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その日、歴史が動いた

数ある「血の日曜日事件」で最も有名なロシア帝国終わりの始まり

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信じるものに裏切られて大きな変化が起きる、というのは小説でもゲームでもドラマでもお決まりの展開ですが、これが現実に起きると洒落にならないほどの変革を起こすきっかけになることがあります。
往々にしてそうしたときには多く血が流れるもの。
今回ご紹介する事件は、当事者にとってはまさに天と地がひっくりかえったようなできごとだったでしょう。

1905年(明治三十八年)のあす1月22日、ロシア帝国の首都・サンクトペテルブルクで血の日曜日事件が発生しました。

実は「血の日曜日事件」と呼ばれる事件は世界史上何回も起きているのですが、おそらく最も有名なのがこのときのものでしょう。
教科書だと「ロシア国民が権利を求めてデモを起こし、当局に発砲されたためロシア革命の遠因になりました。以上」で終わらされてしまっていて何がどうしてそうなったのかさっぱりわからんので、ロシア帝国がどんな国だったのかということから見てみましょうか。

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ローマ帝国とロシア帝国の差は?

ちょうど先日ローマ帝国を取り上げたばかりですし、皇帝の位置づけを比較してみるとわかりやすいかもしれません。なぜかといいますと、国のトップが皇帝である事は同じなのですが、宗教との関係が違うのです。
ローマ帝国の場合、時代にもよりますが概ね「皇帝は神様から認められたからエライ」という考え方でした。神様(教会)>皇帝という図式ですね。
これに対し、ロシア帝国は「皇帝が教会を保護しているので、宗教的にも世俗的にも皇帝が一番エライ」、つまり皇帝>教会・民衆という受け取り方をされていた……というよりは国家で推し進めていたといったほうが正しいでしょうかね。
これはロシア帝国の元になったモスクワ大公国という国が、東ローマ帝国の皇族出身の奥さんを迎えた際「ウチがローマ帝国の正当な後継者だし、キリスト教(東方正教会)も保護するから!」というスタンスでいたことからきています。

ついでに「正教会ってなんぞや?」という話をちょっとだけ。
ものすごく簡単に言うと「ウチがキリスト様の教えを一番正確に伝えてるから!」という考え方をしているキリスト教の一宗派です。
ロシア皇帝はこの「一番正しい教え」の保護者であるが故に世界で一番エライというわけですね。

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ですから、当時のロシア国民にとってロシア皇帝というのは「慈悲深く情けをかけてくださる方」であるという信仰めいた価値観がありました。
実際、当時の(そして最後の)皇帝・ニコライ2世はどちらかといえば温厚な人柄で、自ら家族写真を撮ったりするなど穏やかな人物ではありました。何せ皇太子時代に日本に来て、日本人の不届き者に殺されかかったとき(大津事件)でもあっさり「どこにでもアホはいますし、おかげさまで命は助かりましたから」(意訳)と不問にしてくれたような人です。心広すぎ。

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暗殺されかけた日本には寛容だったが国民には厳しくて

しかし、民衆のアテは外れました。
嘆願の声が玉座に届く前に、当局から鉛玉を頂戴してしまったからです。
当初は行進を止めるのが目的だったそうですが、止められないと見るなり実力行使に出たといいますから、少なくとも現場にいた指揮官の頭の中には「民衆が人間である」という意識はなかったのでしょう。
ニコライ2世がこの件についてどのように思っていたか、本当のところはわかりません。
しかし、「神にも等しい皇帝陛下の兵が無抵抗・非武装の市民に発砲した」という衝撃は、もはや皇帝本人の意思とは関係なく民衆の期待を完全に打ち砕いてしまいました。

このあまりにも残酷なニュースはたちまちロシア国内を駆け巡り、至るところで皇帝に対するデモやストライキが起こります。そして当局は変わらず実力行使でこれを抑えようとしました。
反動の起きた分だけ死者は増えていきましたが、天は民衆に味方します。
同時期に起きていた日露戦争で、ロシアの敗北が決定的になったのです。
(日露戦争についてはまたおいおい取り上げますので、今回はイメージ的なところだけ扱います)

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無敵の帝国が弱小の日本に敗北したことで…

ロシア帝国は対外戦争でほとんど負けたことがありませんでした。
軍隊の規模も世界最大でしたし、ヨーロッパ諸国がほとんど踏み潰されたナポレオン相手でさえ、冬の寒さと焦土戦術で撃退しています。血の日曜日事件の半世紀前にあったクリミア戦争では負けてしまいましたが、それは産業革命が追いついていなかった事と、相手国の多さが主な原因でした。
ですから、当時世界中のほとんどの国が「ちっぽけな日本相手にロシアが負けるわけがない」と思っていたのです。
しかし現実には少しずつ敗色が濃くなっており、血の日曜日事件の発端になったデモの理由にも「負けそうな戦争は早くやめて欲しい」ということが含まれていました。
そして日本海海戦で完全に優劣が決まったため、さすがのロシア当局も帝国の衰えを自覚せざるをえなくなったのです。
民衆にとっては、「神が神でなくなった」ように思えたでしょう。

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さらには戦艦ポチョムキンで水兵が反乱を起こし上官を殺害するという事件が起き、もはや軍隊も一枚岩ではない事が明らかになります。反乱の当事者たちは厳罰に処されましたが、事ここにいたってようやく当局は強行姿勢を改めました。
ニコライ2世もこれ以上の虐殺を望まないとして、民衆の要望を一部だけ呑みます。といっても、絶対的な権力者が民衆”ごとき”の言い分を聞くのはかなり悔しかったようですけれど。
ここで血の日曜日事件に始まる「ロシア第一革命」は沈静化に向かうものの、約十年後には皇帝一家とロシアという国にさらなる激震が襲い掛かる事になります。
ロシア革命というと世界史でもとにかくややこしいパートですが、今回はほんのちょっとだけ受験生のお役に立てましたかね?
長月七紀・記

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写真はロシア版のWikipediaより





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