もちろんそのほとんどが誹謗中傷めいた噂の類で、中には、政略結婚のため泣く泣く再婚した女性が「二夫にまみえた」ということで、そんな呼び方をされてしまうこともあるわけで。
大半はゴシップ的に取り扱われた結果なんですね。
しかし……中には本当におります。
「この女性、エロすぎないか?」という人物が。
しかもそれが、あのナポレオンの妹というのですから日本人にとっては目が点なお話。
1825年6月9日は、ヨーロッパ中を震撼させた美貌とエロスの持ち主ポーリーヌの命日です。
魅惑的な彼女の歴史を振り返ってみましょう。
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皇帝陛下の11才下 絶世の美女・ポーリーヌ
今さら説明するまでもないほど偉大なナポレオン。
彼には三人の妹がいました。
その個性的なキャラクターをかいつまんで紹介しますと、以下の通り。
長女エリザ:勉強が好きで生真面目。フィクションでは大抵出てこない
二女ポーリーヌ:本稿主役。美人でエロくてスタイル抜群でお兄ちゃん大好き
三女カロリーヌ:女の体にマキャベリの頭脳を載せた、と評価されるほどの策謀家
……なんなんでしょうね、これ。
フィクションでこんな設定を出して来たら「ベタか!」とやり直しになるようなラインナップ。しかし史実なんだからしゃあない。
ポーリーヌは兄ナポレオンより11才下の妹として誕生しました。
ボナパルト一家は政治闘争のあおりを受け、故郷コルシカ島からマルセイユに引っ越します。
二兄のナポレオンが軍人としてのキャリアをスタートし、革命後混迷を極めるパリに赴任していた1796年。
僅か15才のポーリーヌは、男たちの心を引きつける早熟な美少女でした。
彼女は兄ナポレオンの部下・ジュノーと交際していたものの「あんな貧乏な男は駄目だ」ということで、あえなくダメ出しされてしまいます。
母には逆らえず、泣く泣くお別れ
次に彼女と熱烈な恋に落ちたのは41才の政治家・フレロンでした。
ナポレオンはこの結婚に当初は乗り気だったものの、母のレティツィアは断固反対します。いくら有力政治家とはいえ、15才と41才ではねえ……。ナポレオンもイタリア遠征に忙しく、妹の結婚どころではなくなったようです。
ポーリーヌはフレロンに永遠の愛を誓いながらも、母には逆らえず、泣く泣く別れを告げます。
「永遠にあなたを愛し続けるから!」
しかし、その別れから一年も経たないうちに、ナポレオンの部下で金髪のイケメン・ルクレール将軍と結婚するのでした。
24才の花婿と、16才の花嫁、美男美女のカップルです。
2人はナポレオンの遠征先であるイタリアで結婚式をあげました。
上り調子の上官の妹、しかも美人で評判の女性と結婚するなんて、とルクレールは大喜び。ポーリーヌもイケメンの夫にうっとりとこれまた大喜び。フレロンのことはまあ、忘れたんでしょうね。
革命後の激動の時代、野心を燃やし、才知を発揮したいと願う女性もいた中で、16才のポーリーヌは美しい見た目はともかく、中身は割と普通の女の子でした。
「えー、やだー、マジー!?」
こんな調子で、しょ~もない話題で笑い転げるポーリーヌ。この夫妻は1798年には男児デルミィドを授かります。
順風満帆に見える若い夫婦。しかしポーリーヌを生涯悩ませた病もこの頃から発症しています。
出産時に生殖器が感染症を起こしてしまい、後々までこの病に悩まされることになるのです。
第一執政の妹としてパリ社交界でもノリノリ
兄ナポレオンはこのあとエジプト遠征に向かい、夫ルクレールは病気のためパリに残ります。
今やルクレール夫人となったポーリーヌはパリ社交界でデビューを飾りました。
美人だとちやほやされてきたコルシカ出身の彼女にとって、そこはなかなか厳しい場所でした。
パリ社交界は魅惑的ではあるけれども、美貌だけではなくファッションセンスやエスプリも要求されるのです。
これをポーリーヌは美貌と持ち前の気の強さで乗り切り、社交界屈指の美女として名声を得ます。
この社交界で同じく名花と讃えられていたのが、ナポレオンの妻でポーリーヌの義姉にあたるジョゼフィーヌでした。
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しかし彼女はボナパルト家の面々からは嫌われていました。
お兄ちゃん大好きのポーリーヌは露骨に彼女を嫌い、ねちねちと悪口を言います。正面切ってファッションに駄目出しもしました。
「ちょっとぉ~~。義姉様ったらぁ~~。いい歳こいたババアのくせに、ドレスに花をつけるとかマジありえないんですけどぉ~~」
こんな調子で、ジョゼフィーヌ以外にも、敵対関係のあるライバルに容赦なく喧嘩を売るポーリーヌ。
誰も正面切って文句は言えません。
なんせナポレオン様の妹君なのであります。
1799年、エジプト遠征から電撃帰国したナポレオンはクーデターを敢行し、第一執政としてフランスのトップに立っておりました。
しかし2年後の1801年、ルクレール夫妻に転機が訪れます。
夫は、サン=ドマング(現在のハイチ)遠征軍に任命されたのです。
革命後高まった自由の機運はフランスの植民地にまで及び、のちにハイチ建国の父と称されるトゥーサン・ルーヴェルチュールが独立を求め反乱を起こしていました。
反乱軍の鎮圧がルクレールに課せられた使命です。
夫の栄転にうかれたポーリーヌですが、出発前にだんだんと不安をつのらせ、親友に愚痴をこぼします。
「三歳児を連れて地球の裏側に行くなんてありえないし。兄さまの意地悪」
「そう? でも、クレオール風(植民地)のドレスを着たあなたって、絶対イケてると思うけどな」
「やっぱりそうよね、私もそう思う! 南の島でパーティしまくろうっと!」
おだてられたポーリーヌは、南国行きを楽しみにするようになったのでした。
その先で起こることを知っていたら、そんな気持ちには決してならなかったのでしょうが。
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