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【氏康が足利上杉ぶっ倒す】
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結果オーライ
彼が【甲相駿三国同盟】の立役者だったとも言われますね。
武田が信濃へ。
今川が遠江・尾張へ。
北条が関東へ。
こうして三者の思惑は合致してわけですが、喫緊の課題は北条です。
眼前に上杉憲政や足利晴氏を中心とした関東諸勢力が結集して、まさに北条を潰さんとしているところでした。
反撃開始
◆河越城を守るのは北条綱成(つなしげ)。
北条氏綱に気に入られた勇将として知られ、その正妻は氏綱の娘であり、氏康とは義兄弟の間柄になります。
そんな綱成の籠る河越城は上杉・足利の大軍に包囲され、絶体絶命の状況でした。
河越城
◆足利晴氏が調子に乗るのも無理はありません。
彼ら連合軍の兵数、実に6.5~8万とされる一方、北条軍は綱成のもとに3千、氏康率いるのが8千ともされました。合計しても1.1万では、連合軍の数分の一しかありません。
それだけに氏康から上杉・足利へ和睦の使いが来たときも、鼻で笑ったことでしょう。
氏康は「飢えに苦しむ城兵、北条綱成の命だけはお助けください。城と領地は献上します」とへりくだった態度で上杉憲政や足利晴氏を弛緩させたと伝わります。
しかし、相模の獅子はさほどに甘いワケがなく……。
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