幕末・維新 週刊武春

川崎尚之助~新島八重最初の夫は、会津の男として真っ直ぐに生きた

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2013年の大河ドラマが『八重の桜』に決まるまで。
主役である新島八重も、その兄である山本覚馬も、知名度は高くはありませんでした。

地元でも歴史好きな人が知る程度であり、会津でも戊辰戦争のヒロインといえば、「娘子隊」中野竹子のほうがずっと知名度が高かったのです。

それが今やすっかり新島八重が会津女性の代表格。
そして、その八重よりも密かに評価の高まったといえる人物がいます。

川崎尚之助――八重の最初の夫です。

 

軽佻浮薄 八重に不釣り合いな夫

尚之助の生涯は八重の夫であったこと以外はほとんど不明、離縁のいきさつも不明でした。

そのせいか、これまでのフィクションでは
「八重を捨てたろくでもない男」
とされがちだったようです。

激化する戦争に怯え、それを八重に叱咤されて逃げ出したり。
戦争の最中に何も告げずにふっと消えてしまったり。

こうした話から性格も逆算されて想像されるため、
・軽佻浮薄
・八重に不釣り合いな夫
とされることが多かったのでしょう。

 

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新資料で実像が浮かんできた

ところがこの情けない川崎尚之助像が、綿密な研究と新史料で覆されたのです。

尚之助は、会津から遠く離れた但馬出石藩(兵庫県)の出身でした。

江戸後期の出石藩は「仙石騒動」で混乱。
川崎家もこのトラブルに巻き込まれ浮沈を繰り返して、一時は士分すら失ってしまいます。

そんな家に四男として生まれた尚之助が、才知を生かすことができたのは、幕末という動乱の時代だからということも大きかったでしょう。

江戸の名門・大木塾で蘭学や舎密学(化学)を学んだ尚之助は、優秀な学者として頭角をあらわし、それが会津藩士・山本覚馬の目にとまります。

 

才能をもてあます尚之助

覚馬という縁があって会津に招聘された尚之助。
しかし、藩は彼の才能に報いたとは言えません。

旧弊な体質が残る場所で彼の才能をもてあまし、山本家で居候をすることとなります。
もっと進取の気質に富む藩であったならば、尚之助はもっと才能を発揮できたかもしれません。

やがて会津でも、藩校日新館で尚之助が砲術や蘭学を教えられるようになります。
さらに29歳の時には、覚馬の妹で活発な八重と結婚を果たし、会津でも認められていきました。

しかし……。
そのころ会津は政治的に追い詰められ、戦争への道を着々と歩んでいたのでした。

会津戦争は砲術を得意とする尚之助・八重夫妻にとって、才知を発揮できる場でした。
しかし、言うまでもなく大きな悲劇であり、両者を引き裂くものでもありました。

 

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最後まで夫婦で戦っていた

従来のフィクションでは、この戦争のさなかに尚之助は姿を消しています。
あるいは、会津藩士でない夫を気遣って八重のほうから離縁を切り出したものもありました。

しかし実際の尚之助は会津戦争から逃げ出すことなどなく、八重もまた夫と離縁しようとは思いませんでした。

尚之助は会津の男として、八重と共に戦うことを選んだのです。
川崎夫妻は力を合わせて砲撃を続け、最後まで戦い抜きました。

『八重の桜』では、会津戦争終結後に男たちが猪苗代へ護送される際に、尚之助が八重を女であると明かして、両者は別れました。
しかしこれはドラマでの巧みな創作であり、実際には八重はいったん猪苗代へ向かうものの会津若松に戻り、その後、母や義姉、姪と合流しています。




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一方で尚之助は、他の会津藩士とともに単身遠い斗南まで移り住み、夫婦は離ればなれになります。

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