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『三国志』時代は人が死にすぎ! 7割もの人口減で漢民族の滅亡危機だった?

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横山光輝三国志で、劉備と共に逃げ惑う民衆たちがしょっちゅう描かれておりましたが、彼らは曹操の軍に追いつかれるといとも容易くなで斬りにされ、虫けらのように殺されていくばかりでした。

そんな状況の中で、疫病が流行ったら? イナゴが襲来したら? 対処はできたのでしょうか。

そもそも農作物を作ることすら贅沢なことだったのでは?

三国鼎立というのはエンタメとして歴史を味わう側にとってはワクワクするものですが、当時の中国大陸に暮らす人々にとっては終わりなき悪夢であったことでしょう。

 

隋や唐の王朝始祖も漢民族か否か、諸説ある

後漢から三国時代の急激な人口激減は、中国史だけでなく周辺の歴史地理にも影響を与えたハズです。

魏の三国統一も、魏を滅ぼした晋の天下もごく短期間のうちに終わりました。

北方から匈奴をはじめとする異民族がなだれこみ、天下は乱れます。

6世紀に隋、その後7世紀に唐が天下を統一するものの、その王朝の始祖が漢民族であるか否か?というのは、今も諸説あります。長い歳月の中で民族は入り乱れ、漢民族と同化していった者も多かったのです。

文化も変わりました。椅子に座るようになり、それにあわせて衣服も変化しました。

詩人・李白の「少年行」はそんな国際都市・長安の魅力的な場面を描いています。

五陵年少金市東
銀鞍白馬度春風
落花踏盡遊何處
笑入胡姫酒肆中

長安はセレブの街・五陵住まいのイケてる若者が、金市の東を歩いて行くよ。
白馬には銀の鞍、春風を受けて颯爽と進んでいくよ。
散りゆく花を踏みしめて、どこで遊ぶつもり?
笑いながら入っていくのは、かわいい異国のお姉ちゃんがいる酒場だね。

白いスポーツカーを乗り回す金持ちのお兄ちゃんたちが、かわいいお姉さんのいる酒場に入っていくという情景。なんだか今でも見られそうですね。

「胡姫」は西域の女性、現在のイラン系の人を指すと言われています。

すっかり生活の中に、他国の人が溶け込んでいる様子がうかがえます。

人種のるつぼ、大量移民が定住化した国というと、現代人ならばアメリカ合衆国が思い浮かぶところですが、中国もまたそうかもしれません。

三国時代はエンタメの舞台としてだけではなく、急激な人口減が国家にもたらす影響を考えるうえでも、なかなか興味深い事例なのです。

 

追記:歴史上の「死亡者数について」

本記事について、次のようなご意見をいただきました。

「記録がきっちり残されなかっただけなのに大げさでは?」

「何人死んだかなんてわからないのに適当に書いているんでは?」

なるほど。皆様のご指摘、疑問はもっともかもしれません。

本記事の作成にあたりましては、まず『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon)の理論を参考とさせていただきました。

著者のマシュー・ホワイトがトンデモ本の作者扱いをされているという意見も見聞きしました。

ホワイトの理論が注目された大きなきっかけは、スティーブン・ピンカー氏が注目したこととされています。

ピンカーの業績その他は、長くなりますので割愛しますが、ピンカーが“デタラメを信じている”と指摘されるのでしたら、それ以上、私から申し上げることはありません。見解の相違ということでご承知ください。

しかし2020年は、ブラック・ライヴズ・マター運動により歴史の見直しが進み始めた年でもあります。

そうした見方の中で、このホワイトやピンカーの理論はなかなか示唆に富んでいます。魏晋南北朝時代の人口減をきっかけに、せっかくですから新時代の歴史論を探ってみたいと思います。

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虐殺の定義は人数だけでは決まらないこともある

歴史上の虐殺数を見ていくと、ある傾向が見えてきます。

一例として、こういった国で起きた出来事が上位に入りやすい。

・中国
・ロシア
・フランス

中国の例を挙げ「中国人が残酷だからだ!」と民族性に結びつける本は、残念ながら見受けられます。

中国とソ連をあわせて、「共産主義は残酷だ!」とみなす論も、これまたよくあります。

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ただ、これには、こんな答えもあります。

【人口が多く、密度も高い】

フランスとイギリスで比較しましょう。

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殺害された人数の比率でゆけば、フランス人が多いでしょうし、フランスの領土で起きているため「フランスの大虐殺」にカウントされます。

これについて、イギリス人がこんな風に語ったら、どう思われます?

「フランス人って本当に残酷。しょうもない殺し合いばかりをする、どうしようもない民族なんですよ」

突っ込みどころが山のように湧いてきますよね。

百年戦争の戦端を開いたのは、イギリスであるとか。

イギリス本土は人口密度が低いから「イギリスの大虐殺」はランクインしないかもしれないけれど、じゃあインドはじめ海外でイギリス人が起こした大量死はどうなるのかと。

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フランス人のみならず、インド人や香港人も激怒しかねない話。

そういう雑な議論は、誰も幸せにしません。

逆に、こうした疑念も湧いてきます。

【人口が少ない民族を犠牲者とする大量死は、大したことがないのだろうか?】

こんな歪んだ意見がまかりとおれば、少数民族を対象とした大量死を軽くみなすことにつながりかねません。

これに対する反証として【グレンコーの虐殺】があります。

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「虐殺」とは言われながら、人数的には30数名の死者という事件。

スコットランド人が大袈裟に語っているだけ?

それとも殺し方が酷いから?

そういう単純なことでもないでしょう。

スコットランドは少数の氏族(クラン)単位で成立していました。クランの総人数と死者数の割合を考えると、壊滅的な打撃であったということです。

つまり総人口に対する犠牲者の割合も、大量死を考える際には重要となってきます。

 

大量死の確たる証拠は必要なのか?

そこで考えたいのがこれ。

『大量死の確たる証拠は必要なのか?』ということです。

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。」〉(三笠宮崇仁親王、「THIS IS 読売」1994年8月号より)

「本当にそんなに死んだというのか? 証拠は? 遺体はどこなんだ!」

そういう議論はミステリの中だけで十分であり、歴史でこの考え方を持ち出すと最悪国際問題にも発展しかねません。

また、次のように邪悪な考え方も出てきましょう。

「そうか! 大量死の証拠を消し去れば、死んだことそのものだってなくなるんだ!」

非常に危険な理論であることは言うまでもないと思います。

・証拠の破損、証言者の寿命による死、遺骨収集の妨害といった手口が有効にかりかねない

・文字による記録を持たない民族の虐殺が、ノーカウントとされかねない

・証拠を出せ、ソースは? そう言い出すと、何かを企んで隠そうとしているのではないかと、かえって痛くもない腹を探られ、泥沼に突っ込みかねない

こういう議論において絶対にしてはいけない実例もあります。

いくつか見てみましょう。

 

【アムリットサル事件】の慰霊

1997年、エリザベス女王がインド訪問時に【アムリットサル事件】の現場を訪れ、慰霊を行いました。

歴史的なイベントになるはずだった女王の訪問。

しかしそれは女王の夫・フィリップによる不要な一言で、かえって逆効果となってしまいました。

フィリップはこんな言葉を漏らしてしまったのです。

「死者2,000人って大袈裟だな。負傷者も含めて2,000人じゃないのか?」

犠牲者側からすれば神経を逆撫する行為でしかないことは説明するまでもないでしょう。女王の気遣いを台無しにする最低の失言です。

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レオポルド2世論争を悪化させた、王子の失言

コンゴ自由国という地獄を招いた王として、ベルギーのレオポルド2世は批判対象とされてきました。

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こうした状況に対し、ベルギーのロラン王子が以下のように失言、火に油を注いでいます。

「彼自身は、そもそもコンゴに足を踏み入れてもいないのだ。どうやってそこにいた民を苦しめられたのか?」

「彼は公園だって建てたのに」

かつてコンゴ自由国では、住民たちが過酷な労役に追い込まれ、さらには手首やその他身体の一部を切断されるなど、まるで地獄のような状況に追い込まれておりました。

そうした状況は、王自らが現地に乗り込んで命令したものではない。

だから責任はない。

って、そういう問題でないことは明白でしょう。

君主として、殺戮と搾取を生み出し、今日に至るまで悪影響を及ぼすシステムを構築した――その責任を問われているのです。

公園を建てたから、一体何なのか?

そんなことで責任逃れができるわけもなく、結果的に、ベルギー王室が反省の見解を出す始末にまでなりました。

◆ベルギー王子、奴隷商人王・レオポルド2世を擁護:「彼は公園だって建てた」(→link

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