吉原のシリアスな面が描かれた序盤に反し、舞台が狂歌に映ってから急に「馬鹿馬鹿しいシーン」が増えてきた大河ドラマ『べらぼう』。
狂歌の何がおかしいって、既に名前からぶっ飛んでいますよね。
例えば声優の水樹奈々さんが演じる知恵内子もその一人。
「ちえのないし」と読むその名前、当然、本名じゃないよね……とはお気づきかもしれませんが、それにしたって劇中では「屁!屁!」と連呼し、下ネタの狂歌を詠みあげているんですからわけがわかりません。
いったい彼女は何者なのか?
実は知恵内子の存在自体が江戸時代、ひいては日本の文化にとって大きな存在とも言えます。
文化4年(1807年)6月20日は彼女の命日。

知恵内子/国立国会図書館蔵
その生涯と事績を振り返ってみましょう。
癖があまりに強い狂歌師の「狂名」
知恵内子(ちえのないし)という名前は一体なんなんだ?
意味は読んで字のごとく「知恵がない」、つまりは愚かであるという意味だとすれば、一体どういう了見でぇ!と突っ込みたくもなるでしょう。
これぞ狂歌師ならではのセンスです。
彼らは「狂名」として、どれだけアホな名乗りができるか、そこを重視していました。
夫からして元木網(もとのもくあみ)――これまた“元の木阿弥”、せっかくのものが元通りに戻ってしまう状態ですね。

元木網/国立国会図書館蔵
太田南畝の狂歌師としての名乗りは四方赤良(よものあから)でして、“四方”の酒を飲んで顔が「赤ら」んだという意味。
フザけきっていますが、それもそのはず。
狂歌師たちは「痴者」を自称していました。自らアホだと名乗っていたわけで、ならばペンネームもアホであればあるほど、むしろ評価されるのでした。
しかし、そこには教養がある
もう少し、ペンネームについて説明申し上げますと……「知恵内子」という名乗りを読み、そのまま受け取ったらそれはそれで無粋となります。
この名は女官の官位である「典侍」(ないし)と掛けていることも読み解ける。
つまりは、知恵がないと言いながらも教養を感じさせる粋なネーミング。それほど優れた女性があえて愚かな名乗りをするところに、センスを感じるわけです。
知恵内子と元木網夫妻の娘は幾地内子(いくじないし)です。
あるいは
ひまの内子
世話内子
という女流狂歌師もいて「江戸の三内子」と称されたようです。
では彼女の元の名前は?というと「内田すめ」あるいは「通」とされています。
江戸時代の女性名は二音節がほとんどであり、『べらぼう』の町人女性たちも「ふじ」「いね」「りつ」ですね。

武士や上流階級では、この下に「子」をつけることがあります。
将軍に仕える女性として「鶴子」が登場しており、徳川家治は彼女のことを「子」を抜いて「鶴」と呼んでいました。
大奥女中となるとこれにはあてはまらず「高岳(たかおか)」などがいます。
吉原女郎は「花の井」や「うつせみ」と三音節以上ですね。まだ客を取らない禿(かむろ)の時点で、こちらも「あざみ」や「あやめ」などの三音節。
二音節以下だと地女(じおんな・一般人女性)のようだと思われてしまうからでしょう。
「ちえの ないし」という名乗りも、しょうもない人物のようで実際は文人としての誇りあるものだと伝わってきます。
夫婦そろって狂歌を楽しむ
知恵内子は武蔵国川越小ケ谷の出身とされています。
夫の元木網は享保9年(1724年)生まれで武蔵国杉山の出。現在でいえば、東京近郊出身の妻と、横浜市出身の夫となりますね。
この夫にあたる大野屋喜三郎は、京橋北紺屋町で湯屋を営んでいました。
『べらぼう』でも第3回の時点で、大野屋喜三郎として登場。
このときの彼は、蔦重の作った『一目千本』を大喜びで受け取っていたものですが、その時点でただの湯屋主人だけでなく、センス抜群かつ人脈もあったということではないでしょうか。
ドラマの序盤で蔦重が手掛けた出版物は、江戸の女性たちの話題もさらっておりました。
口コミ効果を拡散するうえで、女性のネットワークも取り込まれているのであれば実に自然なこと。
大野屋喜三郎の妻も蔦重の出版物を手にして「いいじゃないの!」と言っていたとすればどうでしょう。
夫妻は気が合い、湯屋を営むころから夫婦揃って同じ趣味を楽しみ、唐衣橘洲(からごろも きっしゅう)宅の狂歌合に参加。

唐衣橘洲/国立国会図書館蔵
彼らが狂歌仲間に口コミを広げれば、江戸にどんどん広まるというわけです。
肝心の女房がいなけりゃ
知恵内子はしばしば「元木網の妻」という紹介だけで済まされることがあります。
はたしてそれが当時の実際の姿として正しかったのかどうか。
狂歌仲間であった平秩東作の狂歌にはこうあります。
肝心の知恵内子は お留守にて
亭主馬鹿になり給ふかな
やれやれ、肝心の女房がいなけりゃ、亭主は気の利いた歌もひねれねえよ……と、苦笑する狂歌仲間の姿が見えてくるようではありませんか。
当時をする人からすれば、元木網こそ知恵内子の夫としてやっていけてるとみなされてもおかしくはないのです。
こうした揃って狂歌を詠む夫婦は、当時の江戸にはみられました。
朱楽菅江と節松嫁嫁(ふしまつのかか)も有名です。
そして「蔦唐丸」として狂歌に参加する蔦屋重三郎の妻(劇中では橋本愛さん演じる“てい”)も、赤染衛門をもじって「垢染衛門」と名乗る狂歌師でした。

『やすらはで寝なましものを 小夜ふけて かたふく迄の月を見しかな』月岡芳年『月百姿』/wikipediaより引用
狂歌師たちは身分も性別も捨て去り、「痴者」として詠み合うことで理解し合います。
大名から町人、男も女も関係なくひたすら楽しむ――そんな時代を超越した空間が存在しました。
狂歌は学ぶ価値がないのか?
『光る君へ』では、平安中期の女性文人たちが描かれておりました。
宮中に生きる女性たちは、主役のまひろ(紫式部)をはじめ、さまざまな思いを書き記していたものです。
時代が下り、乱世が終わった江戸中期となりますと、女性たちも筆を手に取り、書き記す時代が到来します。
すると、こんな疑問が芽生えてきませんか?
『光る君へ』の女性文人たちは名を残し、教科書にも掲載されている。
一方で、江戸中期の女性文人はなぜそうなっていないのか。
狂歌という文芸の特質もあるのでしょう。
その本質は滑稽なパロディであり、『べらぼう』でも第14回で示されていました。
名物である吉原忘八たちの趣味会合です。
このとき「和歌の会」が開かれ、百人一首を元にしたパロディを使い、面白おかしく会話をこなしていたものです。
あのようなくだらない作品は果たして記録するに値するものなのか――。
現代で例えるならSNSでのハッシュタグ遊びのようなもので、いちいちログに残す必要性を当時の人々も感じませんでした。

しかし、それが徐々に記録されるようになり、現代人が読んでも苦笑してしまうようなものが残されているわけです。
ただし、当時の風習や世相を批判しているため、元ネタを知らなければ笑えない。結果、パッとわかるのが、下ネタやどうしようもないネタとなってしまう。
『べらぼう』の番宣動画で「屁! 屁!」としょうもないことを言いながら踊っているのは、いかにくだらないか示すという意味では効率的でした。
かといって、そんな下ネタを教科書には載せられないでしょう。
江戸中期の狂歌師は、かくして「学ぶ価値がない」と見なされるようになりました。
男女そろってインフルエンサーとなる近世都市・江戸
しかし、です。
アホな狂歌を詠んでいた彼ら彼女たちは、無駄なパリピだったのでしょうか。
いいえ、決してそうとは言い切れないでしょう。
彼女のような女性狂歌師は、当時の女性の日常を反映させた作品もあります。それが記録されているからこそ、当時の暮らしぶりもわかる。
そして今後の『べらぼう』の展開も大きく動くと予測できます。
蔦屋重三郎は江戸っ子の需要に聡い人物です。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
しょうもない狂歌はその場で詠んだきりで、振り返ることもないしょうもないものとされていましたが、そこに需要を見出し秀作を集め、狂歌師で細見を作り、売り出そうとするのです。
現状、ドラマの中で蔦重と【地本問屋】は手打ちができておりません。この状況をどうするのか。
狂歌の会において、蔦重の隣には「垢染衛門」として妻のていが座ることになりますが、ここが重要なポイントになってくるのでは?
地本問屋と手打ちができずに苦戦している蔦重。
そんな彼が書店の娘を妻とし、共に狂歌に参加するとなれば、事態が大きく動くことが予測されます。
ドラマ序盤のヒロイン瀬川だって、むろん蔦重には重要でした。二人は本で結びついておりました。
妻の“てい”も、共に文学と出版を通して結ばれてゆくのでしょう。
女性の識字率が高まる江戸
『光る君へ』では、まひろが幼い少女に文字の読み書きを教える場面が出て来ました。
時代がくだるとともに、女性にも識字能力は徐々に広まってゆきます。
儒教規範のある武士では「男女七歳にして席を同じうせず」とされ、男女が揃って学ぶことはまずありません。
北東アジアでは男女が文学を語り合う場として、遊郭があったことも重要でしょう。
科挙のある国では、受験会場である貢院の近くの遊郭では、詩を詠みこなす妓女がいたものでした。
日本の吉原の女郎も、当初、最高位は技芸に秀でた者に対する尊称「太夫」で呼ばれたものです。それほど芸に長けていました。
こうした上流層や特殊な職業以外の女性の識字率はどうだったのか。
知恵内子は、それに対し一つの答えを見せてくる人物といえます。
江戸の街では男女双方が家の管理経営をこなしているからこそ、読み書き算盤を身につける。そして余裕ができれば趣味に勤しむ。
そんな日本人女性の生活向上ぶりを示しているのです。
この女性の識字率向上は、当然のことながら蔦重が手掛ける出版業とも関係があります。
彼が世を去ったあとの江戸後期、地本問屋たちは女性向きの出版物にも目をつけます。
そして遅咲きブレイクを果たしたのが、山東京伝の弟である山東京山でした。
『朧月猫の草紙』は猫を擬人化し、甘ったるい恋物語を繰り広げる作品。歌川国芳の挿絵が愛くるしく、少女小説や少女漫画の祖のような展開です。
山東京山は女性向けの作品で着実にヒットを重ねてゆきました。

流行猫の戯『道行 猫柳婬月影』文:山東京山/画:歌川国芳/wikipediaより引用
幕末に来日した外国人は、江戸近郊の女性が何気なく読書する姿を見て驚きます。
上流階級のレディならば理解できるが、この国では使用人の女性でも文字を読めるのか――そう目を丸くしたのです。
幕末期における日本の識字率は過大評価され、地域や階層による差を考慮していないとも指摘されます。
しかしそうはいっても、中流以下の女性が読み書きをできることは実に驚異的なこと。
この姿も、蔦重たちが書を以て世を耕した結果だとすれば、なんとも素晴らしいことではありませんか。
知恵内子のような女性も、実は日本文化の象徴といえるのです。
書を以て世を耕し、花を咲かせる
知恵内子は、確かに『光る君へ』の女性文人たちの先を生きていたと思える点がいくつもあります。
夫と共に活動し、仲間から認められていたが一つ。
そしてもう一つは彼女の没年が文化4年(1807年)6月20日であるとわかっていることです。
『光る君へ』の最終回を思い出してみましょう。
まひろこと紫式部は死の状況すら不明であるため、異例の終わり方を迎えました。『源氏物語』ほどの作者であっても、当時の女性文人はどう亡くなったのか記録が残されていません。
しかし知恵内子は、娘婿、それから孫婿のもとで暮らし、穏やかに亡くなったことがわかるのです。
字の読み書きができ、己の考えを残すようになった女性の人生がそこにはあります。

『六玉川 檮衣の玉川』喜多川歌麿/MFABostonより引用(→link)
さらにもうひとつ、蔦重の蒔いた種から芽吹く花もあります。
【寛政の改革】で洒落本や黄表紙が売れなくなった蔦重は、抜け目なく書物問屋の株を取得し、国学の書籍刊行も手掛けました。
こうした書物を手にして国を憂い、思想にめざめた女性たちも幕末には登場します。
【安政の大獄】で獄死した梁川星巌には、同じ志を持つ妻・紅蘭がいました。儒学を学び、漢詩を詠み、国を憂いていたのです。
信濃の農家の妻であった松尾多勢子は、51歳で上洛し、尊皇攘夷思想を掲げた志士として活躍しています。
書を以て世を耕せば、女性も花開いてゆくのです。
『べらぼう』は江戸中期という大河初の時代を扱うだけでなく、登場人物の女性比率が高いドラマです。
しかも、ただそこに居るだけでなく、出番や発言する時間も長い。それは何も「ポリコレ」の配慮といったものではありません。
より正確に偏見抜きに歴史と向き合うとなれば、必然の流れと言えるのでしょう。
知恵内子は、読み書きを習得し、日本の歴史を変えてきた、そんな女性の一人。このドラマにふさわしい素晴らしい人物だと思えるのです。
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【参考文献】
揖斐高『江戸の文人サロン: 知識人と芸術家たち』(→amazon)
沓掛良彦『大田南畝:詩は詩佛書は米庵に狂歌おれ (ミネルヴァ日本評伝選)』(→amazon)
佐藤要人・藤原千恵子『図説浮世絵に見る江戸っ子の一生』(→amazon)
他





