最初の武家政権である鎌倉時代は、新しいシステムが登場した時代でもあります。
その最たる例が【守護地頭】。
※以下は守護地頭の関連記事となります
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そして、もう一つビッグな存在が【御家人】ではないでしょうか。
鎌倉時代の御家人と言うと、歴史の授業で習う「いざ鎌倉」とか「御恩と奉公」なんて言葉も浮かんでくるかもしれません。
となると、鎌倉時代の武士は、あたかも全員が御家人だった――そんなイメージすら抱かれるかもしれませんが、実際は違います。
あくまで幕府と主従契約を結んだ武士に限られます。
江戸時代の【旗本・御家人】との違いはなんなの?ってことも気になりそうですので、その辺にも触れつつ進めたいと思います。
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御家人となるのに必要な手続きは?
前述の通り、鎌倉時代における御家人とは、鎌倉幕府の将軍と主従関係を結んだ武士のことです。
◆将軍⇔武士(御家人となる)
室町時代や江戸時代でも同じ名称が使われますが、細かいところが違うので少し注意が必要です(※その辺は下の方で説明)。
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では、どんな【手続き】で主従関係を結んだら、単なる武士ではなく御家人となるのか?
この辺の手順って、歴史の授業では習いませんよね。
鎌倉時代に「御家人」と扱われるためには、
①将軍に「名簿」(後に「交名注進」)を提出し
↓
②挨拶に行く
そんな決まりがありました。
名簿は「めいぼ」ではなく「みょうぶ」とよみ、その武士の名前や官位を書いた身分証明書のようなものです。
もともとは平安時代に始まった慣習で、臣従の証となっていました。
例えば平将門も、ときの太政大臣・藤原忠平に提出して仕えたなどの記録があります(『将門記』)。
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ただし、この儀式も後に簡略化され、将軍に謁見する「見参の式(けざんのしき)」だけでOKとなり、名簿の代わりに、武士の名前が列挙された「交名注進」が提出されました。
まぁ、提出と受理をいちいち交わしていたら、将軍様にとっても御家人にとっても、時間かかりすぎですもんね。
現代でいえば、入学式とか入社式、あるいは転勤時の挨拶みたいなもんでしょうか。
武士出身者だけでなく文官出身者も
少し意外かもしれませんが、御家人には武士出身者だけでなく文官出身者もおりました。
武士の代表例は千葉氏・三浦氏・小山氏など。
そして文官の代表例が大江広元・三善康信・二階堂行政などです。
それぞれについて、ごく簡単にご紹介しましょう。
武士からの御家人
千葉氏・三浦氏・小山氏は、いずれも頼朝挙兵の際に協力した武士の家です。
千葉氏・三浦氏は桓武平氏の流れを汲んでいるとし、小山氏は平将門を討った藤原秀郷の子孫を名乗っていました。
しかし、建暦三年(1213年)の和田合戦で、三浦氏は北条氏に滅ぼされ、縁戚関係にあった千葉氏もその余波で勢力を弱めることになります。
小山氏はかなりの紆余曲折を経て、戦国時代までは大名として存続しました。
江戸時代には水戸藩士として取り立てられていますので、大名ではなくなっただけで、家は続いているといってもいいでしょう。
文官からの御家人
大江広元は鎌倉時代初期によく出てくる人なので、ご存じの方も多いかもしれませんね。
当コーナーでもたびたび名前を挙げています。
彼は当初朝廷に仕えていました。
が、兄の中原親能が源頼朝と親しかったことから、鎌倉に下って御家人となります。
早い時期から頼朝の能吏として動いていて、源義経が頼朝への仲介を頼んだこともありまして。
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また、大江匡衡と赤染衛門夫妻の子孫とされていたり、さらには毛利元就の毛利氏などの祖先とされるなど、歴史上の接点が多い人物ともいえます。
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三善康信は元々太政官の下級役人でした。
が、母が源頼朝の乳母の妹だったことから付き合いがあり、頼朝が流人だった頃は月に三回も京の情勢を知らせていたのだとか。
乳兄弟に近い関係だったでしょうし、幼い頃から仲が良かったのかもしれません。
康信も広元と同じく鎌倉に下り、問注所(裁判所)の初代長官を務めています。
二階堂行政(ゆきまさ)は、藤原南家の血を引く公家で、母は頼朝の外祖父である熱田大宮司・藤原季範の妹でした。
やはりその血縁から頼朝に登用され、鎌倉に下って政所(政治と財政を扱う役所)の長官になっています。
こうして見てみますと、源頼朝って、ちょっと血筋が離れた人は重用するのに、直接血の繋がった弟やいとこを全く信用していない、という一面が見えるような……。きっと気のせいデスネー。
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