何進や袁紹たちが宦官討伐のために呼び寄せた董卓が、おそるべき破壊をもたらしたそのとき、我が身を捧げた美女です。
董卓の寵愛を受ける彼女を見て、呂布は恋焦がれてしまう。
この美女を得るためならば、董卓を手にかけるしかない。かくして呂布は、貂蝉の愛を得るため董卓殺害に及ぶ。
董卓と呂布を誘惑した、絶世の美女。
彼女は見た目だけが美しいのか?
それとも心も美しいのか?
――数多くの創作者たちが頭を悩ませた課題でした。
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実在しない「四大美人・貂蝉」
古今東西、人間とは、美女ランキングが大好きな生き物。
中国では「四大美人」が受け継がれてきました。
・西施
・王昭君
・貂蝉
・楊貴妃
実はこのランキングにはツッコミどころがあります。
なんといっても、その最たるものが
「貂蝉は実在しません」
というものでしょう。
そうです、貂蝉は創作上の人物なんです。
存在感がありすぎるため実在の女性だと思っていた方には信じがたいかもしれませんが、これまで「細かいことはいいから……」と見逃されて来ました。
本拠地・中国のみならず『三国志』を受容して来た全ての地域が言えることです。
ならばこんな疑問も湧いてくるでしょう。
ではなぜ貂蝉は生まれたのか?
正史を記した陳寿だって不思議がっているでしょう。
それは各時代の影響を受け、様々な変遷がありながら、今日まで受け継がれてきました。
打ち切りじみた董卓の暗殺事件
乱世到来を決定づけた巨悪・董卓――。
『三国志』悪党ランキングがあれば確実に一位となりそうな董卓を倒すべく、各地の群雄が「反董卓連合軍」を結成しました。
劉備とその義弟・関羽と張飛!
乱世の奸雄・曹操!
江東の虎・孫堅!
三国鼎立の前触れのようですし、それ以外も袁紹に袁術はじめ、豪華メンバーも揃っておりました。
しかし結果は……。
失敗に終わります。
呂布が董卓を暗殺して、終わり。
正史ならば『そういうこともあるのか……』で終わりますが、フィクションだとそうはいかない。
「なんだこの打ち切りみたいな展開は! 読者が納得できないでしょ! なんか史書に書いてないかな。どれどれ……おっ、董卓の抱える侍女と呂布が密通かぁ。そのせいで呂布がビクつき、王允に相談もしていたし。おっし、この女性をピックアップしよう。そろそろヒロインが欲しいとは思ってたんだよね!」
読者ニーズを察知した創作者たちによって生まれた絶世の美女――それが貂蝉でした。
貂蝉、そのファム・ファタル、そして受難時代
運命の美女・貂蝉でともかく物語を盛り上げたい!
そんな例として、元代の雑劇『錦雲堂美女連環記』等で貂蟬がどんな風に描かれているか。設定を見てみましょう。
時代考証的に無茶はありますが、そこはそういうものとして理解してください。
まずは元代の貂蝉です。
『錦雲堂美女連環記』の貂蝉
名前:任紅昌
出身地:忻州木児村(現在の山西省北部)
職業:宮女
愛称:貂蝉冠(男性官僚用の冠)の管理担当をしていたから「貂蝉」
結婚の経緯:丁原が仲人となって呂布と結婚した
王允との関係:「黄巾の乱」で夫婦離散し、王允に保護され面倒を見られている
董卓との出会いは?:呂布という夫がありながら、董卓とそういう仲に……
うーん、スキャンダラスですね。呂布という夫がありながら董卓と関係する貂蝉は、完全に悪女扱いです。
妻の不貞に怒り、董卓を殺す呂布。なお、史実における呂布の正妻は厳氏であり、最も被害を受けたのは貂蝉の登場で影が薄くなった彼女かもしれません。
ともかく、どんな事情があるにせよ、二人の男と関係を持つ貂蝉はとんでもない女だよなあ! そう受け取る側は考え、こうしたニーズはどんどん高まり、今度は関羽のストイックさを組み合わせたフィクションも生まれます。
元代の雑劇に『関大王月夜斬貂蟬』(散逸、現在はタイトルのみ伝わる)があります。
なんだか嫌な予感がするタイトルでしょう。その内容は、明代の戯曲『風月錦嚢』から推察できます。
あらすじを起こしてみましょう。
『風月錦嚢』あらすじ
呂布が張飛に捕まりました。
※曹操は「は? 俺じゃないわけ? 前提からしてわけわからんな」と突っ込みたいところでしょうが、それはさておき
関羽がそんな張飛を褒めると、貂蝉が関羽の前でクネクネし始めます。
「うふ〜ん、あはぁ〜ん、関羽様素敵ぃ〜❤︎」
このあと関羽は月明かりのもと『春秋左氏伝』を読みつつ『ああいう女はどうしたものだろう?』と考え始めます。
夫・呂布の悪口を言い、別の男に色気をふりまく。彼女の様なフザけた女が、世の中にどれほどの災いをもたらしてきたことか!
それを知らない貂蝉は、とにかく二人を褒めまくる
「もぉ呂布って最低の男でぇ。負けてせいせいしたっていうかぁ、ざまぁみろって感じぃ。それに比べると関羽様と張飛様って素敵ぃ❤︎」
→関羽はしじみじと思いました。
『夫の悪口を言いふらし、新たなターゲットに愛嬌を振りまく。なんというアバズレ! こんな悪い女を野放しにしてはいかん!』
「ぎゃーーーー!!」
かくして、関羽は貂蝉を斬殺するのです。めでたし、めでたし。
THE END
突っ込みどころが多すぎないか?
そう思われるかもしれませんし、元代『三国志平話』でも貂蝉はこういう悪女路線ですが、明代の時点でさすがに「これはないわ……」とされました。
『三国志演義』を洗練させた羅貫中は、貂蝉をもっと愛される、忘れ難いヒロインにしようと考えます。
羅貫中の好みということもあるのでしょう。彼は悲運のヒロイン造形を得意としており、彼女たち周辺のゴシップめいた逸話を削除していきます。
そんな羅貫中の努力の成果を確認してみましょう。
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