北条早雲こと伊勢宗瑞(伊勢新九郎)が伊豆・相模へ進出し、息子の北条氏綱がさらに戦域を拡大。
関東の覇権を目指して北進する後北条氏に対し、旧来の勢力は四苦八苦していました。
古河公方や関東管領上杉氏などが長きにわたる内紛を続け、疲弊しきっていたからです。
しかし、ことここに至り、もはや悠長なことは言ってられない。
上杉は武田を頼り、周囲とも付いたり離れたりしながら、どうにか北条を迎え撃つ体制を整えたい。
そんな折、北条氏綱の子で、後に相模の獅子とも称される北条氏康が初陣に出向いたのです。
正確な場所は不明ながら、多摩川にほど近い場所で【小沢原の戦い】が勃発。
戦国ブギウギ武田三代記vol.7は、後の信玄ライバル・北条氏康に注目です!
◆前話を読みたい!という方は以下のリンクからご覧ください
↓
関東騒乱は終わらず~信玄最初の結婚へ向けて【マンガ武田三代記6】
続きを見る
小田原包囲網
◆今川・武田・上杉・古河公方・小弓公方・真里谷武田氏・里見氏に囲まれ、どう考えても詰んだ状態からのうっちゃり!
父親の早雲時代から房総半島の真里谷武田氏などとは親しい関係であり、氏綱はピンチを脱しました。
なお、真里谷武田氏は、ご想像通り甲斐武田氏から分かれた一族です。
嫡男
◆北条氏康は、割と早い段階から跡取りとして期待されていたようで、祖父である北条早雲も目をかけていたと伝わります。
欠点
◆清水吉政は生没年不詳ですが、伊豆郡代だった清水綱吉の弟とされます。
早雲の代から仕えていた譜代の一族で、綱吉の子とされる清水康英は後北条氏でも有力な武将の一人であり下田城主も務めていました。
それだけに清水吉政も大事な嫡男・氏康についていました。
※続きは【次のページへ】をclick!