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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第28回「名刀の主」】
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本物の策士は表に出ない
義盛はもうノリノリ。
義村と共に、北条時政のもとへ出向くと、りく(牧の方)まで「梶原殿を引き摺り下ろせる」とワクワクしています。
こうして時政が真っ先に署名するのですが、りくの勧めで一番最後に書くことになります。ドラマクレジットのトメじゃないんだからさ。
これには比企能員も乗り気で賛成しています。
ただ、時政の名前の位置が気になるようで、義村が一番を比企に譲ったというと、一応は納得しているようです。
八田知家が飄々として、景時に話しかけてきます。
なんでも侍所が大変な騒ぎだとか。
和田義盛がはしゃいでいます。署名が大量に集まったようで、嫌われているのがあからさまになる景時。
千葉常胤は戦になるのかとワクワクしています。誉ある戦をするなら乗らない手はないってよ。
こういうわけのわからない賛同者もおり、全部で67人になったとか。
多すぎると困惑する義時。だから義村を信じるな……と、そこへ土肥実平が駆けつけ、嘆きます。
「ようやく泰平の世が来たというのに、なぜいがみあう! かようなことをして頼朝様が喜ばれると思うか!」
彼はまともでした。土肥実平は本当に善良です。裏表がない。
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すると義盛がこう凄み出した。
あんたの訴状も作ってやろうか!
うーん、どうにも訴訟が脅迫になるという段階に達したようですね。
これから先はどうなるのか?と嘆く、実平のマトモな感覚が眩しいほど。景時はそんな様子を遠目に見て去ってゆくのでした。
あらためて注目したいのは和田義盛です。
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腕っ節でどうこうすることが得意だった武士が、自分に逆らう者を黙らせる手段を知りました。
しかも知恵はない。極めて危険な兆候です。
義村が署名を大江広元に預け、鎌倉殿に披露すると北条家で報告しています。
するとりくが「失礼」と声をかけ、時政の署名部分をさっと切り取ってしまう。
時政は訴状に関与しなかったことにしたかったようです。百に一つ、鎌倉殿が景時を助けたらこちらがやられる。そう見越して紙の端に書かせたんだとか。
「大した女子じゃのう」
時政はますます惚れるし、義村はこうきた。
「あんた、やるな」
善く行くものは轍迹(てっせき)なし。『老子』
うまく進行するものはかえってあとを残さない。
そういう手段に思えます。
義村のこの口調には、りくと自分の姿勢が似ていると感じ、参考にしたいという思いも感じられるほどです。
義村は陰謀の初手を担うことが多い。
それでも憎まれない。そもそも彼が企んだことすら気づかれない。
そこが景時との違いといえる。
跡を残さず、己の重要度や関与を下げるところまで下げたうえで、大局を動かす。それが一番おいしいといえばそう。義村はそんな風に生きていたいのでしょう。
こういう策士が一番おそろしいですね。
また昨年の大河を持ち出して申し訳ありませんが、あの主人公、特に幕臣時代は何が凄いのか理解できませんでした。
俺が! 俺が! 俺が! 胸がぐるぐるする、おかしれぇ!
そういったアピールを繰り返すだけで、肝心の言動に中身がない。到底、賢いとは思えない、押し付けがましさが目立ち、まるで歩く騒音みたいな人物像でした。
本当に恐ろしい策士、できる奴とは、むしろその真逆ではないでしょうか? まさにその答えを今年に見ている気がします。
文官vs武官
義時の家では、比奈が疑問に思っています。
梶原殿はどうしてそんなに嫌われるのか?
あまり心を開かないから誤解されやすいと義時は語ります。
比奈は心配し、梶原景時の排斥にはあまり関わらないで欲しいとお願いしている。その上で、頼時には「頼家と離れず、すぐに父へ情報提供して」と釘を刺し、呆れたように付け加えます。
「それにしても坂東武者は、内輪で争うのが好きですね」
「これで終わりにしたいものだ」
そう返す義時。
しかし比奈はこう言います。
「新たな始まりでなければいいのですけれど……」
ここで比奈への答えでも。
景時は、一気に増えた訴訟の影響もあると思います。
自分の訴えが通らない御家人が「梶原が余計なことを鎌倉殿に吹き込んだんじゃねえか!」と憤った可能性があるなぁと。
そうなると単純に景時の性格が悪いとかそうは言い切れない。
ただ、諜報のようなことをして、いちいち御家人の言動監視をすれば嫌われて当然ですよね。
寒川町観光協会では「ほう・れん・そう」ができるとアピールされている梶原景時。
NHK公式コンテンツである『拝啓鎌倉殿』では、ゆきすぎた「ほう・れん・そう」が嫌われた原因とされる景時。
さまざまな要素が重なったのでしょう。
和田義盛が大江広元に署名を突きつけ、鎌倉殿に見せろ!と脅迫しています。
穏便に済ませたい広元はそれを断ろうとするも、景時がそんなに怖いのかと言い出す義盛。
恐れているのではない。
ならば今ここで返答しろ。
そんな調子で言い争いになって埒が明かない。
漢籍のエキスパートである大江広元が、義盛みたいなタイプを相手にしていると、どんな思考回路になるか?想像してみますと……。
「嗚呼、なんで我が国は文官上位が徹底していないんだ!」
と言いたげではないでしょうか。
広元が学んだ中国の政治では、文武両方がいれば文官の判断が重視されます。
武力で解決することはよろしくない。そういうルールが徹底していて、こんな風に義盛みたいな武官がゴリ押ししてきても、止める仕組みが整備されています。
鎌倉時代と同時期の中国は、南宋から元。
宋は文弱過ぎて元に滅ぼされたと指摘されますが、宋代こそ朱子学はじめ、国家を安定させる思想や仕組みが極まった時代といえるのです。
広元ならきっとそんなことをぐるぐる頭の中で回しながら、こんな武官のゴリ押しが通る仕組みを変える手段を見出そうとしているのではないでしょうか。
広元って、チートというか、異世界転生じみた人物だと思ってしまいます。
漢籍を熟読している者がまだいない鎌倉に来たら、圧倒的な知識の量でどんどん進めそう。
どっこい、そういう単純な話でもないようで、広元の悪戦苦闘は続きます。
こういうバトルも見応えありますね。
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後鳥羽上皇は何を仕掛ける?
梶原景時が北条政子と話しています。
政子が、欲得で動くわけではない景時を理解していると言うと、景時も感謝します。
その上で鎌倉殿は賢いお方だから、自分を手放すようなことはない――自らにそう言い聞かせるように言葉を続けます。
そして景時と朝光の審議が始まりました。
三善康信から「朝光の謀反はない」と言われ、あっさりと却下する頼家。
では景時は?
比企能員も北条時政も、断固たる処断をすべきだと言い出します。
「言われておるぞ平三」
「すべては鎌倉殿がお決めになること……」
義時は擁護し、義盛は煽る。
そんな中、頼家から申し開きをせよと促されます。
「この梶原平三景時、恥じ入ることは一点もござらぬ」
ここで頼家は、またしても父の悪いところを真似ます。
景時を許せば66人の御家人が黙っていない。御家人をまとめるために上総広常を斬ったことを踏まえ、景時を解任し、謹慎処分としたのです。
そのころ京都では、後鳥羽上皇が鎌倉のことを土御門通親から聞かされています。
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頼朝の死後、御家人たちが容易にまとまらないことは織り込み済み。
その上で梶原景時の器量を探っているようです。
頼朝の頃から鎌倉ではもっとも力のある御家人である――そう聞かされると、上皇の触手が伸びる。
「それほどの男なら、わが掌中に置きたい。試しにくすぐってみよ」
上皇が何かを仕掛けるようです。
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景時は京都にいた頃には和歌を学んでいました。
そうしたこともあってか、荒々しい坂東武者の中でも何か違うと高い評価を得ております。政治工作もしておりました。
しかし、後鳥羽上皇の命令はあくまで「くすぐる」こと。本気でもらいに行くつもりでもないようです。
決して表には出ない義村の陰謀
景時が、義時に別れを告げています。
過ちは過信だったと語る景時。
鎌倉殿も御家人たちも、どちらも意のままに操れると思い込み、どちらからも疎まれた。
義時はそんな相手の一日も早い復帰を願っているといい、そのために動いているとまで語りかけます。
ここで景時は、捨てる神あれば拾う神ありと、上皇からのオファーを告げてしまいます。
どうするつもりか?と義時に問われ、鎌倉ではもう先が見えたと返す。
「いてもらわねば困ります」
「それがしはもはや……」
そう花瓶に活ける枝を切っていた鋏を置く景時。洟をすすり、涙ぐんでいるのでした。
実衣が琵琶をぼんやりと弾いています。
すると、庭ではこっそりと、義村が朝光に姿を隠せと告げていました。
なんでも例のことを実衣に相談したのは、朝光の一存ということにしろと。朝光はそんなに梶原殿が憎いのかと義村に聞きます。
「別に。ただあいつにいられると、何かと話が進まないんでね」
朝光はため息をつきます。
感情を一切抜きにして、その方が己の理に叶うと誰かを血祭りに上げる――それが三浦義村ですね。
加害と被害。その動機を探るとなると、怨恨からたどることが近道に思える。
和田義盛に同じ問いかけをしたら、唾を飛ばしながらいくらでも恨みつらみを語り出すことでしょう。
でも、そうして感情に任せて誰かを害してしまうと、いざという時、即座に誰の犯行かバレてしまいます。
その点、義村は怨恨では動かない。理屈で動く。駒を動かす上で邪魔だからと相手を消す工作をする。自分はその陰謀の裏にいて表に出ない。だから尻尾すら掴めない。
三浦義村は狡猾とされ、例えばイラストではいかにも陰険そうな顔で描かれます。
◆読むらじる 三浦義村 鎌倉幕府で暗躍した御家人(→link)
でも、この作品の義村は飄々としている。
まるで「今日の朝飯、何だった? 聞いてくれよ、オレはさ……」ぐらいの感覚で、サラッとさりげなく陰謀を語る。人が死のうがそのことを冗談にすらしてしまう。
悪の境地かもしれないけれど、感動しました。タランティーノのことも思い出します。
今ではもう大御所のタランティーノは、ブレイクした時、世間にショックを与えました。
彼の映画に出てくる悪党ともは、いとも簡単にさらっと残酷なことをして、しかも楽しそうにしている。心にひっかかりもしないし、殺したことなんて明日には忘れちまう。
そういう軽妙さやユーモアとともに残酷なことが起きていく。そこが斬新だった。
タランティーノが斬新なんて2020年代に言うべきことでもないだろうけど、大河にもそういう流れはちゃんと来ているんですね。
『麒麟がくる』の織田信長は、プレゼント感覚で生首を箱詰めにしていました。それとは異なるカジュアルな残酷さが三浦義村にはあります。
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