一時は牢に幽閉されながらも助命され、落飾した実衣は、政子と尼姉妹になりました。
政子はそんな実衣を政治上の助手、尼副将軍だと言い切ります。確かに源実朝の乳母として政治に関与してきたので、適任でしょう。
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これを祝福し、鎌倉のために尽くせと言う義時に対し、実衣は「首を刎ねると言ったくせに」と、どこか冷たい。
北条時房も言っていたとつっこんでいます。彼も傷ついていたんでしょうね。
政子は優しいので、後に引けなかった義時のことを庇います。
実衣はあっけらかんと、どっちでもいいと言い切りますが、北条家の結束が見えてきますね。
このドラマの主役は義時だけでなく、北条一族なのでしょう。
平氏でも源氏でもない、坂東武者の世を作ると目標設定したのも、今は亡き兄・三郎宗時でした。
ほのぼのとしていますが、この姿勢は北条一族以外を軽視する悪しき傾向があります。それが鎌倉幕府終焉の一因ともされますが、それはずっと先の話。
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源頼茂が内裏を燃やし
三浦義村が上半身裸で素振りをしています。
山本耕史さんは最終回までに脱ぐと宣言されておりましたので、そのノルマでしょう。
そこへ坂東武者の典型ともいえる、もみあげワイルドな長沼宗政が来ています。
なんでも火事が多いから、被災者の救援をして欲しいとか。尼将軍に頼りたいってよ。
「そんなことまで私に頼るな!」
思わず怒鳴って追い払ってしまう北条義時。こうした何気ない会話から鎌倉の空気が見えてきます。
尼将軍こと政子の仁政が評判になっている。
一方で、そういうポーズすら示さない義時は評判が下がるばかり。
義村も、義時の変化を感じています。
思えば鎌倉のレイアウトを決める際、岡崎義実の希望を聞き取り、頼朝に伝えると言っていました。
そのときの義村は「安請け合いすると後で苦労する」と釘を刺していましたが、今となってはこんな調子です。
「そんな時もあったな」
義時はそう振り返りますが、立場によって変わってしまう人はいる。政子と義時の器量の差とでも言いましょうか。
岡崎義実のような、旧知の坂東武者の意見を聞いていた義時に対し、政子は名も知らぬ民の声まで聞く。そこに器量の差が見えてくる。
そんな義時に人生最大の試練が近づいています。
そのころ都では、内裏で源頼茂が叫んでいました。
彼は源頼政の孫にあたり、源氏の端くれとして、三寅が鎌倉殿になることに異議があるとか。
しかし後鳥羽院は「知らん」と黙殺。
源氏の争いに朝廷が巻き込まれることの馬鹿馬鹿しさを藤原兼子ともども笑い飛ばしている。
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それでも、手駒の藤原秀康が内裏の方角が燃えていると指摘すると、後鳥羽院はあわてて討ち取れと命じています。
朝廷と鎌倉の命運を決める大戦、承久の乱を引き起こす火災です。
日本史で不思議と思えるのが、漢籍から色々と学んでいるようで、実際はそうでもないのか?と疑問に感じるところでして。
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その原因と結果を分析していたら、朝廷も「武士のことは武士でやれば?」とはならなかったはず。もっと統制を厳しくするでしょうし、中国では唐の次の宋朝は実際にそうしました。
日本では、乱に巻き込まれて命を落とした楊貴妃はよく取り上げられます。
帝王が女に惑うことはよろしくないということで『源氏物語』でも引かれますし、丹後局は楊貴妃にたとえられました。
ただ、武士の手足を縛ることについては無頓着に思えてなりません。
そして天の声とも言える、長澤まさみさんのナレーションへ。
収まったかに見えた義時と後鳥羽院の対立が、再び持ち上がる。
その火はどちらが焼くまで消えぬほどの勢いとなる。
決戦は近い――。
慈円に凄む後鳥羽院
内裏は焼け落ちました。
焼け残りは打ちこわして一から建て直せ! と、忌々しく指示を出す後鳥羽院。験が悪いと兼子も同意します。
しかし、途方もない額となる費用はどうする?
日本中の武士から取り立てることにすると、横から慈円が懸念を示します。
「そんなことを北条義時が認めるのか?」
「それが狙いだ」
御家人たちは断れない。しかし、義時はそれをよしとしない――そんな策を一方的に語る後鳥羽院です。
問題があるとすれば、彼が配下の者たちから諫言なりアドバイスなりを求めてないことでしょう。自身の策について相談し、摺り合せて練り上げたりしない。
藤原秀康はあっさりと素晴らしいと認めてしまいます。当惑するばかりの慈円に対し、後鳥羽院は過去の発言を持ち出します。
鎌倉は壇ノ浦に沈んだ三種の神器のうち宝剣に代わるもので大事にせよと言ったが、その鎌倉のせいで内裏が焼けた。なんとも憎々しげな表情の後鳥羽院です。
それでも慈円は、引き下がりません。
「鎌倉なしでこの日本は治まらない」
「私には日本を治められぬと申すか」
後鳥羽院に凄まれ、戸惑う慈円に対し、最後通牒のように言葉を続ける。
「私は鎌倉を決して許さん……決してな」
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もうこの時点で綻び――歴史の転換点が見えてきています。
そもそも鎌倉に、武士である御家人を統制できる政治機構が存在していること自体がおかしいでしょう。
宝剣が、持ち主ではなく自らの意思を持って主人に刃向かうとすれば、それはもはや構図としては失敗。
いったい朝廷の何が悪かったのか?
摂関政治に対抗して、上皇と天皇に権力が別れ、その決着に武士を頼った時が起点なのか?
それとも、伊豆の流人である源頼朝が、鎌倉を築き上げ、武士たちに御恩である俸禄を与えるようになったことか?
歴史の転換点は、このもっと前にあったような気もしますが、果たして……。
康信の居眠り
鎌倉に内裏再建の命令が届きます。
そんなもんは放っておけと素っ気ない義時に対し、朝廷との縁が大事だと慎重に進言する泰時。
それでも、西の顔色を窺うときは終わったと言うばかりの義時に対し、泰時は、御家人たちが西の上皇と争うことに怯えていると伝えます。
「父上は怖くないのですか?」
「私は神仏など畏れぬ」
「だから父上は人に好かれぬのです」
泰時も、思わず毒づいてしまいますが、そこで政子が宥め、北条時房が地獄から鳴り響くような風の音に気づきます。
三善康信のいびきでした。政子は寝かしておいてやれと言います。
「幸せそうな寝顔……」
そう見守る政子。確かにそうではありますが、私はちょっと恐ろしいと思いました。
思い起こせば源頼朝が無茶苦茶な経緯で挙兵したのは、当時、京都にいて誤情報を送ってきた康信の早とちりが原因でした。
あのとき頼朝は、このままでは西からくる平家にやられてしまう、そんなことになるなら立ち上がる! として挙兵したのです。
奇しくも西から危機が迫る中、前回、歴史の逆転を運命づけたこの男は居眠りをしている。時の流れは皮肉といいますか、一体どういうことなのでしょう。
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状況を鑑みた大江広元が、尼将軍に決めてもらおうと仕切ります。
政子の基本姿勢は変わりません。
このところは火事も多い。痛手を受けている御家人も百姓も多い。都を助けるのは鎌倉の立て直しが済んでからと言い切る。
政子は画期的な目線を取り入れています。民の声を聞いて見ているんですね。これができているのは政子とその後継者である泰時の特徴です。
義時も、後鳥羽院も、民を思う視点は感じられません。
評議が終わり廊下に出た義時を呼び止め、泰時が小さな観音像を返しました。頼朝が比企尼に貰い、髻に入れていた像です。
お前にやった、とまたしても素っ気ない義時。
「頼朝様を裏切った私には持つ資格はない」と言葉を重ねますが、それでも泰時は頑なな姿勢で返そうとします。
父上を必ず守るようにと、願いをかけている。この息子は、父が危ういと察知しているようです。
のえに芽生えた野心と負の感情
義時が自邸へ戻ると、のえが「おかえりなさいませ」と出迎えました。
祖父の二階堂行政も「婿殿!」と歓迎しています。
なんでも、のえの兄・伊賀光季が京都守護職に就いたとかで、贈り物が届けられたようです。
義時はそんな妻に笑顔も見せず、疲れたので先に休むとして奥に引っ込んでゆきます。
「おやすみなさいませ」
そう言うと、瞬時に作り笑顔が消えるのえ。二階堂行政は光季が京都守護職になったことに、一門を頼りにしていると上機嫌です。
しかし彼女は眼を爛々と光らせ、政村を世継ぎにしなければ意味がないと言い切ります。
太郎泰時と義時は折り合いが悪いだろ、と行政が疑問の表情を浮かべると、のえは憎々しげに吐き捨てます。
「あの親子は、ぶつかればぶつかるほど心が開く。薄気味悪い親子で、もう悠長にはしていられません」
運命に背中を急かされるようなのえですが、これは妙な理屈でもあります。
もしも義時がすぐに亡くなるような状態ならばまだしも、あまりにも先を急いでいるようだ。いくら息子の北条政村が16とはいえ、前のめり過ぎやしませんか。
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彼女の内にあるのは、野心だけではないのかもしれません。
義時が泰時の母・八重を持ち出し、比較した。そのときからのえは知ってしまったのかもしれない。
八重と、八重を母とする泰時に注がれる愛が、自分と政村に対するものとは違うことを。
のえは相手の思うことを先んじて察知して、それに従うことが人間関係のコツだと思っている。
例えば彼女は、きのこなんて好きじゃないのに、義時が贈ってきたら喜んでみせた。嘘をついてでも相手が喜ぶならそれでいい、それが賢い立ち回りだと信じています。
泰時と初の関係と比べてみると鮮明です。
初はきのこなんていらないと突き返し、泰時は傷ついて落ち込んでしまった。
義時とのえ。
泰時と初。
どちらがよい関係か。
言うまでもなく、素直に感情をぶつけ合っている、泰時と初の方が健全でしょう。
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八重と義時。
泰時と義時。
この関係も感情をぶつけあう仲です。八重なんてどんぐりをぶつけたことだってある。
しかし、本音をこめて語り合うよさがのえにはわからない。
これは藤原秀康と後鳥羽院の関係もそうでしょう。
意見をぶつけ合って研ぐことがなく、そんな調子ではどんな名刀だって錆びついてしまいます。
ともかくこの場面では、のえの鬼女そのものの顔が凄まじかった。般若面とはきっとこういう顔を映し取ったのだろうと思いました。
ただ単に顔が怖いのではなく、ふつふつと沸き上がる恨みつらみ、そして決意。これを晴らすためにはどんな悪事だってやる。
しかし怖いだけでなく美しさもある。この顔ができるからこそ、菊地凛子さんが配役されたのでしょう。
まさに毒のある花で、あの表情は多くの視聴者の心にも刻まれたのではないでしょうか。
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