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薔薇戦争/Wikipediaより引用

イギリス その日、歴史が動いた

英国の薔薇戦争は意外なカタチで収束! 王位を巡って白と赤が激突

更新日:

戦争が長引くと、それぞれの軍でも世代交代が起こり、いつしか開戦当初のことが誰もわからなくなっていた……なんて笑えない話があります。
往年の名曲、サイモン&ガーファンクルのスカボロー・フェアでもそんな一節がありましたね。

 

あれはベトナム戦争への反対をこめたものですが、もっと昔、まさにあの歌詞そのままといえそうな戦争がヨーロッパでありました。

1486年(日本では室町時代・文明十八年)1月18日、イングランドのヘンリー7世とエリザベス・オブ・ヨークが結婚し、薔薇戦争が終わるきっかけになりました。
「いきなり何の話だよ」というツッコミが聞こえてきた気がしますので、例によってテキトーに省略しながら話を進めましょう。

 

フランス王族が途絶えてる? んじゃ、オレ!オレオレ!

事の発端……の発端は、フランスの王様とイングランドの王様が血縁関係になったことです。
違う国の王族同士が血縁になることは珍しくないものの、それゆえに戦争の引き金にもなるのがヨーロッパの常識。このときもご多分に漏れず、フランスの王様が途絶えかけたとき、イングランドの王様が「俺も血が繋がってるんだから権利あるだろ!」ということでもめました。
そして途中の休戦期間を挟んで約100年も戦争状態になっていたのが、ジャンヌ・ダルクでお馴染みの百年戦争です。

百年戦争のことまで書くと長すぎるので今回はばっさりカットしますが、結果はイングランドの負けに終わり、当然の事ながら国内では大ブーイングが起きました。
「もうあの家にイングランド王を任せておけん!」ということで、大貴族達が王位を巡って争います。これがバラ戦争です。
そんな余力があるなら百年戦争のときに団結して勝っておけと言いたくなりますが、まあそれは後世から見ているからこそ言えることですね。

 

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赤バラのランカスター家 白バラのヨーク家

こんなくだらない争いになんでそんな綺麗な名前がついたのかというと、争いの当事者である二つの家がどちらもバラの紋章を持っていたからです。
赤バラの紋がランカスター家という当時のイングランド王家で、白バラの紋はヨーク家という貴族でした。
当初からその紋を使っていたわけではなく、また「バラ戦争」という呼称も後世につけられたものではありますが。歴史の話ではよくあることですね。
内乱の経過としては、大きく三段階に分かれます。
まず第一段階は、ヨーク家から見ると「あ、ありのまま今起こったことを話すぜ! ウチが新しい王家になれたと思ったら、いつの間にか兄弟で大ゲンカを始めて収拾がつかなくなった。な、何を言っているのかわからねーと思うが(ry」という感じです。

ランカスター家のほうでは王様はほぼ無能だったものの、その奥さん(王妃)のマーガレットが貴族達を取り仕切って頑張り、戦争にも政争でも奮戦します。兵達からも「ウチの王様はマーガレット様だ!」とまで言われていたとか。やだカーチャンかっこいい。
この人はフランス貴族の出身なので、バラ戦争の大本が百年戦争であることを考えると、ビミョーな感じがしますけどね。欧州情勢は真に複雑怪奇です。

 

ヨーク家が優勢になるも、また内乱ってどんだけ~

第二段階は、概ねヨーク家の内乱が片付いた頃です。元々優勢なのはこっちでしたから、当然勢力を巻き返します。
そしてランカスター家の(一応)トップだった当時の王様・ヘンリー6世とその息子エドワードは殺され、マーガレットも幽閉されてしまいました。

ここまでくれば今度こそヨーク家の完全勝利かと思いきや、またしても内乱が起こります。ここからが第三段階になるわけですが、どんだけ仲が悪いんだよお前らはと言いたくなって来ますね。
そしてこのタイミングで、フランスへ亡命していたランカスター家派のとある貴族が帰ってきました。エリザベス1世のジーチャンにあたるヘンリー7世です。
ややこしいことに、上記のヘンリー6世の息子ではありません。ものすごくめんどくさい経緯があるので、ご興味のある向きは各自ググる先生にお尋ねください。

 

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白バラと赤バラを組み合わせてピンクバラ、ではなく・・・

そしてヘンリー7世はヨーク家と戦って勝ち、今度こそ内乱を終わらせるべく新たな手段を使いました。それが、ヨーク家のお姫様であるエリザベスとの結婚です。
両家統合の象徴として、赤バラと白バラを組み合わせた”テューダー・ローズ”という紋章を作り、これをさまざまな場面で用いることによって「もう戦争終わったから!これからは俺とエリザベスで仲良く(意味深)やっていくから!」(超訳)と示したのでした。

こんな経緯だった割にはヘンリー7世とエリザベスは5人の子供に恵まれており、割と夫婦仲は良好だったようです。ちなみに現在までのイングランドやイギリスの王様は全員彼らの子孫にあたります。そう考えるとすげえな。

そんな良い両親の元に生まれた次の王様・ヘンリー8世がなんでアレな感じになってしまったのか理解に苦しみますが、男の子に恵まれなかったので仕方がない……ということにしておきましょう。当時は女性の君主というものがほとんど存在しませんでしたから。

無理やりまとめると、「権力やお金、血族の争いと妙に強すぎるこだわりはやっぱりロクなことがない」というところですかね。

長月 七紀・記




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参考・TOP画像:薔薇戦争/Wikipedia

 




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