源平・鎌倉・室町

平家討伐のため最初に立ち上がった源頼政の生涯~以仁王と共に挙兵した老将が熱い

1180年6月20日(治承4年5月26日)は源頼政の命日です。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも品川徹さんが演じていたのを覚えていらっしゃるでしょうか?

以仁王の挙兵と共に名を挙げ、そしてあっという間に亡くなってしまうため「名前ぐらいは……」という印象の方も多いかもしれません。

しかし、頼政の事績を見れば、源氏として従三位にまで叙せられ、待望の公卿昇進を果たし「源三位」と称される程の出世と共に、歌人としても名高く、風雅を知る人物でもありました。

平清盛に重用されながら、七十を超えて挙兵するのですから、なかなかエネルギッシュで個性的な方でもあります。

普段はあまり注目されない。されど、その最期は人々の心を揺さぶる。

源頼政の生涯を振り返ってみましょう。

源頼政/wikipediaより引用

 


摂津源氏に生まれる

源頼政は長治元年(1104年)生まれとされています。

幼年期から青年期まで、どのような人生を送ってきていたか。

その点は不明であり、父・仲政のもとで活躍していたとされます。

当時の武士はいかにして朝廷に取り入り、役目を果たすか、そのことが重要であり、平清盛の祖父である平正盛が代表格です。

平正盛/国立国会図書館蔵

仲政の活動時期はこの正盛と子・平忠盛の時代に重なっています。

歌を詠み、宮中に接近し、護衛を務め上げる――そんな武士の世界で、仲政は資料が乏しい人物です。

しかもその資料にしても、武人というより歌人として取り上げられていて、歌を詠み、風雅を愛することで中央に近づき、権力を得る姿が描かれています。

仲政にとってライバルにあたる平忠盛も同様。

そんな父から家督を継いだ頼政は、鳥羽天皇とその寵愛を受ける藤原得子(美福門院)に信頼されるようになりました。

鳥羽天皇(鳥羽上皇・法皇)/wikipediaより引用

ただし、武士はあくまで武士。

ひとたび世が乱れれば、弓矢を持たねばなりません。

そして【保元・平治の乱】で源頼政は名を挙げていくのです。

 


保元・平治の乱では勝者につく

鳥羽院政末期――後白河天皇崇徳上皇が対立して【保元の乱】が起きます。

このとき平清盛や源義朝らと同じく、源頼政も後白河天皇側につき、勝利をおさめました。

保元の乱を経て、摂関政治が崩壊してゆく中で、大きく勢力を伸ばした武士は平清盛と源義朝です。

そして次第に、この源平両雄は差が開いていきます。

複雑なのが、頼政の立ち位置でしょう。

源氏であるからには、河内源氏の源義朝に親和性はある。

とはいえ、美福門院および彼女が支持する二条天皇にも近い。

そんな状況で迎えた平治元年(1159年)12月、源義朝は、平清盛の熊野参詣中を狙って挙兵。

権力者である親西を殺し【平治の乱】が幕を開けました。

源義朝/国立国会図書館蔵

頼政は、はじめこそ義朝についていたものの、その後は独自行動へ。

清盛側が二条天皇を確保したからには、そちらにつくほうが意義があります。

義朝から清盛へ回る頼政を「寝返ったか!」と『平治物語』では描かれていますが、どこに焦点を置くかで見方は変わってくるでしょう。

美福門院および二条天皇に忠誠を誓うのであれば、理解できる行動となる。

そして、この乱において頼政は源氏でありながら勝者となりました。

義朝とその子の源義平が殺され、三男・源頼朝が流罪となる中、頼政は勝利をおさめ、同時に平清盛からの信頼も得ました。

昇殿をゆるされ、歌人としても名高い。

平家一門とも親しく、源氏の長老として振る舞う。

見事な処世といえました。

 


洗練され、歌人としても名高く

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、北条時政が京都で大番役を務めていた場面があります。

ここでの描写が、源頼政との違いをうまく表現していました。

伊豆からやってきた素朴な時政は、野菜を頼政に届ける。

北条時政/wikipediaより引用

当時の伊豆では野菜がご馳走。今も、トイレの跡から野菜の種が大量に出てくるほどです。

しかし、平氏とも繋がり洗練されていた頼政からすれば、戸惑うほど田舎じみた土産でしかありません。

大っぴらに喜ぶこともなく、とりあえず受け取り、美味しかったとあとで礼を寄越します。

当然、時政は不満気でしたが、その後、堤信遠が登場したときと比べて、頼政はかなり大人な対応だったことがわかります。

堤信遠は時政から受け取った野菜を踏み潰すだけでなく、顔面になすりつけるという禍々しい姿を見せたのです。

同じ武士でも坂東と京都における気質の違いが見て取れますね。

とにかく源頼政は洗練された人物だったことは、女性との関係からも浮かんできます。

『頼政集』には、名も知れぬ女性への贈答歌が多数収録されているのですが、洗練された彼の作品からは、細やかで雅な姿が見えてくるようです。

しかし、そんな彼がなぜ、以仁王の挙兵に賛同することとなったのか?

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