かつては別の役割がありました。
学問や芸術を学ぶ場として、武士の子弟が来る学校のようなものだったのです。
江戸時代の小学校に当たる「寺子屋」も、元はお寺で学ぶ子供のことを”寺子”と呼んでいたからだといわれており、昔のお寺が宗教だけでなく学問の場でもあったことがうかがえます。
よく戦国もののドラマや映画で、幼少期の主人公がお寺にいるシーンがありますが、お寺で学んだのは武士になった人だけではありません。
今回はその一人をご紹介。
永正三年(1506年)8月8日、水墨画で有名な雪舟が亡くなりました。
雲谷軒で没したと推定され、没年月日の詳細は不明なのですが、この日として扱わせていただきます。
武士の家に生まれて仏門に
雪災の他にも水墨画を描いた人はたくさんいます。
本来は、中国で生まれたものです。
にもかかわらず「水墨画といえば雪舟」というイメージが強いですよね。
当然ながら彼の作品が素晴らしいから支持されてきただけなのですが、絵のほうが目立つからか、本人が語りたがらなかったせいなのか、雪舟の生涯はほとんど知られていません。
わかっているのは、応永二十七年(1420年)に岡山県の武家に生まれ、宝福寺というお寺へ入って修行と絵画の勉強をしていたということです。
どちらかというと雪舟にとっては後者のウエイトが大きかったらしく、それを示すエピソードとしてこんなものがあります。
お寺に入ってから絵のほうが面白くなったのか。
それとも元から勉強が嫌いだったのか。
幼い頃の雪舟は絵ばかり描いていて勉学をおろそかにしていました。
しかし上記の通りお寺=学校だった時代ですから、現代に置き換えれば「図工の成績は5だけど他の授業でも落書きばかりしている」ような子供というところでしょう。
当然お師匠様にあたる僧侶は怒ります。
仏門に入った人間がそんなに短気でいいのかとかツッコミたくなりますけども、おそらく雪舟の度が過ぎたんでしょう。
体罰で縛られたんで足の指でネズミを描いてみた
このお坊さんよほどキレていたらしく、雪舟をお堂の柱に縛り付けて反省を促したそうです。
お寺で縛りプレイ(物理)とか21世紀でも思いつかんわ。
まだ子供だった雪舟、痛さに耐えかねてか悔しさからか、それとも絵をやめさせられたことが哀しかったのか、泣き出してしまいました。
しかしここからがスゴイところ。
なんとその涙のしずくを足の親指につけ、床にネズミの絵を描いたのだそうです。発想の転換がパネェっす。
これにはお師匠様も「そこまで描きたいなら描けばいい」と諦め、絵を描くことを許してくれたとか。
この話の初出は江戸時代の本なので創作説も強いですが、
「そのくらい絵への執念がある人だから、このように歴史に残るものが描けたのだ」
ということを象徴して作ったのかもしれませんね。
同時期に「雪舟は絵の神様!」的な考え方も広まっていたらしきことを考えると、人間くさくてイイ話だとも思います。
水墨画だけでなく庭の設計もすごい
さて、力強い水墨画で有名な雪舟ですが、実は庭の設計もいくつか手がけています。
雄大な自然を描くことの多い水墨画と、繊細な意匠を凝らすのがセオリーな造園とは似て非なるもののような気もしますが、もともと石や砂だけを使う枯山水様式にはピタリとはまったようです。
砂での表現を好まず、石を配置することだけにこだわったのか。
雪舟作といわれている庭は他の枯山水庭園とちょっと変わった景観になっています。
「枯山水」と聞くと、京都の龍安寺のように「お寺の一角を囲んで作ってあるもの」を想像する人が多いと思いますけれども、雪舟の造った庭はほとんど塀で囲われておらず、また周囲の木などもそのまま残してあるのです。
この様式は枯山水の中でも”枯池式”と呼ばれており、他にも太山寺の安養院庭園(兵庫県神戸市)などが有名です。
ちなみに龍安寺のようなタイプは”砂庭式”といいます。
芸術方面によくあることで、優劣の話ではなく好みや表現したい風景によって使い分けられていたのでしょうね。
前述の通り雪舟の足跡がはっきりしないため、本当に雪舟が作った庭なのかどうかはアヤシイところもありますが、そういわれるだけの理由はどこの庭にもあるように思えます。
「考えるな、感じろ!!」ってことですかね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
山口県魅力発信サイト・きらりんく(→link)
雪舟/wikipedia
常栄寺/wikipedia