の「これしか中橋」計画が明かされます。

入銀本企画をデッチ上げる。

花の井を使い、平蔵からまとまった金を巻き上げる。

これをひとまず河岸に渡し、当面の困窮をどうにかする。

でっちあげた企画を女郎に話して「嘘から出たまこと」にする。

「花の井花魁は50両入れて本の頭を決めましたかね」

宣伝文句はこうだ。

「どうなんしょう。花の井のような床下手が頭って」

玉屋・座敷持花魁の志津山はわかりやすく敵意を燃やす。煽られやすいなぁ~。

桐壺屋・座敷持花魁の亀菊は、重三郎が話しかけてもスタスタと通りを歩いてゆく。

角か那屋・呼出花魁の常盤木はこうきた。

「また……腹の上で死ぬ男を増やせって?」

そうニッと唇をかすかに歪ませます。

四ツ目屋・座敷持花魁の勝山は、重三郎が話しかけても、もくもくと食事を続けております。

扇屋・呼出花魁の嬉野は、話を聞いているのか、いないのか、コロコロと笑うばかり。

「あ〜あ、おてんとさん」

そうノンビリと明るく言います。

角たま屋・呼出花魁の玉川は、話しかけても髪を結わせつつ、歌うばかりです。

こうして重三郎は、かなりの入銀を確保したのだとか。

 

駿河屋は本作りを許さない

その上で親父様たちに話を持っていく重三郎。

どういうわけか長谷川様発案の、配り本企画になっていますがね。長谷川様から聞いてねえと言われると、花魁と内々に話したと返す重三郎です。

女郎衆も乗り気で金も集まった。

そう示すと、大文字屋は「一文も出さなくていいのか!」とわかりやすい。

一同は乗り気です。

なんでも馴染み客からも配り物の本を作って欲しいと頼まれているのだとか。

蔦屋重三郎は『細見』も上出来だし、本を作るのに向いているんじゃないか?と、盛り上がっています。

ところが、茶を立てている駿河屋だけはどうにもおかしい。

抹茶ですね。『光る君へ』ではまひろが太宰府で飲んでいたこの飲み物は、高級路線を辿りつつ、日本に定着しております。

「そんなもん、鱗形屋に頼め! てめえは本屋なのか、あぁ? ちげえだろ。てめえの本分は茶屋だろうが!」

そうすごむ駿河屋。何をカッカきてんだ?

重三は別に茶屋を怠けてねえと親父殿たちは庇います。

「怠けてるったら次郎兵衛の方だよな」

そう大文字屋がいうと、その次郎兵衛はこうだ。

「そこだけは言うてもおくれな小夜嵐」

たちまち駿河屋から拳骨でぶん殴られ、鼻血を吹いています。弱っちぃバカボンだな!

駿河屋は、有無をいわせず重三郎を引きずり、階段から突き落とそうとします。吉原のためになることだと抗弁するも、全く聞く耳を持たない。

「うるせえ!」

そう蹴落とそうとすると、自分が階段から落ちてしまう駿河屋。女房のふじも驚いています。

裾から脚をはだけさせつつ、「出てけ、出てけ!」と重三郎を睨む駿河屋。

かくして重三郎は、育ての親から追い出されてしまうのでした。

 

誰もが手に取りたくなる絵師は誰だ?

河岸ではおにぎりを配り、女郎が食べています。

これも長谷川様の入銀のおかげですぜ。

重三郎は追い出されて、河岸で寝起きするしかないようです。

しかし黙って寝ているわけではなく、絵本の挿絵絵師を選ぶことにします。

唐丸は心配していますが、親父様の機嫌よりも河岸が食えることが大事だ!と重三郎。

吉原になんとしても客を呼び込むと言い切ります。

唐丸は、その本はお金を出した客にだけ配るものではないか?と疑念を呈します。

重三郎は、いっそ本に並ばないことを逆手に取ると言い出します。

本が欲しい! 手に入れてぇ! そう思っても本屋じゃ買えねえ!

手に入れる方法はただ一つ、吉原の馴染みになること――そんな本を目当てに吉原にくる客を取り込む。

コレクター魂を刺激する策を語り出します。大胆な発想の転換ではないですか。

けれども、そうなれば誰もが欲しがる本でなければならない。

重三郎はアイデアを練りだします。

「まあ、やってみるしかねえな」

「できる!蔦重ならできる。おいらそんな気がする!」

唐丸に励まされ、二人で絵師を選ぶわけですが、これはなかなか重要な場面になるかもしれません。

唐丸が絵師に興味を持ち、いつか蔦重と一緒に本を作る絵師になりたい――彼がそう思っているとすればどうでしょうか。

 

花に見立てて、性分まで表す

蔦屋重三郎が、絵師である北尾重政のもとを訪ねます。

絵師特有の筆の持ち方が見事な重政。

「また、どうして私に女郎の絵本を?」

重政はそう訝しんでいます。

「女郎の描き分けができるんじゃねえかと思いまして」

重三郎によると、今度の本への掲載を希望する女郎はなんと120名もいるそうで、重政も驚いています。

北尾重政『芸者と箱屋』/wikipediaより引用

一人一人の顔を描き分けるのは、素人にも困難だとわかるでしょう。

そこで「北尾先生しかいない!」と重三郎も頼み込みにきたわけですが、重政も困惑しています。

礼金の問題ではなく、墨擦(すみずり・モノクロ)で人を描くと、似たような絵が延々と続くだけでおもしろくねえと丁寧に説明してくれるのです。

では、どうすべきか……。

重三郎が頭を抱えていると、重政は「“見立て”るのはどうか?」と提案してきます。

「見立てることで女郎の性分も表しちまうわけか!」

重三郎が感心していると、ふと、花瓶に生けた花が目に飛び込んできました。これだ!

投げ入れ花を見て、近頃、流行っていると口にする重三郎にどんどんアイデアが湧いてきます。

「ツーンとしている女郎は山葵の花とか」

「夜冴えないのは、昼顔とか」

「おお、無口なのはくちなしか!」

「文ばかり書くかきつばた!」

そう盛り上がり出す重三郎と重政です。おぅ、いいもんになりそうじゃねえか!

北尾重政『絵本三家栄種』/国立国会図書館蔵

かくして本の製作が進められてゆきます。

アダチ版画研究所より本物の職人が出演。

「あっ、大文字屋の大山花魁は気高い姐さんなんで、品よくお願えします」

「おう」

「ああ、とべらの白玉花魁は枝が大事なんですよ、枝が」

「そんなに?」

彫り師もにんまりとしつつ、そう聞き返しています。

この版画の再現は胸がいっぱいになってしまいました。なんて精密で美しいのでしょう。まさしく眼福です。

 

『一目千本』完成

重三郎は河岸の二文字屋で、本作りをしています。

女郎たちが語り合う中、黙々と手を動かす重三郎。

『一目千本』

そう貼り付け、重三郎は喜びます。

本が作られていく様子(地本問屋の様子)/国立国会図書館蔵

本が作られていく様子(地本問屋の様子)/国立国会図書館蔵

「できた、できた〜!できました!」

きくや女郎、そして唐丸が手にして、よいものができた、めっぽう粋だと喜んでいます。

しみじみと本を眺める重三郎。

「何かすげえ楽しかったなぁ。いや、やることは山のようにあって、寝る間もねえくらいだったけど。大変なのに楽しいだけって、んな楽しいこと世の中にあって、俺の人生にあったんだって……何かもう、夢ん中にいるみてぇだ! 皆さん、ありがとうございました!」

そう笑う重三郎。

なんて可哀想なのだろう。

七つで親に捨てられ、働きづめで、ずっと周囲の顔色を伺って生きてきた。楽しいと心底思えることなんて、あるようで実はない。

そんな一人の青年が、こうも嬉しそうにしているなんて……胸にグッときました。

これが彼の偉業。生きる喜びを見つける姿を描いてこそ、ドラマなのだと思います。

重三郎は駿河屋に『一目千本』を渡します。しかし駿河屋は「いらねえよ」と突っぱねる。重三郎は粘り、客の手持ち無沙汰にもよいだろうと持ちかけます。

「気が向いたらでいいんで見てくだせえ」

そう重三郎は本を置いてゆきます。

重三郎は松葉屋に本を渡します。

新しい馴染みに渡して欲しいといわれ、女将のいねはどういうことか?と返します。

要するに、特典として渡して欲しいということです。

さらには湯屋に行く重三郎。

湯屋では客が風呂上がりの体を冷やしていて、褌一丁で窓から外を眺める客もいれば、囲碁将棋をしている客もいます。

湯屋の親父は「粋だねえ」と大喜び。「吉原の馴染みになればもらえる」と重三郎は説明してゆきます。

こうして、髪結い床、茶店、居酒屋……男が集まる場所に重三郎は『一目千本』を置いていった。

いわゆるサンプルプロモーションだと稲荷は説明します。

その稲荷の前で、手を合わせる重三郎と唐丸。

果たしてお客はくるのか?

思いつく限りのことをしたと重三郎はしみじみと言います。

 

可愛さ余って憎さ百倍なんだろう

扇屋が『一目千本』をめくりつつ、「玉川がたんぽぽなのはどうしてか?」と駿河屋に聞いています。

「いるんなら持ってってくだせえ」と返す駿河屋に、扇屋はこう切り出します。

「まだ続けんのかい、こんなくだらねえ喧嘩。片手間に本作るくらいいいじゃねえか」

こう言われると駿河屋は、息子が今日から八百屋をやると言われて許せるかと返す。

扇屋はどうして重三だけは駿河屋を出さないのか、継がせる心づもりかと核心を突いてきました。

目端が利いて知恵が回って度胸もある。何より自分でなんとかしなきゃと思う心根。手放したくねえわな……と扇屋は言います。

勝手に決めつけるなと反発する駿河屋。

扇屋はこのまま重三が戻って来なかったらどうするのかというと、親でも子でもねえ、吉原から追い出すだけだと駿河屋は言います。

とはいえ、女郎と同じで、吉原者の男はどうやって生きていけばいいんでしょう。

「それがらしくねえんだよ! 可愛さ余って憎さ百倍なんて、お前さん、まるで人みてえなこと言ってるよ。忘八のくせに。忘八なら忘八らしく、ひとつ損得ずくで頼むわ、なぁ」

そう言われ、動揺する駿河屋。

扇屋は店には置いた方がいいと『一目千本』を勧めてきます。なんでも面白いんだとか。

駿河屋はしばしたたずみ、本を手に取ります。

「一目千本、華すまひ」

花が相撲を取るという見立てが、冒頭で示されます。

「亀菊はわさびか」

ここから先は、女郎と花の対比が見えてきます。

亀菊は確かにツンツンしている。

志津山はくず。馴染みを複数作って髻を切られたりするんだとか。

ふじも大笑いしています。

なんでも常盤木は、日本三大毒草の「とりかぶと」。

腹上死があまりに多いんだとか。食らうと死んじまう、命懸けという意味です。

駿河屋夫妻はあまりに絶妙なたとえに大笑いしております。江戸前ブラックジョークだねえ。

ふじはよくここまで見立てたと感心しています。

誰よりもこの町を見ているんだ……とふじはしみじみ。

葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用

ここでじっと考え込む駿河屋。

高橋克実さんのしみじみとした横顔が印象的ですね。

 

吉原は千客万来になった

そして半月後――吉原は大賑わいを迎えていました。

蕎麦屋の半次郎も、人混みに驚いています。

馴染みになればあの本がもらえるのかとワクワクしながら歩いてゆく客たち。

ひまわりの女郎が気になる。くちなしの妓がみてえ。

そう話し合いながら、歩いていく男たち。

千客万来じゃねえか!

「やったね蔦重!」

「っしゃ〜、やったな、やったぞ〜!」

そう唐丸と喜びあう重三郎。

「わめいてんじゃねえよ、べらぼうが!」

駿河屋がぶん殴ってきました。そして、とっとと戻れ!と言ってくる。

「回ってねえだろ、義兄さんがよ」

「ああ……いいんですか」

何事もなかったようにいい、さらに駿河屋はこう言います。

「志津山のくず、最高だった。まあせいぜい、吉原のために気張ってくれ」

「へえ!ありがとうございます!」

頭を下げる重三郎。解決ですね。

ちょっと目頭にふれ、唐丸と戻る重三郎なのでした。

 

蠢く暗い情念と陰謀

重三郎が、赤い格子の前で花の井と話しています。

なんでも長谷川平蔵は親の遺産を食い潰し、もう来られなくなったとか。ま、そうなりますわな。

重三郎はいつか50両を返さないといけないというものの、花の井は本当のことを知ればむしろ返さないのではないかと言います。

50両で河岸の女郎を救うなんて、粋の極みだと。重三郎も「確かにそりゃ大通だ」と返します。

よかったな、平蔵。

かくして吉原に明るい光が差し込みだす一方、その裏側では暗い情念が動いていると稲荷ナビ。

どうやら鱗形屋が、もう重三郎に嫉妬しているようで。

さらに不気味な光景が広がります。

田安治察が咳き込んでいます。

その姿に、傀儡を操る何者かも姿が、お囃子にのせて映し出される。

傀儡を操る糸がブツリと切れると、操っていた一橋治済がこう言います。

「おや……糸が切れたか」

そして治察は、カッと目を見開き、胸を掻きむしったまま、息絶えているのでした。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

 

MVP:駿河屋市右衛門

何度でも繰り返しますが、江戸時代中期には職業選択の自由なんざありません。

親の家業を継ぐしかない。まるで適性がなく、嫌いだろうと継がねばならないし、御三卿のような名門に生まれたら生まれたで、才能を発揮する機会がありません。

これが隣の清や朝鮮だと、男性ならば「科挙」という一発逆転システムがあります。

受験勉強をがんばれば人生が変わる。そう志を燃やすことはできるけれども、日本はそうではありません。

そこにはメリットとデメリットがあるといえる。

清や朝鮮ではまず立身出世を目指して学ぶものの、日本は好きだから、興味があるから、得意だからと、学び、特技を習得することにつながります。

ここにピタッとハマった江戸期の人物は、いきいきと才能を発揮させることができたわけです。

重三郎は本作りを通して、その才能がハマる瞬間を味わいました。

何かが変わる。3回目でそれが見えてきたわけです。

しかし、そうはいっても、重三郎は吉原もの。女なら女郎、男なら関連産業しかできない宿命があります。

その宿命そのものとして駿河屋の親父殿は立ち塞がるわけです。

体罰も厳しいけれども、そこには当時ならではの歪んだ愛もある。

どうでもよければそもそも追い出すのに、そうはできない――そんな身分制度の象徴のような振る舞いをするわけです。

結果的に縛ってはいる。しかし、根底には愛がある。実に難しい話ではあります。

あの呑気な次郎兵衛も、父の仕事を継ぐしかありません。

吉原の親父たちの中には、どうにも忘八に向いていないのに継がねばならず、経営を任せ切ってしまう二代目以降もいたそうで。

駿河屋周辺は、忘八だって辛い事情があるんだと察することができ、うまい描き方だと思います。

そして駿河屋を通して、御三卿の宿命も見えてくる。

そこから抜け出す田沼意次と重三郎の特殊性もみえてきます。

序盤でよく構図をきちんと描いていると思います。

 

総評

先日終わりました大学入試共通テストでは「歴史総合」が注目を集めました。

日本史と世界史の枠を超えた出題に、頭を抱えた受験生も多いとか。

受験生も大変だけれども、我々の世代も歴史総合対応待ったなし――昨年と今年の大河を見ていると、そう痛感させられます。

吉原の女郎に対する搾取が問題視されますが、実はそれだけでもなく、前回あんなに魅力的だった平賀源内の暗黒面がチラリと見えました。

意次の命を受ける源内の目線からは、鉱山で酷使される炭鉱夫の苦境は見えていないでしょう。労働条件の改善も考えたりしないでしょう。

目に映るのは、どっさどっさと儲けることばかり。それが国益に叶うとなれば、それも致し方なしだと納得してしまう。

田沼意次にしても、田安賢丸を気遣うようで、彼を怒らせる養子について話を進めてしまう。

重三郎ばかりがアンチから過剰に責められているように私には思えますが、実は「誰もが別の誰かを抑圧しつつ生きる」ようになっています。

考えようによっては、それが近代への進歩とも言えるかもしれません。

こんな意見を見かけました。

「『おんな城主 直虎』と同じ脚本家だから期待しているけれど、人身売買が根底にあるドラマは楽しめない」

いや、実は『直虎』でも、主人公が人身売買に言及していました。

戦国時代は、戦場で敵の領民を捕え、売り物にすることは往々にしてあり、そのシーンまでは描かなかっただけの話です。

あるいはこんな意見も。

「才能ある女性がなんとかして生きる道を模索する。そんな『光る君へ』はよかったけれど」

いや、あのドラマでまひろが手にしていた紙は、越前で領民が寒い中作り上げたもので、それを藤原道長なんかは我が物顔で貢がれ、自在に使っていたものです。

そういう民の血と汗でできた紙で自己実現をしていた。

民の苦労そっちのけで政治工作のために文学を描いていた……そうまとめると十分どす黒いのではありませんか?

なぜ権力者には甘い見方をするのでしょうか?

摂関政治の私物化は政治停滞を招き、あまりに弊害が大きいものでした。

大河がキラキラコーティングをするのは常であり、私は『いだてん』で実質過労死の人見絹枝がそのへんを誤魔化しているあたり嫌だなぁとか、『青天を衝け』で渋沢栄一レオポルド2世礼賛をそのまんま明るく流すとか、その度イライラしていました。

そしてこうしたことを指摘すると、かえってファンから怒られますよね。

ドラマとして楽しんでいるのになんなんだ?と。

こうした一連の反応を見ていると、ならば隠蔽したもん勝ちなのか?と気分が暗くなってきます。

悪い側面について描くという点で、今年は誠実でしょう。

第1回から重三郎は「吉原に好んでくる女なんていねえ」と叫んでいたし、今回だって梅毒の症状が出ている女郎が映っていたし。

幕末作品では、遺体損壊してはしゃいでいる維新志士なんて映しませんよね?

どうして今年ばかり?

素直に過去の悪いところを描いたから?

じゃあ隠蔽が正解ってこと?

そうぐるぐる考えてしまう。

で、こんな結論にたどり着きました。

とうの昔に受験を終えた大人こそ、「歴史総合」目線で歴史を見ていかねえといけないのだな、と。

今回は、吉原ものとして生まれた重三郎の晴れやかな顔を見ただけでも、モヤモヤは吹き飛んだ気がします。

書き残す重要性も、改めて思い出します。

吉原の女郎の苦労が、鉱山で死んでいった連中より世に知られているのはなぜか?

それは誰かが記録に残したからです。

このままではいけねえと思って残した先人がいるのです。

そういう先人がいればこそ残っているものを再現するドラマを、現代人がスマホ片手にポチポチ批判するのはどういうことなのか。

先人の積み重ねで身分制度から打破され、職業選択の自由もある現代人が、それすらなかった重三郎を「ひとでなしの女衒」と叩くのはなんなのでしょう。

目の前の飢えた女郎をなんとかしてえ。

そう思い、奔走する重三郎と、「解決したと言っても根本的な人権侵害は放置しているよね」と、言ってしまう現代人と、どちらが人として優しい心があるんでしょう。

そんなもん、なんつうか「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」論法じゃねえですか。

「吉原女郎がかわいそうなら、人権思想を発揮し、打破すればいいじゃない。それができない大河ドラマなんて打ち切り相応よ」

これはあまりに暴論じゃねえですか。

言っていることはご大層でも、目の前の人を助ける慈悲に欠けるっつーか……物事の根本的解決に役立たないというか。

ネットでは人助けをするNPOに「俺ならもっとうまくできる」とリプライをつける「人助け軍師」みたいな人もしばしばいますよね。

人を助けたいなら、そういう諸葛亮じみた態度よりも、もっとできることがあるんじゃないかと思ってしまいます。

私は、今年の大河ドラマは、むしろ偉い!と感じています。

このドラマを見て、女郎の慰霊碑に花をたむけ、線香を供える人もいることでしょう。

そういうのが慰霊であり、人としての優しさでは?

中にはこんなことを仰る方もいます。

「NHKはまだ大河ドラマを打ち切りにしないのか?」

ハッシュタグまで作ってノリノリの様子で……そうやって投稿すれば自分の正義感がスッとして気持ちがいいのかもしれませんけど、それって言論弾圧ですよね。

今後、松平定信の表現弾圧により、自殺する戯作者も登場します。

そのとき「吉原で儲けた連中だ、自業自得だ!」と快哉を叫ぶのでしょうか? それが満願成就でしょうか?

表現の不当な弾圧は、どんな目的であろうと私は反対します。

それに大河ドラマだって妙な横槍が入ったと思えることはありました。

そういうことを一切合財無視して打ち切りを望むとはどういうことなのでしょう。

 

平賀源内の「序」はルッキズムなのか?

先週、SNSでは平賀源内の「序」はルッキズムだという話題が燃え盛っていました。

発言者は、ご自身で何をしたのか理解しているのかどうか。

「ルッキズム」というのは、本来、容姿と関係ない責務の上で、過剰に容姿で判断されることを指すのではないでしょうか。

歴史的な事例でいえば、イケメンだと評価が異常に高くなった、中国の後漢魏晋時代が該当することでしょう。

男性官僚までもルックスをいちいち評価される大変な時代でした。

『世説新語』なんて、ルッキズムがあまりにひどい話がどっさり出てきます。

日本の中世も大変です。

それこそ『光る君へ』で描かれた『源氏物語』の末摘花なんて、読んでいてうんざりさせられるほどひどいものがある。

吉原の場合、そういう「ルッキズム」ではなく「人身売買」が問題の本質ではありませんか?

人を商品として売り買いし、ましてや性的な奉仕が前提となると、容姿は当然のことながら価値としてついてまわります。

そういう人間を商品化することが問題なのであって、それを「ルッキズム」というのは問題の本質を矮小化しているとしか思えません。

「吉原の女はマッチングアプリと違って拒否権ないんだよ」といった意見もあります。

書いている本人としては気の利いたことを言っているつもりなのだろうとは思いますが、人権侵害の矮小化に加担していることを自覚して欲しいと願うばかりです。

人間の苦労を知る上では、想像力も必要なのかと思います。

ルッキズム。マッチングアプリ。こうした言葉を使うと自分でも「あるある!」といえて言及しやすいのかもしれませんが、その結果として失われるものもある。

そして「ルッキズム」という、西洋由来の言葉で批判することも、悲しいことだと思いました。

吉原の無惨さを表す言葉なんて、「苦界」はじめ、それこそ先人が紡いできたものがあるではないですか。

それを使わずに「ルッキズム」というのは、どうしてなのでしょう?

幕末や明治初期のイギリス人が「日本はこんなに野蛮な国です」と語っていたことを思い出しました。

西洋こそ文明の証、東洋人はこんなに野蛮!

そう英語の概念で貶し、文明に酔いしれる――そんなことはハリー・パークスやイザベラ・バードで間に合っているんですよ。

今なら『SHOGUN』も連想させる世界観ですね。

そんな、なんちゃって西洋人目線で蛮族扱いされてもなぁ。

東アジアが、自分自身がいかにして文明を近代化させていったのか。

そんな「歴史総合」目線で広まっていく世界を期待したのに、こうなってしまうなんて、なんだか悲しくて仕方ありません。

そもそもこういう批判は、後に何も残らない。ペンペン草すら往々にして生えねえ。

連想したのは、中国での『水滸伝』論争です。

毛沢東は『水滸伝』が大好きでして。そんな彼が嫌いな百八星を、彼は槍玉にあげて攻撃し出す。

で、それを忖度した研究者が「この英雄はブルジョワだ」とかなんとか真面目に論文を書く。論争になる。

でも、そんな『水滸伝』の世界を、ブルジョワという概念もない、西洋由来の思想でもって叩いても意味がないんです。

今にして思うと、もっと他にやるべきことはあったんじゃないかと思ってしまいますが、当人たちは大真面目だったんでしょうね。

で、結果的に『水滸伝』研究や理解に何か意味があったかと思うと、全く意味がない。

要するに当時の人々は、ポジショントーク、ウケ狙い、忖度のために議論をしていただけであって、本当に世の中を良くしたいといった思いはないと思うんです。

平賀源内ルッキズム論争をチラッとみながら私が連想したのは、そんな虚無への供物じみた『水滸伝』ブルジョワ論争です。

まあ、今も忖度でTiktokが停止されて大騒ぎしたり、人間なんてそんなもんかもしれませんけど。

それにしたって、時間と労力は実りある論争に使いたいものです。

今後、田沼政治の蝦夷地政策、日本史に残るフェミニストといえる只野真葛が登場するか、などなど、期待している要素はたくさんあるのですが、果たしてどうなるんでしょう。

楽しい気持ちでドラマは見たいけれど、ここは江戸中期らしく「先憂後楽」しておきます。

先に憂慮し、それが杞憂とわかったら心の底から笑い楽しみたい。そうなることを願うばかりです。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考】
べらぼう/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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