武田信虎が甲斐で足場を固める頃、関東では劇的に勢力図が塗り替えられていました。
北条氏の台頭です。
伊勢宗瑞(北条早雲)の息子である北条氏綱は、偉大なる父に負けず劣らずの勇将。
敵対していた上杉朝興(扇谷上杉)は氏綱によって北へ北へと追いやられ、拠点を河越城まで移すばかりか、長く敵対していた上杉憲房(山内上杉)との和睦まで余儀なくされるほど追い詰められておりました。
そんな氏綱を牽制するため、自らの所領を増やすため、大永四年、信虎は関東へ出兵する。
戦国ブギウギ武田三代記vol.5のスタート!
◆前話を読みたい!という方は以下のリンクからご覧ください
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信虎の跡取りは信玄ではなく武田竹松だった!?【マンガ武田三代記4】
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岩付城の戦い
◆このとき18,000という大軍で出動の信虎さん、本気のようですが……。
ボクの祖父
◆上杉・武田軍は同年7月までに岩付城を攻略。
以降、この拠点は長い間、北条や上杉勢との激戦区と化して参ります。
北条氏綱~早雲の跡を継いだ名将はどうやって関東へ躍進した?55年の生涯まとめ
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母の提案
◆勝千代とは後の信玄さんです。
理屈っぽいといえば理屈っぽいですが、素直ではあるんですね。
その素直さも、学問から得たという、まことに秀才肌なタイプだったんでしょう。
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