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【周瑜】
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荊州でぶつかりあう勢力とは?
曹操は、華容道をなんとか敗走していきました。
彼自身も苦労しましたが、残された配下はもっと大変なことになります。
南北の緩衝地帯である荊州が、またも重要拠点となります。かつては北からの侵攻を受けていたのが、逆転したのです。
孫権配下の将軍たちは、残る曹仁を攻め立てました。
呉からは、程普、甘寧、呂蒙、凌統ら、錚々たる面々が向かいます。曹操の配下でも屈指の勇将である曹仁は、よく守り抜きます。
この戦いの最中、馬で敵陣に乗り込もうとした周瑜は、矢で鎖骨を負傷してしまいます。
これを聞いた曹仁はチャンス到来とばかりに進軍! そのため周瑜は病床から起き上がり、重傷をこらえ指揮を執り、将兵を感動させたのでした。
建安14年(209年)、激闘を経て、ようやく荊州・江陵城から曹仁は撤退します。
この城に入った周瑜は、南郡太守となりました。ここから荊州を治めると周瑜は気合いが入ったことでしょう。
ところが、意外な展開をみせるのです。
なんと、劉備主従が荊州南部(武陵・長沙・桂陽・零陵)を制圧して支配し始めたのです。
しかも、荊州を支配していた劉琦が亡くなると、自ら荊州牧を名乗り出したのですから、周瑜からすれば不愉快極まりない状態。
背後には、あの男がいました。
そうです、諸葛亮の「天下三分の計」です。
孫権はとりあえず、妹の孫夫人を劉備に嫁がせて様子を見ることにしました。
それでも劉備は周瑜の認める荊州支配範囲があまりに狭いと、クレームをつけてくるのでした。
天下二分か、天下三分か
周瑜はこれを警戒し、こんな策を孫権に進言しました。
劉備を侮ってはなりません。関羽や張飛といった将を擁しているからには、いつまでもあのままではおりますまい。
呉に呼び出しましょう。立派な家でも作り、美女や娯楽を側に置いて、骨抜きにするのです。
そして関羽や張飛は地方に派遣します。
私のような者が彼らを使いましょう。これぞ成功間違いなしの策です。
奴らをまとめて土地を与えてやる。
危険極まりないことです。
この状態を蛟竜雲雨(こうりゅううんう)と呼び、警戒心を示しています。
【蛟竜雲雨を得ば、終に地中の物に非ず】
【訳】池の中でおとなしくしている龍は、雲や雨を得れば力を増し、ついに飛び出してしまう
しかし、孫権はこの策を却下しました。曹操と対抗するためにも、劉備が必要だと油断したのです。
実は、劉備もギリギリでした。京口まで呼び出されたところを、諸葛亮に止められていたのです。
あとから周瑜の策を聞き、ホッとしたそうです。
「あっぶねー! 頭のいい奴って、そういうことを思いつくもんだな。諸葛亮が止めてくれて助かったわ。あのままいたら、周瑜の思う通りになった」
劉備も周瑜は警戒して、孫権にこう言ったこともあるほどでした。
「公瑾どのは、知勇兼備、まさに英傑ですよね。あれほど器量が大きい方が、いつまでも人のもとに仕えているとは思えないわけでして……」
これも、褒めることで君臣の仲に不信感を抱かせるための発言でしょう。
周瑜に比べて、孫権は甘いところがありました。蜀攻略を共同してやろうと持ちかけたのです。
劉備は返事を濁し、ごまかしました。
それはそうでしょう。蜀こそが、劉備が欲しい土地なのですから。
孫権はそんなものかと諦めかけますが、周瑜は違います。蜀こそ劉備の狙いと見抜いていたのかどうか。そこはわかりません。
しかし、彼が蜀攻略を狙っていたことは確かなのです。
早すぎた死
建安15年(210年)。
蜀は、そこを支配したいものにとってはチャンスのときでした。
宗教団体である五斗米道の張魯が蜀を攻撃するものの、劉璋は防ぐほどの気概がない人物。そこにつけいれば、支配は容易い状況だったのです。
周瑜は亡き孫策と同じく、北へと向かう策を思い描いていました。
曹操が赤壁の敗戦から立ち直れていない今こそが、好機。
蜀を手に入れる。
張魯を降す。
西涼の馬超とも協力する。
襄陽を拠点として、そこから曹操を追い詰め北を目指す。
孫策の悲願を焼き直した、大胆なものでした。
ちなみにこの襄陽は、1268年から1273年にかけて、モンゴル帝国と南宋の戦いが行われた場所です(襄陽・樊城の戦い)。
南北が激突する場所でした。
しかし、周瑜は、策のため江陵を目指していたとき、巴丘で病に倒れてしまうのです。
彼は死の床で、大胆さを身上とする魯粛を後継者として指名。
曹操、そして劉備を懸念し、この乱世をどうかよく治めて欲しいと孫権に訴えました。
私の進言を聞き入れてくださるのであれば、死しても後悔はありません――。
そう言い残し、周瑜は早すぎる死を迎えたのでした。
享年36。
くしくも親友であり、義兄弟のようであった孫策と似た状況での最期とも言えました。
二人とも、北を制覇する大胆な戦略を抱いたまま、短い命を終えたのです。
十年の差がそこにはありました。
孫権は周瑜の遺体を迎えに出て、悲しみのあまり号泣しました。
「公瑾どのこそ、王佐の才の持ち主だった。そんな彼がこんな短命で世を去られてしまうなんて。私はこれから、誰を頼りにすればいいのだ!」
その様子は、周囲で聞く者たちの胸が張り裂けるほどでした。のちに帝位についたとき、孫権は周囲にこう語ったものです。
「朕がこうして即位できたのも、公瑾どのあってのことだ……」
周瑜の死後、魯粛は前任者ほど厳しい態度を劉備に取りませんでした。
建安11年(211年)、劉備は蜀へ侵攻し、三年後に制覇。
「天下三分」はかくして成立します。
周瑜や魯粛の「天下二分」と、諸葛亮の「天下三分」は、後者の勝利のように思えます。それも、周瑜の夭折あってのことです。
なお、ここでは『三国演義』はじめとするフィクションで、
【諸葛亮に勝てないと絶叫し、血を吐きまくる周瑜のこと】
は記述しておりません。
正史の事績を追うだけで十分有能かつ魅力的です。
正史と異なり、傲慢で短気で嫉妬深い周瑜の姿については、『三国演義』ベースのフィクションでお楽しみください。
江東の誇り高き魂
孫策や周瑜の戦略は、中国史を考えるうえでの重要な点です。
三国時代の後、中国史は大動乱を迎えます。
長江の南側は、しばしば追い詰められた漢民族が依拠する地となりました。
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「淝水の戦い」における東晋。
「襄陽・樊城の戦い」のおける南宋。
明末清初における、中国南部における激しい抵抗。
長江の南側で奮闘する彼らの姿の起点は、周瑜以前にもあったものでしょう。
しかし、大勝利できると示したとなれば、やはり周瑜の功績は大きいものです。
そういう江東のプライドや誇り高さが、周瑜の生き方と戦略から感じられます。
周瑜は魅力的です。
その智勇、弁舌、戦略、戦術。
美貌、音楽センス、孫策との友情、寛大さと謙虚さを持ち合わせた性格は、いうまでもありません。
それだけではありません。
江東という土地、そこに住む人々、その志を一致させ、昇華させてゆくプライドは、極めて気高いと言えるのではないでしょうか。
そういう気高さは諸葛亮にもあるでしょう。
ただし、彼の場合は蜀に生まれ育ったとは言えません。その土地に根付いているかと言われると、少し違う気がしてしまいます。
歴史的に見れば、漢王朝の後継にあたる曹一族の魏。
根拠は薄いものの、フィクションでは漢王朝の後継者とされ、善玉扱いされた劉一族の蜀。
それに対して、孫一族の呉は割りを食っています。
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かませ犬扱いが長いことなされて、正史を無視して『三国演義』ベースで語られてしまう。
周瑜といえば、諸葛亮にライバル意識を燃やして、血を吐きまくるヒステリックな扱いが定番です。
冒頭に挙げた【美形にされない問題】も、彼が呉の将だからということが大きな要因ではないでしょうか。
短気なかませ犬に美形俳優を使うことはない。
そうなってしまうのでしょう……。
しかし、繰り返しますが、正史の周瑜は非常に魅力的です。
三国鼎立だって、彼の戦略と赤壁での勝利がなければ、ありえないことでした。
そんなもっと評価させるべき名将の活躍は、『三国演義』ではなく、正史ベースのフィクションをおすすめします。
映画『レッドクリフ』二部作は言うまでもありません。
小説は陳舜臣氏の『秘本三国志』を推奨します。
孫策と周瑜を扱かった小説には、ボーイズラブもあります。
タイトルと表紙からは判別しにくい作品も含まれています。それが好きな方は是非お読みいただければと思いますが、そうでない方は誤って読んでしまわないよう、ご注意ください。
正史を元にした評伝は、生き生きとした彼の魅力が伝わってきます。
まずはそのような書籍から当たってみることもよいでしょう。
本稿の参考文献をぜひとも当たってみてください。
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絵:小久ヒロ
文:小檜山青
※2020年1月16日発売の『三國志14 TREASURE BOX』同梱のアートブックで全武将の紹介文を書かせていただきました(→amazon)(PS4版はこちら)
【参考文献】
小南一郎/陳寿/裴松之『正史三国志6』(→amazon)
小南一郎/陳寿/裴松之『正史三国志7』(→amazon)
井波律子『中国人物伝2 三国時代ー南北朝 反逆と反骨の精神』(→amazon)
伊波律子『三国志曼荼羅』(→amazon)
伊波律子『読み切り三国志』(→amazon)