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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」】
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ばかにするな! そんな卑怯者は坂東にいない!
「御家人たちの心を打つものにしてくださいね」
政子が大江広元をスピーチライターにして、演説用の原稿を作成しています。
これはあくまで朝廷と坂東武者の戦である。鎌倉が危ないと訴える。そのほうが心に響くと広元が言うと……。
「なんでもいいから。時がないの、急いで」
「かしこまりました」
御家人たちが集まっています。義時がその前に立ち、自身の去就を告げようとすると、廊下から政子の声が響いてきました。
「待ちなさい」
政子は鎌倉で一番上にいるのはこの私だと宣言し、義時をさがらせます。
ざわつく御家人に対しては、時房が「尼将軍のお言葉だ」として静まるよう訴える。
紫色の頭巾をかぶり、威厳を見せる政子。
それに打たれたように御家人たちは静まり、各々の顔には緊張感が走ります。
「私が皆にこうして話をするのがこれが最初で最後です。源頼朝様が朝敵を討ち果たし、関東を治めてこのかた、その恩は山よりも高く、海よりも……」
スラスラと読み始めたかと思ったら、政子がスピーチを止めてしまいます。そして手にした原稿を実衣に渡してしまう。
いったい何事か?
「本当のことを申します。上皇様が狙っているのは鎌倉ではない。ここにいる執権義時の首です。首さえ差し出せば兵を収めると院宣には書かれています。そして義時は己の首を差し出そうとしました」
「姉上、もういい」
「よくありません。私は今尼将軍としてしゃべっているのです。口を挟むな!」
強い決意の込められた政子の言葉。弟をピシャリと黙らせ、さらにスピーチを続けます。
「鎌倉が守られるのであれば、命を捨てようとこの人は言った。あなたたちのために犠牲になろうと決めた。もちろん私は反対しました。しかしその思いは変えられなかった。ここでみなさんに聞きたいの。あなたがたは本当にそれでよいのですか? 確かに執権を憎むものが多いことは私も知っています。彼はそれだけのことをしてきた。でもね、この人は生真面目なの。すべてこの鎌倉のために投げ打ち、一度たりとも私欲に走ったことはありません!」
「それは私も知っています」
実衣も横から同意します。
「鎌倉始まって以来の危機を前にして選ぶ道は二つ! 上皇様に従って未来永劫、西の言いなりになるか? 戦って坂東武者の世をつくるか! ならば答えは決まっています。速やかに上皇様を惑わす奸賊どもを討ち果たし、三代にわたる源氏の遺跡(ゆいせき)を守り抜くのです! 頼朝様の恩に今こそ応えるのです! 向こうはあなたたちが戦を避けるために執権の首を差し出すと思ってる。ばかにするな! そんな卑怯者はこの坂東に一人もいない! そのことを上皇様に思い知らせてやりましょう!」
「オー!」
「ただし敵は官軍。厳しい戦いになります。上皇様につきたいという者があれば止めることはしません」
政子の言葉にうっとりとしている広元。微かに涙ぐみ、完敗を噛み締めているような義村。
「そのようなものがここにいるはずがございません!」
泰時が言い切ります。
「今こそ一致団結し、尼将軍をお守りし、執権殿のもと敵を打ち払う。ここにいるものは皆、その思いでいるはずです!」
涙をこぼす義時。
立ち上がり、そう叫ぶ泰時。
「ちがうか!」
「その通りだ!」
そう盛り上がる御家人たち。泰時は義時の前に頭を下げ、こう言います。
「執権殿、これが上皇様への我らの答えです」
義時は潤んだ目で政子を見返します。政子も潤んだ目で微笑んでいます。
ここで義時はやっと深く息をつきました。
天命に呑まれていた男は、やっと息ができるようになったようです。
MVP:北条政子
三浦義村を演じる山本耕史さんが、このドラマで演じたいと語った役が北条政子でした。
そもそも女性なのになぜ?
その答えがわかりました。
シェイクスピアの『ヘンリー五世』には「聖クリスピンの祭日の演説」というものがあります。
この中に出てくる”a band of brothers”(幸運なる兄弟団)はドラマのタイトルとして日本でもおなじみですね。
これがイギリス人にとってはものすごく特別でして。
百年戦争はイギリスとフランスにとっては愛国心を刺激するものでもあります。
フランスならばおなじみのジャンヌ・ダルク。そしてイギリス人はこのヘンリー5世の「聖クリスピンの祭日の演説」が愛国心の象徴です。ヘンリー5世でなく、考えたのはシェイクスピアですが。
イギリス人の役者ならば、舞台でどうしても一度は読みたいこの演説。
それに匹敵するものが何かといえば、この政子の演説といえる。
そこを踏まえると、そりゃ山本耕史さんだって演じたくなることでしょう。
禍々しい鎌倉がなぜ大河の舞台になったのか?シェイクスピアから考察
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古今東西、歴史的な名演説やフレーズはあります。
例えばこちら。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」
※燕や雀に大きな鳥の志はわからん! お前ら如き小物に俺の大きな夢はわからないだろう!
しかし、日本史だといまひとつ思い浮かばない。
その例外がこの政子の演説なのですが、悪条件が重なっておりまして。
・上皇を倒す朝敵宣言であり、皇国史観からすれば讃えられない
・女のジェンダーロールをはみ出している
・女が武士の世の初期にいて、将軍として振る舞うっていうのは……
・北条政子がフィクションの題材にそこまで頻繁にならない
などなど、不都合な史実ゆえに過小評価されていたと思えます。
それでも消えなかったのだから、実に素晴らしい。
これを実に堂々と見事に演じ切ったのですから、そりゃ小池栄子さんは羨ましがられることでしょうね。
いいなあ、俺も演じたいよ! 演説したい! そう熱望される。
で、ヘンリー5世と違って女性の演説だからこそ、21世紀ともなればそれこそ世界からますます注目を集めますね。
アジアでは、男尊女卑が厳しいと思われています。それはそうだけども、中世だったら割と地域差はない。
むしろ東洋ならではの女性統治が発揮されていることもあり、かつてアジアにも女性君主がいるという認識は広まっています。
中国の武則天。
韓国の善徳女王。
じゃあ日本は?
となるとこれが空白でして、ドラマも放送されないし、ゲーム『シヴィライゼーション』でも実装されていない。
その空白に、なんとしても北条政子を選んでいただかねばならない、世界に通用する政子は急務だと考えていました。
そしてこの演説、これ以上何も望むものはないと思うほどでした。
絶対に素晴らしいものになると信じてはいた。それを上回ってきた。全てがただただ完璧で、何も言えないほど見事でした。
日本の「聖クリスピンの祭日の演説」は北条政子の演説だぞ。そう言い切ることができるのは、実に素晴らしいことです。
この演説は大河の歴史をぐっと前に推し進めたのではないでしょうか。
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総評
歴史を学ぶ意義――時代劇の醍醐味は何か?というと、人間そのもの、日本史そのものを問い直すことにつながることだと思います。
そういう歴史劇の旨味がぎっちり詰まった今年の大河は素晴らしい。
今年の大河を見ていると、福沢諭吉が嘆いた意味が理解できてきます。
福沢は江戸城無血開城が納得できず、勝海舟や榎本武揚に『痩せ我慢の説』で喧嘩をふっかけています。
戦争はそりゃよくないよ、うん。でも、ああもぬけぬけと降伏したことで武士の魂はもうなくなったね、恥だね、笑いもんだね!――そう嘆いたのです。
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福沢は『どうする家康』で描かれるであろう三河武士が好きであり、さらに遡った坂東武者にも共感したのではないでしょうか。
今回は武士の忠義が育ち、綺麗な花を咲かせたことを確認する回です。
このドラマでの頼朝は、今後は忠義が必要になると説いていました。
そうして頼朝が蒔いた種子が育ち花を咲かせたからこそ、政子の言葉が慈雨のように降り注ぎ応じた。そういう局面に見えたのです。
あの演説は政子が義時を庇っていました。
義時が生真面目とか、私欲がないとか。
しかし、割とどうでもいいんじゃないかと私は思いました。
大事なのは政子の圧倒的カリスマもそうですが、誇りを刺激したことがやはり大きいと感じたのです。
ともかく守るべきものがあれば守る。それがかっこいいんだ。そう政子が率先垂範するから、御家人もしびれてしまう。
そしてこの構図は、江戸幕府崩壊を反転させたように思えるのです。
幕末には武士の倫理は完成しているので、徳川慶喜がどれだけ人間的に崇敬できなくても、将軍を守るために武士は従います。
さきほど日本史には鼓舞する演説が少ないと書きましたが、実は徳川慶喜は、鳥羽・伏見の戦いの前、名演説をしています。
憎き薩摩相手に戦え、ともかく戦え、私もそうする!
戦えともかく戦え、私もそうする!
そう鼓舞して家臣たちを奮い立たせたのですが、実際は詐欺同然のスピーチでした。
慶喜は、自分だけ愛妾を連れて大坂から軍艦に乗ると、さっさと江戸へ戻って引きこもり、戊辰戦争で国が無茶苦茶になる中、静かに息を潜めていたわけです。
福沢らの幕臣や、山川浩ら佐幕藩士が「もう武士は終わったわ!」と嘆いてしまう悲惨な堕落を、よりにもよって将軍がやらかした。
結果、日本人は何かを永久に失ってしまった。
もしも真摯な名演説があって、団結して、西の言いなりにならないと将軍以下武士が一致団結していたら、歴史は違っていたのかもしれない。
鎌倉幕府と江戸幕府の危機を分けたものは魂ではなかったか?
そう思えてくるのです。
三谷さんのくせなのか、私がとらわれているのか、わからなくなってくるのですが、『真田丸』の最終回でも幕末を思わせる仕掛けがあって、歴史の連続性を感じてしまいます。
三谷さんは、次の大河はもっと遡った時代にしたいそうなのですが、もう一度、幕末明治に挑戦していただきたい。
歴史好きとして知られる彼は、どの時代もまんべんなく好きなようでいて、幕末には何かこだわりがあるように思えるのです。
承久の乱を描いているけれども、同時に江戸幕府が滅亡しないIFシナリオを展開していると申しましょうか。
三谷さんは日本人が失った武士の持つ何かをドラマの中に甦らせる――そんな終わりのない作業を繰り返しているようにも思えます。
このドラマは素晴らしい。何もかもが素敵だ。
それなのに、何かを喪失してしまった寂しさもふっと感じてしまう。
その苦い虚しさが、さらにこの作品を忘れがたいものにしています。
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※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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文:武者震之助(note)
絵:小久ヒロ
【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト