「上司にしたい武将・歴史人物は?」
こうした問いかけを見るたびにいつも思ってしまいます。
個人的には全員お断りしたい。だって、織田信長にせよ武田信玄にせよ、候補に上がってくる人の全員が怖そうじゃないですか。
その中でも、これだけは絶対に嫌だ!というワーストアンケートを自分でも考えてみました。
「飲み会に参加したくない!『三国志』の人物は?」
皆さんなら誰を思い浮かべます?
三国志の人物と言ったって、範囲が広すぎて混乱するかもしれません。
そこで本稿では魏呉蜀のトップにスポットを当て、彼らとの飲み会を妄想。できれば飲みたくないランキングを考察してみることにしました。
最初に断っておきますと、あくまで「リアルな飲み会するなら避けたい」という方であって、歴史上の人物としては好きな(面白い)方ばかりです。
まずは魏から見て参りましょう!
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魏は曹操のテンションが極端
当然、曹操が候補ですね。
もう、イキナリなんだか嫌な予感がする。彼本人の言動を振り返えつつ、お酒を酌み交わす場面を想像してみますと……。
若い頃からチャラかった曹操。宴席となると、こんな状況になったようです。
・性格がチャラい
・音楽大好き、宴はバンド演奏が欠かせない
・チャラけた様子で、無遠慮なことをズケズケ言う
・空気読まない
・宴会でケタケタ笑い転げて、頭を食器に突っ込む
曹操は、何かツボに入るとケラケラ笑った――という記録が複数ありますので、まぁ、そういうタイプなのでしょう。
実際、こんな歌があります。
『短歌行』冒頭句超訳
対酒当歌
酒に対しては 当(まさ)に歌うべし
酒飲んだら歌うしかねえし!
人生幾何
人生幾何(いくばく)ぞ
もうなんか人生どうでもよくね?
譬如朝露
譬(たと)えば 朝露の如く
朝露みたいにあっけねえし
去日苦多
去日 苦(はなは)だ 多し
黒歴史マジで多すぎィ!
おいおい、テンション高いなぁ。
曹操は、飲みの席でやたらとはしゃいでいたらしく、酒だけではなく、高い所に登るとテンションがあがってバンド演奏させながら詩を詠む。名文を読むと頭痛も治ると言い張ります。
その一方で「俺、本当にしょうもねえ、すぐくだらないことでキレちゃう……大人気ってもんなさすぎる」と本人も反省しています。
部下がしょうもないミスをすると、キレて杖で殴ったそうです。
そんな曹操に、ついていける相手ならば楽しく、そうでないと嫌だったようです。
家臣だろうと、プライベート交際を一切しないタイプもいれば、許褚や夏侯惇のように一緒に過ごせる人もいる。
郭嘉のように、初対面で運命を感じて、袁紹のダメ出しをしあいながらテンションが上がっちゃう人もいた。
曹操と郭嘉は大の仲良しですが、両者ともに性格に問題があるとされていました。
なんかそういうノリが合ったんでしょうね。
魏において、曹操主催の飲み会を楽しめるかどうかは、個人差が大きくなりそうです。曹操は、シラフだろうとナチュラルハイなので、居直って飲み会参加もありかもしれません。
曹操、酒と料理のレシピを残す
曹操は勉強熱心でした。
孫子を読み込み自分の解釈を加えた『魏武注孫子』が有名です。
※以下は『魏武注孫子』の解説記事となります
あの曹操が兵法書『孫子』に注釈をつけた『魏武注孫子』は今も必見の一冊である
続きを見る
ただ彼は、兵法書のみならず、文学、音楽、建築学、工学、医学、本草学……どんな知識にも興味津々だったようです。
現在は散逸し、一部の内容が判明しているだけですが、各地の食物とレシピをまとめた『魏武四時食制』という書物もありました。
曹操は別にただのグルメでもありません。中国における食は文化そのものであり、よりよい生活や軍務のためには必須の要素でした。
酒のこともきっちり考えていたのか。おいしい酒の作り方として『九醞春酒法(きゅううんしゅんしゅほう)』を献帝に上奏しています。
日本酒の元とされることもありますが、確証はありません。当時としては画期的な醸造法ということです。
曹操の酒好きがこうじて書いたのかどうか。職人からの聞き書きをまとめたものですので、一から実験検証していたとは言い切れません。曹操はなんでもこだわって調べて残す好奇心と学究心旺盛な人物であることは確かです。
ちなみに、当時から葡萄酒――ワインは珍しいながら存在していたとされております。
数世紀後の唐の詩には、こんなものもあります。
王翰『涼州詩』(唐代)
葡萄美酒夜光杯
葡萄の美酒 夜光の杯
美味なる葡萄酒を夜光杯(玉かガラス製品のグラス)に注ぐ
欲飲琵琶馬上催
飲まんと欲し琵琶 馬上に催す
飲もうとして馬上で琵琶を演奏する
酔臥沙場君莫笑
酔うて沙場に臥す 君笑う莫れ
酔っ払って砂漠に突っ伏してもどうか笑わないでくれ
古来征戦幾人回
古来征戦 幾人か回る
古来より戦場に向かった者が一体何人戻れたというのか
魏は、禁酒令があったこともある
ただ、そんな曹操でも気候変動や戦乱による穀物不足には悩んでいました。
酒を醸すには、穀物が必要。となれば、そこは禁酒令を出すしかありません。乱世ではよくあることです。
そんな213年頃、趙達(ちょうたつ)は、徐邈(じょばく)の業務進捗状況を監察に行きました。
「調子どうですか?」
「ウェ~イ、聖人に中(あた)っちゃったぁ♪」
当時の隠語として「聖賢」というものがありました。
清酒=聖
濁酒=賢
「清酒でベロベロだよ〜」という回答です。
業務中こっそりと飲酒、しかも禁酒令が出ているのに酔い潰れていた。その報告を聞き、曹操は激怒しました。
「あぁ、何その答え? なめてんの? 死にたいの?」
すると鮮于輔(せんうほ)がすかさずフォローします。
「いや、彼は普段はナイスガイですからね。酒のせいでちょっとテンションがハイになっただけじゃないですか」
「それもまぁ、そうかな」
そう言われ、曹操から処分されたものの、刑罰は免れました。
曹操のあと、曹丕になってからも、徐邈(じょばく)の酒のやらかしは苦笑して見逃していたとか。
意外とアットホーム。そんな魏です。
才能あればこそという面はあるのでしょう。
蜀にも禁酒令がありました
魏のみならず蜀でも、禁酒令は出されていました。
そもそも農業生産性の高くない蜀です。
日照りが続いた年、劉備は禁酒を厳しく徹底し、酒を飲まずとも、製造するだけで罰するとしました。
なんと、道具所持まで逮捕対象となったのす。
そんな劉備と、大胆でユーモアセンスのある家臣・簡雍(かんよう)が街を歩いておりました。
すると、道ゆくカップルがおりました。
魏晋南北朝時代、女性は活発であり、纒足もまだ先のこと。活動的だったのです。
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そこで簡雍はこう言います。
「おっ、あのカップルはこれからイヤらしいことをしますね。逮捕しますか?」
「えっ、ちょっと何言ってんの? なんでそんなのわかるんだよ?」
劉備は戸惑い、そう返します。
まぁ、確かに簡雍ってば変態妄想野郎だと思いたくなりますが、そういうことではありません。
「だって、あの二人は“道具”を持ってるじゃないですか。この時点で有罪ですよ」
「あ……なるほどね!」
劉備は大笑いしました。確かに宮刑(去勢)でもされていない限り、イヤらしいことをする道具はついているわけです。
かくして劉備は、醸造道具を持っているだけで逮捕された者を釈放したのでした。
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