鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第28回「名刀の主」

大江広元が、重々しく訴訟の開始を宣言します。

その内容はざっと以下の通り。

【訴訟】

誰が?:大谷太郎と次郎の兄弟

内容は?:太郎は次郎に土地を与える気がない。死んだ父の言いつけを守り、自分が譲り受けたと主張。次郎に与える気はない。しかし、次郎はそれに納得していない

訴状の内容に対し、北条時政は反論します。次郎の主張はせいぜいが口約束だ、と。

続いて三浦義澄も「太郎は強欲じゃねぇ」とフォローするような発言をするワケですが……いやいや、町内会でゴミ出しの話をしているんじゃないんだから、とツッコミたい。

三谷さんは義澄役の佐藤B作さんに“商店街のおやじ”のつもりで演じるように言ったそうです。それも納得できる風情に仕上がってます。

三浦義澄
史実の三浦義澄は頼朝幕府のオールラウンダー 鎌倉殿の13人佐藤B作

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ここで二人に反論するのが比企能員です。

北条と比企、いつもの対立かと思いきや、どうやら訴訟当事者の次郎は妻が比企一族の出のようです。

能員は、私情を挟んでいる!と突っ込まれ、小競り合いが熱くなってくると、ついには坂東武者らしく「表にでろ!」と喧嘩上等の姿勢へ。

そんな様子に北条義時梶原景時はウンザリです。

すると事態を打開するかのように、八田知家が疑念を挟む。

八田知家
史実の八田知家は大遅刻で頼朝に開き直りも~鎌倉殿の13人市原隼人

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米作りをしてきたのは次郎だ。そもそも兄弟の父は20年も前に死んでいる。

出家した三善康信も、耕作を取り仕切っていたのは次郎だと言い出します。

そんな中で安達盛長は居眠りzzz

ではなぜ、太郎は20年前もの話を今さら蒸し返したりしたのか?

鎌倉殿の交代につけ込んだのだろうと義時が分析。

あっちこっちへ話が飛ぶせいか、書記担当の中原親能は書くのが追いつかないってよ。というか「おおたに」の漢字から確認している遅さ。

「そこまで!」

さすがに我慢の限界に来たのでしょう。

景時が力強く宣言します。

続けて合議制のメンバーたちに、誼(よしみ)を重んじて便宜を図ることはやめろ、これでは評議にならないとダメ出し。便宜を省き、双方の言い分を聞いてやり直すことに……。

景時はため息をつきます。

「無駄な時でござった……」

いよいよタイトルの13人が揃ったら、いきなり出だしでつまずくアバン。

視聴者の皆様は、まさか十三人の合議制を参考にしたビジネスなんて考えていませんよね? 崩壊しますよ!

13人をモチーフにした、大河土産のお菓子などもありますが、思わず「滅びる順に食べるのか?」と突っ込んでしまいますよ。

 

側近の情報すら把握してない頼家

そして本日もナレーションが始まります。

若き鎌倉殿を補佐する十三人の御家人たち――。

父・頼朝を越えようともがく頼家は、不信感を募らせてゆく。

視聴者を代表して私の不信感もかなり高まっていますが、源頼家のイライラもいきなりMAXです。

「魂胆はわかっておる!」

荒々しい表情で叫び声を上げている。

裁きを下すのは鎌倉殿で、13人は補佐役だと? そんなものは建前。補佐役なら2~3人で足りる。よってたかって自分を除け者にするつもりだ。

と、まぁ、宿老たちに半人前扱いされることに怒りが止まりません。

北条頼時が考えすぎだと困惑し、北条時連が止めています。

どうやら頼時は直言する傾向があるようですね。時連は調和タイプ。今後、頼時は父・義時ともぶつかるかもしれません。

源頼家は、風紀を乱す者を取り締まるため、腕の立つものを選んだと言い出します。

そして時連を気遣い、誰よりも若いが臆するなと励まします。存分に暴れていいってよ。

「かしこまりました」

そう返す時連。頼家側近の中ではちょっと歳上だと語っていたのに、最年少扱いをされております。

童顔だからさ。

いや、そんなことより、側近の特徴すら把握していない頼家のヤバさが浮かび上がってきますね。

北条時房
史実の北条時連(北条時房)は隠れた名将なり 鎌倉殿の13人瀬戸康史

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一方で頼時はため息をついて不満そうです。

露骨に顔に出さないようにしないと……。

彼は非常にいい子のようで、空気読めないところがあるから、おもしろい頼時ですね!

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頼家の妹・三幡の死

北条政子はイラ立っています。

我が子が何を考えているかわからない。勝手なことばかりをする。

そう気を揉んでいると、弟の義時から“頼家側近チーム”の行動が報告されます。

道を掃除して、迷い犬の飼い主を探すなどをしているようです。当時の野犬は弓の練習台とされ、射殺されかねませんので、まぁ人道的ではありますね。

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政子はそれを聞き、かわいいことだと笑います。

とはいえ、頼家もこのまま終わるつもりはなく、6人にもっと力を与えて、自らの権力を強めたい様子。

この先どうすべきか。

景時は好きにしてもらうと放任主義であり、彼はあくまで誹り(誹謗中傷)を防ぐことに心血を注ぐようです。

政子は、聡明で誠実な景時に、頼家のことを頼むとお願いをします。

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正治元年(1199年)6月。

源頼家と政子の二女である三幡が亡くなりました。

ショックが大き過ぎたのか。乳母夫であった中原親能は出家し、そのまま鎌倉を離脱。13人のうち早くも一人が脱落してしまいます。

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政子は、頼朝が亡くなってからどのくらい経過したのか尋ね、義時が半年だというと、(頼朝が三幡を)連れて行かれたのかと言い出します。

そんなふうに考えるのはよしましょうと告げるしかない義時。

中世は迷信が強い時代ですので、下手をすれば大事になってしまいます。

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と、そこへ頼家が駆けつけます。

肝心な時にいつもいないと、思わず頼家に苦言を呈してしまう政子。

そんな母の手を執り、語りかける頼家。

頼家は妹を入内させられなかったことを残念がり、自ら朝廷との結びつきを強くすると約束します。

しかし、それは母が欲しかった言葉なのか?

大姫の時点で、政子は入内のことにもう疲れ果てていた。政略結婚の道具にすることに嫌気がさしていた。

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そういう気持ちに寄り添わず、政治のことばかりを口にする頼家。

頼家はズレてしまってます。

情理という要素を履き違えている。理屈で考えるべきどころで、感情をむき出しにする。感情を見せるなり、相手の感情に寄り添うべきところで、道理を説く。

不幸なボタンの掛け違えが起きているのです。どうして妹の死を労わる言葉が出てこないのでしょうか。

 

イケメン武士に恋する実衣(阿波局)

実衣阿波局)が琵琶を弾いています。

指導をするのはイケメン武士の結城朝光。

「首をもう少しあげて……琵琶の首を」

思わず自分の首をあげてしまう実衣にそう指示を出すと、キュンキュンしたかわいらしい表情を浮かべる彼女。

瓜を食べて、ちょっと休憩だそうです。

そんな、けしからん様子を遠くからそっと見ている夫の阿野全成は、嫉妬のあまり数珠をギリギリと握りしめる。

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実衣は姉への思いを語ります。

立派だとは思うけど、陰ながら支えてきたのは私も一緒。少しは配慮して欲しい。

そう愚痴ってから、微笑んでこう言います。

「ごめんなさい、こんな話聞きたくないでしょ」

「そんなことは」

「夫はこういう話をすると、すぐいなくなってしまうんです」

「いくらでもお相手します」

「ご迷惑ですよね、はい、おしまい」

な、なんなんだこの二人。朝光ってば、なんでこんなに聞き分けがよいのでしょうか。

実衣は何かで姉を打ち負かしたいから琵琶を始めたと語ります。朝光はそんな実衣を励ます。

そしてこう切り出してきました。

「実は……私にもひとつ、悩みが」

実衣も軽い気持ちで「あら、伺ってしまおうかしら」と言い出します。

それにしても、なんと生々しい会話の展開なのか! そりゃ全成も嫉妬しますわ。

んで、イケメン朝光の悩みとは?

 

「忠臣は二君に仕えず」

仁田忠常と二人で、雑談していた時のこと。

忠常はまだまだ若い鎌倉殿である頼家に期待を寄せるものの、朝光は側近と蹴鞠をする姿勢に失望したと語ってしまいます。

そしてもっと頼朝様に生きて欲しかった語る。

「忠臣は二君に仕えず……」

弓を射ながら、そう口にする朝光。それをじっと善児が聞いていました。

さっそく翌日、朝光は梶原景時に呼び出されます。

鎌倉殿に対する誹謗中傷を許すわけにはいかない。今の鎌倉殿を蔑み、よりにもよって頼朝様に仕えたいとは何事か。

景時にそう詰め寄られ、言葉に詰まる朝光に対し、容赦なく続けます。

唐の王燭(おうしょく)は、自ら命を絶った。

仕えるくらいなら死んだ方がマシか?

そして「不穏な動きを見せればどうなるか」を皆に知らしめ、謹慎してもらうと言い出したのです。

ちなみに「唐の」というと唐の時代かと思うかもしれませんが、昔の日本人にとっては現代人が「中国」と使うような感覚です。

中華人民共和国は20世紀に成立したのに、昔であっても「中国」と呼びますよね。

そういう感覚で、まとめて「唐」。

王燭は、春秋時代、斉の将軍です。

この王燭のことを頭の隅にでも入れておいてください。

王燭がこの言葉を言った時は、敵国・燕から広大な領地オファーを受け、自殺する前のことです。

恩賞なり栄誉なり、そうしたメリットに釣られて忠義を疎かにするようでは恥ずかしい。問題がある。王燭の言葉を引用するならば、そういう意識が根底になければなりません。

忠臣は二君に仕えず――この言葉は昨年の大河でも聞きたかった。

明治になったぞ、さあ維新政府に仕えよう!

と、幕臣たちがそう簡単にホイホイできなかったのは、こういう道徳規範が叩き込まれていたからです。

せめて渋沢栄一が眉をしかめ、苦渋の決断の末、そう言いながら自分の道を進めばよかった。

「胸がぐるぐるする!」とか「おかしれぇ!」を行動原理にしてしまうと、幼稚な青少年を見ているようで、恥ずかしい気持ちにさせられてしまったものです。

ともかく、迂闊だったと悔やむのが朝光。

実衣は謹慎中だったことに同情を寄せながら、こうきた。

「大丈夫、なんとかします。任せて」

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