研究が進み、どんどん変わる、諸説ありの日本の歴史。
鎌倉幕府の始まりが1192年なのか1185年なのか、アタマがこんがらがったままの方もおられるでしょう。
今回はそんな変わりゆく日本史を解説した一冊
『超現代語訳×最新歴史研究で学びなおす 面白すぎる! 日本史の授業』(→amazon)
から「鎌倉幕府設立」の項目をお借りしてきました。
著者は、超現代語訳日本史でヒットを飛ばし続ける歴史好き芸人・房野史典氏と、NHK歴史探偵でおなじみ河合敦氏のお二人。
最新のアカデミックな歴史研究を親しみやすい文章でお送りします。
※記事末に本書の目次がございます
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房野史典氏:乱立する鎌倉幕府成立年
鎌倉幕府の成立は、『イイクニ(1192)つくろう』から『イイハコ(1185)つくろう』に変わった。
歴史は変わるもの。それに付随いして歴史の教科書も変わる具体的な例の代表格、「イイクニ」→「イイハコ」へのチェンジ。
これを聞いたとき、大人の方々(現在アラフォー以上)は、かなりの衝撃を受けたんじゃないでしょうか。
もしかして今知ったという方。衝撃じゃありませんか?
実は、鎌倉幕府の成立はイイハコ(1185)という説をメディアで広めたのは、何を隠そう河合敦氏です。
ご著書『逆転した日本史』(扶桑社新書)の中でもこのようにおっしゃってます。
「日本で最初に鎌倉幕府の成立が『イイハコ(1185)』に変わりつつあるとバラエティ番組で話したのはこの私だ。(中略)でも、はっきりいってこの話、ウソなのである」
ウソでした。衝撃止まらず。
河合敦氏は続けてこう書かれています。
「武家政権としての鎌倉幕府が成立した年については、現在も定説なんてないのだ」
衝撃の波状攻撃。定説ありませんでした。
では、「一体どういうことだ……」と揺さぶられている方のために、僭越ながら僕のほうから説明させていただきます。
まず、鎌倉幕府の成立年については、1192年と1185年以外にも、次のような説があるんです。
主語は全て「頼朝」です。
1、鎌倉に入り、南関東軍事政権を確立した1180(治承4)年。
2、 事実上、東国の支配権を確立したことを承認する「寿永二年十月宣旨」が下された1183(寿永2)年。
3、公文所・問注所を設置した1184(元暦元)年。
4、守護・地頭の設置・任命を許可する「文治の勅許」を獲得した1185(文治元)年。
5、権大納言、右近衛大将に任じられた1190(建久元)年。
6、征夷大将軍に任じられた1192(建久3)年。
この中で、現在もっとも支持されているのが4の1185年説なのですが、あくまで4も「支持率が高い」ということであって、正解ってわけじゃないんです。
諸説入り乱れた中でいまだ確定は出ておらず、現在の教科書の注釈にも、1192年説や他の説がちゃんと紹介されている――ということを河合敦氏はおっしゃってるんですね。
しかし、なぜこうも諸説が乱立しているんでしょう?
そして、なぜ確定が出ていないんでしょう?
それもこれも原因は1つ。
「幕府」の定義がハッキリとしていないからなんです。
いやいやいやいや、と思われた方。それならばこちらも言わせていただきます。
いやいやいやいや。
幕府という言葉自体がそもそもない?
「幕府ってのは中央政府だろ」とか「征夷大将軍が治める武家政権だろ」なんて思われたのなら、ちょっと聞いてください。
おそらくそのイメージは、江戸幕府に引っ張られたものじゃないでしょうか。
鎌倉時代初期の幕府は全国を統治したわけでもなければ、西国においては朝廷の力が依然強かったわけです。
そこから時が経つと、執権の北条氏が幕府の実権を掌握し、摂家や皇族から将軍は迎えられたものの(摂家将軍、宮将軍)、征夷大将軍は名目的にしか存在していません。
これ、一般的にイメージする幕府の定義からは外れている気がしませんか?
それでも「鎌倉に幕府はあった」と言われているしナンダコレ状態です。
いかがでしょう。
「たしかに定義は定まってなさそうだな……」と納得していただけたでしょうか。しかし、ここで1つ疑問が浮かんできます。
当時はどうしていたの?
定義が曖昧だとすると、幕府を幕府たらしめている根拠はなんだったのか。何をもってして「幕府はじめました!」と宣言していたのか。
その答えを求めるとき重要になるのが、実は当時、「幕府」は「幕府」と呼ばれていなかったという点です。
え、と思われた方。ならばこちらも、え?
「幕府」と呼称され始めたのは江戸時代中期以降のことで、それまで鎌倉幕府ならば「鎌倉殿」だったり、江戸幕府は「公儀」などと呼ばれておりました(近衛大将の唐名として「幕府」という言葉自体は古くからあります)。
鎌倉幕府も室町幕府も〝幕府ではなかった〞のだから、当然そこに定義などは存在しません。
つまり幕府とは、後世から振り返って「征夷大将軍」ありきで設定された呼称や概念のため、さまざまな場面で不都合を生み出すメチャクチャに扱いづらい学術用語なんです。
未来の教科書には幕府がいっぱい?
そうなると、幕府をどう定義するかによって始期や終期は変わってきます。
全国統治という点に重きを置くなら、鎌倉幕府の創設年は、「承久の乱」に勝利し、朝廷の力を上回って勢力が西国まで及んだ1221(承久3)年になってきます。
また、戦国時代には、織田信長が足利義昭を京都から追放した1573(元亀4)年に室町幕府は終わりを告げた、と教科書には書いてありますが、義昭は鞆(広島県福山市)に移ったのちも征夷大将軍であり続け一定の権力を有していたことから「鞆幕府」が存在したという説もあるんです。
さらに言うと、ある時期の政権に対して新たに「◯◯幕府」と名付けることも可能になってきます。
六波羅幕府、堺幕府、安土幕府。
研究者と定義の数だけ幕府は存在すると言ったら大げさですが、もしかすると未来の教科書には、新たな幕府が増えている可能性がある……かもしれませんね。
河合敦氏、「幕府」や「戦国大名」など、普段当たり前のように使っている歴史用語でも、定義が難しくてまいっちゃうものって意外に多いですよね?
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