貂蝉

貂蝉イメージ/絵・小久ヒロ

三国志女性列伝

三国志に登場する絶世の美女・貂蝉は実在せず?董卓と呂布に愛された伝説の女性

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貂蝉 「孝」と「義」の伝説となる時代

人々の満足感を得ようとするあまり、散々ないじられ方をされて来た貂蝉。華佗により美女に整形され、強い心臓を移植される――そんなサイボーグじみた話もあるほどです。

そういうわけのわからない貂蝉に素晴らしさを宿らせたい。

そう考え抜かれた結果、儒教道徳である「孝」と、漢王朝への「義」が植え付けられました。

一体どういうことか?

三国志演義』での貂蝉は、こんな人物に仕上げられていきます。

連環の計

名前:貂蟬

身分:歌妓

年齢:16

王允との関係:幼いころから育てた義父

董卓との出会いは?:「連環の計」に志願する

王允は悩んでいました。

董卓のせいで最悪の漢王朝になった。けれども、打つ手なし。屋敷を歩いていると、ため息をつく声がします。

「お義父様、私に何かできることはありませんか?」

かくして貂蟬は「連環の計」に身を投げ出し、董卓を討つ原動力となったのでした。

この描き方の変更は「最高! 全読者が泣く!」という画期的な転換となりました。

二人の夫に身を任せる時点で、不貞の女とされてしまう貂蝉。その根底に、義父を思う「孝」と、国を憂う「義」を埋め込み、感動的なヒロインとしたのです。

こうなると教訓としてもバッチリ。

ただの娯楽ではなく、あるべき人間像を学べる作品として『三国志演義』は昇華されてゆきます。

江戸時代、日本の藩校では、教科書として採用されたほどでした。

貂蝉が妖艶な美女であるフィクションはいくらでもあります。

一方で「四大美人」の画題となる定番は「貂蟬拝月」です。

義父の心痛を軽くできないのか?

一体この国はどうなってしまうのか?

そう悩み、月を拝む様子が感動的だ――と見なされて来ました。

見た目だけではない。心が圧倒的に美しい。貂蝉最高、もう称えるしかない。

そんな流れに突入してゆくと、清代・毛宗崗は、過去の貂蝉描写に厳しいダメ出しをするほどでした。

関羽が貂蝉を斬る話を考えた奴、本当にふざけんなとしか言いようがないです。話作るにせよ、もっと真面目にやって! なんでこんな素晴らしい貂蝉を殺せるの? もう無神経すぎ。最低です!!」

関羽が貂蝉を斬った動機のように、女性がその魅力で男性を誘惑することは「悪」とみなされてきました。

けれども根底にある動機次第でOKとなる。

国を踏みにじる悪党を倒すために、流し目を作り誘惑した――そういう設定であれば、むしろ教訓として素晴らしい。そんな転換がなされました。そして……。

 

古今東西、できるクリエイターはエログロだけじゃないと言い張る

現代のクリエイターにとっても、こうした姿勢は見習うべきところかもしれません。

お色気場面を入れ、『サービスかな?』と思われた見解にはこう応じるわけです。

「エロい。それはそうです。しかし、これには教訓があるんですね」

きちんとした言い訳があれば、エロくても通る。それが現実。あの『金瓶梅』だって、どうしようもないほどエロ満載ですが、こういう建前があります。

「いかかでしょう? こんな好き放題にエロエロ生活を送ると、バッドエンドを迎えます。皆さんはそうならないよう心がけたい、そう思いますよね」

「わかります! 興奮したいから読む? それは違いますって。私はね、エロのもたらす破滅を理解するために、教養として読んでいるんですよ」

「流石、お目が高い。エロは怖いですねえ」

「ええ、ええ、エロはよくないですよ。まぁ、この作品は文学として、あくまで教養として評価しているんですけどね。ハァハァ……」

苦しい言い訳しやがって!

そんなツッコミばかりが頭に浮かんできますが、例えば日本でも井原西鶴曲亭馬琴が同じことをしております。古今東西、クリエイターはそういう言い訳と工夫を用意してきたものです。

そして、こういう高度な仕掛けをする話は、書き手のインプット量や才能そのものが優れていることが多い。

エロかったりグロかったりするだけ――しょうもないフィクションも大量にありますが、時代を超えて愛されるものとはクオリティが高いものです。

貂蝉がかくも愛され、創作でありながら「四大美人」にまでのぼりつめたのは、クリエイターたちが努力をした結果なのです。

現代においても、いたちごっこの状況は続いています。

中国共産党ですね。彼らは作品についても目を光らせていて、日中戦争を舞台とした「抗日」ジャンルはお目こぼしされがちだとされてきました。中国共産党の建国神話であるため、どうしてもそうなる。

そしていつしか「抗日ということにすれば、何をしてもよいのでは?」と考えたクリエイターが暴走しまくり、素手で兵士を倒すような自由気ままなドラマが怒涛のように作られました。

こうした作品を皮肉って【抗日神劇】というスラングまで生まれたほど。いたちごっこは、まだまだ続いているのです。

いたちごっこ

検閲をくぐったうえで、無茶振りをエスカレートさせるクリエイター「やはり、好き放題してみたいよね!」

検閲する中国共産党「いや、程度ってもんがあるだろ」

別ジャンル、何か手を替え品を替え、暴走するクリエイター「これならいいでしょ?」

苦い顔で検閲する中国共産党「またかよ……お前らな……」

以下ループ

まさに歴史は繰り返す――というか現在進行形です。

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