その疑問は同時にこう言い換えることが可能でしょう。
「なぜ信虎は、息子である信玄を嫌ったのか?」
よほど大きな理由があったのか。あるいは些細な事が気に触ったか。
人が人を嫌いになるのは意外と単純なことかもしれませんが、戦国ブギウギ武田三代記vol.11は信虎と信玄の確執、そして国府台合戦に注目です!
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信玄の初陣に信虎ダメ出しで乱の芽生え【マンガ武田三代記10】
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葬式
◆武田信玄、最初の妻は上杉朝興の娘であり、北条の台頭に対し、両家は共同で対抗していました。
しかし天文6年(1537年)4月に朝興が亡くなるや、同年7月には北条が進撃してきて、河越城を落とされた朝定は松山城へ逃げ落ちます。
関東から追いやられる扇谷上杉と、急速に支配域を拡大する北条。
結論だけ申しますと、この両家の争いは約11年後、天文15年(1546年)【河越城の戦い】で決着します。
圧倒的多数の関東諸将に対し、寡兵の北条軍が奇襲が炸裂させ、上杉朝定を敗死させると同時に扇谷上杉を滅ぼすのでした。
歌人
◆権大納言で歌人でもあった上級貴族の冷泉為和は、幾度か武田家を訪れています。
信虎との会話は神経を削るものだったでしょうね、リアルに……。
読書
◆感情派と理論派はいつの時代も相反しますなぁ。
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