大河ドラマ『光る君へ』でも話題になりましたが、『鎌倉殿の13人』ではそれに先立ち、戦国大河や幕末作品にはない大きな特徴がありました。
“占い”や”呪詛”の存在感です。
阿野全成が方角を占ったり、文覚が誰かを呪ったり。
挙句の果てにはこの二人、奥州・藤原秀衡の殺害を試みる呪詛対決までしている有様でした。
一方で、こんな場面もあります。
石橋山の戦い前夜、夫の源頼朝が出陣し、伊豆山権現で仏に祈りを捧げていた北条政子。
彼女は、ある疑問を感じました。
御仏が殺傷を嫌うのに、夫は戦で誰かを殺している。そんな私が、仏に祈っていいのか?
確かに仏教は殺傷を禁じています。
しかし、それを言うなら仏僧の文覚は、呪殺を進んで請け負うほどでした。
これは一体どういうことなのか?
いくら破戒僧でも報酬のために呪殺をするなどありえるのか?
寿永元年(1182年)4月26日は、文覚が源頼朝と会見をした日。
今回は、平安末期から鎌倉時代における“呪術”事情を振り返ってみましょう。

文覚と矜羯羅童子・制多迦童子(歌川国芳画)/wikipediaより引用
日本の黒魔術としての呪詛
文覚と祈祷対決をしていた阿野全成。
彼は、漢籍由来の知識を駆使しているとわかります。
筮竹(ぜいちく)を用いた易占いや風水がそれに該当していて、占いといっても当時の学術的根拠はあり、天に通じて人を幸福に導く――そんな白魔術のような役割があったのです。
RPG(ロールプレイングゲーム)という遊びがあります。
かつてはゲームブックであったものが、ファミコンの普及でゲームとして爆発的に流行り、1980年代以降、日本にも浸透しました。
それで例えるのであれば、全成は僧侶や白魔術師であり、戦いで荒んだ戦士を癒す存在です。
一方、こうしたパーティには、魔法使いや黒魔術師もいます。
癒すのではなく、攻撃する術を使う。
中世ヨーロッパを模した世界観では、キリスト教以外の宗教が「邪悪な魔術」とされていたことが、RPG系のジョブには反映されています。
昔ながらのハーブで薬を作る女性。
占いで恋の行方を占う女性。
存在自体が「邪悪である!」と怪しまれ、時には処刑までされていた。そんな歴史観が反映されています。
キリスト教圏では、キリストの教え以前の信仰は、邪悪で人を害するものとされてきました。
それを再発見し、作品に昇華させたのがJ・R・R・トールキン。
『ホビット』や『指輪物語』といった彼の作品には、キリスト教以前のヨーロッパ神話が反映されています。
このようにキリスト教圏では、キリスト教とそれ以外の信仰に区別がありました。
では、日本や中国、朝鮮半島はどうでしょう?
当然ながら、キリスト教は度外視します。
寺に詣で(仏教)、神社でおみくじを引いて(神道)、湯島天神にいく(儒教)。
仏像(仏教)と関帝像(道教)と孔子像(儒教)を家に飾る。
こんな風に複数の宗教や神々を同時に信じても全く問題はありません。
戦国時代、そんな違いを理解しない宣教師が来日します。
彼らは、布教の過程で寺社仏閣の破壊を説き、反発を招いてしまったこともありました。
東洋では、複数の宗教を同時に信じてもよい――とはいえ傾向の違いはあります。
日本における神道。
中国における道教。
このように元々存在していた宗教と比較して、仏教は迷信の度合いが低く、洗練性が高いとみなされます。
その証拠に、日本のフィクションで、妖怪退治や呪い返しをするのは、陰陽師、神主、巫女が多い。
中国のフィクションでは、キョンシーを封じ妖怪と戦うのは道士ですね。
あるいは韓国のフィクションでは、巫俗が妖怪退治を担うことが多い。
こうした歴史を踏まえて考えてみましょう。
『鎌倉殿の13人』の世界観をRPGにしたら? 全成と文覚は魔術師系のジョブになります。
全成は回復系の白魔術で、文覚は呪術系黒魔術の割合が高い。
呪詛のプロである陰陽師と比べれば、呪っているばかりではないけれども、できないわけでもありません。
前置きが長くなりました。
「黒魔術」とも呼べる「日本の呪術」を考察したいと思います。
生霊:相手の念が飛んでくる!
『鎌倉殿の13人』では、源頼朝の夢の中に後白河法皇が出てきました。
劇中で初めて登場する後白河法皇は、生身ではなく夢の中。
あやしげに光って頼朝を揺り起こし、頼朝はうなされ苦しみながら、重大なお告げであると判断している。

後白河法皇/Wikipediaより引用
あれは夢の内容を見て解析する、夢占いとは異なる、もっと生々しいもの、いわば【生き霊】の類とみなせます。
平安時代の【生霊】として有名なのが、『源氏物語』の六条御息所でしょう。
光源氏に愛されながら、彼が心変わりすると、生霊となって光源氏が愛する女性たちを苦しめる。
誰も彼もがこうした生霊となるわけでありません。
・無念、恨み、嫉妬……そうした「悪念」が送り手にある
・そして受け手がそれを察知していると具現化して苦しめられる
そんな解釈がなされてきたものといえます。
後白河法皇は、平家に苦しめられている不満がある。
源頼朝は、いまだに父の仇討ちができていないという無念の思いがある。
両者の負の感情が結びつき、何らかの形を為して、ああしたものが見える、という設定でしょう。

かつては源頼朝、近年では足利直義では?とされる神護寺三像の一つ(肖像画)/wikipediaより引用
そして文覚は、そうしたマイナスの感情を煽りながら登場してきます。
初登場時、文覚は骸骨を持ち歩いて演説をしておりました。
このままでは平家のせいで飢饉が起こり、人が死ぬ!
と、周囲を癒し安心させるどころか、不安をばら撒いていました。
頼朝に対しても、そのへんで拾った髑髏を父親のものだと焚き付け、売りつけようとしていたと明かされます。
このように、人間のマイナス感情を刺激し、ひいては社会不安を煽動させるようなやり方は邪悪そのもの。
まさしく日本の黒魔術といったところでしょう。
呪詛:血を流さない暗殺手段
『鎌倉殿の13人』では、源頼朝の挙兵に対して平清盛がこう言いました。
もはや手段は選ばない。
そう宣言されたあと、後白河法皇が文覚を呼び出し、呪詛を頼む――。
現代人からすれば非科学的で、迷信じみていますが、「厨二病かよ」と捨てるのではなく、一歩踏み込んで、なぜそうなったのかを考えてみます。
そもそも平安時代は呪詛が大流行していました。

平安京/wikipediaより引用
非常に陰険なようでいて、その背景には、彼らが流血を嫌うという理由がありました。優しさというより「穢れを嫌う」という発想もあります。
ともかく彼らは呪詛を選んだ。
坂東武者はカッとなれば簡単に人を殺す一方、京都の貴族は殺人以外の解決法に頼っていた。
もちろん暴力沙汰が皆無とは言いませんが、とりあえずワンクッションとして呪詛があります。
そして需要あれば供給あり。
貴族の呪い、その依頼を受けるプロの呪詛専門家がいました。
いわば暗殺者ですね。
陰陽師
平安時代、陰陽師がいたことは知られていますが、種類があります。
・官人陰陽師:官位を持つ有給の陰陽師。国家公務員としての陰陽師とご理解ください。
・法師陰陽師:フリーランス陰陽師。法師、すなわち仏僧の服装の者もいた。
官人陰陽師の場合、呪詛返しも業務内容に含まれ、休みを利用して副業で呪詛返しをすることもありました。
ただし、公務員でありながら呪詛を仕掛けるのはまずい。当時の呪詛は犯罪です。それゆえ自然と制御が働いた。
呪詛を手がけた官人陰陽師は、副業で犯罪に手を染める悪徳公務員なんですね。

疫病神退治をする安倍晴明/wikipediaより引用
一方、法師陰陽師は、食べていくために呪詛を引き受けることにためらいがありません。
紫式部や清少納言は、したり顔で術を行う法師陰陽師を見て「なにあれ、嫌な感じ……」と書き記しています。犯罪を請け負う胡散臭い存在だったのでしょう。
そこで文覚です。
彼はなぜ、後白河法皇から呪詛を依頼されたのか。
もちろん当人の技術や評判もあるのでしょう。
しかしそれだけでなく、彼はあの時点ではフリーランスだったと考えられます。
陰陽師ではなく、仏僧ではあるものの、朝廷からは遠い存在。しかも流刑で伊豆を放浪している。
要は、平家や朝廷の目から逃れやすかったため、指名されたとも考えられます。
呪詛となると、現代人からすれば実態不明のように思えます。
しかし当時はビジネスとして成立しましたから、身分や立場という要素も絡んでいたのでした。
呪術:教養がないとできません
呪術のスキルとは何か?
ここで考えたいことがあります。
呪いのお札を思い浮かべてください。
大体が、漢字や梵字になると思いますが、そもそもそうした文字は、知識がなければ書けませんよね?
呪術や呪術返しは、掌に文字を書いたり、お札を用います。
日本の呪文は和歌や漢詩を唱えます。
つまり、ある程度の教養と記憶力が必要でした。
坂東武者は、なぜ呪詛を好まないのか?
というと、直接的に暴力を振るう解決手段があったことも確かですが、そもそも教養が必要とされるため難易度が高かったのです。
『鎌倉殿の13人』では、上総広常が京都の連中に笑われたくないからといって、文字を練習をしているシーンがありました。
彼のような坂東武者は、呪いをかけることも、返すこともできません。
それには高度な文字が必要だったから、です。
呪いの効果はあったのか?
当時、呪詛はあった。
けれども、それが効いたかどうか、どうやって判断したのか?
結果論的に「こじつけでなんとかなった」と思われます。
例えば平清盛は熱病で亡くなっていますが、その時の様子が『平家物語』に描かれています。
発熱で部屋が熱くなり、水風呂につけると蒸発してしまう。
そんな強烈な症状が描かれていて、現代人が読めば『凄まじい誇張表現だなぁ』と思いますよね。
しかし、当時はどうでしょう。
文覚あたりが、したり顔でこんな風に言う。
「ご覧あれ、あの清盛の酷い死に様を! 南都焼討にした仏敵にふさわしい死に様ですぞ!」

高熱にうなされる平清盛/wikipediaより引用
そしてニヤリと笑う。
話を聞かされた方はどう感じるか?
思わず呪詛が効いたと考えてしまっても仕方ないとは思いませんか。
『鎌倉殿の13人』では、清盛の死後、豪華な袈裟をまとった文覚が再登場しており、彼なりの営業トークが成功した証かもしれません。
このように呪殺認定を受けた人物は、なにも平清盛一人だけではありません。
『鎌倉殿の13人』に登場する人物は、主人公の北条義時はじめ、複数名が「祟りで死んだ!」と当時は認識されております。
その条件を見てみましょう。
・権力者である
→政敵から憎まれ、標的にされるがゆえにそうした記録が残る。
・【承久の乱】に関わった
→京都の人からすれば憎い存在。せめて祟りで死んだと思いたい。
・突然の急死
→現代からすれば卒中や脳出血による死も、当時は「祟りだ!」とみなされた。
長生きし、子や孫に囲まれ、大往生を遂げる――このくらいの好条件がなければ「祟りだ!」と呼ばれる時代だったんですね。
幕末もさして変わらず
時代比較のため、幕末を考えてみましょう。
水戸藩主の徳川斉昭は厠で心臓発作を起こし急死しました。

徳川斉昭/wikipediaより引用
するとこんな噂がまことしやかに囁かれます。
「水戸藩士が【桜田門外ノ変】で井伊直弼を殺しただろう。それを恨んだ彦根藩足軽某が、庭師に化けて入り込み、刺殺したらしいぞ……」
怨念由来の陰謀論ではありますが、こちらは祟りではなく暗殺になっていて、人間の意識も進化していることがわかります。
呪詛をこじつけと片付けることは合理的に思えます。
身体的暴力を厭わない坂東武者より穏やかにすら見えるかもしれない。
しかし、本当にそうでしょうか?
自分を呪った札や髪の毛が見つかること。そんなもの標的からすればゾッとすることでしょう。
得体の知れない存在から憎しみがぶつけられれば、相当なストレスが溜まります。
現代にたとえるのであれば、SNSにおける誹謗中傷ですね。
心の傷は人の命に関わります。気にしなければOK……ではないのは昔も今も同じことです。
“末法の世”と気候変動
『鎌倉殿の13人』の舞台は「末法の世」であったとされます。
釈迦の教えが届かなくなり、世が乱れるという仏教の思想ですね。
日本では、永承7年(1052年)を末法元年とする考えがありました。
平氏と源氏が争い、武者が京都になだれ込んでくる様を見ながら、

画像はイメージです(男衾三郎絵詞/wikipediaより引用)
人々が「まさに仏様のいない末法や……」と思い込んだとしても無理ないことでしょう。
こうした思想だけでなく、科学的なアプローチもできます。
地理と気候変動です。
日本で源平合戦から鎌倉時代へ移るころ、中国でも大変動が起こっておりました。
宋王朝が滅び、元が支配するようになったのです。
モンゴルにいた元が中国まで押し寄せたのはなぜか?チンギス・カンの天才性だけでは説明できません。
実は温暖化の影響もあったとされます。
中国大陸では、気候変動が歴史を動かします。
後漢から『三国志』へ流れ込む時代は、寒冷化が進んでいました。
北方にいる民族は、寒冷化しても温暖化しても中国をめざします。
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極寒の三国志~天災が後漢を滅亡へ追い込む~そのとき曹操が詠んだ詩とは?
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寒冷化すれば食糧を求めて南下し、温暖化すれば勢いを増して南下する……。
こうした気候変動の影響は、日本でも影響した可能性はあります。
『鎌倉殿の13人』では、飢饉のために兵糧が不足する様子が描かれました。兵糧が十分に備蓄できる状況であれば、戦況が異なった可能性は考えられます。
そうした気候変動に恐れ慄く当時の人々は、科学知識がなかったため、何かに原因を託すしかなかった。
頼朝が後白河法皇の夢に登場する場面は、ユーモラスでお笑いの場面とされます。
文覚のヌメヌメとした動きも激しい祈祷も、確かに笑えました。
当時の価値観や世界観を踏まえる上でも、こうしたオカルト要素を考えてみるのも実は興味深い。
文覚はあからさまに不気味かつ、邪悪な雰囲気を漂わせていた。
人の悪意や心理につけこみ、知識や弁舌でたぶらかす。
刃をふるわずとも、誰かの心を傷つける。
そんな調子ですから、不気味で世間から憎まれても仕方ないでしょう。
実際、文覚は一度は社会的成功を得ますが、支援者を失い落魄してしまいます。まさしく因果応報ですね。
人を呪わば穴二つ――文覚からはそんな教訓が学べそうではあります。
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【参考文献】
繁田信一『呪いの都平安京: 呪詛・呪術・陰陽師』(→amazon)
他






