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【三国志時代の大量死】
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「赤壁の戦い」に見る打撃の証拠
「赤壁の戦いはでっちあげ! 実は戦いそのものがなかった!?」
こういう系統の記事はチラホラと見かけますがいかがなものでしょうか。
根拠はわかります。
曹操側の記述を辿ると「疫病が流行したから船を焼いて帰ってきた」ということになる……そのあたりでしょう。
しかし、年表でも作ってみれば、208年に何らかの大打撃があったことは見えてきます。
曹操の人生に翳りがみえる。
孫権と劉備が活発化する。
赤壁の戦いの古戦場から、武器や人骨、証拠が発掘される。
文学作品や口伝に、戦いがあったとみなせる描写がある。
そこまで周りくどいことをしなくとも『三国志』の「呉書」を読めば、記録は出てくるのです。
諸葛亮が東南の風を呼んだことはないにせよ、曹操大敗と挫折は見えてきます。
複合的な要素を辿れば、大量死は見えてきます。
徐州大虐殺
曹操の大失敗として「徐州大虐殺」があげられます。
これは確たるソースがなければ無効だという考えの人からすれば、真っ先に否定すべき事件かもしれません。
徐州で一体、何人が犠牲になったのか?
その確たる証拠はあげられません。
けれども、徐州から逃れていった人々の言動から、そこで恐ろしいことがあったことはわかります。
諸葛瑾と諸葛亮の兄弟が代表例です。
いくら曹操が献帝を擁立していようが、勢いがあろうが、徐州から逃げてきた人々は信じられない。曹操は飢えた獣だと怒りを燃やし、抵抗する道を模索しています。
気候の寒冷化、政治の悪化もあります。
戦乱による死者と、それ以外の死者を分けて考えようとするから、理論がややこしくなります。
マシュー・ホワイトの本にしても『殺戮の世界史』というタイトルは誤解があり、評価をややこしくしていると思えるのです。
このタイトルだと、
【誰かが誰かを大量虐殺した記録の本】
というニュアンスがどうしたって出てくる。
※原題は『The Great Big Book of Horrible Things, 人類史に残る惨事の記録書』
ベルギーのレオポルド2世の話を思い出してみましょう。
王が直接住民を殺したのか?
もちろんそんなことはありませんが、レオポルド2世の意思決定をもって悪逆無道が行われたことは間違いありませんよね。
市販の書籍ですから売上も大事ですが、同タイトルと装丁では誤解を招きかねず、どうにかしていただきたかったとは思います。
話を元に戻しますと……後漢から魏晋南北朝にかけての死者数には、気候の寒冷化による不作によるものも含まれています。
気候の寒冷化
↓
政治経済の不安定化
↓
戦乱、異民族の侵入
こういうドミノ状の惨劇を一括りにして、問題点を考えていくこと。
これが歴史の新しい見方となりつつあります。
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人心の荒廃
こうした複合的な考え方は、ミステリで動機を推理する探偵を想像すると、わかりやすくなるかもしれません。
「彼は惨劇を目撃し、動揺してしまった。その動揺が、彼の日記に現れています。こんなことを書く人じゃない。つまり、この日付と日付の間には、何か恐ろしいことがあったのだ!」
なんだか荒唐無稽なようですが歴史においても【確たる証拠だけではなく傍証も検討する】というのは注目度の高いアプローチです。
『ゲルニカ』や『原爆の図』を見て、ただの妄想だと鼻で笑う人がいれば、想像力の欠如を疑われかねないでしょう。
この時代の言動を集めた書物として『世説新語』があります。そこには刹那的で投げやりで、世を儚む言動が見られるのです。
実際に、作品を辿ってみましょう。
王義之(おうぎし、303ー361)『蘭亭集序』より
昔人感を興(おこ)すの由(ゆえ)を覧(み)る毎に、一契(いっけい)を合わすが若し。未だ嘗て文に臨んで嗟悼(さとう)せずんばあらず。これを懐(こころ)に諭すこと能わず。固(まこと)に死生を一にするは虚誕(きょたん)たり、彭殤(ほうしょう)を斉(ひと)しくするは妄作(ぼうさ)たるを知る。後の今を視(みる)るも、亦猶今の昔を視るがごとくならん。悲しいかな。故に時人を列叙し、その述ぶる所を録す。世殊に事異なると雖も懐(おも)いを興す所以は、その致一なり。 のる者も、亦将にこの文に感あらんとす。
【意訳】昔の人が、何を考えていたのか辿ると、みな同じだと思えるのです。そんな文章を読むと、悲しくてたまらない。いくら抑えようにも、嘆きはどうしても湧いてきます。
死ぬも生きるも同じなんて、どうして言えますか?
長寿だろうが、短命だろうが同じだなんて、そんなこと信じられない。
後世の人も今の私のように、私のことを見るのでしょうか?
悲しいことです。
だからこそ、今日、この宴に参加した方の名前を記しました。みなが考えたことを、記録しました。時代が違おうが、置かれた状況が異なろうが、人の心の動きは同じだと思う。
後世の人々も、きっと、これを読んで何か思うところがあるでしょうね。
陶潜(とうせん、字・淵明、365−427)『十八史略』「南北朝」より
我将(まさ)に能(よ)く五斗米の為に、腰を折りて郷里の小児に向かわんや。
【意訳】最低賃金稼ぐために、地元のクソガキに頭下げるとかやってられねえんだよ!
『五柳先生伝』より
環境蕭然として、風日を蔽(おお)わず。短褐(たんかつ)穿結(せんけつ)し、箪瓢(たんぴょう)屢(しばしば)空(むな)しけれども、晏如(あんじょ)たり。常に文章を著わして自ら娯(たの)しみ、頗(すこぶ)る己が志を示し、 懐(おもい)を得失に忘る。此(これ)を以って自ら終う。
【意訳】彼はテント暮らし。ボロい服だし、食べ物もろくにないようなその日暮らしですわ。
でも、それでも気にしていないんですね。
いつも文章を書いてはそれで自己満足しているし、その中に自分の思いを込められれば満足なんです。
世間のニュースだのトレンドだの、気にしないんです。こんな生き方で、一生を終えるんでしょうね。
『帰去来辞』より
帰去(かえ)りなんいざ、請う交りを息(や)めて以て游びを絶たん
世と我と相遺(わす)る、復(また)駕(が)して言に焉(なに)をか求めん
親戚の情話を悦(よろこ)び、琴書を楽しんで以って憂いを消す
農人余に告ぐるに春の及ぶを以ってす。将に西疇(せいちゅう)に事あらんとす
或は巾車に命じ、或(あるい)は菰舟(こしゅう)に棹(さお)さす
既に窈窕(ようちょう)として以って壑(たに)を尋ね、亦(また)崎嶇(きく)として丘を経(ふ)
木は欣欣(きんきん)として以って栄に向かい、泉は涓涓(けんけん)として始めて流る
万物の時を得たるを善(よ)みし、吾が生の行く休(きゅう)するを感ず
【意訳】さあ帰ろう。もうさ、世間の目なんて気にしたくないし、つきあって遊んでられない。
こっちは世間を忘れるし、世間も俺を忘れてくれ。俺はもう、何も求めないからさ。
気の合う仲間としゃべってりゃいいし、音楽と本さえあればストレス解消できるよな。
近所の農夫が春だよと告げてくるし。西で畑仕事でもすっか!
ドライブは楽しいし、一人でボート遊びを楽しむのも好き!
川めぐりもいいし、登山やトレッキングもいいよね。
新緑がとてもいい、泉から水が流れているのがほんとうに綺麗だわ。
こうやって春の生命力の中にいると、俺だけ人生が下り坂だと実感できて辛いわな。
顔之推(がんしすい、531ー591)『顔氏家訓」止足篇より
仕官して泰(やす)らかに称(かな)うは、処(お)ること中品に在るに過ぎざるのみ。前に五十人を望み、後に五十人を顧みれば、以って恥辱を免れ、傾危(けいき)なきに足るなり。
【意訳】就職して、何事もなく勤め上げるコツですか?
ほどほどがベストですね。上から数えて50人、下から数えて50人ってこと。
それが一番恥をかかなくて済むし、安定して生きられるポジションですよ。
いかがでしょう。
このように、ひねくれていて世を斜めに見る文人は、中国史にはつきものではあります。
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ただし、ここまで同時代にこの手のタイプが多く出ることは、そう多くはありません。
政治情勢が厳しい明末のような時代では、みられることではありますが。
何か辛いことでもあったのか?
人間不信に陥ったのか?
そう考えてしまいますし、この時代の文学の人気は、やはり唐のような時代と比較するとそこまで高くはありません。
出来もあるとは思えますが、ともかく陰鬱で、読んでいるとこちらまでテンションが落ち込んでいくような作風が実に多いのです。
曹操の詩や、諸葛亮の『出師表』にも、緊迫感があると言えばそうではあります。
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ただ、それでも自分の力で前向きにできる、そういうパワーはありました。
しかし、そこからさらに時代が降ると、それすら燃え尽きた感はどうしたって湧いてきます。
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中国の古典文学を学びたい! そう誰かが言ったところで、この時代を敢えて勧める気には、ちょっとなれないのです。
ここで、王義之の言葉を思い出してみましょう。
昔人感を興(おこ)すの由(ゆえ)を覧(み)る毎に、一契(いっけい)を合わすが若し。
昔の人が悲しいと思った、その心の動きは、今を生きる自分とは変わらない――。
そんな嘆息が、実はこの記事のテーマと関係があります。
前述したピンカーは、実験心理学者および認知心理学の研究者です。
彼は心の動きに注目して人類史を見直すことを提唱した一人です。こうした理念を基にした歴史書は最近増えており、かつ注目を集めております。
しかし、どうにも日本だと議論が噛み合っていないことが往々にしてあり、話がややこしくなります。
その理論を使った記事に疑問が呈されることは、正直なところ、予測ができました。
批判が原著でもあり、議論は活発ですが、日本独自の問題点もあります。
◆邦題が悪い(売ることを重視してか大雑把であり、タイトル詐欺だと揉める)
◆学生時代に学んだ歴史論と異なるため、前提を把握されずに「でたらめだ」とみなすレビューが多くなる
◆一点突破主義~どこか一点でも間違いがあると、それだけで信頼性がないとみなし、レビューが荒れトンデモ扱いされてしまう。細かなところで間違いがあっても、見るべき理論ならば取り入れてもよさそうなものですが……
◆「グローバル・ヒストリー」があまり受け入れられていない
こうした弊害ゆえに、人類普遍的な傾向、人類史そのもの、国境を跨いだ話をするだけで、論外扱いをされがちです。
人は、自分が正しいと思うことが真実となりがちです。
だからこそ多角的な物の見方が大切であることは皆様もご存知でしょう。歴史においては特にそうしたアプローチが重要ではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
マシュー ホワイト/住友進『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon)
【追記分参考文献】
守屋洋『中国古典「名語録」』(→amazon)
守屋洋『中国古典の名文集』(→amazon)
伊波律子『中国人の機智』(→amazon)
渡邊義浩『三国志 研究家の知られざる狂熱』(→amazon)
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他