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幕末・維新 週刊武春

白虎隊の生き残り・酒井峰治と愛犬クマ 『戊辰戦争実歴談』に学ぶ生死のリアル

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福島県・会津若松市――。
幕末動乱の最中、犠牲となった少年たち「白虎隊士」の像が、駅前や自刃の地である飯盛山に残されています。

はりつめた表情で遠くを見つめるその眼差し。
あどけなさと共に悲壮感が漂いますが、そんな像たちの中に一体だけ、ホッとした安堵の笑みを浮かべている者がおります。

白虎隊記念館前にあるその像は、表情以外にもう一つ特徴があります。
彼の足下に、可愛らしい犬がじゃれついているのです。

なぜ彼は微笑んでいるのか。
そしてこの犬は何なのか。

そこには生き抜く為に奮闘した、とある少年の物語が秘められているのでした。

冬の会津若松城

 

死の談:白虎隊士十九名の自刃

慶応4年(1868年)秋、陸奥国会津――。
幕末の動乱・戊辰戦争の戦火が、会津藩の城下町・若松にまで迫っており、彼らは西洋式練兵を導入し、武家の子弟を年齢別に編成しました。

・玄武隊(50-56才)
・青龍隊(36-49才)
・朱雀隊(18-35才)
・白虎隊(16-17才、年齢を繰り上げてそれ以下の者もあり)
・幼少組(14-15才、予備兵力)

主力は朱雀隊、青龍隊で、若い白虎隊は予備兵力扱いでした。
しかし、政府軍の会津侵攻は予想を上回るほどの早さで、彼らも戦力として戦場に投入されるのです。

8月22日、白虎隊士・中二番隊に出撃命令が下りました。
隊士たちは「これで殿にご奉公できる」と喜び、家族に別れを告げてその日の午後、「滝沢本陣」に到着します。

そこへ、城の東を守る他部隊から、援軍を求める連絡が届きます。
今や動ける兵力は白虎隊のみ。
隊士たちは、既に時代遅れとなってしいた重いヤーゲル銃を、まだ小さな体に背負い、戦場となる「戸ノ口原」へ向かうのでした。

その日は天気が荒れていました。台風あるいは前線が接近していたのかもしれません。
暴風が吹き付け、そして土砂降りの雨。
新暦では10月7日ですから、会津若松市では夜に気温が10度以下に下がることも珍しくはありません。

少年たちは陣地で握り飯をもらい、それをほおばりました。
これが生涯最後の食事となる者が多数いるとは露知らず……。

食事をとった隊士たちは、雨と霧の中、進軍する敵兵を見かけました。

冷えた手を動かし、懸命に銃を撃つ隊士たち。
しかし多勢に無勢、勝ち目はありません。
乱戦の中で隊長・日向内記とはぐれてしまう有様で、指揮を執るのはまだ若い篠田儀三郎でした。

隊士たちは城を目指し退却をはかります。その行く手を阻むのは、冷たい湿地、崖、坂道、谷間……。
重たくなるからと食料を携行しなかったことも今更ながらに悔やまれることでした。
負傷した隊士を励ましながら、二十数名の少年たちは「滝沢本陣」そばの飯盛山までやっとのことで辿り着きます。

山頂まで登るためには、途中で水のたまった洞窟を歩かねばなりません。冷たい秋の水に、体力と体温が容赦なく奪われます。
心身ともに疲れ果てた少年たちは、燃えさかる城下町を山から眺め、打ちのめされます。

銃声が途切れなく聞こえて来ました。
「どうしたらいいんだ。何とか城に戻らねば」
「どうやって戻ればいいんだ。ここまで来るのだってもう限界だったのに」
「いや、ここであきらめてはならない! 戦おう。味方だって近くにいるかもしれない。はぐれた隊長だってきっとどこかにいるはずだ!」
「味方ならいいが、敵だっているんだぞ。敵に捕まったらどんな目に遭うことか……」

戊辰戦争では、このころ来日していた外国人たちが嫌悪感を抱くほど、両軍ともに捕虜をむごたらしく殺害していました。
戦死ならばまだしも、生きて捕まればどうなるか……その生々しい恐怖はあったことでしょう。

少年たちは長い間激論を交わします。
そして、そのうち誰かがこう言うのでした。

「このまま戻ろうとしても敵の手に落ちるだけだ。そうなる前に、武士らしく潔く腹を切ろう」

もはや議論は終わりました。
少年たちは燃えさかる城下町を眺めながら、一人、また一人と自らの若い命を絶っていったのです。

最後まで残った西川勝太郎は、通りがかった農夫に遺体の埋葬を頼みました。
しかし農夫は、あろうことか遺体から金品を盗みだします。
その農夫の腕を、一人の少年がつかみました。自らの喉を突き、傷が浅く、まだ息のあった飯沼貞吉です。

飯沼は何か言おうとしたものの、喉の穴からは空気が漏れるばかりで……。
「ヒィッ! しっかりしてくだせえ」
農夫は驚き、飯沼を近くの岩山まで運びます。と、そのまま彼の刀を盗んで逃げ出すのでした。

程なくして別の農民が彼を見つけ、会津藩士の妻・印出ハツにそのことを告げました。
「うちの子かもしれない!」
もちろんハツの子ではありませんが、飯沼はハツにとって我が子と同年代。見捨てることはできません。
ハツは懸命の看病をし、飯沼を医者に診せ、匿います。

こうして飯沼は生還を果たすのでした。

 

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生の談:酒井峰治とクマのサバイバル

一方そのころ、酒井峰治という隊士が道に迷っていました。草鞋をはき直しているうちに、味方とはぐれてしまったのです。
誰か戻って来ないだろうか。
このままどうすればいいのか。
心細く思っていると、馬の嘶きが聞こえました。

慌てた酒井は、もし敵ならば自害するしかない、そう思い詰めて声の方を伺いました。
するとそれは農耕馬で、傍らには母子らしき農夫二人の姿がありました。近隣の小屋に住む母子でした。

ああよかった、助かった……酒井は礼金を渡し、道案内を頼みます。
母親の方が彼の若さに同情を寄せ、息子に案内するように言います。

農夫の案内で、酒井は村にたどりつきます。
城に戻りたいと村人に告げると、相手は暗い顔をします。

「もう城下は敵があふれていて、たどりつくことはできんでしょう……」

それでも酒井はあきらめません。

「この村には庄三がいるだろう。どこだ?」
酒井は知り合いの庄三という者を探し、せめて落城したかどうかだけでも尋ねようとします。
しかし関わりを恐れたのか、村人は酒井の姿を見ると避け、隠れてしまいます。

もう駄目だ……酒井は絶望しました。もはやこれまでだと、松の木陰に向かうと自害しようとします。

「おやめくだせぇ!」

そこへ庄三と斉藤佐一郎夫妻が駆けつけ、酒井の腕を押さえました。
庄三たちは酒井から大小の刀を取りあげ預かると、月代を剃り、藁で髷を結いました。そして野良着に着替えさせると、若い武士はすっかり農夫に見えるようになりました。

「これなら敵にもわからんでしょう」

やっと酒井は一息つきました。
農具の姿で火にあたり、冷え切った体を温めていると、誰かがこう声を掛けてきました。

「おいっ、酒井じゃないか!」
「伊藤、お前、無事だったのか!」

振り返ると、白虎隊の伊藤又八がおりました。彼も農夫の服装をして潜伏していたのです。
仲間に出会った二人の胸に、希望と勇気がわいてきました。
この扮装ならば、城まで戻れるのではないだろうか、そう思えたのです。

二人は村を出ると、もう日が暮れているので近くの小屋で休むことにしました。すると、酒井の側を何かが走ってゆきます。
「クマ!」
その姿を見てみると、酒井がよく連れ歩き、可愛がっていた愛犬でした。
酒井は鳥や小動物の狩りをする時、この愛犬をよく連れて行っていました。

酒井は驚き、その名を呼びました。
「クマ!」
声を聞いたクマは立ち止まり、酒井の顔を見ると一目散に走って来ました。そのまま酒井に飛びつき、嬉しそうに尻尾を振っています。
愛犬の頭を撫でているうちに、酒井の目からとめどなく涙がこぼれてきます。

「クマ、どうしてここにいるんだ? 俺を探してきたのか?」

敵が押し寄せる中、クマはどうやって酒井を探してここまでたどりついたのでしょうか。人
間の百万倍ともされるその鋭い嗅覚と、そして何より酒井への愛情が為せるわざだったのでしょう。
クマの深い愛情に、酒井は感激しました。

酒井はクマとの再会を喜び、貴重な食料をクマに分け与え、小屋で一緒に眠ることにしました。
毛皮の奥から伝わってくるぬくもりが、少年の心に安らぎを与えてことでしょう。酒井がうつらうつらしていると、夢か幻か、クマが激しく吠える声がします。

「うるさいぞ、クマ。静かにしろ」

普段は言うことを聞くおとなしい犬なのに、おかしいな。不審に思った酒井が起き上がると、小屋の近くから誰かの声がします。
敵か、味方か?

「おーい、誰かいるかあ」
どうやら味方のようです。

「酒井峰治だ。そちらは誰だ」
「ああ、酒井様ですか! 私は庄三の兄弟です」

そこには味方がいました。白河口から撤退してきた会津藩士もいます。
この様子なら帰れるだろう!
勇気が湧いた酒井は伊藤と愛犬クマとともに、城を目指し歩き始めます。

行く先々でもらった食料で食いつなぎ、彼らは慎重に進み続けます。
途中、家族と別の場所で合流するという伊藤とは別れ、酒井はやっとの思いで城にたどりつきました。

「滝沢本陣」を出発してから三日目。25日の朝、やっと城の三ノ丸前が見えて来ます。

酒井は笹を振って大声で呼びかけます。
「味方だ、門を開けてくれ!」
こうして城に戻った酒井は、やっと生き延びたと安堵します。
彼は農夫の姿を改め、支給された銃を持ち、籠城戦を戦い抜くことになるのです。

ボロボロになった会津若松城・戊辰戦争後に撮影/Wikipediaより引用

そこには意外な人物がいました。はぐれたはずの日向内記隊長です。
「日向隊長ではないですか!」
「おお、酒井か。お前無事だったのか!」
「はい。篠田たちはどうしましたか?」
「何? お前、一緒じゃなかったのか」

いったい篠田たちはどこへ行ったのだろうか。
その答えは、熾烈な籠城戦を生き延びた後に、酒井は知ることになります。

開城後、生き延びた会津藩士たちは、謹慎のために猪苗代へ預けられました。そこで酒井は、あの時はぐれたうちの一人である飯沼貞吉と再会します。
やつれ、喉を突いた跡のある飯沼の姿に、仲間たちがショックを受けたことでしょう。

「飯沼、生きていたのか! あのあとどうなった? 篠田たちはどうしたんだ」

戸ノ口原に出陣した白虎隊士のうち、生存者は彼らを含め22名いたと伝わります。
生存隊士らは、かつてともに戦った飯沼の口から、篠田たちの自刃について聞かされるのでした。

あのときはぐれた仲間たち二十人は、飯盛山で自刃。飯沼だけが蘇生し、こうしてここにいるのだ、と。
酒井たちの胸に去来したのはどのような感情なのか、彼は書き残していません。

酒井は東京での謹慎を経て、明治になると北海道旭川で暮らしました。
生前、彼は白虎隊のことを語らなかったと言います。

それが平成になって、酒井家の仏壇から彼の手記が発見され、ようやく酒井峰治の生き延びた状況が明らかになったのでした。

 

教の談:軽視などしていない 命と絶望とは紙一重

まだ若い命を、自刃というかたちで散らした白虎隊士たち。
その死を悼むため日本国民の間で回想されてきた悲劇は、そのうち別のカタチを帯びてゆきます。

軍国主義です。

若くとも主君のために自刃した白虎隊こそ、武士道の華である――。
「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」という軍国主義に合致したものとして、美化されていったのです。

美化されると同時に、軍国教育にも利用されました。
会津藩校である日新館での厳しい教育が、白虎隊士らに忠義の切腹をさせたのだろうとされています。

しかし、生存した酒井の行動を見ると、そうは思えません。
彼らの選んだ自害という道は、武士道というよりも極限状態で追い込まれたゆえの判断ではないか、と感じるのです。

悪天候、下がる気温と体温、睡眠不足、疲労、空腹、極度の緊張とストレス……。
こうした厳しすぎる要素が重なり合っていました。
彼らは洗脳されていたわけでも、命が軽いと思い込み、喜んで死んでいったわけでもありません。

ただただ、絶望していたのでしょう。

追い詰められ、絶望した者には他の道が見えなくなってしまう。
そんな哀しいことは今でも起こりえます。

運が悪かった。その側面もあることを忘れてはなりません。
彼らがもし、腹を切る前に酒井や飯沼を助けたような親切な農夫に出会っていたら。何か小さな希望がそこにあれば、結果は違っていたかもしれません。

飯盛山にて

彼らと途中まで行動をともにした酒井峰治は、生きることに必死でした。
火災や空腹に遭遇しながらも、伊藤と愛犬クマとともに懸命に城を目指しました。

一時は死の寸前まで追い詰められるものの、自害を止めた庄三の親切と勇気、伊藤又八という仲間との絆、道中でふれあった人々のあたたかさ、そして愛犬クマの健気な愛情に触れることで、彼は生命力を取り戻し、生き延びることができたのです。

酒井の行動に命を軽視するような素振りはなく、16才の少年なりの知恵と勇気で、生きるために奮闘しているのです。

自害した隊士と酒井との間に、大きな隔たりがあるとは思えません。
彼らは武士として忠義を尽くすことはたたき込まれていますが、その前に生き抜きたいと願うまだ若い少年たちでした。

もうひとつ気づかされるのは、農夫たちの態度です。
会津藩の町人が「武士を憎んでいた」というのは、一側面ということです。

確かに白虎隊士の遺体から金品を盗むような者もいました。
その一方で、酒井を匿った庄三のように、危険を冒してでも目の前の命を救う者もいました。

長いこと知られなかった酒井峰治の物語は、極限の状況下を生き延びようとする人々の姿をみせてくれます。

そこにあるのは美化されていなくても十分に人の心を打つ、己や誰かの命を守る為に力を尽くした人々、そして忠犬の姿でした。

文:小樋山青

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【参考】
酒井峰治『戊辰戦争実歴談

 



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