足利氏の争いに加えて、関東管領・上杉氏の内紛等も起き、とにかくカオスだった関東騒乱。
北条家も侵出してきて混乱に拍車がかかります。
いったん北条と手を結んだ武田信虎はどうするのか?
たしかに甲斐・相模の争いが無くなれば、双方、好きな方面へ軍を進めることができますが……。
一方、上杉氏も生き残りを賭け、新たな一手に取り掛かります。
一体どんな作戦だったのか……戦国ブギウギ武田三代記vol.6のスタート!
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北条の台頭は許さん!上杉と組んで信虎が関東へ【マンガ武田三代記5】
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コイツとは無理

◆伊豆から小田原へと進出してきた北条氏綱。
武田との争いを避け、和睦を成立するため千貫文を送りました。
しかし、イケイケドンドンの氏綱はすぐさま岩付城を攻め落とし、間もなく武田との和睦も破綻します。
縁談

◆後の武田信玄vs上杉謙信が印象強いせいか。
信玄の縁談といえば、京都から迎えた三条の方(三条夫人)が頭に浮かぶかもしれませんが、実は当初、上杉家と進められたのです。
武田ルール

◆長きに渡って甲斐国内に一族が拡散しまくった結果、跡目争いも激しくなった甲斐武田氏。
信虎の祖父である武田信昌からして激しいものでした。
信昌は、嫡男の武田信縄ではなく次男の油川信恵に跡を継がそうとしてドンパチやり、いったんは信縄が継ぐのですが、その死後、今度は他ならぬ信虎が油川信恵(叔父)との抗争に発展します。
つまり信恵は二度、跡目争いをしているワケですね。
争いに買ったのは信虎で、甲斐武田15代当主に。
そんな骨肉の争いを経験したはずなのに、自分の子供の代で同様の争いを起こそうとする信虎さんってば……。
矛先ずらし

◆上杉憲房が亡くなるも、両上杉との連携を保つことにした武田信虎。
和睦の破綻した北条氏綱と再び戦い、交戦状態へ。
正しい選択

◆大永5年、武田信虎は北条氏綱と激突。
津久井城攻めでは思うような戦果は挙げられませんが、翌年、今川氏親が亡くなった後の戦いでは北条氏綱に大勝します。
勝ったり負けたりながら、やはり戦上手ではあったのでしょう。
親心

◆政略結婚後の同盟破棄――これで招かれた悲劇と言えば、他ならぬ武田家関連で数多ありますね。
信玄の嫡男・武田義信に嫁いだ今川義元の娘・嶺松院とか。
未婚のまま悲恋に終わった信長の嫡男・織田信忠と、信玄の娘・松姫とか。
とにかく信玄さんも相当です。
面会希望

◆信玄最初の結婚は、まだちょっと先の話で天文2年(1533年)のこと。
この間、信虎は信州・諏訪へ侵攻するなどして、精力的に戦争を続けています。
国内では、時に飢饉や疫病(疱瘡)が発生したりしており、領民や家臣たちの不満は少しずつ溜まっていったことでしょう。
君主の条件

◆出口が見えず押される一方だった北条との戦いで、上杉朝興の心労も凄まじいものだったでしょう。
武田晴信(信玄)との縁談は避けられない一手だったかもしれません。
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漫画:アニィ高橋
文:五十嵐利休
【参考】
柴辻俊六/平山優/黒田基樹/丸島和洋/柴裕之/鈴木将典『武田氏家臣団人名辞典』(→amazon)
武田氏研究会『武田氏年表 (信虎・信玄・勝頼)』(→amazon)
平山優/株式会社サンニチ印刷『信虎・信玄・勝頼 武田三代』(→amazon)
ほか






