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その日、歴史が動いた 世界史データベース

モンゴルが世界最強でロシアがまだ「恐ろしや」でなかった鎌倉時代の世界史

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歴史が動くきっかけの一つに、「移動」があります。
特に世界史の場合はこれが顕著で、のっけから「ゲルマン民族の大移動」なんて単語が出てきますよね。
アレクサンドロスなどがやった大遠征なども広い意味では移動ですし、さらに広義で捉えれば大航海時代も入るでしょう。広げまくるとキリがないのでこの辺にしまして、今回はとある国の軍とそのミクロなお友達?が歴史を動かしたお話です。

元寇は東だけでなくもちろん西へも

1240年(日本は鎌倉時代・仁治元年)の12月6日は、モンゴル帝国が現在のロシア・ウクライナに攻め込んでいた”キエフの戦い”が集結した日です。
日本史でやる元寇の話はご記憶にある方が多いと思うのですけども、逆方面=ヨーロッパではどうだったかというようなことは、余程世界史が好きな方でもなければご存じないような気がするので、ざっくりとお話して行きましょう。
一言でまとめると「うわモンゴルつよぃ」で終わっちゃうんですが。

モンゴルの拡大(Wikipediaより)

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ロシア・ウクライナ・ベラルーシの大元の国「ルーシ」の首都キエフが囲まれる

国内を統一し、南下して中国を支配下に収めたモンゴルは、その次に中央アジア方面を狙いました。アフガニスタンとかあの辺です。
そのままシルクロードを西方へ向かうような形で、次はロシアに入ります。といっても当時はまだロシア帝国ではなく、キエフ大公国という国でした。現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシの大元になった国で、正式名称は「ルーシ」らしいですがいろいろな大人の事情により、日本ではキエフ大公国と呼んでいることが多いようです。

この当時はいくつかの公国に分裂していて、とても強大な敵に立ち向かえる状況ではありませんでした。一応協力しようとはしていたんですが、相手が悪すぎたのです。

一度は追い返すことに成功しましたが、再びモンゴル軍がより大規模な軍勢でやってくると、もはや手に負えず、各公国の首都は焼き払われ、ある国では大公一家が惨殺され、また別の国は大公自ら勇敢に戦いましたがあえなく戦死、といったように次々とモンゴルの支配下に置かれていきます。

モンゴルの強さの秘密はなんだったんでしょう?(Wikipediaより)

ナポレオンもかなわない冬将軍もモンゴルには効かず

そしてついに大公国全体の首都・キエフ(現在はウクライナ領)を包囲し、この地域の仕上げの戦いが起こりました。
9月5日に包囲を始めて12月6日に陥落ですから、かなりの遠征軍であることを考えれば早いほうでしょう。ロシアの防衛の要・冬将軍も、ユーラシアきっての厳寒地帯出身であるモンゴル兵たちには効かなかったようです。
ちなみに現在のモンゴル首都・ウランバートルは真夏は40℃、真冬はマイナス30℃程度になるそうです。おかしい(確信)
ロシアも決して温暖とは言いがたい気候ですが、意外に?一番寒いのはアジア寄りの地域ですから、総合的に見てモンゴルの人のほうが寒さに強いのかもしれませんね。

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「タタールのくびき」でヨーロッパ壊滅寸前に皇帝あぼーん

キエフ陥落後はモンゴル帝国の中のキプチャク・ハン国によって支配される時代が続きました。支配された側からの通称は「タタールのくびき」。
くびきとは「束縛するもの」という意味で、ここでは形容詞ですが、元は牛や馬に車を引かせるときに使うものです。文字通り馬車馬の如く働かされたもしくは束縛されていたということでしょう。
この一連の戦いで何度も虐殺が起きており、戦死者と合わせて50万人が犠牲になったといいます。現代日本で例えると、姫路市など一つの”市”が丸ごとすっからかんになるくらいです。もう何をコメントすればいいのやらわかりません。
さて、モンゴルの勢いはこれで終わりませんでした。さらに西へ向かい、東欧地域へ侵入します。
現在のブルガリアあたりで地元の人々により頑強に抵抗され、一度撤退を余儀なくされましたが、チンギス・ハーンの死後再び西方遠征を始めました。可哀相に、再度キエフをはじめとしたルーシ諸国は蹂躙され、生き残りはポーランドやハンガリーなどの東欧諸国へ逃げ込みます。これを負ってモンゴル軍も西方へ向かいました。

そしてモンゴル軍が現在のポーランド領内に入ると、さすがのヨーロッパ諸国も団結して対抗しようとします。現地のポーランド王国、お隣神聖ローマ帝国、カトリックの各騎士団などが連合したが見事にボロ負け\(^o^)/
これをワールシュタットの戦いと呼んでいました。今はリーグニッツの戦いと呼ぶほうが多いようですね。何でかというと、ドイツ語でワールシュタット(wahlstatt)とは「死体の山」を意味するからです。

つまりそのものズバリの悲惨な状態になった戦いだというわけですが、さすがに歴史を学ぶ際に毎回目にする単語としてはアレだからか、結果をネタばらしするのはどうよということなのかどっちでしょうか。いやもっとちゃんとした理由があると思いますけども。
ウィキペディア先生でも「連合軍の損害:死者 大 多 数」と書かれています。わかりやすいけど恐ろしいにも程があんだろ。

そして少し南のハンガリー王国に侵入し、ここでも勝利を収めたモンゴル軍。
次の標的は死に体の東ローマ帝国か、神聖ローマ帝国か? 誰もが自分のところには来ないでくれと祈っていたそのとき、モンゴル本国からサプライズ過ぎるニュースが届きます。

「皇帝死んじゃったテヘペロ☆」(超訳)

当然各方面に攻め込んでいた一族は大慌て。何でかというと、後継者が決まっていなかったからです。以前チンギス・ハーンが亡くなったときは遺言があったので特に大きな問題はありませんでしたが、今度は正真正銘突然の悲報でしたから、当然後のことをどうするか全く決まっていませんでした。

となると、ユーラシア大陸の約3/4を占めようとしていたこの帝国、次は一体誰のものになるのでしょう? どうやったら手に入れられるでしょう?
多くの方が連想された通り、一刻も早く本国に戻って自身の正当化を計ると同時に、他の候補者を追い落とさなくてはなりませんよね。

というわけで、各方面のモンゴル軍は我先にと母国へ帰還します。
ヨーロッパ側から見れば、ビビリまくってたところで突然敵が帰ってくれたわけですあから、神の恩寵にも見えたでしょうね。日本でいうなら「神風が元寇を退けてくれた」のと同じような感覚でしょうか。
偶然が歴史を大きく動かすことは珍しくありませんが、こういう出来事を見ると「神様ってホントにいるんじゃね?」なんて思ってしまいますね。

モンゴルがもたらした東西交易のメリットとペストのデメリット

ちなみにモンゴル軍が去ったからといって、ヨーロッパが完全に平和になったわけではありません。以前からユーラシア大陸では東西間の交易が行われていましたが、モンゴル帝国の支配によってより盛んになったことで、デカすぎる弊害が生まれてしまったのです。
それが世界史上の大事件のひとつ、ペスト(黒死病)の大流行でした。
ペストはそれまでの時代にも何回かヨーロッパで流行ったことがありますが、このときの流行は最大規模。当時のヨーロッパの1/3が亡くなったといわれているほどです。
それほど強力な細菌がいきなりやってきた原因が、東西間交易の荷物に紛れ込んだネズミ、もしくは毛皮商品についていたノミが媒介になったという説があるのです。
何て嬉しくない置き土産なんだ。

中世ヨーロッパでのペストの流行図(Wikipediaより)

しかし、ある意味では良かったかもしれません。
もしこのタイミングでペストが流行していなかったら、ヨーロッパ諸国がいずれモンゴルへの報復戦争をしていたかもしれないですよね。これだけやられていて、しかも敵が内紛を起こしているとなれば、復讐には絶好の機会です。
いつもくだらん揉め事で他所にイチャモンをつけて戦争をしまくるヨーロッパですが、共通の敵がいるときの団結力は恐ろしいもの。ローマ教皇が音頭を取れば対面も整いますし、十字軍に匹敵する規模の大連合軍ができていたでしょう。
既に第4回十字軍(お金がないからって同じキリスト教徒の東ローマ帝国をぶっ飛ばしたアレ)の後ですから、名誉挽回のために「モンゴルはけしからんイスラム教徒の仲間だからぶっ潰そうね!」とか何とか言えばこれまた無問題になりそうですし。

となると、ペストほどの死者数にはならないにしろ双方にかなりの人的損害が出て、その後の歴史が大きく変わっていた可能性は高いですよね。
どれが最善かということは一概に言えませんけども。寿命以外でバタバタ死ぬなんてこと良くないに決まってますし。
ホント、心の底からこういう時代に生まれなくて良かったと思いますね……。

長月 七紀・記




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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/モンゴルのルーシ侵攻




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