戦国一のファッションリーダーといえば、何といっても我らが伊達政宗!
六本刀をさして「レッツパーリー!」と叫んでいる『戦国BASARA』。
金色の龍が描かれた西洋甲冑をつけて、ピストルを構えている『戦国無双』。
しかし……。
思い描くのは主にキャラクター画像で、実際の伊達政宗さんがどんな格好をしていたのか、ふと疑問になったりしません?
大河ドラマに目を向ければ『独眼竜政宗』の渡辺謙さん、『真田丸』の長谷川朝晴さんもおりますが、史実の政宗は「眼帯」をしておらず、具体的センスは不明のママ。
一方で頭蓋骨をもとに復元された政宗像が展示されたりしていて、より実物に近い顔を拝めたり……。
◆伊達政宗の顔、40年ぶりに復元 頭骨模型をCTスキャン、隻眼も忠実に(→link)
仙台藩祖伊達政宗の顔を最新技術を駆使してよみがえらせた「復顔像」が、仙台市青葉区の市地下鉄東西線国際センター駅1階にお目見えした。
政宗の顔の復元は約40年ぶりで肌の質感や髪形に加え、隻眼が忠実に再現された。15日まで展示されている。
今回はそんな政宗のファッションをチェックしたいと思います。
※以下は伊達政宗の関連記事となります
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独眼竜の色は「黒」
伊達政宗のテーマカラーは「黒」です。
ゲームでは見栄え重視で青や緑を使用していますが、史実からすると黒でした。
これは伊達家の伝統というよりも、政宗本人のセンスですね。
彼が意識していたとされる唐末の武将・李克用は「独眼竜」の名で知られ、「鴉軍」(あぐん、カラスのように黒い軍勢)を率いていました。
その故事にならったたわけです。
ただし、政宗が独眼竜と呼ばれたのは、生存中のことではなく江戸期以降とされています。
本人は隻眼であることに劣等感を抱いており、自称したり、正面切って誰かが呼んだりすることはなかったでしょう。
むろん、教養に溢れる政宗のこと。李克用の故事を知っていた可能性は極めて高いです。
前立ては、実は旗とセットです
政宗の兜といえば、半月型の前立てです。
半月型の前立ては、政宗以外にも割と見かけるもの。母方の伯父にあたる最上義光の元服時甲冑(出羽三山歴史博物館)も、半月型の前立てがついています。
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政宗の場合は月が細く、アシンメトリーな形であるのが特徴です。
一度見たら忘れられないほど、特徴的なデザインですよね。
ちなみにこの半月の前立ては、日の丸を描いた「旗」とワンセットでした。
日の丸は「金剛界」の象徴↓。
半月は「胎蔵界」の象徴↓。
つまり密教のシンボルを、政宗は身につけていたということになります。
南蛮趣味も当然好き
これは政宗に限ったことではありませんが、当時の大名や武将の中には、南蛮趣味を好む人物もおりました。
ファッションリーダーであり、新しもの好き、遣欧使節まで派遣した政宗が南蛮趣味を好んだことも、当然であると言えます。
政宗は、セバスチャン・ビスカイノからイギリス製の黒羅紗、ウィリアム・アダムスから赤いマントを贈られた記録があります。
こうした品を珍重し、加工して来ていたと思われる胴服、陣羽織等が、政宗着用の品として現存しています。
政宗の墓所「瑞鳳殿」、仙台城跡の発掘品、およびその目録から、政宗の愛用した南蛮由来の品やその模造品があったとわかります。
・砂時計
・アルファベットの書かれた手紙
・ロザリオ
・ガラス製の鏡
・ヴェネツィアガラス製品(破片のみ)
・金のブローチ
・ベルトの銀製バックル
・鉛筆(国産)
・日時計兼方位磁石(国産)
・板ガラスがはまった筆入れ
ちなみに日本で一番初めに鉛筆を使用した人物として、徳川家康か、政宗があげられることが多いようです。
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他にも持っていた大名はいるかもしれませんね。
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