国盗り物語

国盗り物語/amazonより引用

大河ドラマ感想あらすじ

50年前の道三や信長に注目~大河ドラマ『国盗り物語』はどんな作品だったのか

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道三は“稀代の女たらし”だったのか?

『国盗り物語』の前半部は、斎藤道三のサクセスストーリーが中心となります。

このサクセスですが、原作当時の世相もバッチリ反映しており、

金!
欲!
色!

というドストレートな内容でした。太い毛筆フォントでお願いしたいぐらいギラギラしていた時代。

道三が京の油問屋・奈良屋の女主人お万阿をたらしこむ。道三は稀代の女たらしのモテモテ設定。つまり、そういう展開が入ります。

これは昭和の歴史小説あるある現象でもあるんですが、側室、くノ一、女商人相手の無駄にエロい展開がお約束だったのですね。

かつて歴史モノは、成人男性が読むものであるという認識がありました。

特に戦国幕末であれば男性作家が書き、サービスとしてお色気を入れる。史実的根拠は二の次のお約束だったのです。

装丁が渋い歴史小説だと思ったらエロい話ばかりで困惑した。格調高い文体で描かれているけれども、やっていることは島耕作シリーズでは……と言った困惑も出てきます。

編集者から「エロを増やしてくれ」と頼まれ、しぶしぶ入れたという作家の話が語られることもあります。

こうした意識は、実は令和現在も消えておりません。

毎年夏頃になると「視聴率テコ入れのために女優が脱ぐ!」という大河ニュースが、週刊誌あたりで飛び交い始めます。

ネットでいくらでも、その手の動画が見られる時代に一体どういうことなのか?

お茶の間に需要はあるのか?

そう突っ込みたくなりますが、実は風物詩だったんですね。

『麒麟がくる』の序盤でも、遊女屋のバストアップチラ見せが、やたらと反応を集めておりました。

 

シンクロする人物像と視聴者

そんな『国盗り物語』と『麒麟がくる』の道三像を比較すると、明確に変化があります。

『麒麟がくる』の道三は、本人が油売りではなく、父親が油売りなのです。

女主人をたらしこんだとしても、それはあくまで父親のことではあります。どういう手段で成り上がったのかは不明ですが、モテるとは言われません。

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道三を演じているのは、本木雅弘さん。

言うまでもなく美形であり、大河主演経験者でもあります(1998年・37作目『徳川慶喜』)。

彼の演じる道三が女たらしであるということは言及されていないように思えます。

むしろライバルの織田信秀の方が、伊呂波太夫あたりと楽しい時間を過ごしていたとされるほど。

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性格を比較しても、明るくフランクな信秀と、女たらしどころか友達すらいないような道三では、かなり違いがある。

深芳野という側室が出てくることは確かなのですが、彼女相手にもあまりコミニケーションが取れていなかったようではありました。

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我が子・斎藤高政(斎藤義龍)との間柄もギクシャクとしたものでした。

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『国盗り物語』の道三が、高いコミニケーション能力、たらしのうまさを持つとすれば、『麒麟がくる』は、むしろコミニケーションができない、不器用ぼっち。

興味深いことに、これは演じる役者さんにも通じるものを感じます。

『国盗り物語』の平幹二朗さんは、信長に扮した高橋英樹さんの「若さがうらやましい」と語り残しています。

一方、本木雅弘さんは、義龍役・伊藤英明さんの若さをうらやましながらも、演技面ではむしろ自己の中の理想とのズレに悩んでいたと明かされています。

NHKの人気番組『プロフェッショナル』に登場したときに見せた本木さんの素顔は、思うように道三を演じられずに悶々と悩む姿でした。

演じる像も、演じる側も、時代とともに変化する。

令和の道三は、昭和よりも暗くてストイックになり、興味深いものがありました。

息子・義龍や稲葉良通ら家臣からは露骨に嫌われ、光秀からすら罵倒される道三。

“稀代のたらし”どころか、ムカつくドケチマムシになった道三。

なぜこうなった?

そこには製作側の何らかの意図があるはずなのです。

『国盗り物語』の斎藤道三像には、史実以外のモデルもいたとされています。

いったい誰のことか?

「今太閤」と称された田中角栄です。

パワーが漲り、のし上がる実力がある。そんな政治家像とシンクロする道三を描く野心がそこにはありました。

登りゆく英雄像は、戦後復興が軌道に乗り、経済成長に酔いしれる視聴者の気持ちともシンクロしたのです。

となると、令和現在、視聴者は『麒麟がくる』のどのあたりに共感を寄せるべきなのでしょうか?

我が子・義龍の「偽り」を愚かであると罵倒する道三か?

妻・帰蝶に褒めてもらえると、無邪気な笑みを見せる信長か?

ドケチ上司や蹴鞠上司に苛立つ光秀か?

大河の英雄像と、その時代を生きる視聴者像にも、きっと何かシンクロする要素はあるはずなのです。

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