三代歌川豊国『今様見立士農工商 商人』|江戸の絵草紙屋の店先に錦絵が並ぶ様子

三代歌川豊国『今様見立士農工商 商人』/国立国会図書館蔵

江戸時代 べらぼう感想あらすじ

歌舞伎に熱中した江戸女子たちの推し活事情|役者絵や団扇などが売れ筋だった

大河ドラマ『べらぼう』も最終盤にきて、ついに東洲斎写楽が登場しますね。

45回放送の予告編から察することができるように、東洲斎写楽とは複数の絵師による共同プロジェクトとなるようです。

写楽がわずか1年で姿を消してしまった、謎めいた存在であるという特性が活かされたのでしょう。

しかし、消えてしまった理由は割と単純でして。

詳細は以下の記事に譲りますが、

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要は「売れない」から早々と消えてしまったのです。

ではなぜ売れなかったのか?

当時を振り返ると、これまた単純な構図が浮かんできまして、蔦屋重三郎と東洲斎写楽のコンビが「ファン心理を掴む」のに失敗してしまったからでしょう。

彼らが販売した役者絵は、主に江戸の若い娘たちがお客さん。

歌舞伎役者らに熱をあげる彼女たちは、現代と全く変わらないような“推し活”に熱中していて、ブロマイドともう言うべき浮世絵を購入したり、役者が描かれた団扇なども手にしていました。

では実際にどういう推し活をしていたか?

蔦屋重三郎ら版元にとって無視できない、彼女らの活動を振り返ってみましょう。

三代歌川豊国『今様見立士農工商 商人』|江戸の絵草紙屋の店先に錦絵が並ぶ様子

三代歌川豊国『今様見立士農工商 商人』/国立国会図書館蔵

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🏯 江戸時代|徳川幕府の政治・文化・社会を総合的に解説

 


江戸の「悪所」とは?

そもそも江戸の若い娘たちはなぜ歌舞伎にハマっていたのか?

江戸時代には「悪所(あくしょ)」という言葉がありました。

入り浸ると不良行為につながりかねず、親としては我が子に足を向けて欲しくない――しかし、当人からすれば魅惑的で刺激的な場所をさします。

代表格が「吉原」のような遊郭であるというのは、皆さんもご納得できるでしょう。

息子が足繁く通うとなれば、堕落一直線となりかねません。

娘の場合は芝居町、つまり歌舞伎の観覧が該当しました。

一体なぜそんな状況になったのか?

江戸時代以前、権力者と結びついた格調高いエンタメとして能楽があります。

豊臣秀吉がこよなく愛し、自ら舞い、権威と結びつけようとし、徳川家康もこれに倣いました。

世界各国でも近世以降、権力者と舞台芸術が結びつくことはしばしば見られます。

イギリスのシェイクスピアとエリザベス1世。

フランスのルイ14世とバレエ。

清朝の皇族と京劇。

日本の場合、徳川将軍と能楽がそれに当たりますね。

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その中に歌舞伎は含まれません。

なぜなら歌舞伎は、民衆が娯楽のために作り上げたものであり、語源からして「かぶく」、つまりは「普通とは異なることをする」というものです。

派手な服装をして、舞い踊る姿を鑑賞するところから始まっていて、能のようにかしこまったものとは違う斬新さがあればこそ、多くの庶民が熱狂しました。

歌舞伎の創始者は出雲の阿国とされます。

出雲阿国/wikipediaより引用

もともとは女性が踊っていたのですが、あまりにも猥褻で過激にエスカレートしたため女性による歌舞伎は禁じられました。

美女が駄目なら美少年だ!

と、発想の転換がなされて再び過激化すると、今度は「野郎」、つまり成人男子のみが演じるものとされます。

今でこそ歌舞伎は格調ある伝統芸能に分類されますが、江戸時代はどこか“ワル”というニュアンスが受けていたのです。

それだけに将軍家の関係者が楽しむのはご法度であり、その禁を破った象徴的なスキャンダルが【江島生島事件】となります。

時は、正徳4年1月12日(1714年2月26日)のことです。

当時、7代将軍である徳川家継の生母・月光院に御年寄の江島が仕えていました。この江島が所用を果たした帰り、芝居小屋・山村座にて生島新五郎の芝居を見ます。

観劇だけで静かに帰っていれば問題はなかったかもしれません。しかし江島は、役者の生島を招いて宴会を楽しみ、大奥に帰る門限をうっかり破ってしまいました。

たったこれだけの門限破りで、なんと1400名もの処罰者が出てしまったのです。

背景には大奥のパワーゲームもあり、門限破りだけが問題ではなかったでしょう。

よりにもよって幕府関係者が歌舞伎役者と宴会ではしゃぐのは何事か! として重い処分が下されたと考えるほうが自然です。

現代人からすれば江戸時代の価値観が理解でき、大変ためになる歌舞伎ですが、演目自体に庶民の道徳観念や教養を高める要素はあまりないと思えます。

なんせ殺人や心中、事件を扱うものも多い。

江戸時代に起きた猟奇的な殺人を、すぐさま芝居にして演じてしまう。

そんなゴシップを楽しむものであり、「歌舞伎の芝居小屋に出入りなんて、はしたない、とんでもねえことだよ!」と親御さんが心配してしまうのも仕方ない。

だからこそ、当時のチャキチャキした娘さんはたちにとっては、絶対に行きたい憧れの場所でもあったのです。

 


熱狂的な推し活は女性が担っていた

「男性ファンはドラマや映画のテーマや筋を見るけど、女性ファンはイケメン目当てなんだよね」

こんな意見を見聞きした方は多いかと思います。

実は江戸時代から言われておりまして、芝居に熱を込めて見にいくのは、男性より女性ファンであるとされていました。

推しが見たい!

そう押しかけるファン心理も、江戸時代からあったとか。大河ドラマ『べらぼう』でも浄瑠璃富本節の馬面太夫を待つ女性ファンの姿が描かれていましたね。

芝居小屋に押しかけ、待ち受ける――こういう追っかけ行為は当時から社会問題とされ、上流家庭などは娘がそうだと必死に隠したようです。

しかしそうなると、逆に本人はアピールしたい!となってしまうようで。

かえって欲求が高まるのか、推し活グッズが生まれていきます。

例えば団扇。

軽くて持ち運びやすく、カラフルに仕上げればメッセージ性も抜群――今でもコンサート会場などでよく見かけるこの光景、実は江戸時代からありました。

推し活用だけでなく、江戸で夏場のおしゃれといえば、団扇は定番です。

素敵な柄を持ち歩き、自己主張したいのは今も昔も変わらない。

浮世絵師が手掛けた美人画や役者絵を貼り付けた団扇と、それを売り歩く団扇売りは、夏の風物詩でした。

こうした団扇は消耗品であるため、団扇絵は現存数が少ないことが難点。

残されているものでも貼り付ける前のものがほとんどで、団扇の姿で残っているものは相当貴重といえます。

2024年夏には太田記念美術館にて、歌川国芳の団扇絵を集めた「国芳の団扇絵 ― 猫と歌舞伎とチャキチャキ娘」が開催されました。

歌川国芳の団扇絵

歌川国芳の団扇絵/wikipediaより引用

手掛けた作品が多い歌川国芳であっても、団扇絵のみを集めた展覧会はこれが史上初。

現代であればスマホケースやアクセサリに、推しのカラーやモチーフを入れ込み、さりげなく主張する。そんな推し活的オシャレも、江戸時代からありました。

そして江戸時代後期ともなると、歌舞伎役者は【役者紋】や【歌舞伎文様】と呼ばれるパターンを用いるようになります。

一例が「市松」です。

佐野川市松という役者が身につけた衣装があまりに印象深く、それまでの「霰」(あられ)から市松と呼ばれるようになりました。

現代では『鬼滅の刃』の主人公である炭治朗が身につけていることから、「炭治郎の模様」と読んだ方が通じやすいかもしれませんね。

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江戸時代の流行色には、役者の名前がつくこともありました。

役者名+色というパターンです。芝翫茶(しかんちゃ)や璃寛茶(りかんちゃ)などがそうで、元々は役者が好んで身につけ、流行したのが由来です。

推しの文様をあしらい、推しの色を身につける。そうすることで自分の歌舞伎への熱をアピールする。

まさに江戸の推し活、ファン心理は今と変わりませんね。

 


死絵:あーん、推しが死んだ!

いつの時代も、推しの死はファンにとって何より辛いもの。

浮世絵にもそれがわかるジャンルがあります。

【死絵】です。

歌舞伎役者や戯作者のようにファンが多い人物が亡くなると、版元は絵師に発注をかけ、急いで死絵を世に送り出しました。

職業、生前の功績、没年月日、辞世、戒名、追悼文が添えられており、推しの最期を偲ぶことができるものです。

三代目歌川豊国『四代目尾上菊五郎の死絵』

三代目歌川豊国『四代目尾上菊五郎の死絵』/wikipediaより引用

ただし、中には悪ノリしているとしか思えないものもあります。

例えば、白か、薄藍色の死装束を身につけ、顔色も血の気が引いている。そんな推しが中央に据えられ、周りには「あーん!」と嘆くファンが集まっているという構図のもの。

あるいは推しが涅槃図の釈迦をパロディにして横たわっていたり、まるで仏像のように神々しく座る推しが描かれていたり、ファン心理を読み取ったのでしょうか。

八代目市川団十郎の死絵

八代目市川団十郎の死絵/wikipediaより引用

ファンもお線香を手向けたり、合掌したり。袖で顔を覆い号泣したり、はたまた髪を切り出家するものまでいたり。

なぜか猫まで前足で顔を覆っているのです(手前の白い猫)。

推し活女子を狙った死絵は、一刻も早く作って売りたかったためか情報が不正確なこともあり、どうせバレないだろうと戒名が捏造されているものまでありました。

雑な作品は描く方も色々と憚られるのでしょうか。作者名が伏せられていることもありました。

作風から察するに、役者絵の最大手である歌川派が手掛けたものが多かったようです。

こうしたユーモラスな【死絵】は、少年漫画ファンに用いられたミーム「あーん! スト様が死んだ!」を彷彿とさせます。

1988年に発売された『ジョジョの奇妙な冒険』5巻に掲載された読者投稿がネタ元。

ストレイツォという美形の悪役が死んだことを惜しむファンによる嘆き方が、どこかじわじわと、笑いを誘ったためか、有名になったのです。

劇画タッチで血飛沫も飛ぶ作品なのに、ファンアートはとても愛くるしい。

歌舞伎の演目も、仇討ちのような荒々しいものが定番ですから、エンタメを推す心理に性差なぞさして関係ないのでしょう。

荒唐無稽な大活劇を描いた曲亭馬琴にも、女性ファンは多かったとか。

馬琴はさる武家の奥方から、ファンだと打ち明けられることもあったそうです。

 

蔦重は東洲斎写楽で勝負するが

グッズが売れる。流行色や模様も生まれる。追悼ビジネスでも儲かる。

江戸の推し活でも最も儲かる市場は役者絵でした。

要は推しのブロマイドですね。

浮世絵でも美人画とならぶ大手であり、ここでヒットを飛ばせば版元としては大儲けですから、『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎が狙わないわけがありません。

しかし田沼意次の重商主義が終わり、【寛政の改革】が締め付けを始めた時代となると状況は厳しい。

歌舞伎は真っ先に槍玉に挙げられました。

「江戸三座」こと中村・市村・森田は取り締まりに屈して興行を取り止めてしまうのです。

当然、最大の推し活グッズである役者絵も巻き込まれました。

特に、このジャンルの最大手だった勝川派が打撃を受け、逆に「ピンチはチャンス!」とばかりにネクスト役者絵への参入を狙ったのが以下の2コンビです。

・蔦屋重三郎と東洲斎写楽

・和泉屋市兵衛と歌川豊国

まだ知名度の低い絵師の役者絵を、両者ともに寛政6年(1794年)、豪華なセットで売り出したのです。

役者絵の頂上決戦ともいうべきこの戦い。いったい勝者はどちらか?

というと歌川豊国でした。

現代では東洲斎写楽のほうが知名度が高いせいか、こうした状況が不可解ともされます。

しかし、推し活心理を踏まえれば、理解できるでしょう。

三次元の推しを、絵師が二次元に変換するとき、当人の姿をどう捉え、絵に表すか?

一人の絵師は、推しが気にしている“特徴”を誇張して個性的に描く。

東洲斎写楽『三代目澤村宗十郎の大岸蔵人』/wikipediaより引用

もう一人の絵師は、推しのアピールポイントを目立たせ、キラキラとした絵にする。

歌川豊国『閏訥子名和歌誉』

歌川豊国『閏訥子名和歌誉』/wikipediaより引用

自分ならどっちを買います?

やはりキラキラしている姿を見たいのがファン心理でしょう。

むしろ「推しが気にしているところを強調するなんて、ありえない!」となるのが当たり前であり、これが写楽と豊国の勝敗を分けました。

写楽のみの特徴と誤解されがちな躍動感や個性は、豊国も踏まえています。

当時の売れ筋を探った結果、そうなるのはむしろ必然であり、両者の差は技巧や宣伝ではそこまで大きくなかったのかもしれません。

しかし、推し活心理にフィットしたのは、和泉屋と豊国のコンビでした。

豊国は江戸っ子を魅了する絵師となり、歌川派は浮世絵師最大の派となってゆく。

日本史上のミステリともされる東洲斎写楽がヒットしなかった理由は、推し活心理を踏まえれば自然と読み解けるのではないでしょうか。

両者の役者絵を見ていると、推しをイキイキと描いているとすれば、豊国のように見えてきます。

大河ドラマで推し活の熱量をふまえ、版元と絵師の対決を描くとすれば、今の私たちのようだと歴史がもっと好きになるかもしれません。

大河ドラマ『べらぼう』の放送を最後まで楽しみましょう。

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武者震之助

大河ドラマレビュー担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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