大姫(源頼朝と北条政子の娘)

大姫(源頼朝と北条政子の娘)/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

頼朝と政子の娘・大姫|婚約相手を父に殺され 結婚前に夭折してしまう

2025/07/13

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、その死が印象的だった源頼朝と北条政子の娘・大姫。

史実では建久8年(1197年)7月14日が命日となります。

字面からして体格の良い女性をイメージするかもしれませんが、この「大姫」というのは「エライ人の長女」くらいの意味で、本名は不明です。

当時は「いいとこのお嬢様は本名を名乗らないもの」とされていたためで、例えば源氏物語にも「大君」という人がいたりします。

逆に、実名らしきものがわかっている女性は、元々の身分がさほど高いわけではなかったと言えますね。

いずれにせよ彼女は、ドラマだけでなく史実においても、決して幸せな一生ではなかったでしょう。

両親(主に源頼朝)によって、悲しいことばかり味わったからです。

かつては源頼朝、近年では足利直義では?とされる神護寺三像の一つ(肖像画)/wikipediaより引用

 


父親同士の争いで婚約が破談し、殺される

頼朝の長女・大姫は5歳の頃に婚約が整いました。

実際に嫁ぐのは後年になるため、この段階で、結婚が決まること自体は別に悪い話でもありません。

問題は相手でした。

源義仲(木曽義仲)の息子・源義高(木曽義高・清水冠者)だったのです。

歌川芳虎が描いた木曽義高と大姫/wikipediaより引用

こちらもドラマで詳細が描かれたように、父親同士の仲がこじれ、婚約も破談。

義仲は、頼朝の弟たち(源範頼・源義経)に討たれ、義高もまた「後顧の憂いを絶つために」と、頼朝から命を狙われることになります。

これを侍女から知った大姫は、義高を女装させ、さらにひづめに綿を巻いて足音を立てないようにした馬に乗せて逃がしたのだとか。

そんな状態で走れるんですかね……実験するわけにもいきませんが。

いずれにせよ大姫本人、もしくは周りに頭の良い女性がいたのでしょう。

しかし、娘の必死の抵抗は天に通じず、あっという間に父親にバレ、追撃によって義高はあえなく討死してしまいます。

頼朝は、さすがに大姫へは知らせなかったものの、どこからか耳に入り、以降、大姫は寝込みがちになってしまいました。

 


政子「姫にヘンな物の怪がついた!」

ここで激怒したのがやっぱりというかなんというか、北条政子です。

「義高の首を取った奴がロクデナシだから、姫にヘンな物の怪がついたに決まっています! あの者を処分してください!!」

頼朝にクレームをつけると、実際、その武士は処刑されてしまいます。

忠実に命令に従った人があまりに可哀相過ぎますよね。そんなことしてたら家臣が疑心暗鬼になって、三代で滅んでしまったりして……。

なんとも不幸な目に遭ってしまった長女ですが、さすがに征夷大将軍の娘ですからそのまま独身で通すわけにも行きません。

そこで頼朝は、自分の甥っ子である一条高能(たかよし)という公家との縁談を勧めました。

しかし、父親にこんなことをされて、そうホイホイ新しい縁談にうなずけはしません。

大姫が「無理にというなら身投げします!!」とまで言って拒否したため、さすがの頼朝も引き下がらざるを得ませんでした。

なんというか、女性の扱いに関しては義経のほうが上手そう……。

しかしこのトーチャン、まだ懲りませんでした。

 

後鳥羽天皇へ嫁がせようとしたものの

数年後、頼朝は「そろそろあの子も落ち着いてきただろう。何、最近調子が良さそうだ? よし、入内だ!」(※イメージです)と思い立ち、ときの天皇である後鳥羽天皇へ娘を送り込もうとしました。

後鳥羽天皇(後鳥羽上皇)/wikipediaより引用

断れないようにするためなのか。

今度は、政子や大姫を連れて上洛してから準備を始めるという念の入れようです。

しかも、あまり身分が高くない者も含めて、関係各方面へ贈り物をしておくという徹底振りでした。

今度は順調に行くかな……。

そう思いきや、慣れない旅先の水が合わなかったのか、大姫は入内の前に亡くなってしまいます。

たった19年、しかもその大部分は父親のせいで悲しみに暮れた人生でした。

上記の経緯からすると、もしかしたら自ら命を絶ったのかもしれませんね。

大姫の死の2年後には頼朝も謎の死を遂げ、さらに22年後には源実朝が暗殺されて源氏の直系は絶えてしまいます。

源実朝/Wikipediaより引用

もしも頼朝がはじめから公家との縁談を考えていて、それがうまく行っていたら、大姫の子供を四代将軍として迎えることも出来たかもしれません。

そう考えると頼朝の自業自得というか、因果なものです。

 


お墓もハッキリしておりませぬ

幼少の頃に整えられた縁談が親のせいで破談になった――。

というと同じような例としては武田信玄の娘・松姫なども思い起こされます。

まだ争いをしてない頃の織田家と同盟を結ぶため、信長の長男・信忠と婚約がされたのですね。

織田信忠/wikipediaより引用

二人は顔を会わせぬ頃から手紙で心を寄せ合い、そして結ばれぬままに終わってしまうという悲劇でした。

いずれにせよ大姫の場合、その後の救いもなく、ただただかわいそうでなりません。

素性が明らかな日本史上の女性としては、ワースト3に入るような悲惨な人生ではないでしょうか。お墓もハッキリしておりませんし。

一応、鎌倉の常楽寺というお寺に義高と並んで葬られているとされていますが、定かではありません。

というか亡くなってからじゃなくて、生きてる間に一緒にしてあげていればなぁ……。

常楽寺の本堂/photo by Twkz0731 wikipediaより引用

それにしても頼朝と政子の子供たちって悲惨すぎますよね。

詳しくは、以下(北条政子の生涯)記事も併せてご覧ください。

頼朝の生涯記事もありますが、子供に関しては政子のほうでマトメさせていただきました。


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【参考】
国史大辞典
渡辺保『北条政子 (人物叢書 新装版)』(→amazon
山本幸司『頼朝の天下草創 日本の歴史09 (講談社学術文庫)』(→amazon
大姫(源頼朝の娘)/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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