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その日、歴史が動いた

今も昔も複雑な東欧事情 明治10年ルーマニアがオスマン帝国から独立を宣言【その日、歴史が動いた】

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歴史でも文化でも旅行でも同じ話ですが、なじみのある国と無い国ってありますよね。
これはどこの国でも同じなようで、極端な例でいえばアメリカ人だと「ヨーロッパ諸国の位置がわからない」なんてのはザラだとか。日頃関わりがないとそうなってしまうのかもしれませんが、これが一般的な教育を受けた成人のデフォルトというとちょっとアレな気がします。

多分このサイトにいらしている方々は歴史がお好きでしょうから、ざっくりした世界地図は頭に入ってるんじゃないかと思いますけども、本日はちょっとなじみのない国々のお話なので、ググるマップなどをご覧いただいてから読まれたほうがいいかもしれません。

大きな地図で見る

1877年(明治十年)の5月9日、ルーマニアがオスマン帝国から独立を宣言しました。
早くも「ルーマニアってどこよ」というハテナが飛んできそうですので、さっそく地図にご登場願いましょう。
平面地図だと北海道から真西に行って、現在もゴタゴタ続行中のウクライナのすぐ左下に国名が見えてくると思います。クリミア半島とは海を挟んでお隣ですね。
地域区分ではいわゆる「東欧(東ヨーロッパ)」です。

あっちこっちに占領された東欧

ルーマニアに限らず東欧一帯は、長い歴史の中でしょっちゅうあっちこっちに占領されて属国扱いになっていた国が多い地域です。
あまりにややこしいので教科書ではほぼスルー状態ですが、ルーマニアについてはユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がこの辺に遠征したというのが最古の記録です。その頃のルーマニアはダキアと呼ばれていて、ローマ人とルーマニア人との間に混血が起こり、比較的緩やかに同化していきました。
この混血人達が現在のルーマニア人の祖先に当たる人々のため、現在の国名も「ローマ人の土地」ということでローマニア→ルーマニアになったとか。「ムリヤリ植民地化された」って認識だったら敵国の名前を国名に残したりしないでしょうから、植民地の割には穏やかだったのでしょう。

その後は小さな国にいくつか分かれ、くっついたり離れたりを繰り返していきます。最終的にはワラキア・トランシルヴァニア・モルダヴィアの3つにまとまりました。この辺は、中世史がお好きな方なら何となく聞き覚えがあるかもしれませんね。世界遺産に登録されているものにもいくつか名前がついていますし、海外旅行がお好きな方も見覚えがあるでしょうか。
しかし、このあたりから周辺にハプスブルク家やハンガリー王国、オスマン帝国、ポーランド王国など今でいう”列強”にあたる国が興ってきたため、ルーマニアを始めとした東欧地域はそれらの間で取ったり取られたりの混乱が続きます。

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オスマン帝国との戦いと串刺し公

この時期の英雄として名高いのが”串刺し公”ことヴラド・ツェペシュ(ヴラド3世)です。彼はワラキアの王様(厳密には違いますがややこしいので王様と呼んでおきます)で、オスマン帝国からの「ウチに従わないと力づくで攻め落とすぞ!」という脅迫に屈せず、ゲリラ戦や焦土作戦を用いてオスマン帝国軍を撃退しました。
ちなみに串刺し刑は当時一般的な処刑方法であり、ヴラド3世が考案したものでも彼が特に残虐だったというわけでもありません。ただ、見せしめのために?本来なら串刺し刑にならない層にもこの処刑法を用いることが多かったのは事実です。
オスマン帝国との戦いの中でも、オスマン兵を串刺しにしまくることで戦意を失わせ、撤退させたといわれています。
方法はアレですが、戦争が長引いて双方の損耗が広がり続けるよりは……と考えると、当時の戦略としては悪くないのではないでしょうか。
現代の倫理的には大問題ですけども。

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騎馬民族もペストも

これと前後してはるか東からはモンゴル帝国が物騒な遠足に来るわ、ペストは流行るわでもはやカオス。
ワラキア・トランシルヴァニア・モルダヴィアの3つの国は、あるところはハプスブルク家に、あるときはオスマン帝国に、そしてまたあるときはロシア帝国の支配下に入り、長らく「ルーマニア」として一つの国になることはありませんでした。
もちろんどこの人々も黙って支配を受けていたわけではなく、反乱を起こして独立を勝ち取ろうとしたこともあったのですが、まだまだ支配する側の国が強かったため失敗に終わっています。

露土戦争でオスマンから独立も 一部はロシアへ

1877年に独立を宣言したのは、この年に始まった露土戦争(通算9回目)がきっかけでした。
これはクリミア戦争の約半世紀後に起きた戦争で、この頃になるとオスマン帝国は「瀕死の病人」どころか風前の灯火(ともしび)。
この戦争のきっかけがそもそも「オスマン帝国の支配を受けていた国々が本国に反乱→ロシアが介入したため大国同士のドンパチに発展」というものでしたので、ルーマニアとしてはまさに絶好の機会でした。「今こそご先祖様の悲願を果たすぞ!じっちゃんの名にかけて!!」というわけです。
オスマン帝国は既に一国でロシアを相手にすることは不可能になっていましたが、この反乱を鎮圧する際大規模な虐殺をしていたため、「そんな非人道的なヤツに協力するなんてとんでもない!」ということでイギリス他の国から協力を拒絶されてしまいます。
どっちかっつーと歴史的に言えばイギリスのほうがえげつないこといっぱいやってる気がしますがゲフンゲフン。直接手を下してないからおkとでもいうつもりでしょうかワースゴーイ(棒読み)

一方ロシア帝国はクリミア戦争の恨みもあり、アレクサンドル2世という皇帝が近代化を推し進めていたこともあり、終始優位に戦争を進め、約1年ほどで勝利を収めました。
そしてオスマン帝国内のサン・ステファノという街で講和条約が結ばれ、オスマン帝国には多額の賠償金と共に、ルーマニアを含めた支配領域の独立や自治権の承認、一部地域をロシアに割譲することを余儀なくされます。

王国、独裁を経て

こうして独立を勝ち取ったルーマニアは王国として始まりましたが、二度の世界大戦を通して共産主義を掲げる共和国へ移行。冷戦中はいわゆる”東側”に属していました。
当時はニコラエ・チャウシェスクという人が独裁体制を布いており、冷戦中に”西側”と積極的に交流するなど外交面ではいい顔をしていたのですが、共産主義国家によくある「実情を無視した政策」を取り続けたため国民の恨みを買い、最終的には銃殺による公開処刑という最悪の結末を迎えています。

共産主義含めた社会主義というと”アカ”のイメージが強いせいで悪い印象が強いですけども、元は「資本主義だと金持ちだけがトクして貧乏な人がかわいそうだから、国家が財産を管理して分配するよ!それで皆幸せになろうね!」という考え方です。なので方向性としては悪くないんですが、いかんせんコントロールが非常に難しく、失敗する確率のほうが圧倒的に高いんですよねえ。
独裁者が恐怖政治をしがちなため部下が正確な報告をせず、結果国の実情が把握できなくなってどんどん政策を誤り続けるという理由もあります。

チャウシェスクの場合は大多数が国民にそっぽを向かれる政策でしたが、食糧の配給だけはしっかりやっていたようで、今でも「あのおっさんのほうがマシだった」なんていわれることがあるようです。
チャウシェスク打倒後の政権が資本主義にうまく対応できなかったために、世界の共通語「昔は良かった」が発動してしまったのでしょうか。

現在のルーマニアはまだ社会問題も多く経済的にも苦しいようですが、日本の方の旅行記を読んでみると「旅行しやすくなった」「店員さんが親切」など比較的良い評判が多いので、そのうち人気国になったらもう少し発展するのかもしれないですね。
料理も結構おいしいようです。お菓子も複数種類あるので、もっと知られれば女性人気が出そうな気もします。おっとよだれが。

長月七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/ルーマニアの歴史
   http://ja.wikipedia.org/wiki/ルーマニア料理
   http://ja.wikipedia.org/wiki/チャウシェスク
   
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴラド公

 





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