今川義元が家督を継ぎ、側近となった太原雪斎のアドバイスもあって外交方針をガラッと変更。
武田に接近すると、代わって東の北条とは険悪になりました。
そして天文6年(1537年)2月に武田信虎の娘・定恵院と今川義元が結婚。
かねてから両家の婚儀に反対していた北条氏綱は駿河に侵攻し、ついに両軍は激突します。
今川vs北条【河東の乱(かとうのらん)】の始まりです。
武田も援軍を送るのですが北条は相当に手強く……戦国ブギウギ武田三代記vol.10は、河東の乱から振り返って【信玄の初陣】に注目です!
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今川の相続に絡む武田と北条の出方は真逆【マンガ武田三代記9】
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河東の乱
◆合戦は北条の勢い強く、富士川以東の領地を今川は奪われました。
氏綱はさらに吉原城を築き、今川との対決を続けます。
一方、連合軍の一角だった上杉朝興は同年4月に病死。
その3ヶ月後、北条氏綱に河越城を落とされ、扇谷上杉はいよいよ窮地に追い込まれていきます。
静かなる反目
◆信虎に嫌われ、対立不可避になってきた信玄。
甲斐国内における武田氏の父子対決・親族争いは幾度も起きていて、他ならぬ武田信虎の父・武田信縄も信昌と対立しています。
海ノ口攻め
◆信玄の初陣は『甲陽軍鑑』に伝わる話で、残念ながら信ぴょう性は疑われています。
しかし元服(天文5年・1536年)のタイミングなどから、時期的にはこの頃であると推察。
そのまま話を進めて参りましょう。
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