その後も合戦に明け暮れ、下総、上総、武蔵へと勢力を拡大していく最中、激戦のシンボル的な存在となった重要な城があります。
河越城(川越城)です。
文字通り埼玉県川越市にある平城で、日本百名城にも数えられる重要拠点。
あの太田道灌が父の太田道真と共に長禄元年(1457年)に築城したとされ、武蔵を制するための要衝となっていました。
それだけに北条氏と上杉氏が激しく奪い合い、ついには両軍が凄まじい激突を繰り広げます。
戦国ブギウギ武田三代記vl.19は【河越城の戦い】に注目だぁ!
◆前話を読みたい!という方は以下のリンクからご覧ください
↓
信玄の手痛い敗戦となった上田原の戦い マンガ武田三代記18
続きを見る
河東の行方
◆武田信虎から信玄(武田晴信)への代替わりがあり、北条家と交戦状態に陥っていた今川家。
駿河の東側を占領されたままで、いよいよ奪還に向かいます。
武田は信濃進出に全力投球であり、北条や今川に目を向ける余裕はありませんでした。
板挟み
◆この頃はまだ【甲相駿三国同盟】も無く、非常に微妙な三角関係。
そもそも信玄は、関東の上杉氏から最初の妻が輿入れしてきた経緯などもあり、とにかく複雑としか言いようがありません。
少しのキッカケで敵と味方が入れ替わる――とにかくナーバスな状況でした。
譲歩
◆もともと河越城を奪ったときの北条家当主は氏綱でしたが、既に亡くなっており、息子の北条氏康が精力的に活動していた頃のこと。
北条は今川・武田と手打ちをして、上杉や足利など関東諸勢力との対峙に集中して参ります。
※続きは【次のページへ】をclick!