慶応四年(1868年)1月11日、神戸事件が起きました。
神戸事件というと、どうしても平成9年(1997年)に同市で起きた『酒鬼薔薇事件』を彷彿とさせてしまいますが、今から157年前の神戸で、フランス人水兵と岡山藩士がドンパチを起こし、幕府も巻き込んだ一大事件に発展していたのです。
一体なにがどうしてそうなったのか?
事の発端は【生麦事件】と似たような流れでして、ともかく当時を振り返ってみましょう。
各国の海運関係者は神戸や大阪へ
開国当時の開かれた港といえば?
生麦事件の現場にもほど近い横浜港が有名ですが、慶応四年(1868年)頃にもなれば、横浜だけでなく、大阪や神戸も外国船の入港OKということになっていました。
しかし、幕末に攘夷運動が加熱していた日本で、コトはそう単純ではありません。
このころ【大政奉還】の実施から【王政復古の大号令】で権力が京都に移り、薩長が「徳川家ブッコロ!」な方向へ舵を切り始めると、にわかに事態は動いていたのでした。

『大政奉還図』邨田丹陵 筆/wikipediaより引用
「日本の内戦に巻き込まれたくない!」(超訳)
そう考えた各国の海運関係者が、神戸や大阪に集うようになったのです。
そして実際に【鳥羽・伏見の戦い】が起こり、戊辰戦争が始まると、その影響は想像以上に広範囲へ及ぶようになっていきます。
岡山藩の隊列を横切るフランス人水平
それは明治元年(1868年)1月11日のことでした。
新政府に西宮の守備を命じられた岡山藩。
家老・日置帯刀の部隊が隊列を組み、神戸を行進していると、そこをあろうことかフランス人水兵が横切ろうとしてしまいました。
にわかに騒然とする岡山藩士たち。
フランス人たちの行為(=藩士たちの隊列を邪魔すること)が、大名行列を横切るにも等しい、非常に無礼な行動であることは説明するまでもないでしょう。
つまりは生麦事件と同質の状況に陥ってしまうのです

生麦事件/国立国会図書館蔵
それでなくても西日本では【下関戦争】や【薩英戦争】などで西洋人と直接ぶつかっており、良いイメージを持っていなかった人が多かったでしょうし、もしかしたらこのとき岡山藩兵の中にも、不幸な目に遭った縁者がいたかもしれません。
外国人が相手ゆえに、満足に言葉も通じません。
しかも、お互いに槍やら拳銃やらを出してしまい、近くにいた欧米諸国の公使たちを狙撃しかねない勢いのドンパチに発展してしまったのです。
助命嘆願もかなわず 責任者はハラキリ
不幸中の幸いというべきか。
それともただ単に射撃の訓練不足だったのか。
銃撃戦にまで発展した【神戸事件】ですが、死者はなく、怪我人二名で済みました。
しかし銃撃戦は英・仏・米各国が相手となり、特にフランス公使をとてつもなく怒らせ、関係回復は困難に。
そこで明治新政府に肩入れし、何かと操っていたイギリス公使のパークスは寺島宗則や吉井友実に使節を派遣するよう通告します。

ハリー・パークス/Wikipediaより引用
穿った見方をすれば、明治新政府にとっては外交力アピールのチャンスでもありました。
まだ政権の権利委譲が完全に済んでおらず、外交に関しては旧幕府の管轄ということになっていたのです。
これはチャンス!と思いきや、幕府にとってはタイミング悪く、このころ徳川慶喜は大阪→江戸へ逃亡航海の真っ最中でした。
逆に新政府軍にとってはチャンスでもありました。
新政府の人間がそ知らぬ顔して対応すれば「今度からコイツと話をすればいいのか?」となりますよね。
外国人が見た初めての切腹は滝善三郎
最初は伊藤博文が担当して失敗。
次に東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)という公家の人が交渉に当たり、最初に槍でフランス人水兵に怪我をさせた滝善三郎という人物を切腹させることで、この事件を丸く治めました。
外国人側にほとんど被害がないにしては重すぎる処分に見えますよね。
しかし、日本側が助命嘆願をしようとも、公使たちに却下されてしまったのでどうしようもありません。
なんだか釈然としないのですが、要は、英仏米に対する明治新政府の立場が弱かったんですね。なんせ、岡山藩が犯人の受け渡しを拒んだら、同藩を攻撃する方針であったと言います。
そして滝は切腹へ。
本来の作法で「ハラキリ」が行われたと言います。

歌川国員の作『當世武勇傳 高﨑佐一郎』/wikipediaより引用
実は、切腹も江戸時代末期になると、自分で本当に腹を切るケースは珍しく、介錯人による斬首というイメージに近いかもしれません。
それを検証のための外国人が見ているからか。
本人に腹を切らせたのです。
記録上は、このときが「外国人が初めて切腹を見たシーン」となっています。
「ハラキーリ!」のイメージも、ここが出発点でしょう。

三宮神社の史蹟碑/Wikipediaより引用
この神戸事件から約1ヶ月後の慶応四年(1868年)2月15日には【堺事件】が勃発。
そのときは武士の集団ハラキリを見て、あまりにムゴいため、途中でストップさせたと言います。
「牛肉食いたいから牛をよこせ」って……
こうした物騒な事件、幕末から戊辰戦争期の混乱によるものと思いきや、実はもう少し前から似たようなことが起きていました。
特徴的な例をもう一つご紹介しましょう。
現在鹿児島県に属する宝島というところで、文政七年(1824年)にイギリス人とのトラブルが起きたことがあります。

鹿児島県宝島/Wikipediaより引用
彼らの船はたまたまこの島へ流れ着いただけだったのですが、あつかましいことに現地の人々へ「牛肉食いたいから牛をよこせ!」と言ってきたのです。
西日本は比較的東日本よりも肉が食べられていたとはいえ、日本人にとって牛肉食は馴染みのないものでしたし、何より牛は農耕や運搬に使う大切な家畜。
ですから当然島民もお偉いさんも拒否しましたが、イギリス人たちが大勢でよってたかって牛を三頭も強奪し、本格的にドタバタ騒ぎになってしまいます。
結果、イギリス人のうち一人が射殺されるというこれまた国際問題モノの事態となりました。
この時期はまだ正式に国交を結んでいなかったおかげか、そこまでは悪化せずに済んだようです。
翌年に異国船打払令が出されているので、影響の程がうかがえますね。
ちなみにイギリス公使・オールコックが富士山で狼藉を働いたのが万延元年(1860年)なので、この二つの事件の間にあたります。
つまり数十年前からずっと似たような状況だったわけです。
※以下は「オールコック富士山登頂」の関連記事となります
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外国人初の富士山登頂は現代なら炎上必至?幕末のオールコック御一行は何をした
続きを見る
そりゃ幕府側も「今は外国人ってだけで危ないんだから、馬に乗るなんてわざわざ顔をさらすような移動の仕方しないでくださいよ!」(超訳)って言いますよね。
ちっとも聞いてくれませんでしたけど。
★
諸外国からの旅行者が急増している今の日本も、各地でトラブルが報告されています。
さすがに現代で“ハラキリ”になるような事態はありませんが、それぞれの文化風習には互いに敬意を払い、皆が楽しめるような旅をしていただきたいものです。
◆日本の観光分野のGDP貢献度、2023年は41兆円でシェア6.8%に、雇用は560万人、世界旅行ツーリズム協議会が予測(→link)
上記の記事のように、今や日本は観光業が外貨獲得の大切な手段となっておりますので……。
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【参考】
国史大辞典
神戸事件/Wikipedia
宝島/Wikipedia






