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週刊武春 アメリカ

ケネディ大統領と暗殺犯のオズワルドの両方に会った事のある人ご存命!

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世間って、広いのか狭いのか良く分からなくなる話です。と言うか、「そういう事ってあるんだなぁ」と唸ってしまう、事実は小説よりも奇なりという話。

何と、殺されたジョン・F・ケネディ大統領と、殺したとされるリー・ハーベイ・オズワルドの両方に会って話をした事のある女性が今なお存命しており、事件50周年を迎えて新証言をしています。

JFケネディ

JFケネディ(Wikipediaより)

 

オズワルド(Wikipediaより)

オズワルド(Wikipediaより)

どちらか片方に会った事のある人なら、いるにはいるでしょうけど。両方ってのはレア。ネタを発掘してきたフォックス・ニュースに敬意を表したくなりました。

 

モスクワ大使館時代に、亡命申請のオズワルドと面談

証言を寄せたのは、プリシラ・ジョンソン・マクミランという女性。年齢を書くのは失礼なのかもしれませんが、85歳。恐らく、両方とも会った事がある人で存命しているのはマクミランさんだけだろうとフォックス・ニュースでも断っているほどです。

何しろ、生前のオズワルドは、親しい人が殆どいなかったそうですから、尚更でしょうね。

まず、マクミランさんとケネディ大統領との関係から見ていきましょう。マクミランさんはハーバードのリサーチャーとして働いていた頃、上院議員だったケネディと知り合いました。アジア情勢について助言するのが役割だったそうです。有能な人だったのでしょう。アイゼンハワー政権(つまりケネディ大統領の前の政権)時代にモスクワのアメリカ大使館でのポストが与えられます。

そのモスクワ勤務時代の1959年11月16日に、オズワルドと面会するのです。

 

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ソ連に亡命したがっている男

オズワルドがソ連に亡命し、更にその後にアメリカに舞い戻った事は余りにも有名ですね(だから、暗殺事件後、当時のソ連が『ウチは関係してないからね』と、真っ先に声明を発表していました)。その出だしというか、大使館側が事情を聴取しようとしていたのが、11月16日だったのです。

ところが、口を割らない。大使館員も困り果てますが、マクミラン氏の事を思い出し、連絡を取りました。

「ソ連に亡命したがっている男が、君の宿泊しているメトロポール・ホテルにいるんだけど、何も話そうとしないんだ。でも、君は女だから、ひょっとしたら口を開くんじゃあないかなって思ってね」。

大使館の職員は、そう話したそうです。で、御本人の出番とあいなりました。

海兵隊員だったオズワルドは、アメリカ市民権を放棄してソ連に移住しようとしていた所でした。ホテルの3階で面談に応じ、6時間余り話し込んだそうです。

「オズワルドは自分が何して良いのかが分かっていないように見えたし、実際何をしようとしているかという自覚も無かったようでした」とマクミランさん。

御本人の目から見たオズワルドは「大学生みたいだった」そうです。「丁度20歳を迎えた所でしたけど、見立ては10代の後半って感じでしたね。態度にしても、怒りっぽいとか、他人に大きな印象を与えようとかっ言うのではなく、どちらかと言えば控えめでシャイな風でした」(マクミランさん)。

その点、ケネディとは正反対だったそうです。大統領就任後も親しくしていたのですが、マクミランさんから見たケネディは好奇心の強い、カリスマ性のあるキャラクター。今も、ケネディの何がオズワルドに暗殺を決意させたのかを推測しています。

「ケネディは、質問魔でした。本当に沢山、私に質問を投げかけました。だから、自分が何故ああいう事になったのかについても知りたがっているだろうと思うのです。あの若者(オズワルド)が、外出した上で他の誰でもなく自分自身(ケネディ)を撃つしかなかったのは何故かと、知りたがっていると、今も思っております」。

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オズワルドの未亡人とも親しくなり

奇縁と言いましょうか、マクミランさんは暗殺事件後にオズワルドの未亡人となったマリーナ・ポーターさんとも親しくなります。遂にはテキサス移住し、彼女と同居。「マリーナと私。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺犯のリー・ハーベイ・オズワルドに潜む死を招く強迫観念と、苦しみの愛」(Marina and Lee, The Tormented Love and Fatal Obsession Behind Lee Harvey Oswald's Assassination of John F. Kennedy.)という本を1977年に書き上げます。

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この本によると、オズワルドの生涯と結婚生活にはトラブルが付きまとったそうです。そうした悲運が暗殺に繋がっていったのではないかと、マクミランさんは見ているそうです。

最近になってスティールフォース・プレス社から改訂版が発行されましたが、この中ではオズワルドは共産主義と、キューバのフィデル・カストロの魅力に取り憑かれ、妄想を抱いた、バランスを欠いた反逆者として描かれています。アメリカにも深い憎しみを抱くようになっていたというのが、マクミランさんの見解です。

「彼はマルクス主義経済について話したがっていたようですが、私は乗り気ではなかった。知りたかったのは、彼自身の事なのに。アメリカには戻りたくないと話していましたね」(マクミランさん)。亡命の動機は「マルクス主義の理論にあり、自分は資本主義を憎んでいる」とも答えていたそうです。

オズワルドが最初にマルクス主義に触れたのは、ローティンでブロンクスに住んでいた頃だったそうです。そこで彼が見たのは社会の金銭的な不平等。当時、核兵器の機密をソ連に流したとしてジュリアス・ローゼンバーグとエセル・ローゼンバーグ夫妻が処刑された事も、ソ連への傾倒を深める原因となったと話していたそうです。

荒廃した私生活が、暗殺へ?

その後、ソ連で3年間暮らしたものの1962年6月にアメリカに舞い戻ります。その後、カストロ支持のパンフレットをばらまいたり、色んな仕事をこなしたりして、最期にテキサス教科書倉庫の職に就いた事は、映画「JFK」などで御存知でしょう。

マクミランさんは、オズワルドのイデオロギーと心のアンバランスが、奥さんとのトラブル続きの生活などと相俟って、最終的には1963年11月22日の悲劇へと繋がっていったのではないかとしています。

「自分のやろうとしている事に、何らかの悪い面があるとは自覚していたと思いますが、一方で自分が大物になりたいとの妄想に駆られていたのでは。自らが歴史に名を残したいと思っていたのでしょう。私にもソ連を擁護する際、『アメリカの人が、自分と同じような考えをしてくれたらと思っている』と話していたぐらいですから」。

単独犯ではないとする陰謀論について、マクミランさんは単独でも犯行は可能だっただろうとしています。また、1963年4月に起きた、当時の反共主義者であるエドウィン・A・ウォーカーの自宅リビングルームへの狙撃事件も、オズワルドが前兆行為として行ったのではないかと推測しているそうです。

ウォーカー暗殺そのものは失敗しましたが、事件とJFK暗殺との関連性について特定する事に捜査機関は失敗しています。

「ウォーカー宅狙撃の数日後、オズワルドは外出してニクソンに会ってくるとマリーナに話しているんです。マリーナは、彼が何か暴力沙汰でも起こすのではないかと、彼を文字通りトイレに雪隠詰めにしてしまったのですって」(マクミランさん)。

そして、運命の1963年11月。マリーナさんは、2人の子供ともども、オズワルドと別居します。修復は不可能となっていました。暗殺の前夜、オズワルドはマリーナさんの家を訪れ、戻ってきて欲しいと懇願しますが、拒否されたとマクミランさんは話しています。

辞去に当たって、オズワルドはマリーナさんの家にお金を置いていきます。結婚指輪と、マリーナさんのおばあさんのティーカップも置いていったそうです。それに気づいたのはすぐ後でした。この時既に、オズワルドは腹を括っていたのだろうと、マクミランさんは推測しています。

「結婚指輪を置いていったのは、彼女との永久の別れを告げ、自分が今からやろうとしている事からマリーナさんを遠ざけようとしたのではないかと私は思っています」(マクミランさん)。

本人なりの、せめてもの愛情表現というか、気遣いだったのかもしれませんね。

「これは自分に与えられた運命であり、義務だ」

逮捕後、オズワルドはニューヨークの弁護士であるジョン・アブトに連絡を取って欲しいと発言しています。アメリカ共産党で、主席法律顧問を長年勤めてきた人です。

この事から、オズワルドは法廷に出て、政治上の動機があった事を表明したがっていたのではないかと疑っています。

では、あの有名な最期については、どのように思っているのか?

オズワルドがジャック・ルビーに殺されたのは、ルビーの不幸な気まぐれの結果だろうとしています。そんなマクミラン氏に対しては、CIAで働けば良いのにとか、CIAの影響を受けすぎだとの批判があるのだそうですが、本人はどこ吹く風。やろうと思えば、単独でもやれたというのが、マクミランさんの結論なのだそうです。

マクミランさんが知っているオズワルドは、勤め先の教科書会社の倉庫からパレード中の大統領を撃つのは、自分に与えられた使命だと信じていたのだろうと考えています。

「ケネディ大統領は、ダラスに来て、安全なままに戻る事も出来たでしょう。ただ、パレードのルート選択で大統領が勤め先の窓から見える所を通り過ぎる事が分かった際、これは自分に与えられた運命であり、義務であり、歴史的な義務だと思った可能性があります。それらが一度にやって来たので、実行せねばと考えたのではないでしょうか」

「うわー、オズワルド!アイツがやったのか」

さて、マクミランさん以外に、ケネディとオズワルドの両方に会った人が2人います。オリバー・ハーレットと、妻のジョアン・ハーレットです。友にモスクワのアメリカ大使館でレセプショニストを務めていました。最初の方に書きましたが、オズワルドが接触した際、何も話そうとしなかったので根を上げた大使館員の1人でした。

後に、オリバーはホワイトハウスに海軍将校として勤務します。娘さんのポリー・カゥレックさんによると、凶報が届いた際に父親がまずやったのは「半旗を掲げるよう命令した事だった」そうです。

当時、小学校5年生だったポリーさんは、オズワルドが暗殺犯として逮捕された時に母親が取った態度も鮮烈に覚えています。テレビで様子を知ったジョアンさんは、「オズワルドを知っている!」と、大声で叫んだからです。

「世界は狭いって事の良い例ですね。自分のした事が、何時か何らかの形で返ってくるって事なのでしょう」

恐らく、オズワルドに根を上げ、奥さんに世話焼きさせたけど、空振り。最後にマクミランさんを担ぎ出して、ようやく事を聴き出すのに成功した。その数年後、余りに大きなどんでん返しがあったので、2人して驚愕するしかなかった。そんな所なのでしょうね。

狭いと言うより、世の中にはこんな事もあるって話ですね。

正に事実は小説より奇なり。だから、このサイトがあるわけです。

takosaburou・記

ケネディ暗殺エントリー

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