『源氏物語』が成立した平安中期は【国風文化】の時代とされます。
日本人の、日本人による、日本人のための文化が発達したとされる時代ですが、実際はそう単純な話ではありません。
海の向こうにある中国大陸や朝鮮半島から届く品物も、当時の上流階層にとっては必須アイテム。
持っていなければ恥ずかしい!
そんな風にすら思ってしまう生活必需品であり、当時の文学にも反映されています。
出てくるものがどこの国のものなのか――それによってセンスや意味合いも読み解けるのです。
大河ドラマ『光る君へ』でも宋との関わりが注目されましたが、史実の平安貴族たちはどのように輸入品と関わってきたか。
その品目や特徴を振り返ってみましょう。
かぐや姫が欲しがった宝物は何か?
古典文学を代表とする『竹取物語』は、日本文学史に残る作品と言えるでしょう。

かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻(17世紀末)/wikipediaより引用
実は海を超えた中国大陸に話の原型があるという説もありましたが、これはどうやら後世の誤解のようです。
それでも話の内容は、海を超えた国が大きく関係しています。
物語の中でかぐや姫が要求する品は、現代人からすればありえないモノに思えることでしょう。
しかし、そうとわかりきっていたら求婚者たちも探しに行くかどうか?
当時の読者からすると、もしかしたらあるかもしれない!そんな範疇に入っていた可能性も示唆しています。
具体的に見てまいりましょう。
・仏の御石の鉢
修行中の釈迦にふさわしい食器として、金、銀、宝石の食器が四天王から差し出されました。
釈迦が選んだのは、四つ目の石の鉢。
すると差し出された全ての鉢が合体し、一つの石の鉢となった。
釈迦の故郷であるインドにあるはずが、流転して行方知らずになったとか。
・蓬莱(ほうらい)山の宝の枝
東のどこかにある「蓬莱」にある、宝の枝のこと。
この蓬莱は「東」という漠然とした情報のため、中国から見た日本を指す場合もあります。
・唐土(もろこし)の火鼠の皮衣
中国にいるという火鼠の皮は、決して燃えないとか。
「火浣布」(かかんぷ)という名前でも呼ばれ、『列子』や『太平御覧』に記載があります。
江戸時代後半、この火浣布を作り上げた人物がいます。
平賀源内です。

平賀源内/wikipediaより引用
石綿(アスベスト)で布地を作ることを発明したところ大評判となり、防火効果を期待されました。
しかし大型化がどうしてもうまくいかず断念。
なにせ伝説の品ですので、清人からも注文が入っていたとか。
・竜の頸(くび)の五色の玉
竜は世界各地に伝説がある霊獣です。
五色の玉についていえば、当時の人は七宝焼きのような工芸品でも「五色の玉」とみなしたと推察できます。
異国から五色のアクセサリを見つけてくれば、とりあえず正解ということかもしれません。
・燕の子安貝
子安貝とは、タカラガイを指すと思われます。
燕の巣から取ってくるという条件を満たすならば難しいものの、他のものよりは簡単かもしれません。
日本近海ではなくとも、熱帯から亜熱帯の海では採取できます。
子安貝のように、輸入ルートを辿ればどうにかなりそうな範囲のものもあります。
海の向こうにはあるかもしれない不思議な宝であり、当時の貴族からすれば、なかなか絶妙なリアリティラインにおさまっています。
そんなもの無理だと断りきれない――そんな品なのです。
平安貴族たちは
「異国にはお宝がある」
と憧れながら生きていました。
かぐや姫はそんな憧れの延長線上に目標を設定したからこそ、貴公子たちは挑んでしまったのかもしれません。
高麗の人相見が「光源氏」を生み出す
「光源氏」とは、光り輝くように美しい源氏の人物という意味です。
この名前の由来には、海を超えた人が深く関わっています。
桐壺帝の第二皇子が七歳になった時のこと。
高麗人に人相見が得意なものがいると帝は聞きつけました。
そこで外交施設である「鴻臚館」(こうろかん)に第二皇子を送り、右大弁の子と装って人相を見せました。
すると高麗人は不思議そうに見ています。
「このお方は国を統べる帝王の相がある。しかしそうなれば、国が乱れ、嘆き悲しむ人も出ることでしょう。優れた高官として世を支えるべきとは思うものの、そういう相にも見えませんな」
そう語り、第二皇子を尊い、会えて光栄だと言いながら、帰国する我が身を惜しむのでした。
これを受けた帝は、天皇にせず、源氏とすることを決意します。
「光」にせよ、この予言があまりに輝かしいものとされたことから取られています。
つまり、高麗人の人相見がいなければ、「光源氏」は成立しなかったかもしません。命名までしておらずとも、由来を作ったとも言えるのです。
しかし問題があります。
それはこの【高麗人】という言葉です。
素直に読めば「高麗の人」になりますが、『源氏物語』の舞台は紫式部の時代より百年ほど前とされています。
そのころは新羅です。新羅は935年に滅びた――つまり、物語の時系列では王朝末期であり、来日するほどの余裕があったとも思えません。

576年頃の朝鮮半島地図/wikipediaより引用
かつては今ほど厳密に国籍や出身地が吟味されません。
対馬経由で来たモノやヒトは【高麗(こま)】と認識された。
つまり、この人相見の【高麗人】にしても【新羅】かもしれませんし、あるいは【渤海】の人かもしれません。
このことは【刀伊の入寇】時の対応でも表れています。
どうも【高麗】方面からくるらしい。しかしその国の人ではない――結果、【刀伊】と称されました。
この場合の【刀伊】は【女真族】、現在の【満洲族】とされます。
陰陽道や占い
『光る君へ』では、安倍晴明が【陰陽師】としてさまざまな術を駆使していました。
衣装は白黒に分かれており、見るからに神秘的。
日本の【律令制】時代には、占い・天文・時・暦の作成を専門とする【陰陽寮】がありました。
ここで学べる強みは、中国から来た漢籍がたっぷり所蔵されていることであり、賢い晴明が、頭の中にインプットしたら、周囲を手玉に取るぐらい容易いことでしょう。
しかも【陰陽師】は国家公務員という扱いです。
官位は決して高くはないものの、権威と知識があり、難しい専門用語をペラペラと流暢に話す。
このメリットを縦横無尽に生かしているのが、『光る君へ』の安倍晴明でした。
『鎌倉殿の13人』にも、呪術や占術を用いる阿野全成と文覚が登場。
二人は仏僧であり、こうした術は非公式で密かに覚え、用いることになります。

阿野全成(左)と文覚/wikipediaより引用
いわばフリーランスの呪術師であり、知識量も実践力も、安倍晴明には劣るものだったでしょう。
『鎌倉殿の13人』では、阿野全成が亡くなった木曽義高の魂を大姫のために呼び出す場面がありました。
あの「反魂の術」も中国由来で、前漢武帝が李夫人の霊を呼び出すために行ったとされます。白居易『長恨歌』にも登場するため、平安時代の日本でも馴染み深いものでした。
ちなみに安倍晴明には、母親が狐だったという伝説があります。これも中国由来の妖怪話では定番です。
医術と薬
『光る君へ』には、オリジナルキャラクターとして北宋人の見習い医師・周明(ヂョウミン)が登場しました。
これに目をカッと見開き、大興奮しそうな人物がいます。
ロバート秋山さん演じる藤原実資です。

藤原実資/wikipediaより引用
実資は、実に当時の貴族らしく【唐物】に目がない。
『小右記』には、自分よりも【唐物】を手にした貴族への妬ましさを記しています。
とりわけ実資が熱心に、しかも定期的に入手していたのが“薬”でした。
自分自身が定期的に服用しながら、幼い愛娘のためにも入手。
しかも細やかなことに、愛娘の場合は副作用を心配し、服用をためらう気持ちが日記『小右記』に記されています。
そんな【唐物】マニアの実資は、藤原彰子に仕える女房の中でも「藤原為時の娘」つまりは紫式部をお気に入りであり、懇意にしていたと『小右記』にあります。
ですので、唐人医(宋人の医者)の周明とまひろに対して、実資が医学の助言を求めくるシーンなどがあれば面白かったんですけどね。
もしも皆さんが、当時の医薬品を思い浮かべるのであれば、正月に欠かせない「屠蘇」がおすすめです。
あれは伝説の名医・華佗が調合した薬品由来とされ、本国では廃れ、日本にのみ残った慣習です。
屠蘇に含まれる定番である陳皮(ちんぴ)は、ミカンの皮を乾燥させたもの。
当時はそれすらかなり貴重なものだったでしょう。
生活を彩るペット
大河ドラマ『平清盛』には、藤原頼長のペットとして鸚鵡(オウム)が登場。
『光る君へ』でも、越前の宋人たちが中央に贈り届けた品目の中に鸚鵡がいて、藤原実資がからんでいましたね。
あるいは源倫子が飼っている小麻呂も、中国由来の「唐猫」(からねこ)であると思われます。
父・冷泉天皇の中宮である昌子内親王に、花山天皇が猫を贈った時、わざわざこう詠みました。
しきしまの 大和にはあらぬ 唐猫の 君がためにぞ もとめ出でたる
日本生まれの猫でなくて、正真正銘の唐猫を、あなたのために見つけて来ましたよ。
この日本の猫というのは、ヤマネコがペットとなったものか。はたまた先祖が日本に居着いた唐猫の子孫か、そこは不明です。
ともあれ「わざわざ輸入品を探しました」と詠むくらいですから、相当ブランド意識があったのでしょう。
あの小麻呂も、娘を溺愛する父が求めたのかと思うと微笑ましいですね。
※以下は「平安時代のペット事情」の関連記事となります
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音楽
光源氏たちが舞い踊る「青海波」はじめ、当時の音楽は【唐楽】や【高麗楽】と呼ばれます。
海外から伝えられた楽で踊ることが定番化しており、単なる遊びではなく天に捧げる聖なるものでした。
平安貴族が音楽を奏でる場面は、それは優美で楽しそうに見えるかもしれません。
実際は、立派な振る舞いや精神性を見せつけるための儀礼でもあります。
『鎌倉殿の13人』では、音楽に対して舐めた態度をした三浦義村に、生真面目な畠山重忠が怒りを見せました。

畠山重忠/国立国会図書館蔵
坂東武者だって、音楽は真面目にするものだと考えています。あれは義村がおかしいのです。
『源氏物語』には、音楽と紫式部の漢籍教養を見せつける場面もあります。
須磨に流された光源氏が奏でる曲名は「かうれう」でした。漢字ですと「広陵」であり「広陵散」のことを指します。
この曲名を読むだけで、読者はグッと涙がこみあげかねない、素晴らしいセンス。それには、こんな由来があったからです。
魏の時代、嵆康(けいこう)という人物がいました。
魏の皇族と近く、魏から政権簒奪を狙う司馬昭と鐘会は彼を疎んじ、微罪で処刑を決めました。
琴の名人である嵆康は、処刑の前に自作の「広陵散」を弾き、自らの死によってこの曲も失われてしまうのかと嘆き、斬られたのでした。
曲名だけで、この悲劇が思い浮かぶんですね。
さしたる罪もないのに都から落ちた光源氏はなんてかわいそうなのだろう!
そう号泣するポイントです。
嵆康本人からすれば「俺は光源氏みたいに、女がらみでスキャンダル起こしたわけじゃない!」とぼやきたくなるかもしれませんが、嵆康も中国史屈指の美男であり、光源氏にはピッタリといえます。
竹林の七賢として描かれる姿はおじさんですが、最近の中国アプリではかなりのイケメンとして描かれております。
『鎌倉殿の13人』では、結城朝光から琵琶を習った実衣がメロメロになっていました。
あれは彼がイケメンというだけではなく、彼女に対する
「琵琶が似合う美女といえば楊貴妃ですね」
という言い回しにもポイントがあります。
音楽と中国を絡めることで、心に触れるくるポイントが急上昇するのです。
しかし、庶民にとって「散楽」のような音楽は、単に楽しむためのものでしかありません。
こうした庶民的な感性は必ずしも悪いものではありませんが、拡大解釈することは危険でもあります。
大河ドラマ『青天を衝け』の主人公である渋沢栄一の儒教理解は、渋沢が研究者でもないせいか、極めて自分勝手でおかしなものがあります。
例えば『論語』「述而」にはこうあります。
子、人と歌いて善(よ)ければ、必ず之(これ)を返さしめて、而る後に之に和す。
孔子は、誰かと歌って相手が優れていると、必ずその相手に繰り返し歌わせて、自ら一緒に歌っていた。
それが渋沢栄一の『実験論語処世談』にかかるとこういうことになります。
孔子は聖人君子のようだが、そういうわけでもない。
誰かと一緒に嬉しそうに合唱することだってあった。
つまり、宴会では可愛いお姉ちゃんと歌ってたんじゃね?
これを知ったら、藤原為時にせよ、紫式部にせよ、ため息をついて「あの学問が嫌いな惟規だってこんなこと言わないよ!」と嘆きそうな話です。
字面だけ追いかけ、自分の経験やセンスで判断すると、間違うということでしょうか。
黒貂の毛皮
『源氏物語』で残念な女君No.1とされるのが末摘花です。
鼻が垂れ下がっていて赤いという点は、時代を超えて理解できる残念なところ。しかしそれ以外の残念ポイントは、ちょっと判断が難しいかもしれません。
末摘花の残念キーアイテムは「黒貂の毛皮」でした。

黒貂/wikipediaより引用
非常に大事にしており、それを兄に取られると光源氏に訴えます。
しかし光源氏は、
「毛皮なんてもういいっしょ」
と、素っ気ない態度。
そもそも黒貂の毛皮はどこから来たのか?
というと渤海国です。
他にも虎、熊、豹の毛皮も献上され、ごく少数が流通していましたが、『源氏物語』の時代には往来がなく、前時代的で古いものでした。
令和になってからバブル期のワンレンボディコン姿を見ると失笑してしまいそうな、時代遅れの痛いものなのです。
こうした価値観は、渤海と交流が途切れたこの時代の日本だけでもあります。
その他の地域では憧れの高級品。
黒貂の産地から中国を支配することとなった清朝の服には、黒貂の毛皮が誇らしげにつけられていました。

黒貂が用いられた清朝の服/wikipediaより引用
秘色(ひそく)
末摘花は「秘色(ひそく)」の磁器で食事をしていました。
ボロボロの家に暮らしているのに、食器は超高級品だというギャップ。資産家だったのは昔のことであり、今は落ちぶれているとわかります。
平安時代は、親が早くに亡くなってしまうと、子は没落してしまう。
藤原行成はそのせいで出世が頭打ち。字がどれだけ上手で、頭も賢かろうが、そうなってしまうのが現実です。

藤原行成/wikipediaより引用
女性はさらに悲惨でした。
末摘花のパートは笑いを誘うだけでなく、当時の読者にそのリアリティさが鋭く刺さったことでしょう。
この「秘色」は最高級の青磁とされます。澄み切った空にも、翡翠にもたとえられる美しい色。
陶磁器は、輸入品の中でも人気はトップクラスでした。
薄い、軽い、見た目も素晴らしい! とにかく持っていなければ恥ずかしい!
そのため『光る君へ』の世界でも、皇族や大臣の家には、これみよがしに陶磁器がずらりと並んでいました。
『鎌倉殿の13人』においては、この食器で京と坂東の格差を示しています。
最先端のセンスを発揮したかったのか、愛する妻・りく(牧の方)にせがまれたのか。劇中では素朴な性格だった北条時政も、屋敷跡からは京好みの陶磁器が発掘されます。

北条時政/wikipediaより引用
最終回で、のえ(伊賀の方)が義時に飲ませた薬も、美しい陶磁器の壺に入っていました。
一方、義時の弟・時房と、息子の泰時は、素朴な壺で酒を飲んでいます。
京と坂東の差を小道具で鮮やかに示したのですね。
『鎌倉殿の13人』の世界の後、鎌倉ではますます陶磁器が求められるようになりました。
源実朝の日宋貿易構想は頓挫したもの、泰時が実現。坂東武者も、こう思うようになったのでしょう。
「宴をやるのにさぁ、唐物がないとかありえないっしょ!」
そのせいか鎌倉からは大量に陶磁器が見つかります。日本で最も宋の陶磁器が出てくるのは鎌倉なのです。
この陶磁器ブームは、武士の世と共に続いてゆきます。
室町時代、日明貿易の実現にこぎつけた足利義満は、そこで武士の宴会ルールを決めました。
「ある程度格の高い宴会では、唐物陶磁器はマストアイテム。必ず置きましょう」

足利義満/wikipediaより引用
こう規定しておけば、日明貿易を行う室町幕府のセンスに従うしかない――いわば文化による支配でした。
その後、幕府権威が低下すると、新たなムーブメントが起こります。
茶道の大家である千 利休が、自らのセンスで文物の格付けを行うようになったのです。
しかし、信長や秀吉の、独自のセンスを失う路線は彼らの天下が頓挫したこともあり、そこまで徹底されたわけでもありません。
江戸時代になっても、大名はやはり、唐物陶磁器をステータスシンボルとする傾向を保ち続けます。
武士の世が終わった明治維新のあと、江戸の武家屋敷からはこうした陶磁器が大量に流れてゆきました。
それを骨董商や資産家が購入し、コレクションを作り上げます。
現代には博物館のガラスの中に、そうした唐物陶磁器の姿をみつけることができます。
香
ドラマでは再現が難しいものとして、香が挙げられます。
『源氏物語』にも『枕草子』にもよく出てくる香は、当時の貴族にとって欠かせないものでした。
入浴の頻度が今よりずっと低く、照明も暗い――そんな時代で相手の個性を確認し、ムードを高めるためには香が欠かせません。
香を焚き染め、衣に染み込ませる。
一日経過したくらいが一番好きだと清少納言は書き記しています。
『鎌倉殿の13人』でも、後白河法皇の手紙はよい匂いがするからわかるという場面もありました。

後白河法皇/Wikipediaより引用
坂東では手に入らない香は、都らしさを感じさせたことでしょう。
こうした香木は熱帯地原産のものも多く、輸入なくしては香の文化も成立しないものでした。
ゲーム・行事
『光る君へ』では、貴族たちがゲームを楽しんでいました。
囲碁、双六、投壺などなど、中国から伝えられた遊びです。
現代で「すごろく」といえば「絵すごろく」を指すことが多いですが、当時はギャンブル性の高い「盤双六」を指します。
打毱は格式の高い神事として保存されています。
唐由来であったものの、本国では廃れ、日本で保存されているという貴重な行事です。
「曲水の宴」も、唐から渡来した行事です。

山本若麟 『蘭亭曲水図』/wikipediaより引用
中国では「流觴曲水(しゅうしょうきょくすい)」と呼ばれます。
書聖として名高い王羲之は、蘭亭で行われたこの行事を記念して「蘭亭序」を記しました。伝説的な行事として、藤原道長はじめ有力者が盛大に開催しています。
唐物抜きでは生きていけない!しかし……
【遣隋使】と【遣唐使】を派遣していたころ、日本には「国家を作る!」という使命感がありました。
唐という強大な帝国を目の当たりにし、日本でも確固たる国家を作らねばならないと考えたのです。

遣唐使船/wikipediaより引用
しかし、唐は滅び、五代十国時代を経て、宋となると、そうした緊張感は薄れてゆく。
平安京の貴族たちは【摂関政治】を繰り広げ、内向きの権力闘争に明け暮れたのです。
それでも暮らしを彩る【唐物】は何としても欲しい。ステータスシンボルとして求める停滞期が、紫式部が目の当たりにした時代です。
しかしその政治にも限界が訪れると、平清盛というゲームチェンジャーが現れます。

月岡芳年が描いた平清盛/wikipediaより引用
莫大な利益を生み出す【日宋貿易】ならば、自らが独占し、利益を得ればよいではないか――そんな画期的な発想でした。
中国大陸でも変化が訪れていました。
【北宋】が【金】に攻められ、南に【南宋】を建てる。その結果、北部にあった鉱山が自国領でなくなり、貴金属が不足してしまうのです。
そこで日本との貿易により需要が急拡大したのが奥州の砂金でした。マルコ・ポーロが日本を「黄金の国」として『東方見聞録』に記した背景として、そんな貿易があります。
日本史を振り返っていると、日本という国は平穏な日々が続くと、どうにも油断する傾向があるように思えます。
典型例として江戸幕府の幕末が挙げられますが、それだけでもなく、平安時代も後半になると中だるみをしてゆく。
平安貴族だって遊んでばかりいたわけではなく、忙しく実務をこなしていたと、最近は認識を改めさせられつつあります。
しかし、外交についていえば明らかに怠惰です。
興味なし。なるべく考えないようにしている。でも輸入品は欲しい!
『光る君へ』は、まさにそんな弛緩した時代です。
唐猫が寝そべり、青磁で薬湯を飲み、丁子で染めた絹の服を身に纏った貴族たち。
彼らにその輸入経路や手間暇について尋ねても、答えられるとも思えません。
そしてそれこそが危機なのだと、果たして認識できるかどうか――そんな学びをしてこそ、歴史とは異議があるのかもしれません。
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【参考文献】
『日本漢籍需要史:日本文化の基層』(→amazon)
川添房江『源氏物語と東アジア世界』(→amazon)
山口博『平安貴族のシルクロード』(→amazon)
近藤好和『装束の日本史』(→amazon)
他






