話し合いをしているのは、北条義時、大江広元、三善康信の三名。
そこへ時政がズンズンと入り込んできて、自分が呼ばれないことを怒っております。
「呼びませんでした」
と涼しい顔で義時が答えます。なんでも訴状は尼御台宛であり、執権には送られていないとのこと。
武蔵における恩賞の沙汰を尼御台が行って以来、政(まつりごと)は変わったと皆が悟ったようです。大江広元も、鎌倉殿が認めたことだと賛同します。
「勝手にせい!」
怒って部屋を出た時政が向かう先は、二階堂行政でした。義時の継室・のえの祖父ですね。
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彼女にやや子ができたと報告されて驚く時政は、一呼吸置いて、嫁は取らぬという小四郎を説き伏せたのは自分だと嘘をついています。
知らなかったと驚く行政に、これで恩を売れたと考えたか、時政は「高野山への下知状」を自分名義で書くように命じます。今回の訴えを退けて、尼御台は関係ないと高野山に伝えようとしました。
やはり時政は小悪党でしかなく、そもそもは頼朝の舅という一点突破でここまできました。持っているスキルは人脈と好感度だけだとわかる、秀逸な導入部ですね。
しかし時政の破滅は、現代社会でも陥りやすい罠が多分に含まれています。能力がないのに、なんとなくコネでトップに立つ。
どう能力がないか挙げてみましょう。
・理詰めで物事を考えられないから、口論になったら、義時にも広元にも到底勝てない
・文章が書けず、文官である二階堂行政を頼る
・頼るにしても、大仰なデマを元にした人脈アピールから入る
・そもそも訴訟を裁くだけの知能がない
どれだけ人気があっても、公平な訴訟に対応できるだけの中身がなければどうしようもありません。
もしも時政が名裁きを連発していたら、仕事が回らなくなってしまいますが、現実はそうではなく、いなくてもどうにでもなる。
確かに気の好い方かもしれませんが、能力的には所詮その程度の人物なのです。
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正念場だ 義時を許すな
りく(牧の方)は怒っています。
「実の父をないがしろにするとは何事ですか。しい様は執権ですよ、何様のつもり!」
それに対し、時政は、厄介払いしたいらしいとムッとした顔をしていますが、この程度で諦める彼女ではありません。
義時は許しがたく、思い知らせてやると息巻き、さらにここが正念場だと夫の尻を叩く。
そして彼女は、政子を待ち受け、啖呵を切ります。
「何もかも思い通りになると思ったら大間違いだ! この鎌倉を動かすのは、私の夫です!」
一方的に言葉を投げつけられた政子は冷静に応える。
「もう父上を振り回すのはおやめなさい」
そう返されても、裾を捌いてサッと歩いてゆく、りくの美しさよ。こういう装束ならではの苛立ちと怒り、挑発が所作に出ています。
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同時に、その様子を見守る政子も美しい。
威厳が宿り、堂々とした佇まいです。尼御台がそこにいるだけで厳かに見えます。
今週も小池栄子さんが輝いていたところで、ナレーションへ。
畠山粛清が招いた反発の嵐。
権力を奪われた時政はの反撃は。
争いを勝ち抜いてきた北条家が、二つに割れる。
再び乱世の幕開け――義時は時政の前に文書を放り投げました。
二階堂行政に書かせた高野山宛の書状です。事前に義時に相談していたのですね。
「あの腰抜けめ!」
そう悔しがる時政ですが……度胸の問題ではなく、権力と手続きの話です。
もはや鎌倉はコネでどうこうできる場所ではありません。その流れについていけない、いつまでもアップデートできない時政が哀れだ。
「だんだんと頼朝様に似てきたな……」
そんな父親に対し、義時は最後通牒のように告げます。
「これをもって最後にするように。以後は尼御台が裁きます。そのうえでご自分の引き際をお考えください」
普段は明るく優しい笑顔が特徴の弟・北条時房ですら辛そうな顔をしている。
父も好き。兄も好き。そんな板挟みに彼はいるのですね。
時政は怒りを噛み締め、こう吐き捨てます。
「父親に向かってようそんなことが言えるな!」
「父親だから申しておるのです。身内でなければもっと手荒なことをしておりました」
ここで時房が「兄上!」と悲鳴のような声を……。
義時の気持ちはわかります。
時政の娘婿であり、義時の義弟である畠山重忠をあんな死に追いやっておいて、自分の時はここぞとばかりに父親面をしやがる。命があるだけ感謝しろとも言いたくなるでしょう。
義時は憎悪と軽蔑をフツフツとたぎらせつつ、この先はわからないと脅しにかかります。
「父上の出方次第では、梶原殿や比企殿、畠山殿と同じ道を歩むことになりかねない」
「だんだん頼朝様に似てきたな……」
「お褒めの言葉として受け取っておきましょう」
涼しくそう返す義時は、確かに図太く、ふてぶてしく、大きくなりました。邪悪でもある。
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しかし同時に、この人についていきたいと引き込む迫力も備えてきました。
義時が、今までで最も輝いているのではないでしょうか。
彼には邪悪な喜びも味わって欲しい。
最終的に殴り合いまでした重忠が酷い殺され方をして、何も得られないなんて悲しい。そう思えてしまうのです。
こういう顔と迫力を持てるというのは、苦労してきただけのやり甲斐はあるかもしれない。
もちろん義時自身が望んだのではないでしょうが、小栗旬さんの迫力が痺れるほど圧倒的で、見ている側ものめり込んでしまいます。
「兄上!」
時房が廊下で兄に訴えかけました。言いたいことはわかっていると返す義時。
「親子で争うのはよくないです!」
「全ては父上次第だ」
そう冷たく突き放され、時房は立ち止まってしまうしかない。
実に素直でよい人です。父が若い後妻に入れ込んだ挙句、異母弟(亡くなった北条政範)の下に置かれても恨んでいない。
兄弟でりくを罵倒してもおかしくないかもしれませんが、そんなことよりも彼は父を案じています。時政は素直なよい息子を持ちましたね
時房の餅
実衣が、得意げな顔で、源実朝に息子の阿野時元を紹介しています。
実朝にとっては乳母子にあたり、なんでもこれから側に侍るとか。
しかし実朝は、泰時はどうしたのか?と気もそぞろ。
なんでも泰時は、父・義時たっての願いで、義時のところへお役替えだそうです。
そしてその泰時は父のもとで働いていました。
不服か?と父に問われ、そんなことはないと否定する泰時。
ならばもっと晴れやかな顔をしろと言われると、生まれつきこういう顔だ、不満なら自分を責めろと返されます。
義時は笑い飛ばしました。
父のそばで何をすればよいのか?泰時がそう尋ねても、
「いずれわかる。今はその目で私の仕事を見よ。見て学べ」
と、嫌な予感をさせる返答をしています。
泰時の特徴として、思ったことが顔に出やすいことがある。特に不満や困惑があると隠せない。
失意の北条時政が廊下で腰掛けていると、そこへ北条時房がやってきました。
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やることがねえとぼやく時政に、餅を差し出しています。固いのは駄目だと言われ、餅をこねこね。
時政は時房に、政所の褥(しとね)を持ち帰るように頼んでいます。どうせもう使わねえってよ。
時房は「またそういうことを」といなしつつ、さらに餅をこねくり回しています。
「お前はどっち側なんだ? わしか、小四郎か?」
「おかしなことを申されますなぁ。北条はひとつです!」
「腹立つ顔だなぁ!」
キラキラした無邪気な笑顔の我が子にそんなことを言う時政。愛嬌がこぼれ落ちそうな瀬戸康史さんの顔です。
そんな時房は「兄上は父上を守ろうとしている」と説得しつつ、ようやく餅を渡そうとすると「こんな触りまくったものはいらねえよ!」と時政。
そういえば時政の餅を、頼朝が喉に詰まらせたこともありましたね。
微笑ましいようで、家族の思い出がひとつひとつ、悲しさと共に蘇ってきます。
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