ケネディ&オズワルド

ケネディ大統領(右)とその暗殺犯・オズワルド/wikipediaより引用

アメリカ

暗殺されたケネディと実行犯のオズワルド~両者に会った人物なんているわけない?

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ケネディ大統領と暗殺犯オズワルドの二人に会った
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荒廃した私生活が、暗殺へ?

その後3年間ソ連で暮らし、1962年6月にアメリカへ。

カストロ支持のパンフレットをばらまいたり、色んな仕事をこなしたりして、最期にテキサス教科書倉庫の職に就いた事は、映画『JFK』などでも知られるところですね。

マクミランさんは、オズワルドのイデオロギーと心のアンバランスが、奥さんとのトラブル続きの生活などと相俟って、最終的には1963年11月22日の悲劇へと繋がっていったのではないかとしています。

「自分のやろうとしている事に、何らかの悪い面があるとは自覚していたと思いますが、一方で自分が大物になりたいとの妄想に駆られていたのでは。自らが歴史に名を残したいと思っていたのでしょう。私にもソ連を擁護する際、”アメリカの人が、自分と同じような考えをしてくれたらと思っている”と話していたぐらいですから」

単独犯ではないとする陰謀論について、マクミランさんは単独でも犯行は可能だっただろうとしています。

また、1963年4月に起きた、当時の反共主義者であるエドウィン・A・ウォーカーの自宅リビングルームへの狙撃事件も、オズワルドが前兆行為として行ったのではないかと推測しているそうです。

ウォーカー暗殺そのものは失敗しましたが、事件とJFK暗殺との関連性について特定する事に捜査機関は失敗しています。

「ウォーカー宅狙撃の数日後、オズワルドは外出してニクソンに会ってくるとマリーナに話しているんです。マリーナは、彼が何か暴力沙汰でも起こすのではないかと、彼を文字通りトイレに雪隠詰めにしてしまったのですって」(マクミランさん)

そして、運命の1963年11月。

マリーナさんは2人の子供ともども、オズワルドと別居します。修復は不可能となっていました。

暗殺の前夜、オズワルドはマリーナさんの家を訪れ、戻ってきて欲しいと懇願しますが、拒否されたとマクミランさんは話しています。

辞去に当たって、オズワルドはマリーナさんの家にお金を置いていきます。結婚指輪と、マリーナさんのおばあさんのティーカップも置いていったそうです。

それに気づいたのはすぐ後でした。

この時既に、オズワルドは腹を括っていたのだろうと、マクミランさんは推測しています。

「結婚指輪を置いていったのは、彼女との永久の別れを告げ、自分が今からやろうとしている事からマリーナさんを遠ざけようとしたのではないかと私は思っています」(マクミランさん)

本人なりの、せめてもの愛情表現というか、気遣いだったのかもしれませんね。


「これは自分に与えられた運命であり、義務だ」

逮捕後、オズワルドはニューヨークの弁護士であるジョン・アブトに連絡を取って欲しいと発言しています。アメリカ共産党で、主席法律顧問を長年勤めてきた人です。

この事から、オズワルドは法廷に出て、政治上の動機があった事を表明したがっていたのではないかと疑っています。

では、あの有名な最期については、どのように思っているのか?

オズワルドがジャック・ルビーに殺されたのは、ルビーの不幸な気まぐれの結果だろうとしています。

そんなマクミラン氏に対しては、CIAで働けば良いのにとか、CIAの影響を受けすぎだとの批判があるのだそうですが、本人はどこ吹く風。

やろうと思えば、単独でもやれたというのが、マクミランさんの結論なのだそうです。

マクミランさんが知っているオズワルドは、勤め先の教科書会社の倉庫からパレード中の大統領を撃つのは、自分に与えられた使命だと信じていたのだろうと考えています。

「ケネディ大統領は、ダラスに来て、安全なままに戻る事も出来たでしょう。ただ、パレードのルート選択で大統領が勤め先の窓から見える所を通り過ぎる事が分かった際、これは自分に与えられた運命であり、義務であり、歴史的な義務だと思った可能性があります。それらが一度にやって来たので、実行せねばと考えたのではないでしょうか」


「うわー、オズワルド!アイツがやったのか」

さて、マクミランさん以外に、ケネディとオズワルドの両方に会った人が2人います。

オリバー・ハーレットと、妻のジョアン・ハーレットです。

友にモスクワのアメリカ大使館でレセプショニストを務めていました。

最初の方に書きましたが、オズワルドが接触した際、何も話そうとしなかったので根を上げた大使館員の1人でした。

後に、オリバーはホワイトハウスに海軍将校として勤務します。娘さんのポリー・カゥレックさんによると、凶報が届いた際に父親がまずやったのは「半旗を掲げるよう命令した事だった」そうです。

当時、小学校5年生だったポリーさんは、オズワルドが暗殺犯として逮捕された時に母親が取った態度も鮮烈に覚えています。

テレビで様子を知ったジョアンさんは、「オズワルドを知っている!」と、大声で叫んだからです。

「世界は狭いって事の良い例ですね。自分のした事が、何時か何らかの形で返ってくるって事なのでしょう」

恐らく、オズワルドに根を上げ、奥さんに世話焼きさせたけど、空振り。最後にマクミランさんを担ぎ出して、ようやく事を聴き出すのに成功した。

その数年後、余りに大きなどんでん返しがあったので、2人して驚愕するしかなかった。そんな所なのでしょうね。

狭いと言うより、世の中にはこんな事もあるって話ですね。

まさに事実は小説より奇なり。


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