歴史漫画ウソホント 浅井・朝倉家 合戦

小谷城の戦いを城郭検定2級の城マニアが分析!山城の攻め方&守り方のセオリー

更新日:

浅井長政の居城・小谷城は、戦国時代の五大山城の一つに数えられるほど、全国屈指の要害である。

近江北東部の山間に位置し、西には琵琶湖、その脇には北陸地方へ向かう北国街道があり、南には城下町と東の岐阜方面からやってくる街道が交差する――。
まさに要衝という場所である。

それだけに、地域の支配者・浅井家も重要視しており、必然的に城ができた。
そして争いの場所にもなるわけだが、重要拠点なだけに小谷城の規模はハンパではない。

これを信長は如何にして攻略したのか?

浅井長政公自刃の地

今回、「小谷城の戦い」についての解説をお願いしたのは『第一回城郭検定』で2級(当時最上位)を取得し、本サイトで連載中のお城野郎氏である。

同時に注目したのが宮下英樹氏の傑作漫画『センゴク』だ。
本作品は、これまでの戦国モノとは違い、細かな部分でのリアルも追求したことで知られる。

この小谷城の戦いについてもかなり殺伐とした山城の様子が描かれ、戦国ファンを唸らせたことで知られるが、こだわりの強い城マニアをも納得しうるのか。

440年前に思いを馳せながら、その攻略法と城の描写について迫ってみよう。

漫画センゴクKindle版15巻セット(→amazon link

 

小谷城の落城は大嶽城攻略がポイントだった

漫画『センゴク』で、豊臣秀吉軍はまず小谷城の正面玄関「大手門」を突破した。

自軍の櫓を引き倒して押し入った漫画の描写が史実かどうかは不明だ。
が、小谷城攻めの前に秀吉の調略でかなりの数の浅井家臣を味方に引き入れており、織田信長は大嶽城(おおづくじょう)に籠る朝倉軍を蹴散らし、すでに押さえていた。

さらには越前まで追いかけて、朝倉家を滅亡させている。

小谷城跡の曲輪分布図(国土画像情報(カラー空中写真)に加筆)/wikipediaより引用

実は、この大嶽城攻略が大きなポイントだった。

小谷城とその周辺の拠点一群は地理的にはV字型に並んでおり、大嶽城はV字の頂点に位置している。

V字型の城は、Vの頂点を押さえられると弱い傾向がある。
たとえば難攻不落で知られる高天神城もV字型に拠点が並んでいたが、頂点を押さえられて落とされていた。

つまり、小谷城は大嶽城を奪われた時点で、ほぼ詰んでいたとも言えるのだ。

なぜなら朝倉軍の救援(後詰め)も期待できない状況に追い込まれており、城兵の士気も低下する。
ゆえに攻略自体はさほど難しいものではなかったであろう。

後に秀吉が中国地方で、兵糧攻めや水攻めで城をじっくり落としていったのを想像すると、その差がわかりやすいかもしれない。
水攻めをされていた城兵たちは、まだ毛利の救援を期待できた。

よって士気も下がらない。
攻め手の織田家は、毛利の後詰めにも備えなければならない。ゆえにジックリ攻めるしかなかったのだ。

一方、小谷城に籠る浅井長政は、朝倉軍の後詰めが存在していたとき、実は何度も織田軍の攻撃を撃退していた。

その後詰めが消えたのだ。
孤立無援ではほとんど裸にひとしく、その後は約1日、しかも秀吉の手勢だけで攻め落とされている。

いくら堅固な城でも、孤立無援で士気が下がった城は本当に脆い。
まさに「人は石垣 人は城」なのだ。

 

竪堀という防御施設はそう簡単には登れない

ここまでお膳立てがあったから、織田軍(特に秀吉)は、味方にも多大な犠牲が出る攻城戦を強行したのであろう。

士気は相当に高く、勝算は十分にあった。
万が一にも失敗しない自信があり、「小谷城よ、おまえはもう死んでいる」状態である。

そんな背景を踏まえると、まず小谷城の大手門突破も、さほど難しいものではなかっただろう。
浅井軍も大手門で守備するより、小谷城の各曲輪に籠った方が城の防御能力を十分に生かせて、兵力差を補える。

漫画『センゴク』では、大手門を突破した秀吉配下の仙石秀久藤堂高虎、可児才蔵が、その次に竪堀の突破を計っている。

竪堀は、そうやすやすと登れるような防御施設ではない。
上から狙い撃ちされやすいため、通常は、城兵の10倍の兵力でも犠牲者が多く出てしまう。

実際に小田原征伐のとき、秀吉vs北条の【山中城の戦い】では、曲輪を奪う同じような状況で、秀吉側の一柳直末という大名格の将が、城側の鉄砲に当たり戦死している。
そのくらい犠牲がでやすい攻城戦なのだ。

それを、ほぼ無傷で駆け上がったとするならば、ここでも城兵の士気の低下と、事前の調略が行き届いていたと考えるのが妥当であろう。

それにしても『センゴク』に出てくる城は見事としか言い様がない。
多少の誇張はあるにせよ、時代考証が素晴らしく、間違っても白亜の天守閣や総石垣の曲輪なんて描かれない。城マニアからしても、ツッコミの入れようもない。

普通、山城は、草木などない土剥き出しの裸状態だ。
現代では、草深い山に埋もれている印象であるが、小谷城も現役のときは、城内に草木は殆んど生えておらず裸の山だった。

なぜなら草木は、攻城側が隠れるための障害物になってしまうからである。

石垣も主要な部分だけで、他は土を固めて土塁を構築したり堀をタテやヨコに切っているだけ。

これぞ戦国時代の城!
そうした雰囲気も『センゴク』では、非常によく描かれている。

 

枡形虎口が普及していくのは安土城や聚楽第などから…

小谷城の大手門と竪堀を突破した権兵衛たち。
最後は、難関「京極丸」の虎口に向かった。

作中での虎口は枡形虎口(ますがたこぐち)、しかも内枡形の設定になっていた。

「なぜ虎口が城の防御に使われているのか?」
その詳細については後述するとして、当時の小谷城に枡形虎口が設置されていたかどうか、真実のところはわからない。

虎口はたしかに大昔から城や館の防御施設に使われていた。
が、枡形虎口が普及していくのは「安土城」や「聚楽第」など、いわゆる織豊系の城郭になってからだと言われている。

信長・秀吉期できたといわれている防御施設「枡形虎口(外枡形)」/photo by うぃき野郎 wikipediaより引用

ゆえに織豊の敵となった小谷城に、そうした施設があったかどうか。

現在、小谷城趾の京極丸に登城すると、京極丸の絵図に枡形虎口が描かれている。
遺構も確かに確認できるのだが、これが浅井長政が城主の時代に造られたかどうかは実は誰にも分からない。

というのも城郭防衛上の大発明であり鉄壁の防御を誇る枡形虎口を配置するには京極丸の中心から少々外れた「武者溜まり」のような場所に設置されているからだ。

浅井に枡形虎口の発想があるならば本丸や京極丸の正面にこそ配置すべきである。

 

隠し銃座は可能性が低そうだ

浅井の城に枡形虎口はありえない。
しかし、かといって100%の否定もできない。

なぜなら人間の生存本能が結果的に枡形虎口を造ってしまう可能性だってあるからだ。
防御力を高めるため、秀吉の調略が進む間、水の手口がヤバい!と感じた浅井が急造したとしても不思議ではない。

ただ、漫画に登場した、虎口内の「隠し銃座」の存在については史実の可能性は低そうだ。
作者の宮下氏も「大坂城にあった」という記述をしているが、大坂城こそまさに後の世の織豊系城郭である。時代的に無理を感じる。

ただし「銃座」の発想自体は武田系の城にも見られるように昔からあった。

漫画の場合の「銃座」は、敵の攻撃を一身に浴びる位置にあったが、反面、敵を確実に狙えるポイントでもあり、しかも出入り口もない小さな曲輪のため、まさしく決死隊の陣地を指す。

そう考えると、虎口に銃座を置くとしたらマンガのように「土塁の中」ではなく、虎口の中に2mほどの壁を造って、その裏に潜ませるくらいが現実的であろうか。

まちがいなく攻城側にやられるポジションである。
が、鉄砲の命中精度は確実に上がる。

自分なら、この役目は絶対に引き受けたくないものだ。

小谷城本丸

 

大堀切の意外な弱点に秀吉も目をつけていた!?

『センゴク』で恐ろしさたっぷりに描かれた枡形虎口。
小谷城にあったかどうかを抜きにして、この防御施設は攻城側には恐ろしく、逆に守備側には必殺の門構えとなる。

もともと城の防御で最も弱いのは人の出入りができる場所、すなわち「門」だと言われている。

この門を、
・人の出入りは可能なまま
・防御能力を上げたい
そんな守備側の願望を最終形態に高めたのが「枡形虎口」なのである。

門の防御能力を高めるには、できるだけ門を小さくして大軍で押し入られないような工夫が施される。
それが小口=虎口という由来になったという説もある。

また、門を突破された後、真っ直ぐ本丸に突撃されても困るし、外から城の内部構造が見られても困る。
それが枡形虎口の場合には、門をくぐったその先の道が、右や左に折れ曲がっていて内部が見えず、さらには曲がった先に城兵を潜ませるなどの措置が取られていた。

弓にせよ、鉄砲にせよ。
飛び道具の武器は、右に振り回すよりも、左に振り回す方が有利な構造となっている。

一度、試しに構えて見てもらいたい。
左側の方が狙いやすくはないか?
逆に、右を向くのがシンドイはずである。

そのため城兵から向かって左に折れる(門から見ると右に折れる)方が良しともされている。
やがて、折れ曲がった方にも第二の門を造るようになり、これが「食い違い虎口」となり一般的に広がっていった。

さらには、正面の門と第二の門をくっつけて、しかも第二の門には90度折り曲げて枡形にしたのが「枡形虎口」である。

文字通り枡形の四角形を形成しているため、ある程度の建設スペースは必要となり、この部分が城の外に出したのが「外枡形」で、城の中に入れたのが「内枡形」。

食い違い虎口(Wikipediaより)

小谷城に「食い違い虎口」があったのは間違いないが、山城で「内枡形」を造るとしたらかなり小さいものだったと想像できる。
マンガ『センゴク』では、大坂城並みにデカい内枡形の虎口だったが、演出上の問題であろう。

多大な犠牲を出して枡形虎口を突破した秀吉軍は、織田信長を伴って浅井長政が籠る本丸に向かう。

そして総大将同士が小谷城の大堀切に対峙する印象的な場面へと移って行くが、この本丸と京極丸を分ける大堀切があまりにデカい。
いざ攻められると城兵の移動を難しくして、兵の運用が制限されてしまうという弱点になっている。

現実の秀吉は、この大堀切の存在に目を付けて京極丸に兵を集中し、突破したとも言われている。

もしかしたら、大堀切が造られた時点で小谷城は「おまえはもう死んでいる」状態だったのかもしれない。

なお、虎口について、より細かい解説をご覧になりたい方は、以下の記事をご参照いただきたい。

玄関開けたら2分で殲滅!虎口(こぐち)と門は城防衛の重要拠点なり

今 ...

続きを見る

文:R.FUJISE

日本城郭保全協会 研究ユニットリーダー(メンバー1人)。

現存十二天守からフェイクな城までハイパーポジティブシンキングで日本各地のお城を紹介。
特技は妄想力を発動することにより現代に城郭を再現できること(ただし脳内に限る)。

筆者:R.Fujise(お城野郎)

武将ジャパンお城野郎FUJISEさんイラスト300-4

日本城郭保全協会 研究ユニットリーダー(メンバー1人)。
現存十二天守からフェイクな城までハイパーポジティブシンキングで日本各地のお城を紹介。
特技は妄想力を発動することにより現代に城郭を再現できること(ただし脳内に限る)。

※編集部より

R.Fujise(お城野郎)の日本城郭検定・二級合格証書を掲載させていただきます。

FUJISEさん城郭検定2級

 



-歴史漫画ウソホント, 浅井・朝倉家, 合戦

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2019 All Rights Reserved.