三国志と言えば、英雄、豪傑、智謀の士!
天下統一を目指して鎬(しのぎ)を削る姿はまさに乱世であり、物語の題材としては美味しいネタだらけですが、庶民にとっては地獄そのものです。
「もしアナタがそんな時代に生まれたら?」
「もしタイムスリップしたらどうなる?」
申し訳ありませんが、答えは簡単。
死ぬだけでしょう。
実際、この時代を代表する曹操は「どこまで行っても死屍累々!」と詩に詠んだほどで……その要因のひとつが曹操本人というツッコミはさておき。ともかく生きていくだけでハードモード。
一方、英雄として名を残すだけが価値観ではない! とばかりに独自のLIFEを謳歌した連中もおりました。
それが何晏(かあん)と竹林の七賢たち。
遊んでいるようで、ふざけているようで、実は激しい政治闘争からの逸脱宣言をしていた生き方といえます。
2022年9月、ソーシャルゲーム『水都百景録』ではズバリ「竹林」ガチャが登場。阮籍と嵆康がイケメンとなって登場します。
おっさんをイケメンにするなんてまた……そうはおっしゃらずに。彼らは同時代の時点で「尊い! 推せる!」とうっとりされていました。
一体彼らはどんな人々だったのでしょうか。
ドラッグ「五石散」をキメるパリピたち
中国史における代表的ドラッグといえば、やはり阿片(アヘン)でしょう。
19世紀に起こったアヘン戦争は中国に深刻なダメージを与えました。
そのため、現在でも中国では薬物を厳しく取り締まっています。
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では、アヘンがイギリスからもたらされるまで、中国にドラッグの類いはなかったのか、と言うとそんなことはありません。
後漢の時代には、既に「五石散」または「寒石散」というドラッグがありました。
成分は以下の通りです。
・鍾乳石
・硫黄
・白石英(水晶)
・紫石英(蛍石、フローライト)
・赤石脂(黄土)
この五種類の鉱物をすりつぶして混ぜたもの、だそうです。
絶対これ、体に悪いでしょ!
他のドラッグ同様、本来は医薬品として作られた五石散は、
「キメるとテンションめっちゃあがる!」
ということが明らかになり常用する人が現れました。
高揚してハイになるってことは、アッパー系ドラッグというやつですかね。
当時は、日常が死と隣り合わせですし、王朝が廃れて出世なんて望めないし、「もうコイツで憂さ晴らしするしかないっしょ」という人々が大勢いても不思議ではありません。
実際、これを摂取すると体の内側からカッと熱くなって、真冬でも下着一丁で歩き回りたくなるほど、だそうで。
熱気を発散するためにウォーキングすることを「行散」と呼び、「散歩」の語源となった、という説もあるほど。
しかし、「五石散」を常用するようになると段々顔色が悪くなり、痩せ衰え、目はうつろになり、幽霊みたいになってしまいます。
絶対に危険だわ……というか薬物の王様と称されるヘロイン並にヤバそうですね。
色白メイクで俺もイケメンになりたい
不思議なのは、いかにも不健康そうな見た目が、一部の物好きたちには受け入れられたということでしょうか。
何を言ってるか、ちょっとわかりづらいかもしれません。
現代でもゴシック系メイクがやたらと色白で不健康ぽくするように、当時も「ドラッグキメてるっぽい顔色ってクールだよね!」と思う人がいたのです。
あまりに殺伐とした乱世だったため、退廃的な流行があったみたいで。
そしてそのトレンドファッションリーダーとされたのが、曹操の養子でもある何晏(かあん・何進の孫)でした。
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彼は色白で、自らの美貌にウットリしてしまうナルシストでした。
白粉(おしろい)をはたいて美肌をキープしつつ、「五石散」の副作用で美白を実現しているという話もありました。
そうなると「俺もあんなイケメンになりたい!」とフォロワーが湧いてきます。
現代でも「ドラッグをキメるとダイエットになるよ」という勧め方があるそうでうすが、このあたりも今と同じなんですね。
「仕官したら負けだと思っている」竹林の七賢たち
動乱の時代、下手に政治に関わると非常に危険でした。
前述の何晏も、あの司馬懿との政治闘争に負けて処刑されてしまいます。
こうなると「宮仕えした挙げ句殺されるとか、やってらんねえ」と悟って、現実逃避する人々も出てきます。
なんせ単なる秀才レベルではとても出世を望めず、国内でトップクラスの実力者にならなければ、いつ政争に巻き込まれて粛清されてしまうかもわかりません。
ならばそんな一生懸命に働くことも、頭脳をめぐらせることもやらない方がいい! と、老荘思想に耽り、宮仕えを一切拒否して引きこもる連中が現れ始めました。
「竹林の七賢」です。
働かないでフラフラするとかありえんだろ、と思うかもしれませんが、隠者という生き方は中国ではひとつの理想でした。
世俗の塵から遠ざかった生き方は素晴らしい、憧れるというわけですね。
こうして気ままに生きた人々七人を「竹林の七賢」と呼んだのです。
彼らをモチーフとした美術作品では七人揃って竹林にいるため、実際にそうしていかのように思えます。
しかしそれはあくまでイメージ。七人が一堂に会したことはありませんし、竹林で生活していたわけでもありません。
実のところ何をしていたかというと、酒を飲んで酔っ払ってフラフラと生きた挙げ句、天寿を全うするとか。そんなユル~い生き方です。
「いや、それって、単なる引きこもりやん」
そうツッコミたくなりますが、これぞ乱世における究極の賢者かもしれません。
真面目に生きた挙げ句、罪を着せられて処刑されるよりも、就職せずに引きこもり楽器をかき鳴らし趣味に生きたほうがマシ。
昼間から酒を飲みまくってベロベロになるもんだから「アイツは賢いけど、酒飲みすぎるから仕事させないほうがいいよね」と思われてしまう。
彼らはまさに「仕官したら負けだと思っている」を地でいく人々でした。
奇行を面白がりながら記録に残していた
飲んだくれて下着一丁でふらふらしていたとか。
服喪すべき時に酒を飲んで肉を食っていたとか。
彼らについては、冷静に考えればしょうもない逸話が数多く残されています。
当時から人々は、最高にロックな生き方をする彼らを「あれが究極の勝ち組だなぁ」と羨望のまなざしで見て、その奇行を面白がりながら記録に残していたのです。
むろん、彼らを苦々しく思う人もいました。
「やればできるのに、なんでお前は遊んで生きているの? 世の中ナメてんの?」
そんな理由で処刑された七賢もいます。
しかしそんな時代だからこそ、働かずに逃げ切って天寿を全うした人は、余計にエクストリーム乱世を勝ち抜いた者として賞賛されたのですね。
もう、あまりに無茶苦茶。
されど、楽しそうな彼らの生き方は、現代から見ても、乱世における真の勝者ではないかと思えてくるから不思議です。
志半ばで散って、統一を見ることなく無念の死を遂げた三国志の英雄たちは無数におりました。
一方で働かずのうのうと趣味に走り、生き延びた七賢たちもいたのです。我々日本人にはあまり知られないだけで。
いったい本当の勝者はどちらなんですかね。
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三国時代が終わったあとも、中国大陸は何度も乱世に遭遇しました。
そのたびに奇矯な行動で生きた証を残す文人たちが出ています。
ロックな生き方もまた面白き哉。
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【参考文献】
井波律子『中国文学の愉しき世界 (岩波現代文庫)』(→amazon)



