鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第37回「オンベレブンビンバ」

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鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第37回「オンベレブンビンバ」
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オンベレブンビンバ

義村から時政の計画を知らされた政子。

義時ほど冷静ではいられず、「これはもう謀反だ」と怒りを隠しません。

それでも義時は、誰の目からみても明らかな謀反を起こしてもらうから、泳がせておくと言う。

実朝が危ない目に遭わないかどうか。政子はそこを気にしています。

と、そこへ時政その人がやってきました。

「おっ! 小四郎も来ておったか」

伊豆から美味い酒が届いたから、たまにはどうかとニッコリ。尼御台もどうかと言い出します。

さらには実衣にも声をかけ、皆で久々に飲もうや!肴もいろいろ持ってきた!ってよ。

どういうつもりかと困惑する政子ですが……。

薄暗い部屋に一人で時政を待つりくは、政範の遺髪を、我が子を思い抱きしめていました。

思えばりくの子ではない北条家のきょうだいが政範の弔いをする場面はない。全くしていないとは思えないけれども、どうしても差はあるのでしょう。

時政が謎の掛け声を言い出します。

「オンベレブンビンバ~オンベレブンビンバ~」

どうしちゃったのかと実衣。ついに頭にきちゃったのかと声をひそめていると、なんでも「大姫のおまじない」だそうです。

これを唱えればいいことがあるとかで、政子も覚えていると自信満々。

「ウンダラホンダラゲー」

そして義時もまた覚えていると言い出し、真面目な顔で。

「ピンタラホンチンガー」

こうなると一同黙っていられないのでしょう。時房が「プルップルッ」と続き、政子が「ちょっと!」と止める。

実衣が集中して思い出そうとしています。

「ウンタラブーポンパー……違う。ああ、全成殿がいてくれたら」

「がんばって!」

「ウンタラプーソワカー」

「近くなったんじゃない!」

「プルップ!」

時房、プルプルはもういいから。

「ウンタラ……ウンタラクーソワカー」

それだ! それよ!

そう言い合いながら、義時はそれでいいと言い出します。

「ボンタラ! ボンタラよ!」

「ボンタラクーソワカー」

一同はそれだということで、何度も笑いながら繰り返しますが、正しくは「オンタラクソワカ」だとナレーションでツッコミが入ります。

父の時政が笑うところを久々に見たと感慨深げな政子。

実衣が義母上を呼ばなくてよいのか?と尋ねると、あいつはいいと時政が答え、庭に目をやります。

そこには小さな畑があり、茄子の苗が植えられていました。

「馬鹿、これじゃ駄目だよ。しょうがねえなぁ。もっと間を開けるんだよ。おい見てないで手伝え」

拳二つ分をあけて植え直すのだと、義時や時房を手伝わせる時政。

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楽しいようで、決裂している北条家。

同じ言葉を聞いていても誰一人一致せず、間違った結論を出す。

これは感動的なのかどうか。

私にはあまりに酷いと思えます。

そして課題も見えてきた。

先程の会話で、のえが『源氏物語』を話題にしました。共通の認識としての教養があれば、話は通じ易くなる。

『麒麟がくる』では、駒、駒に伝えた光秀の父、駒の話を聞いた光秀が“麒麟”が何であるか共通認識があるから、話が進んでいました。

当時の北条一家にはそれがない。

だからこうして楽しそうに酒を飲んで浮かれはしゃいでいても、同床異夢に陥ってしまうのではないでしょうか。

人は、同じ血を引いているとか、愛があればわかりあえるほど単純でもありません。

教養、宗教の教義、そして法律など。人ではない“基準”を用いて頭の上に置くことで、意見の一致ができ、秩序が保たれます。

誰かに褒められたいとか、誰かの笑顔が見たいとか、判断基準を過度に周囲の感情に委ねると、時政のように迷走しかねません。

その点、義時は流されない。

楽しそうな宴でも、目が心底笑っていない暗い光があった。

政子も微笑んでいるようで、ふっと寂しげになる。

天命と引き換えに、彼らは流されない心を得ました。

楽しい時でも流されないこと。それは寂しいことでもあります。

 


「武衛」は破滅への道筋

源実朝が義盛の館から帰ろうとしています。

そのとき義盛が、鎌倉殿を「武衛」と呼びたいと言い出しました。唐の国では親しい仲を武衛と呼ぶと。誰から吹き込まれたのだと時元が言っています。

「そうだそうだ、みんな武衛だ」

そこへ三浦義村がやって来て、執権殿が心配していると実朝を連れ出します。

この場面では、哀しいかな義盛も悪い方へ踏み出しました。

義盛は勘違いした。

鎌倉殿という権力者と距離が近づきすぎた。鎌倉殿なら俺にいいようにしてくれるんじゃねえか。そう勘違いするようになりました。

思えば「武衛」と頼朝に呼びかけた元祖である上総広常も、そこを見誤っていた。

武衛はただの不吉な予感ではなく、明確な破滅への道筋を見せてきています。

義村が実朝を連れて行ったことに対し、どうも引っかかると呟く八田知家は、義時にそのことを報告すると、名越の方へ向かったのではないかとして、兵を出すことに。

泰時は、一体何が起きているのか?と困惑するばかりです。

時政の館へ迎えられ、戸惑う実朝。

ついに決行された謀反劇――三浦からその知らせを聞いた時房が、義時と政子に告げると、政子も「こんな企ては無謀すぎる」と驚いています。

すると義時が、姉の政子に「なぜ昼間集まったのか」と問いかけました。

別れを言いたかったのだろう。ことと次第によっては政子や義時を殺す気だった。

政子がそう答えると「逆だ」と義時。

今回の企てがうまくいかないことを時政は知っている。りくの言う通りにすれば失敗するとわかってはいた。それでもあえてその道を選んだのだと。

「どうするつもり?」

「父上はおそらく……」

「あなたのことを聞いているのです!」

政子にそう問われ、義時は泰時に「太郎」と呼びかけます。

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「お前をなぜそばに置いたのか教えてやる。父の覚悟を知ってもらうためだ」

そのころ源実朝は、時政に一筆強制されていました。

政子と義時の許可がなければできぬと訴えても、時政が一歩も引かず、語気を強めていく。

一方、ついに腹を決めた北条義時も力強く宣言します。

「執権北条時政謀反! これより討ち取る!!」

命だけは助けてあげてとすがる姉の政子。

しかしそんなことをすれば北条が身内に甘いとして非難を浴びてしまうとして、義時の決意は揺るがない。

「此度の父上の振る舞い、決して許すわけにはいきませぬ! 太郎、ついて来い」

時政はしつこく実朝に迫っています。

「鎌倉殿の起請文がねえと、じいは死ななくちゃならねえんです」

そう訴えかけられ、ならば、と筆をとる実朝。

何と書けば良いのかと時政に尋ねると、速やかに出家し平賀朝雅に鎌倉殿を譲ると聞かされ、

「ならば書けん」

即座に断ります。

ただただ困惑する実朝。

立ち上がって刀を抜く時政。

続きは次週へ。

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MVP:三浦義村

彼らはなぜ破滅していくのか?

その答えを知るうえで、三浦義村が役に立つかもしれません。以下にその理由を挙げて参りますと……。

・利益に流されない

時政にせよ、その背後にいるりくにせよ、自分たちの行動を基準にしています。

善哉擁立という旨味のある選択肢を目の前にちらつかせれば、義村は取り込めると思った。

これは前例があって、稲毛重成がそうでした。

あの良識的な人物も「惣検校職」という人参に心が揺らいでしまったのです。

・情に流されない

時政が道を誤る要因として、りくはじめ、親しい者たちの笑顔が見たいという素朴な動機があります。

義村は人間は情に流されると理解している。だから受けのいい湿っぽいことを咄嗟に出せるけれども、彼自身はそうそう流されないのです。

彼もそうならば、頼家への遺児・善哉に対する悲願ということで動かされるはず。

義村は「善哉が鎌倉殿になれば頼家殿は泣いて喜ぶ」と冷静に言うものの、彼自身はそんなこと思ってはいません。

・京都の憧れに流されない

これは義村ではなく、娘の初が体現しておりますが。

のえにどう煽られようと、京都に興味はないとキッチリ言い切っています。父・義村もそうなのでしょう。

鎌倉か、京都か、その志向の違いが運命を分けます。

義村は流されない。自分なりの基準が常に真ん中にあり、それにそぐわないものは無視できます。

そもそもが、あの「武衛」呼びだって義村のでまかせ由来です。

並の神経の持ち主ならば、罪悪感からか、やってやった満足感から自分が発信源だとこぼしていてもよさそうなものですが、それを義村はしません。

無駄だと思ったことを一切しない面倒臭がりやなところと、流されず、決してぶれないところがあります。

義村だったらどうするか?

無駄だと切り捨てるのではないか?

そう考えてみるのも一興。

たとえば今週のサブタイトル「オンベレブンビンバ」が出た時点で、推理合戦が始まりました。

検索をして何も出てこなかった時点で、私は放棄しました。イタリア語由来もありますが、これはありえないとわかります。

時代がもっとあと、戦国時代末期で、かつスペイン語、ポルトガル語、ラテン語由来ならあるかもしれない。

外国語の知識があるからには、登場人物の頭に浮かんでもおかしくはありません。

しかしこのドラマの人物では誰一人としてイタリア語を知らない。

ゆえに候補から外せます。

それでもこうした現象が起きるのはなぜか。

SNSでそういうことを呟き、誰かにハマれば拡散され、自己承認されたようで気持ちがよいでしょう。

しかし、そこが危険な気がするのです。

「オンベレブンビンバ」は、話の中身を理解するうえでさして役に立ちませんよね。

SNSではドラマをネタにしたハッシュタグも多く、画面写真を貼り付けた大喜利状態にもなっています。

面白いとは思います。

時にはネットニュースにもなる。

しかし、それでドラマや歴史への理解が深まるかな? と考えると、SNSはむしろ放置したほうがいいとも思えてくる。

時には流されないこと、安易な承認欲求に溺れないこと、時間を無駄にしないことが大事ではないでしょうか。もちろん個人の自由ではありますが……。

 

総評

三週連続で『ゲーム・オブ・スローンズ』の話をします。

原作は『氷と炎の歌』というタイトルのこのドラマ。

ドラマ版のタイトルは、サーセイという女性のセリフからとられた、原作小説第一作目のタイトル由来です。

「権力の座で争うのならば、勝つか死ぬしかない。その間はない」

この「権力の座」がタイトルとなりました。

このセリフは『鎌倉殿の13人』にもあてはまっています。

権力に手を伸ばしたら、勝つか死ぬだけ。

前回の稲毛重成。

平賀朝雅。

阿野時元。

和田義盛

権力に目が眩んだ者は破滅が見えてきます。

そうなると、時政とりくは死なないだけ特別枠だと思え、と心の底から言いたくなってしまった。

だいたいが権力を扱っておいて、馴れ合いも何もあったもんじゃねえ!

そう納得できるからよいものです。

正面切って権力欲が悪どいと描くのではく、周到にしっかりと、そのことを描いている。秀逸だと思います。

北条義時がどんなことをしようと、仕方ないと思える説得力もあります。

義時にぬくもりはなく、たとえ父と飲んでいる場面でも目は冷たい。氷のようだ。

それでもそうでなければ守れないものがあると自らを追い詰めるからこそ、彼は素晴らしく、責任感があると思えます。

そういうプロット作りが面白い。

そこまで考えたい。

最近見たからといって、無理矢理『シン・ウルトラマン』と絡めたりとか。

大泉洋さんがいなくなっても保たれているおもしろさは何かとか、そういう芸能ニュースのセオリーで考えると、かえってわかりにくくかる気がします。

芸能ニュースというのも結局は、受け手の感情を流した方が勝ちますから、本質からずれていても、なんとなく受けるネタが鉄板です。

受ければいいといえばそうですけれども、理解の役に立つかどうかは別でしょう。

※著者の関連noteはこちらから!(→link

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文:武者震之助(note
絵:小久ヒロ

【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト

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