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【鎌倉幕府は1192年か1185年か?】
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河合敦氏:戦をしなくても戦国大名
房野さんのおっしゃるとおり、「鎌倉幕府の成立は、『イイクニ(1192)つくろう』から『イイハコ(1185)つくろう』に変わった」とテレビのバラエティ番組で初めて話したのは、たぶんこの私だと思います。
さて、本題ですが「幕府」や「戦国大名」など、普段当たり前のように使っている歴史用語でも、よくよく考えてみると、その定義が難しく、一般の常識とかけ離れているものって少なくありません。
たとえば、房野さんが例としてあげた「戦国大名」について詳しく取り上げてみましょう。
みなさんのイメージでは、下剋上によって成り上がり、天下統一を目指して各地で戦うエネルギッシュな武将という印象が強いと思います。
では、歴史学ではどのように定義されているのでしょうか。
「戦国時代に各地域に郡ないし国規模を支配領域として成立する地方政権の主宰者。戦国大名は、成立する地域の政治・経済・社会の諸条件によってさまざまな形態をとるが、支配領域に対して、所領安堵権・軍事指揮権・裁判権などを一元的てきに掌握し、領土と人民を支配する専制権力である」
これは、日本史を知る上で一番詳しい辞典『国史大辞典』(吉川弘文館)の記述です。
また、日本史の教科書では
「地方では、みずからの力で領りょう国ごく(分国)をつくり上げ、独自の支配をおこなう地方権力が誕生した。これが戦国大名」(『詳説日本史B』山川出版社 2021年)
と定義しています。
ようは、地方の郡や国単位の土地と住人を強力に支配する者を戦国大名と呼んでいるわけです。合戦をしなくても、天下を目指さなくても、戦国大名なのです。
戦国大名は戦が嫌い?
はっきり言って全国平定を目指した戦国大名なんて、いませんでした。
合戦もしないですむならしないほうがよかったのです。進んで他国を攻めに行くのは大変ですし、領民もそんなことは望んでいません。
たとえば、安芸の国の国人(有力武士)から10カ国を支配する大大名に成り上がった毛利元就。
彼は厳島合戦で強大な陶晴賢かたを破る大勝利を収めますが、本当は陶とは戦いたくなかったと手紙に書いています。
「いずれは陶晴賢と戦わなくてはいけないと思うけれど、彼を倒したとしても征服した陶の領国を支配する自信が持てない。一番大事なことは、毛利の家が続くこと。大それたことを考えると家が滅んでしまうからね」
と述べているのです。
ですが、相手が仕掛けてきたので、受けて立たざるを得なかった。つまり元就にとっての合戦は、領地の拡大ではなく領国の安芸や備後を守る防衛戦だったのです。
研究者の鴨川達夫氏は、元就の思考を次のように推測しています。
「備中で大敗すれば、ただちに本国の備後に危険がおよぶ。ならば、備後を守るため、その外側の備中を支配下に置いたほうが安全。このように、領国を守るために懸命になっているうち、結果的に勢力圏が広がっていった」と言っています。
また、提携している領国近辺の国衆(小規模な戦国大名)が他の大名に攻められると、戦国大名は彼らから「助けて!」と応援を求められます。仕方なく応援のため兵を送り、戦っているうちに領地が広がっていく。それが戦国大名の領地拡大の過程だったという説もあります。
信長は全国を統一するつもりではなかった?
また、織田信長は、美濃を平定したあたりから「天下布武」の印を使ったので、天下統一を目指したと言われていましたが、なんと近年は否定されています。
「天下は全国を意味する言葉ではなく、畿内のこと。つまり信長は、畿内に室町将軍の政治を復活させようとした。それが天下布武の意味なのだ」と池上裕子氏などが唱え、それが定説になりつつあるのです。
そうなると、戦国大名というのは「地方では、みずからの力で領国(分国)をつくり上げ、独自の支配をおこなう地方権力」(『詳説日本史B』山川出版社 2021年)と定義するのが一番ふさわしいわけです。
歴史用語と世間のずれ、そうしたことは他にも多くに見受けられます。
たとえば「鎌倉新仏教」。鎌倉時代に誕生した新しい仏教宗派ですが、みなさん、その6つを全部、覚えていますか。
でも、実は鎌倉時代には、同じように斬新で新しい宗派が他にもたくさん生まれています。
そのうち、室町時代に発展し、江戸時代まで生き残った6つの宗派を明治になってから鎌倉新仏教と定義するようになったのです。
さらに言えば、新仏教のうち鎌倉時代に栄えたのは、幕府の保護を受けた臨済宗だけでした。
まだまだ鎌倉時代は、南都六宗や天台宗、真言宗など旧仏教のほうが圧倒的に力を持っていたと言えます。
このように、よく知られている歴史用語は、小難しいうえ、私たちのイメージとは大きくずれていることが多いのです。
★本編ここまで。
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著者情報と一緒に、本書の目次も掲載しておきますね。
【著者情報】
◆河合 敦(かわい あつし)
1965年、東京都町田市に生まれる。
青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。都立紅葉川高校、都立白鷗高校、文教大学付属高等学校などをへて現在、多摩大学客員教授。早稲田大学で非常勤講師もつとめる。著書は『早わかり日本史』(日本実業出版社)、『殿様は「明治」をどう生きたのか』(扶桑社文庫)、『逆転した日本史』(扶桑社新書)、『渋沢栄一と岩崎弥太郎』(幻冬舎新書)、『日本史は逆から学べ! 』(光文社知恵の森文庫)、など多数。その他「歴史探偵」(NHK)、「世界一受けたい授業」(日本テレビ)、「日本史の新常識」(BSフジ)、「にっぽん! 歴史鑑定」(BS―TBS)、NHKラジオ「ごごカフェ」などテレビやラジオにも多数出演。「ぬけまいる」「大富豪同心」などNHK時代劇の時代考証も多く手がける。
[受賞歴]
第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)
第6回NTTトーク大賞優秀賞
2018年雑学文庫大賞(啓文堂主催)を受賞。
◆房野史典(ぼうの ふみのり)
1980年岡山県生まれ。名古屋学院大学卒業。
お笑いコンビ「ブロードキャスト!!」のツッコミ担当。
無類の戦国好きで、歴史好き芸人ユニット「ロクモンジャー」を結成するなど、意欲的に歴史普及活動を行っている。子どもたちに歴史の面白さを教える授業(YouTube『STUDY FREAK』など)も好評で、歴史専門家からの信頼も厚い。
著書に『笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳 戦国時代』『笑えて、泣けて、するする頭に入る 超現代語訳 幕末物語』『13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう。』(幻冬舎刊)、『時空を超えて面白い! 戦国武将の超絶カッコいい話』(三笠書房刊)がある。
本書の目次
PART1 飛鳥時代~室町時代
【1時間目】
古代史きってのヒーロー聖徳太子。
小→中→高の順に影が薄くなり……小学校では英雄、高校では脇役の理由
【2時間目】
これだけ悪いことが重なれば、大仏様を造りたくもなります……
大仏造立は日本初の大規模公害
【3時間目】
平安京は祟りの末にできた都?
怨霊が政治を動かす古代日本
【4時間目】
けっきょく「鎌倉幕府」はイイハコなの? イイクニなの?
戦をしなくても戦国大名
【5時間目】
蒙古襲来! 一騎討ちVS 集団戦法……嘘かも説
蒙古襲来に定説は存在しない?
【6時間目】
王朝が分裂した南北朝時代――の前から王朝は分裂していた
太平洋戦争後も? 時空を超えた南北朝の対立
PART2 戦国時代/安土桃山時代
【1時間目】
戦国時代の幕開けは応仁の乱、ではなく……
戦国の始まりは享徳の乱?
【2時間目】
北条早雲の激変ビフォーアフター
「謎多き明智光秀」のその理由
【3時間目】
今、信長、過渡期です
長篠の戦いは単なる数の差ゆえの勝利だった
【4時間目】
注釈だらけの天下人 豊臣秀吉
人の魅力は二面性とは言うものの
【5時間目】
ああ、幻の関ヶ原
合戦の前日に態度を明らかにしていた秀秋
【6時間目】
アフター関ヶ原~口頭の契約だけで整った世界~
士農工商の身分制度はよくできたウソ!
PART3江戸時代/幕末
【1時間目】
もう一度〝鎖国〞の話をしよう
江戸時代の日本は貿易大国だった
【2時間目】
徳川吉宗、幕府一大リフォーム計画
犬公方が生類憐みの令に込めた思い
【3時間目】
〝賄賂〞と聞けば思い出す? 田沼意次、マジでミステリアス
ひたすらに経済の拡大を目指した意次
【4時間目】
井伊直弼 赤鬼と呼ばれた悪役の素顔
逆賊、直弼の汚名はなかなか消せず
【5時間目】
いろんなことがアレだとしてもやっぱり龍馬はスゴかった
ここがスゴい! 龍馬の圧倒的な経済観念