鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第47回「ある朝敵、ある演説」

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泰時に直訴する御家人たち

義時が、観音像をじっと眺めています。

神頼みなんて捨てたようで、実際はそう割り切れたものではないのか。あるいは我が子の愛を感じているのか。

そのころ泰時は、初と時房と共に酒を飲んでいました。

父はこのところ御家人に厳しすぎると嘆く泰時。

初はさりげなく、泰時のやけ酒をあおりたい手を止めています。

本当に素敵な女性ですね。デレデレとお酌をするだけでなく、飲み過ぎを止める女も見たい。これぞ賢妻ですね。

二人は、義時の欠点を語り合っています。

頼朝様と違って愛嬌がないから厳しさがより際立ってしまう。愛嬌は大事だ!

そんな風に愛嬌たっぷりの時房が語ると説得力があります。

初が、この人も愛嬌がないと夫のことを指摘し、叔父上には愛嬌があると泰時が真剣に言うと……。

「あるんだよ、それが!」

って、笑う時房は、愛嬌の達人ですね。父・時政に似ています。

トキューサのかわいらしさだけで延々と語れますもんね。初が、泰時に見習うよう語りかけています。

時房はとにかくこれから兄上を支えていくしかないと腹を決めています。

この軽やかさ。重大な決意をさらりと言える軽妙さが愛嬌を生んでいるのでしょう。まさに瀬戸康史さんならではの役です。

その時房は義時に提案します。

内裏修理の取り立てに応じないと、御家人たちの腹が座らない。

「上皇様と揉めたくねえ」

あの長沼宗政はじめ複数の御家人たちが泰時に訴えています。

上皇様に応じたいなら好きにすればいいと泰時が答えると、それはそれで嫌なのだと。

「体良く放り出されるようなものじゃねえか。そういうことは執権殿が上皇様に話をつけないと困る」

泰時が困っていると、執権殿が駄目ならあんたが対処しろとまで迫られます。

こうしたやりとりから泰時は痛感していたのでしょう。こういうときこそ「法」があればいい。よし、御成敗式目だ! という流れが見えてきます。

 

上皇に取り入る義村の弟

上と下に挟まれ、疲れ果てた泰時は、こんなことなら上皇様にすがりたいと義時に訴えます。

「すがってどうする?」

泰時としては、義時に上皇と交渉して取り立て免除してをしてもらいたいのですが、それこそ愚かだと笑い飛ばされます。

交渉でどうこうなるなら最初から命令してくるわけもなく、上皇の狙いはまさに鎌倉が右往左往している状況。

父上と御家人の間を裂く――その狙いを泰時も理解しました。

このあたりも丁寧だと思います。

人間とは、頭を使うとものすごく疲れるから、他者に判断を委ねたり、規範に頼ったりする。

だからこそ御家人たちは「執権殿が決めてくれよ」と言いだすし、泰時もいっそ上皇様に頼りたくなってしまう。

こんなときこそ冷静に立ち止まって、相手の狙いを考えねば危うくなります。

まさにそれが得意な三浦義村のもとへ、あの粗忽でお騒がせな長沼宗政が訪ねていました。

実朝が死んで以来北条がのさばりすぎじゃねえのか。

常に頭を働かせている男・義村は、すでに大番役として京都にいる弟の三浦胤義に命じ、上皇に取り入るよう伝えているとか。

上皇ならば北条相手に戦ってくれる。そう言い切り、俺に任せろと強気の姿勢です。

史実の三浦胤義は、京都での大番役を任期オーバーして、自らの意志でそのまま滞在していました。

それを本作では胤義自身の判断ではなく、義村の指示にしたわけです。

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だからでしょう。三浦胤義は後鳥羽院のもとへ出向き、御家人が義時に見切りをつけ、上皇に擦り寄るものも出てくると兄の言葉を伝えています。

上皇は、その者たちと直に縁を結ぶとすっかり上機嫌。

胤義は兄を通じて上皇の言葉を伝えるとして下がります。

 

「さ・が・り」「さ・が・れ」

京都では義時を陥れるための呪詛が盛んに行われています。

噂が広まれば義時から心が離れる――そんな作戦であり、現代ならばさしずめインターネットでの誹謗中傷ですかね。

対立姿勢を強める後鳥羽院に対し、これを諌めようとするのが慈円

義時がいなければ鎌倉がたちゆかないと苦言を呈すると、藤原兼子が「三寅かわいさのあまり鎌倉贔屓だ」と苦々しく吐き捨てます。

慈円が反論しても、肝心の後鳥羽院が「鎌倉の息のかかったものはここにはいない」と冷たい対応。

「さがりなさい」

そう兼子が言うと、後鳥羽院もこんな調子です。

「さ・が・り」

そんな彼らが手足に使っている武士の藤原秀康は、西面と北面武士を鍛えるため、城南寺で流鏑馬をしたいと提言します。

好戦的な姿勢が気に入ったのか。すぐに取り掛かれと後鳥羽院が命令すると、慈円が戻ってきて「鎌倉に戦を仕掛けるつもりか!」と慌てています。

「さ・が・れ」

今度は藤原兼子に小馬鹿にされてしまう慈円。

鎌倉から遣わされた京都守護に悟られぬようことを進めろとほくそ笑む後鳥羽院とその側近たちです。

果たしてそう上手くいくのか?

前回、私は、こんな秀康を頼りにしているからこそ後鳥羽院は負けると指摘しました。

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しかしネットニュースでは、イケボだしかっこいいから勝てそうというものがありました。

どこで判断が分かれたのでしょう?

イケボであることと名将であることに何の関係もありません。

確かに中世の世界観ではイケボで大声合戦ができると、天に祝福されていると思われたそうですが、それが今回の戦の行方を左右すると確信を得られたのか。

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ではなぜ私は秀康の必敗を確信したか?

このドラマでは、源義経が鎌倉を攻める策をガーッと考えて記録し、それを梶原景時が見て納得する場面がありました。

名将というのは、地の利や人の和を調べ、その上で勝つための策を考えます。

義経はできる。景時も理解できる。それが秀康には何らできていなかった。イケボで弓矢を射ることだけできてもそれでは勝てません。

そもそも秀康が名将なら、武士を集めて流鏑馬をするのではなく、データを集めて分析するはずです。

幕府軍が兵糧を運ぶルートは?

地形を見てどこから攻めるのがよい? あるいは守るのがよい?

裏切りそうな御家人は誰か?

そうした具体的な視点がまるでなく雰囲気だけで語っており、同時に、その迂闊さに気づかない後鳥羽院もいけません。彼は自分の耳に心地よい言葉を求めているだけです。

また、三寅と縁者であるため、後鳥羽院や藤原兼子に「鎌倉贔屓」と思わせてしまう慈円も迂闊でした。

 

北条の跡継ぎ のえの執着

のえが御所で実衣の尼姿を誉めています。

頭の重さが半分になったみたいだと軽やかに応える実衣。

私もやってみたいとのえが愛想を言うと、「一日も早く小四郎に亡くなってもらわないと」と実衣が軽口を叩き、政子がたしなめるようにじろっと見ます。

のえはひきつった笑顔を見せつつも、本題である後継ぎのことを口に出します。

太郎がいるでしょ、と素っ気ない政子。

それでも一向に引かないのえは、政村も16になって、とてもよい若武者に育っていると訴えます。

政子が、そんなのえの気持ちに一定の理解を示すと、のえは太郎の生まれのことを口にします。

そして尼御台の意向を聞き出そうとしても、政子は泰時を跡継ぎにする義時に従ったらどうかと結論を出します。

大きすぎる望みは鎌倉では命取りになると、実感込めて助言をする実衣。

「尼御台さま!」

そこへ三寅がやってきました。頼家にも実朝にも母らしいことができなかったことを悔やむ政子は、そのぶん三寅に愛情を注ぎたい。

政子と実衣が笑いながら三寅を可愛がる中、のえはますますムスッとしています。

もしかしたら、のえは、こういう無償の愛を得ていないのかもしれない。

義時はのえの求めることは聞いてくれる。政村を早く元服させてくれる。四郎と名乗らせてくれる。

けれども、そんなものは彼女がせっついたから応じただけで、面倒なだけだったのでは?

そういう愛されない自分と我が子のことを噛み締めて、だんだんと血が滲みそうなほどの凶相になってゆきます。

ただしこれは、義時が悪いですね。あんなに愛らしかった女性を、ここまで追い詰めてしまった。

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三寅は「着袴の儀」に臨みます。

初めて袴をつける儀式で、あらためて義時が最高指導者であることを見せつける。

一方、都では、ますます義時調伏の祈祷が進行しているとのこと。

兼子と後鳥羽院は、ここまで大袈裟ならば噂が鎌倉に届くとほくそ笑んでいます。御家人たちが離れる音が聞こえるようだと。

後鳥羽院は、さらに一手を動かします。

のえの兄であり京都守護になった伊賀光季を藤原秀康に討たせ、北条義時討伐の狼煙をあげることにしたのです。

そして押松という男を呼び出しました。

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