ドラマ『パリピ孔明』

ドラマ『パリピ孔明』公式サイトより引用

三国志

ドラマ版『パリピ孔明』の気になる名言・名場面・兵法・故事を徹底解説

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蔣琬

小林の恩人である先代オーナーは、その腕前を「孔明に抜擢される前の蔣琬(しょうえん)のようだ」と言います。

これはなかなか重要です。蔣琬は諸葛亮の死後、後事を託された人物です。

つまり、孔明が去っても小林がいればどうにかなると示されているようでもあります。

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成済

落ちぶれた頃の小林は、反社会組織の成済(せいさい)のようなものだった――そう語ると、諸葛亮は自分の死後のことかと言い出します。

諸葛亮の死後、蜀と呉は滅び、魏により統一がなされます。

しかしこれも長続きしません。諸葛亮のライバルとして有名な司馬懿が権勢を握ります。

司馬懿の死後、子の司馬昭はさらに露骨となりました。

魏の皇帝一族である曹髦(そうぼう)は、司馬昭打倒の兵をあげます。

このとき司馬昭の片腕ともいえる賈充は成済に曹髦殺害を命じます。曹髦殺害後、成済は弟ともども謀殺されるのでした。

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沐猴にして冠す

沐猴(もっこう)にして冠す。『史記』「項羽本紀」より。

サルに冠を被せたようなもの。格好だけつけて中身がない人間が重要な役割についた様。

曹操「薤露行」(かいろこう)はこの一節を引き、後漢の政治腐敗を批判しています。

小林と前園ケイジの因縁には因縁がありました。売り込みに来た前園に、小林やイーストサウスの真似をしていては駄目だと言うのでした。

そのとき、袁術と同じだと言います。

袁術とは後漢一の名族出身。彼のもとに服していた孫堅は、戦乱の最中に皇帝のあかしである伝国璽(でんこくじ・玉製のハンコ)を発見しました。

正史では袁術は孫堅の妻・呉夫人を拘束し、玉璽を差し出させました。

『演義』では孫堅の死後、父の兵を返してもらうために長男の孫策が玉璽を袁術に渡しました。

かくして玉璽を手に入れた袁術ははしゃいでしまいますが、中身が伴わないために敗走。「甘い水が飲みたい」と嘆きながら亡くなったとされます。

袁術は中身のないダメな人物として有名です。小林はなかなかきついことを言ったものだと思います。

 

乱世の奸雄

諸葛亮は復讐の念を抱く前園を警戒し、曹操も徐州で虐殺を行ったと言います。

これはなかなか重要です。

「乱世の奸雄」として知られる、諸葛亮最大の敵である曹操。その曹操は父・曹嵩(そうすう)が殺害された時、その怒りのあまり事件の起きた徐州で大虐殺を行いました。

諸葛亮は徐州琅邪郡出身です。徐州出身の諸葛一族にとって、この虐殺のあとでは曹操に従う気には到底なれなかったことでしょう。

諸葛一族からは曹操に敵対する諸葛亮、その兄の諸葛瑾が出ています。もしも曹操が怒りにかられ徐州で虐殺をしなかったら、歴史は変わっていたことでしょう。

ここで前園ケイジの怒りと、曹操の怒りが重なります。

前園ケイジは曹操をモチーフとしたキャラクター像であるとわかります。

 


贅閹の遺醜

前園ケイジが曹操ってどうなのよ? まあ、曲が“SOSO”だけどね。そう突っ込みたくなった方も多いかと思われますが、私としてはキャスティングも含めて素晴らしいと感じました。

前園は父が大手広告代理店・電報社の御曹司で、金の力でのしあがった設定です。

ハァ〜? ボンボンが金の力でのしあがる? 卑劣できたねーヤツだな!

曹操もそう罵倒されたことがあります。

曹操は宦官・曹騰(そうとう)の孫です。去勢した宦官なのになぜ孫がいるのかというと、養子です。

しかし当時からそんなことでいいのかという批判はつきまといます。当時は宦官の政治介入による弊害が深刻化しており、社会問題として認識されていました。よりにもよって宦官が、残せないはずの子孫を持つってどうよ? そう思われると。

かつて小林は「これは【官渡の戦い】だな」と例えたことがあります。曹操とライバル袁紹による、天下分け目の戦いです。

この戦いの前に、袁紹のお抱えライターである陳琳(ちんりん)は檄文を書き、その中で曹操をこう罵倒しています。

贅閹(ぜいえん)の遺醜――贅とは贅沢三昧をする父のこと。閹とは宦官のこと。

成金と宦官が残したしょうもねえヤツ! そう罵倒しているのです。

「俺の親父とじいちゃんは関係ねえだろ!」

曹操はそうブチギレ、陳琳を見つけ次第殺すと思っていました。いざ捕まえて陳琳本人に煽りまくる檄文を読ませ、曹操はこう言います。

「あのさ〜、お前センスあるけど、さすがにボロクソに書きすぎじゃね。父と祖父のことは言い過ぎっていうかさ。なんでこんなことすっかなあ?」

「えっと……ナイスな煽り思いついたら、止まらなくて、ポチッとするもんじゃないですか(箭は弦上に在れば発せざるを得ず)。俺、そういう仕事のプロだし……」

素直な言い回しと才能を気に入ったのか。曹操は陳琳を採用。お気に入りのライターになったそうですよ。

『文選』にも彼の曹操ディス文は収録されています。そのため、現在でも読めます。

 

万事倶に備われども、只だ東風を欠くのみ

小林は前園に、イーストサウスのパクリではいけないと言った。

英子がイーストサウスをスタジオで偶然見かけたという。

この瞬間の諸葛亮は、『三国志演義』第49回と同じくこう思ったことでしょう。

万事倶(とも)に備(そな)われども、只(た)だ東風を欠くのみ――全ては揃っているけれども、東南の風が欠けていると。

『演義』では、火計をしたい周瑜が風がないことに悩み、寝込んでいるところに諸葛亮がやってきてこう告げています。

このあと諸葛亮が風を呼ぶ祈祷を始めるというのは、『演義』の展開通りです。唐突ではないということになります。中国の祈祷らしく、東洋占星術ではおなじみの星宿を読みあげています。

ちなみに諸葛亮は祈祷のため、英子が入院すると蝋燭を病室に置いています。あれは五丈原での諸葛亮回復のための祈祷に即しています。そのときは効果がなく、諸葛亮は没しています。むしろ不吉ですよ!

こうした諸葛亮の祈祷は、魯迅から「話盛り過ぎ!」と突っ込まれています。『演義』でゴリゴリにされているとは指摘されてきたのですね。

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蔣幹

孔明と小林が東南の風を呼ぶ祈祷をする一方、KABE太人には先輩ラッパーのダイナーが接触してきます。

ダイナーは前園陣営につかないかと誘いをかけるものの、KABE太人は一度は断ります。

これも計略通り……どこが計略かというと、ダイナーは『演義』では蔣幹に該当すると推察できるのです。

蔣幹(しょうかん)は曹操に仕えた人物です。周瑜と顔見知りであり、曹操から彼を引き抜くよう命じられ、周瑜の説得へ向かいます。

しかし、周瑜はかえって孫権への忠義を語ったため、蔣幹は断念したのでした。これが『正史』です。

『演義』ではこれを赤壁の戦い前夜に設定しました。かえって周瑜からニセ情報をつかまされ、曹操に不利益をもたらす人物とされています。

ダイナーは英子陣営を訪れ、そこでの情報を前園陣営に流し混乱させるよう、計略に組み込まれています。まさに蔣幹です。

 

苦肉の計

諸葛亮がさんざんKABE太人を罵倒し、英子が止めても止めようとしない。怒ったKABE太人は前園陣営へ向かってしまう。目撃者はダイナー。

これは『演義』における「苦肉計」の再現です。

赤壁の戦いにおいて、呉の黄蓋が曹操軍へ投降するよう装い、油を満載した船で接近することにします。

とはいえ、あの曹操を騙し切れるか?

そこで周瑜は黄蓋を鞭打ちの計に処します。黄蓋の降伏は確かなものだろうと曹操は油断してしまい、まんまと火計を受けてしまうのです。

諸葛亮の痛罵があまりにひどいのは、苦肉の計のメンタル版ということで理解しましょう。甘くしては計略が成立しません。

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